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大きな動物ほど心拍数が少なく、小さな動物ほど多いというのは生物学上の公理に近いと言えるかと思うが、シロナガスクジラくらいの巨大生物だと心拍数の少なさが桁外れである。まあ、あれほど巨大な体に毎分80回ほどの人間のような心拍があったら、心臓の活動だけで栄養を使い果たすだろう。うまく作られているものだ。



地球最大・シロナガスクジラの心拍数、最遅で2回/分と判明

11/27(水) 16:17配信

ロイター

[25日 ロイター] - 地球で最も大きな動物で、体重は200トンにもなるシロナガスクジラの心拍数が初めて計測された。えさを求めて潜水する時は、1分間にわずか2回だという。

アングル:感謝祭に「七面鳥もどき」を、ベジタリアンの切なる夢

スタンフォード大学の研究チームによると、計測には多くの工夫とちょっとした幸運が必要だった。

チームは、生体を傷つけない吸着カップにセンサーを詰め込み、胸ビレの近くにくっつけることに成功。この巨大なクジラの心拍数は、えさを探して潜水する時、1分間にわずか2回だったことが分かった。

海面に戻る時は最大で37回/分だった。

これに比べ、人間の心拍数は平均で約80回/分、世界最小の哺乳動物では数千回/分だという。

同大の研究者ジェレミー・ゴールドボーゲン氏によると、当初は調査がうまくいくか、そもそもシロナガスクジラを発見できるかどうかすら不明だった。

同氏はプレスリリースで、クジラは食料供給に関係のある環境の変化に影響を受けやすいと示唆。今回のような研究が、絶滅危惧種の保護においてカギになるかもしれないとの見方を示した。



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これは漫画原作を書く時のいい心構えだと思うが、「絵が浮かばないのはイメージの貧困」と言うのは、漫画家のイメージの貧困なのか、原作者のイメージの貧困なのか、両者の貧困なのかwww 普通は、原作の抽象的部分を視覚的イメージにするのは漫画家の仕事だと思う。
主人公がイライラしている場面が「主人公がいらいらする」としか原作に指定されていなければ、それをどういう風な動作として効果的かつキャラを引き立てる形で視覚化するかに「原作付き漫画」を描く漫画家のチャレンジするべきクリエィティブな領域があるのではないだろうか。




具象と抽象、の対比だけど、漫画原作は具象がいい。たとえば「主人公がいらいらする」では抽象的に過ぎる。いらいらの出方は人によって異なる。「つめを噛む」「びんぼうゆすりをする」「頭をかく」のように具体的でないと漫画家には伝わらない。絵が浮かばないのはイメージの貧困。



(補足)上のツィートだけを読んで脊髄反射的に最初の文章を書いたのだが、山本氏の姿勢は「原作尊重」のようで、原作者と漫画家の「合作」というより、漫画家は原作者の意志を最大に尊重して、それに忠実に漫画化すべきだという考えかと思われる。特に、下のツィートでは、「初期段階」ではキャラがまだ立っていないから、漫画家が暴走してはいけないという戒めだろうか。


山本貴嗣 @atsuji_yamamoto14 時間前

連載が長期にわたって、もうこのキャラがどういうときにどういう反応をするか共通認識ができてしまってからなら省略も可能だけど、キャラが立つ前に省略するとキャラが立たない。

