石森章太郎と望月三起也が描いたオードリー・ヘップバーン。
別ブログに書いたものだが、思考実験として面白いので、ここにも載せておき、後で追記の形で考察してみる。二文字だけなら「6✖5」の30の単語(同音の連続を可とすれば「6✖6」の36単語)が作れるが、そのうち「ん」から始まる語は使用不可能だろうし、「う」と「ん」の聞き間違いが起こる可能性を考えると、使用可能な語は限定されてくる。ただし、3文字の単語なら「6✖5✖4」の120単語(あるいは「6✖6✖6」の216単語)が作れ、それだけあれば日常の用を足すには十分だと思われる。同音連続を避けたのは重要語、同音連続の語は特殊な事態向けの単語にする、というのが一案。「は」とか「が」とか「を」などの助詞の代用をする単語を決めれば文も作れる。コード表を作れば単純な暗号通信にも使えるかもしれない。もちろん、その場合は使用記号は「あ、い、う、え、お、ん」には限らない。
意思を伝えるには何文字必要か
「10億円もらえるけれど、一生、『あいうえお』と『ん』しか発音できなくなるボタン」押しちゃう?というスレッドがあったが、私なら、当然押す。だいたいが、自分の意志など、紙に書いて相手に読ませれば十分だし、「あいうえお」と「ん」だけで構成できる単語のコード表を召使に渡して覚えさせれば、毎日の生活に不自由はないだろう。
2文字だけでの構成でも「うん」が言えるし、「いあ」は「いや」に聞こえるだろう。人を呼ぶには「おい」がある。
2文字だけでの構成でも「うん」が言えるし、「いあ」は「いや」に聞こえるだろう。人を呼ぶには「おい」がある。
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漫画史上の評価では圧倒的に石森章太郎が上だが、写実的な画力という点では、自分の漫画の絵のテイストが写実に近い(顔は漫画だが、それ以外はリアルな)望月三起也のほうが上手いのではないかと予想するが、下の絵が、どちらがどちらのものかは不明。私の勘では、下手な方(向かって左、上半身全体の絵)が石森章太郎ではないかと思う。
町山智浩さんがリツイート
「町山智弘アメリカ日記」から転載。
「アレックスの凶悪さを徹底的に描かなかった場合、彼から意志の自由を奪った政府がより凶悪な存在であることに観客は『あまりに容易に』同意するだろう」つまり、善人の意志の自由を奪う政府は凶悪だ、と観客は考えるが、その対象がアレックスのような掛け値なしの悪党だと、「この政府は正しいのではないか」と悩むことになる、その逡巡こそが自由意志の問題を考える上で大事だ、ということだろう。
なお、厳密には、「何かを考える」のが「意思」で、「何かを目指すこと」が「意志」かと思うが、それを明確に使い分けている人はいないと思う。
アレックスの場合には思考能力は残っているから「意思」はあるが、ある種の物事(悪と見なされること)を考えるとひどい苦痛に見舞われることになる。つまり、「意志」が疎外されるわけだ。こうした状態が「時計仕掛けのオレンジ」にたとえられるわけである。
2014-06-03 「時計じかけのオレンジ」と自由意志
「アレックスの凶悪さを徹底的に描かなかった場合、彼から意志の自由を奪った政府がより凶悪な存在であることに観客は『あまりに容易に』同意するだろう」つまり、善人の意志の自由を奪う政府は凶悪だ、と観客は考えるが、その対象がアレックスのような掛け値なしの悪党だと、「この政府は正しいのではないか」と悩むことになる、その逡巡こそが自由意志の問題を考える上で大事だ、ということだろう。
なお、厳密には、「何かを考える」のが「意思」で、「何かを目指すこと」が「意志」かと思うが、それを明確に使い分けている人はいないと思う。
アレックスの場合には思考能力は残っているから「意思」はあるが、ある種の物事(悪と見なされること)を考えるとひどい苦痛に見舞われることになる。つまり、「意志」が疎外されるわけだ。こうした状態が「時計仕掛けのオレンジ」にたとえられるわけである。
2014-06-03 「時計じかけのオレンジ」と自由意志



こういう現象は漫画に特有かもしれない。小説などだと、そういう脱線自体が作品としての破綻だと、批評家や真面目な小説愛好家に批判されるからやりにくいだろう。
ところが、英国の小説にはしばしばそういう脱線があり、スターンだったと思うが、脱線こそ小説の太陽である、という趣旨のことを言っていたと思う。フィールディングなども、その種の脱線が多く、「小説とはどんな書き方をしてもいいのだ」ということを後世の人々に教えてくれている。
ところが、英国の小説にはしばしばそういう脱線があり、スターンだったと思うが、脱線こそ小説の太陽である、という趣旨のことを言っていたと思う。フィールディングなども、その種の脱線が多く、「小説とはどんな書き方をしてもいいのだ」ということを後世の人々に教えてくれている。
漫画家がコマの端にちらっと描いたギャグや軽い遊びの絵が世間の、ごく少数ではあるけど誰かの琴線に触れ、一生反芻できるほど深く記憶される現象が好き。表には出ないけど読者の中でその他愛ないものがずっと生き続けるの。普段忘れてるけど時々思い出すの。何十年も。作者の死後も。冥利に尽きる。

トラックや船の横に書かれた「横書き日本語」がしばしば欧米式の左から右に読む方式ではなく右から左に読む方式であるのは、「動く方向の先から後ろに読んでいく」意味だと思っていたが、上記の絵ハガキが本物なら、「四高」とか「記念」などの書き方を見ると、昔の「横書き日本語」は右から左に読むのが普通だったのかもしれない。そもそも、縦書きは右から左に読むのだから、横書きもそうして当たり前、という考えだったのではないか。つまり、欧米式に慣れた現代人だから、横書き日本語も左から右に読む習慣になっただけかもしれない。もっとも、上の絵ハガキも、右から左に読む方式も併存しており、「どちらでもいい」というルーズなものだったのかもしれない。
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冬山想南
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