(以下引用)
仁徳天皇(六)「我が弟の皇子」からの遺体の復活
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現代語訳
「私は兄王(=大鷦鷯尊【のちの仁徳天皇】のこと)の志(ミココロザシ)を奪うべきではないことを知っている。どうして長く生きて天下を煩わせるだろうか!」
そう言ってすぐに自死してしまいました。大鷦鷯尊は太子が死んでしまったと聞いて、驚き、難波から馳せ参じて菟道宮(ウジノミヤ)に到着しました。その時点で太子は亡くなって三日経っていました。そのとき、大鷦鷯尊は胸を打って叫び泣いて、どうしようもないほどでした。そして髪を解いて、屍にまたがって、三回呼んで言いました。
「我が弟の皇子!」
するとたちまち息を吹き返しました。そして自然と起きました。大鷦鷯尊は太子に語って言いました。
「悲しいことだ。惜しいことだ。どうして自ら死んでしまうのか。もしも死んだ人に知(サトリ)があるならば、先帝(=応神天皇のこと)は我々をどう思うのでしょうか?」
太子は兄王(=大鷦鷯尊のこと)に言いました。
「これは天命(イノチノカギリ)なのです。誰が止めることができるだろうか。もし、天皇(=応神天皇のこと)の御所(オオミモト)に参じることがあるならば、詳細に話しましょう。兄王は聖者であり、何度も譲ったのだと申しましょう。聖王(=ここでは大鷦鷯のこと)は私が死んだと聞いて、遠路を急いで馳せて来ました。どうして労(ネギラ)わないでいられましょうか」
そうして、同母妹の八田皇女(ヤタノヒメミコ)を進めました。
「納采(アト=現在で言う所の結納品)には足らないかと思うが、掖庭(ウチツミヤ=後宮のこと)の数に足してくれないか」
そう言うと太子は、また棺(ヒトキ)に伏せって死んでしまいました。大鷦鷯尊は素服(アサノミソ=麻の白い服)を着せて、悲しみ、泣いて時間が過ぎました。そして、太子を菟道(ウジ)の山の上に葬りました。
作家の黒岩重吾は「邪馬台国」が大和朝廷の元だ、と考えているが、ほとんどの人間が日本史を習った最初にそう考えるだろう。つまり、「ヤマタイ」と「ヤマト」の音があまりに似ているからである。そして、大和朝廷の東征とは九州の部族が近畿に移動したことなのだから、それは邪馬台国だと考えても不思議はない。
だが、そこで私が他の論者と意見が異なるのは、多くの論者は邪馬台国政府やその部族を日本土着の「原住民」だと考えていることで、私は大和朝廷とは朝鮮からの渡来人の作った政府だと思っている。(つまり隼人は皇室の祖ではない。)そうでないと、日本書紀の中での朝鮮や朝鮮人の存在の大きさが不自然だからだ。(その一方で、隼人は敵であり、また服属後は下級軍人か兵士でしかない。皇室と祖をおなじくする部族にそんな扱いをするわけがない。)
そう考えると、大和朝廷の「実質的建国者」と言っていい崇神天皇が「四方の異民族」を征服し、その異民族とは「俗(風俗)を異にする」存在であったということの意味が明白になる。
つまり、大和朝廷は朝鮮から渡来して「原日本人」の無数の部族を切り従えて日本を征服した征服王朝なのである。(ただし、大和朝廷を「騎馬民族」とするのは不適切だ、とは前に書いたことだ。)
崇神天皇(十八)異俗が多く帰する(日本書紀)
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現代語訳
解説
個人的コラム
それで日本も習ったのでしょう。
ところで日本の周囲に「異民族」が居たのでしょうか?
