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プロの漫画家が「趣味の漫画」を描くということ自体が面白いが、漫画家というのはもともと漫画を描くのが大好きだった人間だから不思議なことではない。成功した事業家というのもたいていは仕事をすることが大好きな人達だと思う。
だが、世間の9割がたの人は、残念ながら自分の仕事を辛い労働だとしか思っていないだろう。実際、その仕事を好きになれと言われても無理な仕事がほとんどではないか。闇金の借金回収の仕事が大好きだ、という人がいたら怖いwww




久世番子さんの『クリスタはじめて物語』の1コマ力(ちから)が強すぎて、見るたびに笑ってしまう。かく言う僕の来年の目標の一つは、iPad Pro買ってクリスタ入れて趣味の漫画を描くことなんだけど、趣味ならばまあ苦労ではないだろう(笑)






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ゾルゲ市蔵という人は、何者なのかさっぱり分からないが、漫画家のツィッターでよくリツィートされる人だ。だが、言っていることの半分くらいは「そうかなあ」と首をひねりたくなるものだ。
下にあるFGOのイラストを美しいと思うのは個人の主観であり、私は(これも私の主観だが)まったく美しいと思わない。
概して、登場人物の多いアニメのタイトルイラストなどでよく見られる、「全員集合」イラストだが、この手のものはまったく美しい感じはしない。というのは、人間が集合体のただの構成要素に堕してしまい、個々のキャラの美しさはまったく消えてしまうからだ。下の絵も「青や水色の多い、ごちゃごちゃした絵だな」という印象しか無い。青や水色のような「爽快感」を伴う色だからまだいいが、これがアステカやマヤの壁画などだと、朱色や茶色や黒が多くなり、爽快感も無いからただの不気味な絵になる。



さんがリツイート

世代的に離れた立ち場からFGOを見た時の掴みどころのなさは、アステカやマヤの神話を見た時に似ている。同じ人間の作った憧れの対象だから、概要は理解できる。だが近寄って細部に迫ると、個人の狭い共感の範囲を超えてしまって奇妙だとしか見えなくなってしまう。だが美しいことに間違いはないのだ。



「つぶやきコミューン」というサイトから転載。
非常に優れた内容要約である。このサイトのほとんどの文章がおそらくそうだと思われる。

ノベルス(ハードカバーのことだろうか)より文庫本のほうが稼ぎがいい、というのが面白い。まあ、ハードカバーは単価が高いから、購入者は当然少ないだろうし、文庫本は売れ行きの良いハードカバーから選んで文庫本化するのだろうから、最初から売れ筋ではあるわけだ。


(以下引用)



森博嗣『作家の収支』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本   文中敬称略
 
『F』に関していえば、ノベルスで約1400万円、文庫で4700万円の印税であり、この1作で、合計6000万円以上をいただいている。この作品は18万字くらいだったので、執筆に30時間以上かかっている。ゲラ校正などを含むと、60時間ほどが制作時間になる(最初なので時間がかかった)。時給にすると100万円だ。ただし、すぐに得られるわけではない。20年かかってこれだけを稼ぎ出したのである(今後もまたもう少し稼ぐことになるだろう)。

   Kindle版

作家の印税は大体10パーセントであることはよく知られた事実だが、それ以外に原稿の相場はいくらか、新聞に小説を連載するといくらになるのか、対談本で何人もの人が話した場合印税はどのように配分されるのか、サイン会は金になるのか、小説が外国語へと翻訳された場合にはどうなるのか、テレビアニメ化や映画化された場合には支払いはどうなるのか、さらにそれにより本の売り上げはどう変わるのかーーーこうした誰もが疑問に抱く問いに対して、ことごとく具体的な数字を挙げながら答えたのが、19年間に280冊の本を出し、作家森博嗣(もりひろし)の『作家の収支』(幻冬舎新書)である。



森博嗣には2010年に出版された『小説家という職業』があるが、こちらではどの程度の本の数が出て、どの程度稼げたかといった大雑把な話しかしていないし、作家へのなり方や小説の文体などの創作論、編集者や慣習など業界の内部事情、電子書籍の登場による将来的な変化など総花的な内容であった。『作家の収支』では、最後にインターネットと電子書籍の時代の本の未来展望こそ一段と踏み込んで語られているものの、ほぼお金の話に終始している。『小説家という職業』がどうすれば作家になれるかが重点であるとすれば、『作家の収支』は、作家はどれくらい儲かるかが重点になっているのである。

