「BLEACH」についてのコメントのひとつで、私はこの漫画は一度も読んだことがないが、漫画のどういうところが現代の人間に評価されるのか、参考にはなりそうだ。論評の仕方、言葉使いが編集者風で気持ちが悪いことは悪いのだが、昔の人間が単に「面白い」で終わったものを分析的に考察する、という姿勢があるのが分かる。
なお、他のコメントに紹介されている、作中の人名のセンスは私には「?」というものばかりで、そのどこにセンスの良さがあるのかさっぱり分からない。「台詞回し(「台詞」ではなく「台詞回し」というところが今風だ。)」「コマ割り」「キャラデザ」が良さそうなのは、断片的に紹介されている漫画の一部を見ても何となく感じはする。
最終回のあたりがファンに不評なのは、「読者の生理」「読む快感」を無視して、「お前らの期待や展開の予測など裏切ってやるぞ、見ていろwww」という創作姿勢が作者にあったのではないか、と一連のコメントを見ていて感じる。
なお、他のコメントに紹介されている、作中の人名のセンスは私には「?」というものばかりで、そのどこにセンスの良さがあるのかさっぱり分からない。「台詞回し(「台詞」ではなく「台詞回し」というところが今風だ。)」「コマ割り」「キャラデザ」が良さそうなのは、断片的に紹介されている漫画の一部を見ても何となく感じはする。
最終回のあたりがファンに不評なのは、「読者の生理」「読む快感」を無視して、「お前らの期待や展開の予測など裏切ってやるぞ、見ていろwww」という創作姿勢が作者にあったのではないか、と一連のコメントを見ていて感じる。
546: 風吹けば名無し 2020/03/19(木) 13:01:23.53 ID:XkwcAbbh0
名前作るセンスと台詞回しとコマ割りと大概のキャラデザは素晴らしいんだよな
575: 風吹けば名無し 2020/03/19(木) 13:02:45.81 ID:M32E7tbsa
>>546
日常パート最高やもんな
日常パート最高やもんな
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例のサイトの解説部分で、多くの氏族が名前の由来を偽っているという理由で天皇がクガタチを命じる話だが、下の解釈は「クガタチ」というものに実に合理的な説明を加えていて感心した。
同じ行為でも、時間的順序で明確な差が出る、ということ、「時間差」という「目に見えないもの」を利用する、というのは実に狡猾である。この詐欺に不満の声を上げた人間は、その反抗自体がケシカランとして処罰されたのではないか。中世西洋の魔女裁判も同じだっただろう。つまり、「権力犯罪」である。
(以下引用)
そこで、お湯を沸かして、次々に手を突っ込んでいった。泥を掴んでくれば「正しい」。火傷すれば「嘘をついていた」となります。
おそらく、お湯を炊き始めて、順番に有力者から探湯(クカタチ)をしていった。当然、火をつけて間もなくはお湯の温度は低いので、最初の氏族は問題が無かった。しかし、徐々にお湯の温度があがり、弱小氏族は火傷をしていった。そのまま弱小氏族は氏姓を失った。
同じ行為でも、時間的順序で明確な差が出る、ということ、「時間差」という「目に見えないもの」を利用する、というのは実に狡猾である。この詐欺に不満の声を上げた人間は、その反抗自体がケシカランとして処罰されたのではないか。中世西洋の魔女裁判も同じだっただろう。つまり、「権力犯罪」である。
(以下引用)
そこで、お湯を沸かして、次々に手を突っ込んでいった。泥を掴んでくれば「正しい」。火傷すれば「嘘をついていた」となります。
おそらく、お湯を炊き始めて、順番に有力者から探湯(クカタチ)をしていった。当然、火をつけて間もなくはお湯の温度は低いので、最初の氏族は問題が無かった。しかし、徐々にお湯の温度があがり、弱小氏族は火傷をしていった。そのまま弱小氏族は氏姓を失った。
前回引用した文章にこういう部分がある。