分かりません。
居たのかもしれません。
確実に東北に蝦夷がいました。蝦夷はどうも血統でいうと「縄文人」です。では天皇の血統はどうかというと、「隼人」です。ニニギが南九州に降り、その後の神話は明らかに隼人です。また、神武天皇は九州から東征しています。
ヤマトタケルの時代に東北から「佐伯」が伊勢へと連れてこられます。この佐伯は「騒がしい」ので伊勢から、広島などへと移民させられます。この「騒がしい」をどういう意味かと考えた時、私は「悪い意味」ではないんじゃないか?と思うのです。
隼人は大和朝廷に参加した後に大和朝廷の警備の仕事をするようになります。隼人は「犬のように吠えた」とされます。これは「声が魔を祓う」という意味です。
神武天皇が東征して、長髄彦に敗北した後に雄叫びをあげます。敗北という魔を祓ったのです。
日本人は「声」に特別な力があると考えていました。それは佐伯も同じだったのではないか?と思うのです。
だから夷狄といっても、どの程度の文化の質に違いがあったのか?は分かりません。中国人にとっての夷狄とはニュアンスは大分違うんだろうと思うのです。
何かと言うと、古事記や日本書紀で女性が自殺するのにしばしば「女陰(ほと)を鋭いもので突いて死ぬ」記述があることだ。これは実際に行われたことなのだろうか。自殺の仕方として異様に感じるのは私だけか。そもそも、女陰を箸で突いて、本当に死ねるのか。怪我をするだけで終わるのではないか。
私は、これは何かの比喩ではないかという気がする。つまり、「生殖器を傷つける」に似た行為をすることで、その後の生殖が不可能になり「生む性」としての人生を終わりにした、というアピールをすることであって、実際に死んだわけでも女陰を箸や何かで突いたわけでもないと思う。
少なくとも、私は世界の歴史の中でも現代の事件でも、女性が自分の女陰を突いて死んだという話は一度も読んだことがない。
(以下引用)
崇神天皇(十六)倭迹々姫命の婚姻と死・箸墓(日本書紀)
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飫朋佐介珥 菟藝廼煩例屢 伊辭務邏塢 多誤辭珥固佐縻 固辭介氐務介茂
現代語訳
「あなたさまは、常に昼は見えないので、ハッキリとその尊顔(ミカオ)を見る事ができません。お願いしますから、もう少しゆっくりしてください。明日の朝に美麗(ウルワ)しい威儀(ミスガタ)を見たいと思います」
大神は答えて言いました。
「言理(コトワリ=言ってる事は)灼然(イヤチコ=よく分かる)だ。私は明日の朝にあなたの櫛笥(クシゲ=櫛を入れる箱)に入っている。頼むから私の形(=本性)に驚くなよ」
倭迹々姫命(ヤマトトトヒメノミコト)は心の裏(ウチ)で密かに怪しんでいました。夜が明けるのを待って、櫛笥(クシゲ)を見ると、とても美麗(ウルワシ)い小蛇(コオロチ)がいました。
その長さと太さは下衣の紐のようでした。それで驚いて叫びました。それで大神は恥ずかしく重い、すぐに人の形になりました。
「お前、我慢出来ずにわたしに恥をかかせた。
わたしも山に還って、お前に恥をかかせよう」
それで大空を踏んで、御諸山(ミモロヤマ)に登りました。
倭迹々姫命(ヤマトトトヒメノミコト)は仰ぎ見て後悔して、ドスンと座りました。
それで箸で陰(ホト=女性器)をついて亡くなりました。
それで大市(オオチ=大和国城上郡大市=奈良県桜井市北部)に葬りました。世の人はその墓を箸墓(ハシノハカ)と名付けました。この墓は、昼は人が作り、夜は神が作りました。大坂山(奈良県北葛城郡二上山の北側の山)の意思を運んで作りました。山から墓に至る人民が並んで列を作って手から手へと手渡しに運びました。世の人は歌を歌いました。
大坂に 継ぎ登れる 石群(イシムラ)を
手遞傳(テゴシ)に越さば
越しかてむかも
大坂山の石を麓から頂上まで、どんどんと持って行った。大量の石。手渡しにどんどん持っていったから、いつかは山をすっかり持って行けるだろう。
即位3年の春1月の5日に渟名底仲媛命(ヌナソコナカツヒメノミコト)を立てて皇后(キサキ)としました。
私が「落差が笑いを生む」というのも、正常と異常の落差と言ってもいい。あるいは予想と実際の落差のこともある。歩いている人間を見れば、誰でも次の瞬間も相手が歩いていると予想するが、それが転ぶ(こける)と驚き、その驚きは、相手が無事なら笑いとなり、大怪我をしたら恐怖になる。(今考えたが、転ぶことを喜劇創造の世界で「こける」というのは、「こけ」には愚か、白痴の意味があるからではないか。転んだ状態の人間は尊厳を失い、馬鹿やピエロ同然の「笑うべき存在」になる。)
(以下引用)
紅茶
笑いの仕組みは昔から気になってました。横から長文しつれいします。
個人的な見解ですが、多分、不条理ギャグ(一発ギャグ)って、公式がないようでいて、基本は抑えてるから面白いと思います。
うちだすみを著「基本マンガ」に「笑いのテクニック」のページがありますが、不条理ギャグについてはこう書いて有ります「ただ、面白い言葉を連ねても面白くない」と。
