告白と自己防衛とはいつも微妙に噛み合っているから、告白型の小説家を、傷つきにくい人間だなどと思いあやまってはならない。彼はなるほど印度の行者のように、自ら唇や頬に針を突きとおしてみせるかもしれないが、それは他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねないことを知っているから、他人の加害を巧く先取しているにすぎないのだ。とりもなおさず身の安全のために!
小説家になろうとし、又なった人間は、人生に対する一種の先取特権を確保したのであり、それは同時に、そのような特権の確保が、彼自身の人生にとって必要不可欠のものだったということを、裏から暗示している。すなわち、彼は、人生をこの種の『客観性』の武装なしには渡ることができないと、はじめに予感した人間なのだ。
客観性の保証とは何か?それは言葉である。(三島由紀夫『小説とは何か』1970年)
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冬山想南
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