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「hugkum」という育児ネットマガジンの吉田戦車インタビューの一部で、彼が子供(娘さん)にどんな漫画を読ませているか、という部分だ。
昔、萩尾望都に抱っこされたことがある、というのは、皇后陛下に抱っこされたくらいの貴重な体験だろうが、子供本人は覚えていないだろう。
男親は藤子不二雄を子供に勧めても、女の子はどんなに小さくても恋愛ものを好みそうな気がする。「ちはやふる」は、かるた取りという競技(バトル)でオブラートにくるんだ恋愛漫画だと思う。少女漫画は基本的にすべて恋愛漫画だろう。


(以下引用)


娘には、「色鉛筆が欲しい」と言えば多色を買ってあげたり、お絵かきをして一瞬で消せるようなデジタルのものを与えたりはしています。また、本には糸目をつけないとう妻の方針があって、図鑑も揃えてあります。

ただ、僕らの蔵書から「これを読んでもいいよ」って貸しているものもあります。伊藤はね『キャンディキャンディ』。新刊がでていないので超ボロボロなんですが(笑)娘は、それを読んでいます

僕は、藤子・F・不二雄先生の漫画を、読ませています。あとは、僕が持っていた『エースをねらえ!』(山本鈴美香)と、『ストップ! ひばりくん』(江口寿史)。これは、男女の複雑さを学ぶのにいいんじゃないかな(笑)娘は、『ちはやふる』(末次由紀)に夢中ですかね。

昔からギャグ作家の漫画家は仲が良かったんです。僕は、『伝染るんです。』描いていた頃に、漫画家さんの知り合いも増えて良く集まったり飲んだりしていました。今も漫画家さん同士飲んだりしますね。

二ノ宮(二ノ宮 和子)や、安野(安野モヨコ)が妻の親友で、子どもが生まれた時に、監督(庵野 秀明)まで来ちゃったりして、楽しかったですよ。もっと中学高校になっても漫画が好きだったら、(自分の環境に)気づくんじゃないですか。凄い人に会っていたんだなって。萩尾望都先生に抱っこされたことがあるんだとか。後で思い知るがいいって(笑)

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「神戸だいすき」の中に出ていた豆知識だが、私は知らなかった。(私は「神戸大好き」さんは情報通だとは思うが、新興宗教信者らしいので、あまり知性や人格は信じていない)
さすがに、民間芸能に関係しているだけに、古い習俗の知識に接することも多いのだろう。
「着て、さらに着る」から「き・さら・ぎ」というのは筋が通っているように聞こえるが、こうした語源説というのは、案外、新しい時代に誰かがでっち上げたものも多いのではないか。
「弥生」などは、漢字も読みも分かりやすい。「植物がいよいよ生い茂り始める季節」ということだろう。だが、「睦月」などは分からない。雪に閉じ込められて「家族や親しい者たちが睦まじくすごす」意味か。



2月の古い名称を知っていますか?
「きさらぎ」と言うのよ。「重ね着しないとおられない寒さ」の意味。

銃が「自分の身には危険が無く、遠距離から人を殺せる」卑怯な武器である、ということをテーマにした脚本の案。
登場するのは、「女、子供、老人、病人(障害者)」で構成された殺し屋集団。ただし、それぞれ優れたガンマン(ガンウーマン)。
その女子供老人病人に、屈強な体格の男たちが銃で簡単に殺されていくのが、話の主筋。毎回、そういうパターン。(別に、相手が悪だから殺すというのではなく、純粋にビジネスとして殺す。)
主人公(あるいは副主人公)は、毎回、その殺し屋のひとり。テレビドラマなら、視聴者は、その登場人物が殺し屋であることを知っているから、「神の視点」でドラマを上から眺めることになる。映画「バリー・リンドン」のような感じにしたい。視聴者が感情移入しそうな「善人」も回の最後では(ビジネス上)殺される。
登場人物のひとりに、「銃はイクエイター(平等を作るもの)である」という哲学を語らせ、同時に銃が卑怯者(あるいは弱者)の武器であることをも語らせる。

主要人物(仮に想定しただけで、いくらでも増やせるし改変できる。)

30代女性:最悪の人生を歩んできた、筋金入りのフェミニストで、美人。社会と男性を憎悪している。
50代女性:最愛の旦那を街のチンピラに殺され、銃で犯人を殺して服役。見かけは優しい中年女性。
70代男性:上司の犯罪の罪を着せられ、人生を棒に振った男。
40代男性:聾者。
10代男性:トランスジェンダーで、美少女に見え、女装が得意。

なお、この案は、先ほど見た昔の映画「三人の狙撃者」からヒントを得た。その映画では、戦場で27人殺したことが自慢の殺し屋フランク・シナトラが、おそらく銃を撃ったこともない家庭の主婦(平和主義者で銃嫌い)にピストルで撃ち殺され、惨めに死んでいく。
私の別ブログの記事のひとつだが、創作の上で大事な内容だと思うので、自己引用しておく。



