鹿野直政「兵士であること」より転載。
(引用者補足:15年戦争における白兵戦戦死者の中で)一ばん多かったのは、頭部貫通銃創である。鉄かぶとは、射距離100メートル以内では、「防具トシテ価値ナシ」とするのが、軍医たちの総括であったという。つぎに多かったのは胸部貫通銃創で、左胸部はほとんど助からなかった。腹部貫通銃創は、比率としては第三位だったが、腸の切断、膀胱の破裂など、もっとも苦しむ受傷となった。
(引用者補足:15年戦争における白兵戦戦死者の中で)一ばん多かったのは、頭部貫通銃創である。鉄かぶとは、射距離100メートル以内では、「防具トシテ価値ナシ」とするのが、軍医たちの総括であったという。つぎに多かったのは胸部貫通銃創で、左胸部はほとんど助からなかった。腹部貫通銃創は、比率としては第三位だったが、腸の切断、膀胱の破裂など、もっとも苦しむ受傷となった。
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中堀豊「古事記考・日本語考」から引用。赤字部分は引用者(私)による強調。
現代の感覚で考えると奈良盆地が国政の中心になるような必然性はないわけだが、灌漑工事をする余力のない稲作集団にとっては違った。奈良盆地は「肥えた土地」、「真水」、「日照」、「夏の高温」という条件をみたす。また、台風の経路でもなく、風が吹いたとしても四方を山でブロックされた地形である。有害動物もおらず、原始稲作集団にとっては「倭は国のまほろば」と呼ぶにふさわしい、正に理想的な自然環境を提供したのである。
現代の感覚で考えると奈良盆地が国政の中心になるような必然性はないわけだが、灌漑工事をする余力のない稲作集団にとっては違った。奈良盆地は「肥えた土地」、「真水」、「日照」、「夏の高温」という条件をみたす。また、台風の経路でもなく、風が吹いたとしても四方を山でブロックされた地形である。有害動物もおらず、原始稲作集団にとっては「倭は国のまほろば」と呼ぶにふさわしい、正に理想的な自然環境を提供したのである。
松本清張「西海道談綺」読了。傑作。清張の時代物に外れは無いが、長編は特に素晴らしく、駄作が無い。
清張の時代物の特長は、悪人に特に魅力と凄みがあることで、だからこそスリルがある。また、主人公も善人だがいつも善人であるわけでもなく、悪人がいつも悪人であるわけでもない。その度合いが違うだけである。そして、悪人はたいてい頭がもの凄くよく、気性も強いから、善人はとてもかなわない、という感じが起こる。
そもそも、善人は善人であるというだけでハンディを持っているのである。悪人が平気で行える悪行が善人にはできないから、当然、できることの範囲が極端に限られる。しかも、善人は基本的に他人を疑うことがないから、悪人にいいようにしてやられるのである。これは現実人生でも同じである。清張の作品は、そういうリアリズムが根底にある。だから、面白い反面、爽快感は少ない。私は清張の現代ものはほとんど読まないが、それは、時代物だと少しはオブラートにくるまれている「人生の真実」の苦さが現代ものだと明確に出てくるだろうと予感しているからである。
清張は、バルザックに匹敵する作家である。いや、それ以上かもしれない。
「西海道談綺」は、大長編であるから、映画にもしにくいが、NHKの大河ドラマにでもしたら素晴らしい作品になると思う。この作品に限らず、「天保図録」や「かげろう絵図」なども素晴らしい。三国連太郎が生きていたら、鳥居燿蔵(こんな字だったか)の役をやらせたかった。
清張の時代物の特長は、悪人に特に魅力と凄みがあることで、だからこそスリルがある。また、主人公も善人だがいつも善人であるわけでもなく、悪人がいつも悪人であるわけでもない。その度合いが違うだけである。そして、悪人はたいてい頭がもの凄くよく、気性も強いから、善人はとてもかなわない、という感じが起こる。
そもそも、善人は善人であるというだけでハンディを持っているのである。悪人が平気で行える悪行が善人にはできないから、当然、できることの範囲が極端に限られる。しかも、善人は基本的に他人を疑うことがないから、悪人にいいようにしてやられるのである。これは現実人生でも同じである。清張の作品は、そういうリアリズムが根底にある。だから、面白い反面、爽快感は少ない。私は清張の現代ものはほとんど読まないが、それは、時代物だと少しはオブラートにくるまれている「人生の真実」の苦さが現代ものだと明確に出てくるだろうと予感しているからである。