娘から勧められて「アステリズムに花束を」というSF短編集(サブタイトルが「百合SFアンソロジー」であるwww)を読んだのだが、SF界というより、小説の若い書き手の中には凄い才能の持ち主がいるなあ、と感心した。
昔のように文系の人間の書く小説ではなく、理系の人間たちが書いたのではないかと思うが、思考が緻密で描写力も優れている人が多い。なぜこういう人達が芥川賞の候補にならないのか不思議である。まさしく、小説の可能性を広げる書き手たちだろう。
特に、櫻木みわと麦原遼という二人の共作と思われる「海の双翼」という作品は、SFという形でしか描けない領域だと思う。章ごとに話し手が違い、おそらく「人間」の語る部分を櫻木氏が、「ロボット(と言うべきだろうか。)」が語る部分を麦原氏が書いていると思うが、その接続にまったく「足下が見えている」拙劣さが無く、まさに人間ならこう思考し、ロボットならこう思考するだろう、という描き方が素晴らしい。もちろん、ロボットが語る部分に「感情」らしきものが見える部分もあるが、ロボットには感情が無いという「定義」も絶対的とは言えないだろう。
それと並ぶか、あるいは「小説」としてはそれ以上の完成度を持っているのが陸秋槎という中国人作家の作品を稲村文吾という人が訳した「色のない緑」という作品で、言語学の未来にまつわる人間模様を描くという、一見取っつきにくい内容の話だが、その細部の堅牢さが凄く、まったく私の知識にない「言語学と人工知能の結婚」の話が切実さをもって伝わるのである。確かに、未来の話だからSFだが、それ以前に、まさに「小説」としての水準が高いのである。
私の主観では、このふたつの作品よりは少し劣るように思うが、南木義隆の「月と怪物」、そして伴名練の「彼岸花」も読ませる作品で、どちらも芥川賞を取っても不思議ではない作品だと思う。(「月と怪物」は題名で損していると思う。内容は「ドクトル・ジバゴ」を短編に圧縮したような濃密な作品で、凄い力量の書き手だと思う。)
つまり、九つある作品の中で四つも素晴らしい水準の作品があるわけで、これが「百合SF」という馬鹿な売り方をしていなければ世間から先入観で低く見られることもなく、高い評価を得ていただろうと思う。逆に、「百合SF」と名付けたから一定以上に売れたのだ、と編集者は言うだろうし、実際、「百合SF」というテーマだから創作意欲を掻き立てられたという作家もいるかもしれない。
しかし、ここに載せられた作品の中で「このアンソロジーのための書き下ろし」、つまり最初から「百合SF」というテーマで書いたのは最後に載っているSF界のベテラン小川一水の作品だけなのだが、これが一番面白くない。まあ途中からは斜め読みなので正しい評価ではないが、他の作品がどちらかと言えば「百合」というよりは同性間の友情や「異生物間の愛情」という、「通常の男女関係ではない」愛情を描いているのに対し、まさにレズビアンそのものを描いたのが小川一水のこの作品だけで、しかもその会話がいかにも「オッサンが想像した女子高生の会話」風で読む方がいたたまれない。(小川一水の性別を私は知らないが、オッサン臭い印象だ。)作中に出てくる言葉がいちいち意味不明で、苦労して意味を推測するのも馬鹿馬鹿しい内容だ。宇宙で若い女性ふたりで漁師をする話である。そこにフェミニズム要素を少しまぶして女性のご機嫌伺いをした感じ。SF、特に「ハードSF」の欠点を凝縮しながら、会話が異常に若者ぶっているような印象である。
冒頭の作品(「キミノスケープ」)も「二人称小説」という、いかにも奇をてらった作品で、しかも問題の解決も何もなしに投げ出した終わり方であり、単なるSF的スケッチでしかなく、情景描写は上手いが、それだけの作品で、このアンソロジーを手に取った人は、最初で投げ出す可能性が高く、また最後まで読んだ人は最後の作品でがっかりするだろう。で、「やっぱりSFは糞だ」と思う読者も多いと思う。まあ、編集者のセンスの無さは「アステリズムに花束を」という書名にも表れている。「アルジャーノンに花束を」のもじりだろうが、この中の作品とアステリズムに何の関係があるのか。

なお、草野原原という作家の「幽世知能」という作品は陰鬱な雰囲気と面倒くさい文章にうんざりして読むのを途中でやめたので、評価はできない。何となく「電脳コイル」の影響がありそうな感じだ。

暗闇の中で眠れない人間をどう描くか、というのは、普通の人間では解決不可能だろう。何しろ、暗闇の中なのだから、何も見えるわけがない。だが、ページ全体を暗く塗りつぶすわけにはいかない。そこに、眠れない顔を描く必要があるからだ。
その超難問を藤子不二雄は、顔を黒く塗りつぶし、そこに見開いた目を描くという、凄い発想で解決した。これがどれほど難しい問題だったか、子供のころはまったく思いも及ばないだろうが、その「面白さ」だけは幼児にも伝わるというのがまた凄い。

確か、別の作品でも藤子不二雄は、空を白く、地上を黒く描くことで、夜の野原を表現していたと思う。





エスパー魔美「地底からの声」読み聞かせで、暗闇の中眠れない魔美の顔で子供が爆笑。おしっこを幸子さんの膀胱に部分テレポートするくだりはまだそのえげつなさが理解できなくてウケが今ひとつ。



写真(あるいは写真家)に関する「ネットゲリラ」記事の読者コメントのひとつだが、20世紀の有名写真家のリストみたいになっているので、メモしておく。どういう分野であれ、こういうリストはなかなか貴重だ。
ちなみに、私はユージン・スミスくらいしか知らないが、彼が撮った、水俣病の娘を抱いて風呂に入れている母親の写真には感動した。「20世紀のピエタ」と言いたいくらいだったが、あの写真は「被写体遺族の要請」で公開差し止めになっている。おそらく、チッソ(水俣病の原因となる汚染物質を垂れ流した会社)の工作で遺族が動かされたのだと推測している。

(以下引用)



 
 《 俗物にはしょせん俗物の写真しか撮れない。》  これは本当だ/笑。

先日ROBERT FRANKが94歳で死んでぼくのなかでは「現代写真」の時代が完全に終わった

ぼくにとっての現代写真を構成した Richard Avedon Diane Arbus William Eugene Smith

Leni Riefenstahl Henri Cartier-Bresson Jacques-Henri Lartigue Ansel Easton Adams

Lee Friedlander Irving Penn Ernst Haas 濱谷浩 土門拳 石元泰博 緑川洋一 渡辺克己 

中平卓馬など重要な人物はほとんど泉下に睡る 今後「ポスト現代写真」を牽引力の

象徴はティルマンス/Wolfgang Tillmans だとおもう 彼は単なる写真家というよりは

もっと複合的/綜合的なアーティストで Tillmansはむしろ20世紀美術のマエストロだった

ロバートラウシェンバーグの後継者だろう ホックニー ジャスパージョーンズ ウォーホル

ボブラウシェンバーグなど「現代美術はホモセクシュアルが領導した」とも言えるから

  ティルマンスはその意味でも正当な嫡子ということになるだろう 。。
 
過渡的にはムーヴィーキャメラマンなどの職業写真家も必要とされるだろうが 機材の簡便化

により写真家という業種は消えていくだろう 写真家と操縦士こそ20世紀の新職業だった 。。




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