ストーリーのためにキャラクターがいる典型が推理小説で、だから私は概して推理小説を好まないし、推理小説が「文学」になりえないのもそのためだと思っている。もちろん、そこを打破しようとしてプロの作家は努力してきたのだが、相変わらずの作品もある。逆に森博嗣(字はこうか?)の作品の中には、キャラ作りは抜群だがストーリーやトリックは無理ゲーというものが多い。密室のための密室、のようなもの。
一般小説で言うと、上橋菜穂子の「守り人」シリーズなどは、ドラマを成り立たせるためにわざと困難な状況を作っている面が多々あるように見える。人物たちがちゃんと他の人物に「説明」しさえすれば、面倒は何も起こらなかったのではないか、という場面が多いように見えるのである。まあ、漠然とした印象だが。これも「嘘」の一種だと私は思う。ストーリーのためのストーリー、ドラマのためのドラマ。額面以上に評価されすぎの作品だと思う。
ドラマはもともと作り事ではあるが、「合理性」や「自然さ」が無いと読者に「嘘だ」という印象を与えるのである。作り事だから嘘と感じるわけではないのだ。意図的に困難を作り出し、ではその困難をどう解決するか、という段になってとんでもない「デウス・エクス・マキーナ」が出てきたら、読者は腹を立てるわけである。


(以下引用)赤字部分はブログ筆者(私)による強調。



 羽海野チカは、ニコ・ニコルソン『マンガ道場破り・破』の中で、マンガ家にとって一番大事なことを「嘘をつかないこと」だと書いている。

 ニコ・ニコルソンが描いてきた原稿を直す際に、




「気の弱いこの子がここでこんなこと言うかなぁ…」

と疑問を呈する。ニコ・ニコルソンは、「でも話の流れ上、そうしないとバトルにならんので」と羽海野の疑問を退けようとする。羽海野の再反論。




「私なら… 最初から台詞の応酬を書いていって…


 『この子はこんな選択肢選ばないなぁ』となったら


 話の筋を変えるよ」

 これが羽海野のいう「嘘をつかないこと」、つまり「嘘の感情を描かない」ということであり、別の言い方をすれば、キャラクターをストーリーの従属物にしない、ということでもある。(ただ、ニコ・ニコルソンの『破』を読むと、別の作家は逆にストーリーを大事にしている方法を取っており、それは作家が選ぶ方法の一つに過ぎないのであろうが。)

非常に面白い記事で、時代小説を書く人は、参考になることがたくさんあるのではないか。
私は、ここに書かれた紙屋氏の推測はほとんど合っていると思う。なぜなら、「戦場での略奪」以外に非正規兵が戦う合理的理由はないだろうし、それなら「適当に戦う」のが当然である。



「麒麟がくる」を見て『戦国の軍隊』を読む

(前略) 

 戦国の軍隊は、大半が足軽か雑兵=非武士階級ということになる。それらの難民+アウトローを、すでに公権力化している武士集団、まあ警察とか軍隊のようなものが統率して戦争をする……みたいなイメージであろうか。

 

足軽や雑兵は略奪が目的なの?

 金や飯で集められるのだが、それってどこまで戦うの? という疑問が起きる。

 西股は藤木久志の『雑兵たちの戦場』(朝日選書)を典拠にしながら、戦場の略奪(食料・物品・人間)の横行を挙げている。それがまあ報酬ということになる。

 

【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り (朝日選書(777))

【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り (朝日選書(777))

 

 

 西股は伊勢宗瑞(北条早雲)が初期の戦闘でどこから人数を調達したかを次のように書いている。

おそらく宗瑞たちは、収穫物の略奪というエサを示すことによって、志願者をかき集めて傭兵部隊(足軽衆)を組織したのだ。そして、戦争に勝利すると討滅した相手の所領を、多米氏や荒川氏といった傭兵隊長や、笠原氏・大道寺氏といった被官・縁者らに分配して兵を養わせる、ということをくり返しながら軍隊を創り上げていったのではあるまいか。(p.123)

 

 こうした西股の仮説というか推測に過ぎないので、別に通説でもない。しかし、他に手がかりもないので、これをもとにドラマのシーンを見直してみる。

 勝利によって略奪ができるから、一応勝敗にはこだわる。つまり、殺しに向かうモチベーションが得られる。

 しかし、命あっての物種だから、そこまで真剣にはできない。

足軽・雑兵らが逃亡をはじめても、侍たちが最後まで踏みとどまって勇ましく討ち死にするのは、当然であった。(p.210)

 侍たちは戦功によって直接に評価されるシステムであったから、無謀な「先駆け」「一番乗り」をふくめ戦闘のモチベーションは高かった。西股はその様子を秀吉の小田原征伐の際の記録から紹介している。

 斎藤道三織田信秀の小さな合戦のようなものは、上記に書いたような大規模な「非正規雇用兵」がおらず、いわゆる武士集団だけで戦っていたのかもしれない……とも思い直してみる。

 

 そんなことにぼんやりと思いを馳せる時間であった。




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