韓国式銅剣文化は紀元前5世紀頃から韓半島の清川江以南部地域を中心に発展していた青銅器文化に青銅器時代後期またはこの時期から鉄器が使用されはじめたことから初期鉄器時代とも呼ばれます。代表的な青銅遺物には刃部が直線的に伸びる韓国式銅剣をはじめ銅矛、銅戈のような武器と精文鏡、各種鈴類などの儀器があります。
つまり、朝鮮半島は紀元前五世紀のころには日本より「戦争の先進国」だったということであり、だからこそ大和朝廷が日本の支配政権になったのだろう。
なお、古代史における朝鮮半島は小さな集団が群立していただろうし、その総体を表すには「朝鮮」という呼び名と「朝鮮人」という呼び名しか適合しないわけで、私がいつもブログに「朝鮮」とか「朝鮮人」と書くのに差別的な意味はまったく無い。それが差別なら、日本を日本と言い、日本人を日本人と言うのも差別である。
韓国式銅剣文化は紀元前5世紀頃から韓半島の清川江以南部地域を中心に発展していた青銅器文化に青銅器時代後期またはこの時期から鉄器が使用されはじめたことから初期鉄器時代とも呼ばれます。代表的な青銅遺物には刃部が直線的に伸びる韓国式銅剣をはじめ銅矛、銅戈のような武器と精文鏡、各種鈴類などの儀器があります。
つまり、朝鮮半島は紀元前五世紀のころには日本より「戦争の先進国」だったということであり、だからこそ大和朝廷が日本の支配政権になったのだろう。
なお、古代史における朝鮮半島は小さな集団が群立していただろうし、その総体を表すには「朝鮮」という呼び名と「朝鮮人」という呼び名しか適合しないわけで、私がいつもブログに「朝鮮」とか「朝鮮人」と書くのに差別的な意味はまったく無い。それが差別なら、日本を日本と言い、日本人を日本人と言うのも差別である。
国立博物館ホームページから転載。
写真の銅剣の形状は日本でこれまで出土した銅剣とほぼ同じで、銅剣は朝鮮半島から(銅剣のオリジナルは中国で、朝鮮半島は経由地にすぎないかもしれないが)日本に伝わったと見ていいのではないか。
そして、その金属の「柄」(中子?)の部分が異常に短いのは、これが木製の柄に付けて用いられたこと、そして、ここが重要だが、その金属の中子(と言ったか、木製の柄に収まる部分だ)の極端な短さは、これが「剣」ではなく、「槍」として用いられた事実を示すだろう。つまり、木製の柄の部分が後世発見されていないのは、金属部分だけが貴重品として特別に保管され、木製柄の部分は腐食して消滅したのだと思う。仮にこれが「剣」だったなら、横方向の打撃に耐えきれず、刀身が柄から即座に抜けて使用不可能になっただろう。刺突に用いる槍だから、打撃が縦方向で、木に埋める部分(中子)は短くても良かったのである。
なお、銅剣が祭祀のためのものだったという説は私は採らない。祭祀用なら、あれほどの数が作られたはずがない。数が増えれば「有難み」は減る道理である。たとえば「草薙の剣」が三つも四つも百以上もあったら、誰が有難がるか。
と書いた後で、写真の「銅剣」の形状(一見刃に見える部分の下から十センチくらいのところにすべてわずかな窪み、あるいは小さな欠落がある。)を見て、考えが変わった。
つまり、私は、「刃」に見える部分がすべて実際に刃だったと考えて、上記のことを書いたのだが、実は、一見刃に見える部分の一番下の十センチくらいは、木の柄に埋め込まれた、とすれば、やはり「銅剣」だったと見るのが正解かもしれない。つまり、丸い中子だけだと木の柄の中で刀身が回ってしまう(つまり、刃の向きが安定しない)可能性があるので、刀身が柄の中で回らないように、刀身の下十センチくらいは柄に埋め込んだ可能性がある、というわけだ。中心部を円筒状に少しくり抜いた二枚の木の柄で剣の両側から挟み、紐で柄全体をきつく巻くような形態だったのではないか。
(以下引用)
写真の銅剣の形状は日本でこれまで出土した銅剣とほぼ同じで、銅剣は朝鮮半島から(銅剣のオリジナルは中国で、朝鮮半島は経由地にすぎないかもしれないが)日本に伝わったと見ていいのではないか。
