今読んでいる本の中に出てきた、下の部分が、私に「友人と戦友の違い」という面白いヒントを与えたので転載しておく。
戦友とは、偶然に、強制的に強いられた運命共同体である。友人のような精神的親近感はゼロである場合もあり、相手が嫌悪すべき精神の持ち主である場合もある。だが、生死を共にするという点では、通常の友人よりもはるかに強い絆で結ばれている。相手の行動によって自分の生死が決まることもあるからだ。
キューブリックの「フルメタルジャケット」を見ていて感じた不思議さ、「なぜ彼らは自分自身が危険を冒しても仲間を救おうとするのか」という疑問も、実は私がそういうような「戦友」の意味を知らなかったためだろう。
そういう、理不尽な運命共同体としての「戦友」というものは、あまりこれまで描かれなかった題材になるかもしれない。つまり、憎悪する「仲間」とともに戦わないと自分の目的は達成できない、というシチュエーションだ。仲間とは常に友情関係である、という「大きくふりかぶって」的な世界ではなく、「ブラックラグーン」の初期に近いだろうか。
(以下引用)
いつだったか、タークにドナルドのことを指して「仲のいい友人」と言ったとき、タークはすぐに正した。
「ここには友人なんていない。ドナルドはいわば戦友だ。長いつきあいで、いっしょにいろいろ乗り越えてきた」
受刑者たちがあまり親密な関係を築かない理由がわかったような気がした。誰かと親しくなれば、自分が傷つくことになるかもしれない。目が覚めるとひとりぼっちになっていた、という日がいつ来るともしれないのだ。
(「刑務所の読書クラブ」より)
戦友とは、偶然に、強制的に強いられた運命共同体である。友人のような精神的親近感はゼロである場合もあり、相手が嫌悪すべき精神の持ち主である場合もある。だが、生死を共にするという点では、通常の友人よりもはるかに強い絆で結ばれている。相手の行動によって自分の生死が決まることもあるからだ。
キューブリックの「フルメタルジャケット」を見ていて感じた不思議さ、「なぜ彼らは自分自身が危険を冒しても仲間を救おうとするのか」という疑問も、実は私がそういうような「戦友」の意味を知らなかったためだろう。
そういう、理不尽な運命共同体としての「戦友」というものは、あまりこれまで描かれなかった題材になるかもしれない。つまり、憎悪する「仲間」とともに戦わないと自分の目的は達成できない、というシチュエーションだ。仲間とは常に友情関係である、という「大きくふりかぶって」的な世界ではなく、「ブラックラグーン」の初期に近いだろうか。
(以下引用)
いつだったか、タークにドナルドのことを指して「仲のいい友人」と言ったとき、タークはすぐに正した。
「ここには友人なんていない。ドナルドはいわば戦友だ。長いつきあいで、いっしょにいろいろ乗り越えてきた」
受刑者たちがあまり親密な関係を築かない理由がわかったような気がした。誰かと親しくなれば、自分が傷つくことになるかもしれない。目が覚めるとひとりぼっちになっていた、という日がいつ来るともしれないのだ。
(「刑務所の読書クラブ」より)
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