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関東学院大学のホームページから転載したが、どうだろうか。
私は、ここに書かれている「三つの理由」にまったく納得できなかったのだが、他の人は納得するのだろうか。
経済学で数学が必要になるのは要するに経済学者などになるために学位論文を書く時に数学を使っていないと認められないから、それだけではないか。要するに、一般の学生には不要だろう。たとえば、統計を理解するなど、中学レベルの数学で十分ではないか。あるいは保険や金融に数式が出てきても、それは格好つけでしかなく、顧客を騙せれば十分なのではないかwww
経済学とは要するに大きな国家経済を考察するものであって、国家経済に数学は必要ない、と私は思っている。数学が論理的だ、というのも「数学という枠の中」での話であって、生きた社会は論理では動かない。むしろ「群集心理」で動くものである。


(以下引用)




経済学部教員コラム vol.44

2014.07.21 経済学科 細矢 祐誉

「なぜ経済学は数学を使うのか?」

経済数学担当の細矢です。はじめまして。
さて、このコラムを読んでいる学生の中には、経済学でなぜ数学を使わなければならないのか、ということにぴんと来ていないひとも多いことでしょう。このコラムでは、経済学でどうして数学を使うのか、という問いに対して、簡単に答えてみようと思います。

 

 

まず第一に、これは経済学だけではなく経営学だろうと政治学だろうとなんでもそうなのですが、「統計」を使う学問はすべて、統計学のお世話にならなければなりません。そして、勉強してみればすぐわかるのですが、統計学は数学理論の塊です。なので、きちんと統計を理解するために数学が必要です。

 

 

第二に、これも経営学などと共通するところですが、いわゆる金勘定が出てくるところに計算は不可避である、という事情があります。かけ算だって立派な数学です。ましてや、金利などが複雑に絡んでくる財政や金融などを理解するためには、かなり高等な知識がどうしても必要になります。

 

 

第三に、これは経済学特有の事情ですが、経済学は元々、政府の立場に立って「どのように経済を運営していくか」を考える学問であります(会社の立場に立って運営の仕方を研究する経営学とは、ここが違う点です)。つまり、経済学とは経済という巨大システムをうまくデザインするための学問なのです。そして多くの人間が関わる複雑怪奇なシステムである「経済」をきっちりデザインするためには、数学的思考がなければ不可能です。

 

 

最後に、これが実は本質的に最も重要なのですが、数学は「公平」だという事実があります。たとえば、経済や社会について「学生」と「教授」が論戦になった場合、たとえ「学生」のほうが実は正しいことを言っていたとしても、周りで聞いている人々はどうしても「教授」のほうが正しいと思い込んでしまいがちです。これは「教授」という肩書きの持つ権威がそうさせるわけですが、数式が正しいか間違っているかという問題には、この肩書きが通用しません。なぜなら、数式の正否というのはただの客観的事実であり、訓練さえすれば誰でもチェックできるし誰でも検算できるからです。ですから、正しい指摘でさえあれば、「学生」が「教授」に勝つこともできる――この公平性が支持されたが故に、いまの経済学は数学を多く使うようになったのです。

 

 

そんなわけで、経済数学はこのようにして経済学で使われる数学について、その重要なところをなるべくごまかしのない形で教えることを目標とする授業です。気になった学生は、ぜひぜひ受講してみてください。

 

 

(経済学科 細矢 祐誉)


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調べないままに書くが、「汝(なれ)や知る」ではなく、「汝知るや」ではなかったか。
いや、係助詞としての「や」は文末ではなく文中に置くのだが、終助詞としては文末に置くわけで、係助詞というのはもともと終助詞だったのが強調のために文中に置かれた、一種の倒置法だというのが大野晋の説である。
この和歌の場合は、通常の終助詞だった気がする。「汝や知る」では、「や」による強調があるために、逆にそこで文が完全に終わってしまい、「お前は知っているか? いや、知らないだろう」という反語的なニュアンスまで出てきてしまう気がする。つまり、余韻が無くなるのである。終助詞の方がまだ後に続く感じがする、というのもおかしいが、要するに、話が「お前は知っているか?」と来たら「えっ、何を?」と続くということである。

