そして読者の脳内ライブラリーに頼って描写や説明が希薄化してゆくのは、そのジャンルが崩壊衰退してゆく予兆でもある。このへんは『倶楽部雑誌探究』巻末の小田光雄氏の文章など参照のこと。「繁華街」「絵に描いたような漁師の街」が「は、何これ?」と投げ出される日はそれほど遠くなく来るでしょう
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そして読者の脳内ライブラリーに頼って描写や説明が希薄化してゆくのは、そのジャンルが崩壊衰退してゆく予兆でもある。このへんは『倶楽部雑誌探究』巻末の小田光雄氏の文章など参照のこと。「繁華街」「絵に描いたような漁師の街」が「は、何これ?」と投げ出される日はそれほど遠くなく来るでしょう
「読者の脳内ライブラリー」というのは、この人が馬鹿にする克明な描写があって形成されたもの。僕は現代アメリカ作家描くマフィアとギャンブルの世界が全くイメージできなくて読むのを断念したことがある。せいぜい映画のカジノしかイメージストックがなかったので、もうちょっと描写があればと思った
なぜ19世紀文学の描写や説明があんなに克明かというと、読者の側に知識もイメージもなく、映画も写真もなければ報道すら未発達で、唯一小説という媒体と作家の想像力だけが「世界」を描くことができたから。今メディアの進歩でその役割が薄くなったからといって簡単に放棄していいのかなぁとは思いますhttps://twitter.com/DividedSelf_94/status/1168937948684922881 …