(例題に「アカチャカベッチャカ、スースースーダラスー」とわけのわからない言葉+突っ立ったキャラが書いてあるが全く面白くない)
確か、小林よしのり先生がおっしゃってた気がしますが(初期のゴーマニズム宣言で)、
ギャグの定義は「普通を知らないと、異常が書けない」だそうで。
「普通は読者が知ってるので(平均的共通項)、そこに異常を同時に見せることで笑いが生まれる」という方程式でした。
(例:学校ではじっと席に座って授業を受けるものだ
→ところが主人公は席に座らず、教室でターザンしている→先生が注意するのがシュール→笑いのように)
私は個人的に、現在のバラエティの笑いは、テレビの前で実際アハハと声に出して笑ったことがほとんどありません。同情の笑い、そういうこともあるよな、的笑いばかりです。家族も似たようなものです。
ネットのインディーズが書いているギャグ小説(かなりニッチな設定のジャンル)のほうがよっぽど素直に声を出して笑えたりします。
なんというか、最近のギャグは「いじめ、誰かをいじる、叩く、セリフに偏りすぎてる、誰か特定のカテゴリを貶める」ようなギャグばかりで、つまらないです。
現在のあるあるネタも、気をつけないと「そのカテゴリの人を貶める」ことになりますし。
(だから最近、「今現在の人には直接関係ない」戦国時代などの過去の偉人や、雑学をテーマにした作品が多いのかもしれません)
私は生まれつき障害者で、弱者側の人間なので、
ぶっちゃけ、ドラマやバラエティで「普通」ということになっている舞台や環境、セリフに全く共感できません。「ハリポタと同じファンタジー」だと思いながら、見ています。
「そうそう、こんな世界あって、こういうことができたら笑えるだろうな」みたいな。
「仕事先の銀行で大金を横領してキャバクラ開いた」
→仕事いくとなぜか首になるので、そこまでやったことないので想像できない
→ご飯食べられるだけで幸せなのに、なんで大金とるの?
「ふらりといった旅行先で殺人事件に巻き込まれた、大変!」
→障害上、頭の中で考えながら行動できないので、修学旅行のしおりのように「これから何が起きます」とあらかじめ分単位で予定された通りに行動しないと、外に出られませんが何か?
なんというか、私が障害もちで特殊なせいかもしれませんが、多分一般レベルでも
「普通の定義が普通じゃなくなってきている」せいもあると思います。
「普通にご飯を食べ、進学し、就職し、結婚し、普通に子供を持ち、普通に育児やって、普通に家を買って、普通に年金を受けて老後を生きる」
この普通の前提が今は全部崩壊しているので、「笑いを生むための平均的な共通項」がなくなってきてるのです。
ある意味、教育やインフラや歴史が崩壊してて、共通言語もない多民族の途上国で
「何をやったら相手(どんな背景持ってる人か全く想像できない相手)は笑ってくれるのか?」を考えるのと同じ状態です。
だから「メチャクチャ」「カオス」「おかしな動き・言葉」しか
もはや笑いを作る方法がないのかもしれません。
「普通が崩れてしまった」状態だから、「その場のおかしなセリフの繰り返し」「素っ裸」「ゾンビ(人を食う、死なない)」など、一目でわかる「異常」、「いじめたり殺してもどこからも文句がこない存在」を演出しないと笑いやネタが取れなくなったのかもしれません。
これ、冷静に書いてみると、統合失調症か、精神異常者の行動とあまり変わらないようにも見えますね。(障害者側からいうのもナンですが)
つまり、精神異常者の行動は「笑える」ってことですけど(少数派、異常なので)
それをうまく書き換えて普通に見える人が演じる・またはものすごく異常な格好した人がやることで、ギャップで笑いを作ろうとしてますけど
ネタの根底が「弱者、障害者」なので、一瞬は笑っても、ずっとヒットする・長年親しまれるような笑いに根付かないんじゃないかなーと思ってます。
笑いの根底とは「おどけて、いじられたいと思っている人が笑われる」
(個性がたまたまあるけど、いじられたいと思ってないのに、回りが勝手に「かまってあげてる」と解釈していじると、いじめになる)
「そうじゃないだろ」とツッコミ待ちのボケ
頭がいい人・権威ある人がなぜか「実は当たり前のことができない」、といった「万能の空白」
のような、オーソドックスな笑いが結局ずっと使えると思いますが…
親父ギャグ、一発ギャグ…これはちょっともう古すぎてダメなんでしょうね。
なんというか笑いを作ろうとしても、余裕がなさすぎて。
どちらかというと、笑いの代わりに「癒し」を求めてる気がします。
笑いは「希望や元気」があると欲しいものですが、今現在、世の中に希望や元気がないので
まず疲れを癒して、回復して、元気になってから、「笑えるものが欲しい」と思うかと。
安心の定義も崩れ、エネルギーがかなり低下していて、回復・治療・希望作りを
まず先にしないと、笑ったり、何か生み出す元気もない状態のような気がします。