そして、その金属の「柄」(中子?)の部分が異常に短いのは、これが木製の柄に付けて用いられたこと、そして、ここが重要だが、その金属の中子(と言ったか、木製の柄に収まる部分だ)の極端な短さは、これが「剣」ではなく、「槍」として用いられた事実を示すだろう。つまり、木製の柄の部分が後世発見されていないのは、金属部分だけが貴重品として特別に保管され、木製柄の部分は腐食して消滅したのだと思う。仮にこれが「剣」だったなら、横方向の打撃に耐えきれず、刀身が柄から即座に抜けて使用不可能になっただろう。刺突に用いる槍だから、打撃が縦方向で、木に埋める部分(中子)は短くても良かったのである。
なお、銅剣が祭祀のためのものだったという説は私は採らない。祭祀用なら、あれほどの数が作られたはずがない。数が増えれば「有難み」は減る道理である。たとえば「草薙の剣」が三つも四つも百以上もあったら、誰が有難がるか。
と書いた後で、写真の「銅剣」の形状(一見刃に見える部分の下から十センチくらいのところにすべてわずかな窪み、あるいは小さな欠落がある。)を見て、考えが変わった。
つまり、私は、「刃」に見える部分がすべて実際に刃だったと考えて、上記のことを書いたのだが、実は、一見刃に見える部分の一番下の十センチくらいは、木の柄に埋め込まれた、とすれば、やはり「銅剣」だったと見るのが正解かもしれない。つまり、丸い中子だけだと木の柄の中で刀身が回ってしまう(つまり、刃の向きが安定しない)可能性があるので、刀身が柄の中で回らないように、刀身の下十センチくらいは柄に埋め込んだ可能性がある、というわけだ。中心部を円筒状に少しくり抜いた二枚の木の柄で剣の両側から挟み、紐で柄全体をきつく巻くような形態だったのではないか。
(以下引用)
37年ぶりに一堂に会した和順大谷里の青銅遺物
支配者の象徴、韓国式銅剣
青銅器製作技術の極致、精文鏡
剣と鏡、誰がどのように使ったのか?
祭政一致の社会を意味する剣と鏡
仁徳記には、百済からの朝貢があったという記述が多い。一方で新羅へも朝貢の要求はするが、新羅がそれに応じることは少なかったようだ。
大和朝廷発展期に朝鮮の各国の政治体制が整っていなかったのは事実だろうが、では百済や新羅は日本の属国だったのだろうか。日本側はそう思っていただろうが、朝鮮側はどう思っていたか。
私は、百済の王族か地方首長が大和朝廷の祖だと考えているが、それは朝鮮半島の国家体制が日本より進んでいたという意味ではない。単に「戦争慣れした民族」だ、というだけの話である。だから日本の支配者になれたわけだ。そして、日本征服の段階において軍事技術の発展もあったのだろう。だから朝鮮半島にちょっかいも出したのだろうが、そのメリットがよく分からない。土地の産物と言っても、コメの収量が多いわけでもなく、名産品があったとも思えないのだが、養蚕技術や機織り染色などは日本より進んでいたのだろう。そのひとつの答えが、「捕虜」にして、その技術や知識を日本でのさまざまな仕事に使う、というものだ。
大和朝廷発展期に朝鮮の各国の政治体制が整っていなかったのは事実だろうが、では百済や新羅は日本の属国だったのだろうか。日本側はそう思っていただろうが、朝鮮側はどう思っていたか。
私は、百済の王族か地方首長が大和朝廷の祖だと考えているが、それは朝鮮半島の国家体制が日本より進んでいたという意味ではない。単に「戦争慣れした民族」だ、というだけの話である。だから日本の支配者になれたわけだ。そして、日本征服の段階において軍事技術の発展もあったのだろう。だから朝鮮半島にちょっかいも出したのだろうが、そのメリットがよく分からない。土地の産物と言っても、コメの収量が多いわけでもなく、名産品があったとも思えないのだが、養蚕技術や機織り染色などは日本より進んでいたのだろう。そのひとつの答えが、「捕虜」にして、その技術や知識を日本でのさまざまな仕事に使う、というものだ。
仁徳天皇(三十三)百衝はいつも軍の右の先鋒に