清張は、バルザックに匹敵する作家である。いや、それ以上かもしれない。
「西海道談綺」は、大長編であるから、映画にもしにくいが、NHKの大河ドラマにでもしたら素晴らしい作品になると思う。この作品に限らず、「天保図録」や「かげろう絵図」なども素晴らしい。三国連太郎が生きていたら、鳥居燿蔵(こんな字だったか)の役をやらせたかった。
夢の中で、作り事を実在の物事のように語る手法の小説あるいは映画のことを考えた、嘘というよりはその話の中では本当のことになっているわけだ。たとえば、登場人物が自分を、天才と言われながら大成しなかったマイナーリーガーにたとえるのだが、その選手の名前が「ラルフ・エバンス」というありそうな名前になっている。夢から覚めた後で、そういう名前の人物が実際にいるのかどうかネットで調べると、「ラルフ・エヴァンス」という名で妙なイラストがひとつ出てきただけだから、野球選手にはいなさそうである。こういう、ありそうであまり無い名前を思い付くこと自体、難しいので、メモしておく。
なお、その夢の中でいろいろな奇妙なことを考えたのだが、大半は忘れた。たとえば、薄い金属片を筆代わりにして字を書く話、など。最初はきれいに書けるが、後半になると集中力が無くなって苦労していた。夢の中では、書く字の文言まで考えていたが、目覚めたら忘れていた。
夢の登場人物の一人は美術大学の学生らしく、卒業試験(卒業制作)の期日に既に遅れて卒業を既に諦めていたが、別の人物(主人公か?)が、「期日に遅れようが、アイデアがあるなら作るべきだ」と彼を励まし、その作品が教授に気に入られて無事卒業する、というエピソードなどもあったようだ。
それとはまったく別の話で、若いころの知人(男・実在人物だったと思う)が運転免許取り立てだのに、私が正月早々その車に同乗してドライブし、死ぬような目に遭うエピソードもあった。道を走る他の車がなぜか自動運転の車が多く、しかもそれが道の真ん中でくるりと一回転することが多くて肝を冷やしたりした。
なお、その夢の中でいろいろな奇妙なことを考えたのだが、大半は忘れた。たとえば、薄い金属片を筆代わりにして字を書く話、など。最初はきれいに書けるが、後半になると集中力が無くなって苦労していた。夢の中では、書く字の文言まで考えていたが、目覚めたら忘れていた。
夢の登場人物の一人は美術大学の学生らしく、卒業試験(卒業制作)の期日に既に遅れて卒業を既に諦めていたが、別の人物(主人公か?)が、「期日に遅れようが、アイデアがあるなら作るべきだ」と彼を励まし、その作品が教授に気に入られて無事卒業する、というエピソードなどもあったようだ。
それとはまったく別の話で、若いころの知人(男・実在人物だったと思う)が運転免許取り立てだのに、私が正月早々その車に同乗してドライブし、死ぬような目に遭うエピソードもあった。道を走る他の車がなぜか自動運転の車が多く、しかもそれが道の真ん中でくるりと一回転することが多くて肝を冷やしたりした。
連歌とは何かと言えば、要するに「洒落た会話の応酬」である。
クラブでホステスを相手に飲んでいた偉い人が
「わしゃあもう眠くなったよ。遅くなったし、帰るかな」
と言うと、そのホステスが
「夢の中で、いい人でも待ってるんでしょ」
と茶化す。
まあ、そういう応酬を歌の形でやれば、それが連歌だ。と言うより、そんなところから始まったのだろう。
小夜ふけていまは眠たくなりにけり(天暦御門)
夢に逢ふべき人や待つらん(滋野内侍)
クラブでホステスを相手に飲んでいた偉い人が
「わしゃあもう眠くなったよ。遅くなったし、帰るかな」
と言うと、そのホステスが
「夢の中で、いい人でも待ってるんでしょ」
と茶化す。
まあ、そういう応酬を歌の形でやれば、それが連歌だ。と言うより、そんなところから始まったのだろう。
小夜ふけていまは眠たくなりにけり(天暦御門)
夢に逢ふべき人や待つらん(滋野内侍)
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冬山想南
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