忍者ブログ
[91]  [92]  [93]  [94]  [95]  [96]  [97]  [98]  [99]  [100]  [101
私はロアルド・ダールは好きなのだが、中村妙子訳の「オ・ヤサシ巨人BFG」は、タイトルが気色悪くて読んでいない。「オ・ヤサシ」とは何なのか。原題の「BFG」がBig Friendly Giantの意味なら、「優しい巨人」でいいではないか。それにタイトルまで日本語訳するならBFGは不要だろう。


kaizen@名古屋de朝活読書会
ネタバレやや長編になるこのお話も、最初から最後まで面白い展開で、飽きることなく読むことが出来ました。 BFGって何かわからなかった。ネットで検索すると、Big Friendly Giant、大きなやさしい巨人という意味らしい。それなら、オ・ヤサシ・巨人だけでいいかもしれません。 訳者の「あとがき」に、誤訳があっても、子供は細かいところにこだわるのではなく、筋のおもしろさに取り込まれるのだから、多少の誤訳は関係ないという趣旨が書いてあった。 文化が違うので、「正確に訳す」ことは不可能でも意志が通じれば。
ブエノスアイレスの道

「BFC]の意味がわかりました!

05/25 11:45
未知亜
ネタバレ【読書ノート転記】なんでこんなタイトルだったっけなどなど、結局わからないままで欲求不満。子どもに話しつつ組み立てていったんだろうなあという感じがそのままで。。。発想は面白いけど女王様に頼るあたりからなんかシラけるんだよなあ。登場人物の背景がいまひとつリアルじゃないというか。なんか残念な感じが拭えない。
PR
大島弓子が天才であり、漫画界の詩人であることは前に書いたかもしれないが、その作品のタイトルを見ただけでもそれは分かるだろう。
ここでは、彼女の語感(音感)の素晴らしさを示す事例を挙げる。

「雨の音が聞こえる」は、それ自体、素晴らしいタイトルだが、これは八木重吉の詩の題名を借りたものだから、それ自体は措いておく。
ここで紹介するのは、この漫画に副題として付いている「ラ・レッセー・イデン」である。
私は、初読の時に、このフランス語めいた副題の意味は何か、とだいぶ考えたが、フランス語の辞書は持っていないので、調べることもできず、また持っていても綴りを知らないのだから調べられなかっただろう。だが、程なく、私はこれが大島弓子の冗談だと気付いたのである。
いや、私の間違いであるかもしれないが、これは、「劣性遺伝」に、フランス語の冠詞めいた「ラ」をつけてフランス語のように見せたイタズラだったと思う。
実際、この短編の内容は、劣性遺伝(こんな雑文に正確さを求める人はいないと思うが、念のために言えば、生物学的な意味の劣性遺伝ではなく、劣等な能力を遺伝したという意味である。)と、それに起因する劣等感の話なのである。その副題が「劣性遺伝」であるのは当を得ているのではないか。ただ、それが「劣性遺伝」の意味だと理解できた読者が何人いたか。そこが、高度なイタズラだと思う。ネット時代の今とは違い、この「発見」を公にする手段を持つ読者もほとんどいなかったのだから、いわば、描くと同時に消える絵具で描いた名画のようなものだ。誰に伝わらなくてもかまわないわけである。
それはともかく、ここで強調したいのは、大島弓子の音感の素晴らしさだ。日本語は語尾がほとんど母音になる特質がある。その例外の語尾が長音と撥音である。「劣性」の語尾を長音にして「レッセー」としたら、「遺伝」の語尾は撥音であるから、「レッセー・イデン」は日本語らしさを持たない言葉になる。そこに、フランス語の冠詞めいた「ラ」を付ければ、これをフランス語だと思うのは自然の成り行きである。実に高度な言語操作だと思う。
「虚無党」というのはかつてロシアに実在したグループだが、ニヒリストが「党」に入るのは、筒井康隆のいわゆる「一匹狼の集団」というナンセンスの一種と私には思える。
前に書いた、ペチョーリンとロシアの女スパイを同一視することに私が違和感を覚えるのはそのためだ。スパイとは組織の上司に命じられて行動する人間で、そこにはニヒリズムとは異なる心性がある。つまり、ねじ曲がった(と私には思える)愛国心と冒険心であり、ニヒリズムの対極だろう。
なお、スパイの仕事自体は実は地味なものらしいが、常に生命の危機にさらされているという不安と恐怖が、彼らにはあるはずである。それでも逆に、そのスリルのためにスパイになる心理を私は「冒険心」と言っている。
本当のニヒリストは、一日中ベッドからも出ないで寝ているだろうし、生きるのが面倒になれば自殺するだろう。
町山智弘は映画関係の雑学は「何でも知っている」ことを自分の売り物と考えているようで、知ったかぶりが多いのだが、ロシアの女スパイと「現代の英雄」のペチョーリンのどこに類似性があるのか。少なくとも、映画のほうの「ロシアより愛をこめて」に出てくるキチガイ婆の殺し屋のことでないとしたら、ボンドを色仕掛けで落とそうとする可愛い女スパイしかいないが、この女スパイをペチョーリンと同一視することはまったく不可能である。イアン・フレミングの原作の話だとしても、どこがどう似ているのか説明が必要だろう。

(以下引用)


イアン・フレミングの『ロシアより愛を込めて』で、ジェームズ・ボンドと出会ったソ連の女スパイは、あるロシア文学の主人公に似ている、と思う。その作品名はどこにも書かれていないが。レールモントフの『現代の英雄』のペチョーリンのことである。
現在はなろう小説原作のアニメや漫画が溢れているが、なろう小説にロクなのがほとんど無い原因は、せっかく異世界に行きながら、そこの風物や規範が地球の、せいぜいが中世ヨーロッパくらいで、しかもその登場人物たちの思考は現代人とほとんど変わらないことだろう。つまり、異世界の奇妙さ、人間的合理性を逸脱することの怖さが無いわけだ。
実は、これはほとんどのSF小説の限界でもある。
スタートレックの耳長男にしても、「合理的すぎて感情が無い」と言うわりには、さほど異星人的思考の不思議さを感じさせない。
かえって、「不思議の国のアリス」のほうが、異世界的思考を感じさせる。
これは、新しい「なろう小説(異世界小説)」のキーポイントかもしれない。

(以下引用)


返信先: さん
家出とか非行とか、社会への反逆行為という常識的な行為ではなく。異世界を通り抜けたがゆえに、現代社会のルールや規範がチャラになった、って感じで。焼け跡世代の作家さん達もそんな感じだったんでしょうね。


<<< 前のページ 次のページ >>>
プロフィール
HN:
冬山想南
性別:
非公開
P R
忍者ブログ [PR]

photo byAnghel. 
◎ Template by hanamaru.