「汝知るや、都は野辺の夕ひばり。上がるを見ても落つる涙は……」

なお、「都は」の、この「は」の使い方を、「は」は主語を表わすものではなく、「話題(話題の中に大小がある場合はその大きいもの)」を示すものだ、という例にするといいと思う。つまり、「都」と「野辺」と「夕ひばり」という話題の中の三つの要素のうち最大の「都」を先に提示して、そこから、「野辺」「夕ひばり」と視点を絞っていくわけだ。

こういう「絞り込み」(逆に、小さいものが段々とクローズアップされていく、と言ってもいい)は日本語の話法の特質の一つだと思う。あるいは、日本人の発想法のひとつとも言える。たとえば、地名を表わすのに「日本国東京都千代田区何丁目何番地」と書くようなものだ。


(追記)今調べたら、「汝や知る」が元歌らしい。つまり、私の間違いだが、ここはあえて「汝知るや」の方が歌としてはいい、と強弁しておくwww 

**************** 名歌鑑賞 ****************
 
 
汝や知る 都は野辺の 夕ひばり あがるをみても
落つる涙は
           飯尾彦六左衛門尉
           
(なれやしる みやこはのべの ゆうひばり あがるを
 みても おつるなみだは)

意味・・この京都は大乱で全く焼け野原になってしまい、
    そこから夕ひばりは空へさえずって上がって行く
    が、それを見ても落ちる私の涙を、夕ひばりよ、
    お前は知っているか。

    応仁の乱は、京都で、1467年から1477年まで10
    年余り続き、邸宅・町屋・名所古跡はあらかた灰
    になってしまった。それを見て嘆いた歌です。

 注・・汝や知る=「や」は疑問の係助詞。
    落つる涙は=「は」は叙述を強める助詞。

作者・・飯尾彦六左衛門尉=いいおひころくざえもんの
    じょう。生没年未詳。十五世紀の人。
 
出典・・応仁記(福武書店「名歌名句鑑賞辞典」)



さんがリツイート

汝や知るみやこは野辺の夕ひばり。東西陣営、千日手。伝説の足軽も登場。スーパーいい話の、駿河のお屋形さまはスーパーいい人・・・なだけでもなさそうで、なかなかしたたかな側面も。伊都さまそろそろ覚悟を決めるか?新九郎の身の周りがいろいろ動き始めそう。
毎月27日が楽しみです。






単なるメモである。
学童保育についてはまったく知らないが、こうした法案が可決されるとしたら、保育中に事故が起こっても免責されるという条項も当然入ることになるだろう。そうでないとしたら、保育をやる人はいなくなる。また、免責されるとしたら、担当者が子供をホッタラカシて子供が事故に遭っても当然ということで、学童保育に預けるのは、「子供が事故に遭っても、(親が働きに行けず)家族全員飢え死にするよりはマシ」という家庭だけになるだろう。まあ、そういう場所でも無いよりはマシだろうが、世の中にどんどん余裕や弱者への配慮が無くなっていく。



さんがリツイート

この方針決定した人のうち何人が学童いったことあるんだろう。職員1人って、子どもを危険にさらすことになるし、職員の労働環境としてもひどいよ。

学童保育の運営、職員1人も可能 地方分権改革の方針決定 | 2018/12/25 - 共同通信






事故物件の車の話のスレッドを引用したら、記事全体が急に消えたので、これは業界の秘密なんだろうな、と思った。そうした秘密は膨大にありそうである。
まだキチンと読んでいないが、メモである。


▼ 韓国・朝鮮の食文化

1)大家族制度から核家族化へ

 朝鮮半島では薬食同源を基にする食生活があり、農水産物や山菜や野菜、家畜の飼育などによる多様な食材の飲食文化が生まれた。しかし、百済・新羅から高麗時代に至っては仏教の影響によって肉食文化が次第に衰退し、植物性食材を利用した料理や茶、酒類が好まれるようになった。また、野菜などの塩漬けや乾燥させて使う貯蔵食文化も発展した。