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五十三年、新羅不朝貢。夏五月、遣上毛野君祖竹葉瀬、令問其闕貢。是道路之間獲白鹿、乃還之獻于天皇。更改日而行、俄且重遣竹葉瀬之弟田道、則詔之日「若新羅距者、舉兵擊之。」仍授精兵。新羅起兵而距之、爰新羅人日々挑戰、田道固塞而不出。時新羅軍卒一人有放于營外、則掠俘之、因問消息、對曰「有强力者、曰百衝、輕捷猛幹。毎爲軍右前鋒、故伺之擊左則敗也。」時新羅空左備右、於是田道、連精騎擊其左。新羅軍潰之、因縱兵乘之殺數百人、卽虜四邑之人民以歸焉。
現代語訳
即位53年。新羅が朝貢しませんでした。
夏5月。上毛野君(カミツケノキミ)の祖先の竹葉瀬(タカハセ)を派遣して、その朝貢しなかったことを問わせました。この道路(ミチ)の間に白鹿(シロキカ)を獲りました。すぐに帰って天皇に献上しました。それで日を改めて行きました。しばらくしてまた重ねて竹葉瀬(タカハセ)の弟の田道(タジ)を派遣しました。天皇が詔(ミコトノリ)して言いました。
「もし新羅が拒絶したら、兵を挙げて撃て」
精鋭の兵を授けました。新羅は兵を起こして拒絶してきました。新羅人は日々、戦いを挑んできました。田道(タジ)は塞(ソコ=砦のこと)を固めて出ませんでした。その時、新羅の軍の兵卒の一人が営(イオリ=陣営)の外に出ました。それを捕らえました。消息(アルカタチ=内情)を問いました。答えて言いました。
「強力(チカラ)のある人がいます。百衝(モモツキ)といいます。軽く、早く、勇猛で、強い。いつも軍の右の先鋒です。左から撃てば敗れるでしょう」
そこで新羅は左を空けて、右に準備していました。そこで田道は精鋭の騎兵を連ねて、その左を撃ちました。新羅の軍は逃げて潰れました。兵を放って追い、数百人を殺しました。四つの邑の人民を捕らえて帰りました。
夏5月。上毛野君(カミツケノキミ)の祖先の竹葉瀬(タカハセ)を派遣して、その朝貢しなかったことを問わせました。この道路(ミチ)の間に白鹿(シロキカ)を獲りました。すぐに帰って天皇に献上しました。それで日を改めて行きました。しばらくしてまた重ねて竹葉瀬(タカハセ)の弟の田道(タジ)を派遣しました。天皇が詔(ミコトノリ)して言いました。
「もし新羅が拒絶したら、兵を挙げて撃て」
精鋭の兵を授けました。新羅は兵を起こして拒絶してきました。新羅人は日々、戦いを挑んできました。田道(タジ)は塞(ソコ=砦のこと)を固めて出ませんでした。その時、新羅の軍の兵卒の一人が営(イオリ=陣営)の外に出ました。それを捕らえました。消息(アルカタチ=内情)を問いました。答えて言いました。
「強力(チカラ)のある人がいます。百衝(モモツキ)といいます。軽く、早く、勇猛で、強い。いつも軍の右の先鋒です。左から撃てば敗れるでしょう」
そこで新羅は左を空けて、右に準備していました。そこで田道は精鋭の騎兵を連ねて、その左を撃ちました。新羅の軍は逃げて潰れました。兵を放って追い、数百人を殺しました。四つの邑の人民を捕らえて帰りました。
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解説
古事記にはない話
新羅は何回盾突くのやら。その度に、日本は使者を派遣したり、兵を派遣して、鎮圧します。新羅はかなり反抗的だったと。それに対してどうして百済は反抗しなかったのか? むしろ融和したのはなぜか?
新羅は何回盾突くのやら。その度に、日本は使者を派遣したり、兵を派遣して、鎮圧します。新羅はかなり反抗的だったと。それに対してどうして百済は反抗しなかったのか? むしろ融和したのはなぜか?
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冬山想南
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