著者の場合、そもそも本を読むのが特に好きというわけでなく、初めから金儲けのために小説を書くのだと公言している。そして、元国立大学工学部の教授らしく(作家デビュー後十年間は大学の仕事を続けていた)ドライに本の売り上げ部数や印税の総額といった数値を一種のデータとして集約し、分析している。文学への思い入れがあれば、なかなかこうはいかなかっただろう。

 この本に、これから客観的事実を書く。それらを僕自身がどう評価しているかは、なるべく書かないつもりだが、トータルとして、特に、それで満足しているわけでもなく、また不満を持っているのでもない。仕事をして、その報酬を得たというだけのことである。幸運に恵まれたのか、それとも労力に見合った結果なのかも評価するつもりは全然ない。そんな評価をする必要がそもそも僕にはないので、余計なことに頭を使いたくないのである。

本書にまとめられた収入の中には、たとえば本の帯に推薦文を書くといくらか、学校の入試問題に採用されるといくらかなど、ものすごくトリビアなものもあり、話のネタとしても尽きることがない。他方において、作家の支出に関しては、人件費を使わなければ税控除をとるにも困るほどにあっさりした扱いである。

今は、ウェブなどでちょっとしたきっかけで作家になる人も少なくないが、そこから多方面に活動が広がった場合、収支決済が煩雑になって収拾がつかなくなることもあるだろう。初めからこれはやる、これはやらないと戦略を決めておかないととんでもないことになることもある。そんな転ばぬ先の杖としても、本書は重宝するはずである。

作家をめざす人に対しては、小説家としてデビューするためにも、職業作家として長く生活してゆくためにも、他人の小説やノウハウ本も読むのは無駄であり、ただ時を置かずに小説を書いて書いて書きまくること、それしかないというのが著者の主張である。将来的な予想としては、これから出版業界は大変な時代になるが、作家のニーズは失われることはない、作家は、誰でも何の用意なしに、すぐ明日からでも始められる仕事ではあるが、それだけに競争は熾烈で、何らかの個性、新しさをひねりだせないと、サバイバルは厳しいだろうということになる。
創作に限らず、私の場合は思考そのものが、前の思考に引きずられて後の思考が出てくる。
頭の中だけで考えると、必ず堂々巡りになるので、文章化すると前に進める。
つまり、文章化すると、思考の現在の立地点が視覚化され、その部分を見直すことで思考の先、あるいは別の進路の可能性が頭の中に浮かんでくる。

(以下引用)

  1. 意識を集中すると脳内に浮かぶ絵が出てくるからそれを観たまま描いていくと、また芋づる式に次の絵が見えてくる。描かないと観えない。坐って黙想しててもダメ。作業とフィードバックしていかないと無理(自分の場合)。

  2. 何十年漫画家やっても、描くのが恐い新しいコマがある。かなり頑張らないと思うイメージが作れないだろうコマとかいつもプレッシャー。足踏みもする。でも案ずるより産むが靖(変換違うだろバカPC)。悩んでないで早く描けオレ;

昔、田辺聖子が川柳の解説を書いたものに、

故郷へ回る六部は気の弱り

という川柳があって、その中の「六部」というのが何なのかの説明はしていなかったので、たぶん、巡礼のようなもので、時代劇に時々出てくる山伏めいた白装束のあれだろうな、とは思っていたが、調べる機会がなく、心の隅に掛かっていた。
今はネットで調べられるので便利である。


世界大百科事典 第2版の解説

ろくじゅうろくぶ【六十六部】

正しくは日本回国大乗妙典六十六部経聖(ひじり)といい,江戸時代にはおとしめられて六十六部または六部の略称でよばれた回国聖。今も各地にこの回国供養碑を見ることができる。江戸時代には単なる回国聖または遊行(ゆぎよう)聖になってしまったが,中世には法華経六十六部を如法(によほう)に写経し,これを日本全国の霊仏霊社に納経するために回国したのである。西国三十三所観音霊場の巡礼納経にならって,六十六部納経したとも考えられるが,日本全国六十六ヵ国をめぐることによって,より大きな功徳を積もうとしたものであろう。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

ろくじゅうろくぶ【六十六部】

法華経を六六部書き写し、日本全国六六か国の国々の霊場に一部ずつ奉納してまわった僧。鎌倉時代から流行。江戸時代には、諸国の寺社に参詣さんけいする巡礼または遊行ゆぎようの聖。白衣に手甲・脚絆きやはん・草鞋わらじがけ、背に阿弥陀像を納めた長方形の龕がんを負い、六部笠をかぶった姿で諸国をまわった。また、巡礼姿で米銭を請い歩いた一種の乞食。六部。
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