朝鮮王朝時代になるとオンドル部屋(床下暖房)が普及し、床に座って食べる座式膳へと変った。また、儒教によって家父長制が強まり、家族の秩序と結束が重んじられる一方、大家族化と男尊女卑思想が著しくなり、家事全般を女性が担うことになった。中でも飲食を用意する台所の仕事は主婦の役割であったため、毎回の食事を男女別もしくは年長者別に用意することは嫁いだ女性にとっては重い負担となった。体面を重視する儒教社会で盛んに行われる通過儀礼や儀式、接客などに伴う料理の内容がその家の評価にも繋がったため、豪快かつ多様で豪華な飲食文化へと発達する経緯となった。しかし、1960年代からの韓国の近代化政策による女性労働力の需要が拡大し、女性の社会進出と核家族化の増加、少子化現象の台頭により、それまでの主婦中心の台所文化や食生活も多様化してきた。大家族社会では一家の大黒柱と言われた祖父や父親など年長者が座ってから食事が始まったが、最近では外食産業の拡大と洋食・加工食品の普及、男性の家事協力が増加し、食生活も大きく変化している。

2)韓国・朝鮮の配膳

 食膳を朝鮮半島では飯(バップ)床(サン)と称し、主食や汁物、チゲ(鍋物)類などの基本料理を除く飯饌(バンチャン)(総菜などのおかず)の数は身分によって異なった。庶民は3~5種類、両班は7~9種類、王は12種類の飯饌の水剌(スラッ)床(サン)を出すのが普段の食膳であった。主食は米を炊いたご飯で、麦飯や雑穀飯などの穀物の調理法も発達した。細長い地形の朝鮮半島は、北部は山が多く、南部は大きな川に沿った平野が広がり、北部では畑で取れる野菜や雑穀による主食が多く、穀倉地域が多い南部では米や麦による主食が多かった。一方、朝鮮半島には所々に聳え立つ山脈で自由な往来が出来なかったため、各地の独特な郷土料理の発達をもたらした。例えば、漬け物のキムチだけでも地方によっては味付けや漬け方、薬味の内容などが異なっており、今になっては多種多様のキムチが楽しめる。また、仏教や儒教の盛んな儀式・儀礼でいろんな模様や色彩豊かな餅類と祭祀料理などが発達し、独創的な食器具類も表れるようになった。

食器は主に真鍮でできたノックルッや瀬戸物を使ってきたが、日本で使われた木製の食器よりも重かったため、今でも食器を食膳においたまま食べるのが一般的だといえる。また、食器に匙や箸などによる音や食事の際の音を出さないのも作法とされる。匙は主に主食を、箸はおかず類を食べるのに用いられ、ご飯の右側に汁物を置き、匙と箸をその右手前に並べておく。昔は銅製や真鍮製のほか、銀製の匙と箸が嫁入り道具として珍重されてきたが、最近はステンレス製が多く、食べ物の多様化とともに食器類も変遷している。

韓国の食膳には主食と副食が分離され、味噌やコチュジャン(唐辛子味噌)で味付けしたチゲ(鍋物)のような料理は真ん中において取り皿に移して食べる形を取るが、親しい仲ではみんながチゲを取り囲んで一緒に食べる場合が多い。そのほか、山菜・野菜を茹でて味付けしたナムル類、酢の物、蒸し物、魚や肉類のクイ(焼き物)、チョリム(煮物)、塩辛、漬け物などが並ぶ。これらは季節別にその内容を変えて食膳をより豊かに飾ってくれる。これらは韓(ハン)定食(ジョンシク)専門食堂で簡単に注文できるが、10種から40種前後の料理を前にした時は豊かな気持ちになる。韓国の食堂では副食は何度でもお代わりができる。

3)日本における韓国・朝鮮の料理

 日本でよく目にする韓国・朝鮮の食べ物にキムチ、ブルゴギ、カルビ、ユッケ、ホルモン、ビビンパブ、ジャプチェ、チヂミ、ナムル、チゲ、冷麺などがある。焼き肉屋の多くがこれらをメニューに取り揃えている。特に韓国・朝鮮の基本食品であるキムチは各種ビタミンや乳酸菌の豊富さで世界のブランド化し、今や世界5大食品の一つとしてアメリカの健康専門誌Health Magazineでも高く評価されている。キムチは200種類を超えており、白菜や大根などの野菜類や果物類、魚介類、肉類、海草類、そして水キムチ類などに分類される。キムチを活用したキムチチャーハン、キムチチゲ類、豚キムチなどもよく目にすることができる。

古くから伝わってきたブルゴギは醤油とニンニク、ニラなどの薬味に肉を味付けて焼いて、サンチュやレタスなどの野菜に挟んで食べる人気料理である。日本では戦後の焼け跡が残る1946年に、在日コリアンが大阪の千日前に開いた焼き肉文化が、今は日本を代表する食文化の一つになっている。韓国では調理された焼き肉を食卓に運ぶのだが、関西で「食道園」を創業した林光植(日本名は江崎光雄)は、七輪をテーブルにおいて客が焼いて食べるスタイルを考え、故郷の平壌の名物である冷麺とともに看板に掲げた。その結果、今の1兆3,000億円の市場規模を支える焼き肉文化の土台を築いたのである。また、戦後の貧しさの中で捨てられる肉の内臓部位を商品化し、タン塩やホルモン(放る物という関西弁)焼きを普及し、今では在日文化として生まれた日本の焼き肉文化が逆に韓国でも好まれている。

4)現代の飲食文化

韓国は最近高度成長とともに普及された加工食品や外食産業の発達で食事を簡単に済ませることに慣れてしまった食生活、動物性食品に好みが偏るようになったことを見直し、より健康的でバランスが取れた献立を求めるようになった。食品の量よりも高級かつ機能性食材を重視する消費者の購買心を満たすのが大型のスーパーやショッピングセンターの急増である。世界各地から直送される新鮮な野菜や果物、イキの良い魚介類、肉類など溢れんばかりの食材が消費者の選択を幅広くしているのである。そのため、野菜や海草をふんだんに使った植物繊維が豊富な健康食や有機農産物や無農薬の野菜など、「健康で美味しいもの」を追求する「Well-Being」の志向性が高まっている。また、素朴な伝統食品やキムチ、醤油、コチュジャンなどのソース類に洋食材などを混ぜてアレンジした新感覚のフュージョン料理も増えている。また、ファストフード店の増加でキムチハンバーガーやブルゴギハンバーガー、キムチピザ、ブルゴギピザなどの韓国的素材も開発され、若者らの人気を得ている。しかし、パンやパスタ、ハンバーガー、ピザなどの小麦粉使用の食べ物を食べる人が急増したため、米の一人当たりの年間消費量が80年の132.4キロから99年には96.9キロに減っている。また、最近は朝食を取らない人や偏食のような、乱れた食生活をしている人が増加し、かつての家族の団欒な食生活も、暖かい家族的関係も失われつつある傾向にある。一方、韓国と対峙状態の北朝鮮は、「白米のご飯、肉スープ、瓦屋根の家」を人民に保証する建国の目標を掲げているが、ジャガイモ・トウモロコシの大量栽培やヤギ・ダチョウの畜産業にも力を注ぐものの、気候や育て方の問題等によって思ったよりも収穫が上がっていない。そのため、国民全体の豊かな食生活のレベルには至っておらず、南北の食生活の格差は大きくなっている。

 

李修京『この一冊でわかる韓国語と韓国文化』明石書店、2005年。

姜連淑「韓国のお膳立て-もてなしの心づかい」『韓国文化』第289号、2003年12月号。

『ウリ民俗図鑑』ソウル、芸林堂、2000年。

出典:李 修京「韓国・朝鮮の食文化」『歴史地理教育』No.702、10~13頁。

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