昔から私が不思議だったのは、優れた小説家がなぜ老年になると創作能力が激減するのか、ということだった。もちろん、老化による記憶力の減退が創作の支障になるという面も大きいだろうが、それ以前に、創作意欲そのものを失うような気がする。
それはなぜか。
ひとつには、「自分の限界」が見えているからかと思う。どう努力しても、過去の偉大な作品や作家に並ぶことは不可能だ、という敗北主義があるのではないか。
もうひとつは、「創作という行為そのものへの疑問」があるのではないか。
若いころにはなぜ創作意欲があるのか、という問題に置き換えるといいかもしれない。
それは「小説世界への感動」が一番大きな原因だろう。「このような作品を自分でも書いてみたい」という気持ちだ。つまり、憧れである。
なぜ小説世界が感動を与えるかと言えば、それは「現実には手に入れることがほとんど不可能な体験を与えてくれる」からである。冒険、恋愛、気心の知れた個性的な仲間、あるいは戦い、苦悩までも、ロマンの一部なのである。もちろん、小説はそういうものばかりではなく、ヴォルテールの作品のように思弁的、哲学的な作品も小説だし、私小説的な、現実生活そのものを微細に描くことで現実生活を深化させる類の小説もある。
いずれにしても、「現実では得られない仮想体験や精神的経験を与えてくれる」のが小説の一番の価値だろうし、それを自分でも作ってみたいというのが若いころの創作動機かと思う。
だが、老年になると、ほとんどの「精神的体験」は経験済みである。現実に経験しなくても、多くの書を読んで経験している。その上に、自分が付け加える必要性など何も無いことを知るわけだ。
これが、老年における創作意欲や創作能力の減退の原因かと思う。
それはなぜか。
ひとつには、「自分の限界」が見えているからかと思う。どう努力しても、過去の偉大な作品や作家に並ぶことは不可能だ、という敗北主義があるのではないか。
もうひとつは、「創作という行為そのものへの疑問」があるのではないか。
若いころにはなぜ創作意欲があるのか、という問題に置き換えるといいかもしれない。
それは「小説世界への感動」が一番大きな原因だろう。「このような作品を自分でも書いてみたい」という気持ちだ。つまり、憧れである。
なぜ小説世界が感動を与えるかと言えば、それは「現実には手に入れることがほとんど不可能な体験を与えてくれる」からである。冒険、恋愛、気心の知れた個性的な仲間、あるいは戦い、苦悩までも、ロマンの一部なのである。もちろん、小説はそういうものばかりではなく、ヴォルテールの作品のように思弁的、哲学的な作品も小説だし、私小説的な、現実生活そのものを微細に描くことで現実生活を深化させる類の小説もある。
いずれにしても、「現実では得られない仮想体験や精神的経験を与えてくれる」のが小説の一番の価値だろうし、それを自分でも作ってみたいというのが若いころの創作動機かと思う。
だが、老年になると、ほとんどの「精神的体験」は経験済みである。現実に経験しなくても、多くの書を読んで経験している。その上に、自分が付け加える必要性など何も無いことを知るわけだ。
これが、老年における創作意欲や創作能力の減退の原因かと思う。
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単なるメモである。上野千鶴子の発言は確か山本貴嗣のツィッターで読んだと思う。そのツィートが無いと意味をなさない文章だが、メモにすぎない。(下の文章は私自身のものだが、別ブログに書いて容量オーバーしたので引用ツィート部分を除去して載せておく。)
私は上野千鶴子はあまり好きではないし、彼女のこの発言(九月入学推進論)には肯定でも否定でもないが、論議(私自身の考察)のテーマとして転載した。
しかし、高等教育を「産業」としているのには驚いた。(私の誤読か?)
確かに高校も大学も産業、つまり利益獲得企業なのだろうが、大学側がこれほど堂々とそれを言ったのは珍しいのではないか。
一応、読解問題として下の文章の問題個所を分析してみる。
「高等教育はglobal産業、つまり研究者と学生が自由に移動できる条件が不可欠だから。」
これは「高等教育はglobal産業(なので)、つまり研究者と学生が自由に移動できる条件が不可欠だから。」
もしくは「高等教育(に)はglobal産業(つまり研究者と学生が自由に移動できる条件)が不可欠だから。
のどちらかと読めるが、後者はいわゆる産学連携の意味になるかと思うが、高校や大学に進む人間がみなグローバル産業に就職することを望んではいないだろう。
とすると、やはり「高等教育はグローバル産業だ」という意味に取るしかない。
まあ、教育も産業だ、というのは資本主義社会では当然だ、としても、高等教育はグローバルなものでなければならない、というのは暴論だろう。古典研究や日本史学などは高等教育ではない、ということになる。
「九月入学」の問題はまた改めて考えたい。
私は上野千鶴子はあまり好きではないし、彼女のこの発言(九月入学推進論)には肯定でも否定でもないが、論議(私自身の考察)のテーマとして転載した。
しかし、高等教育を「産業」としているのには驚いた。(私の誤読か?)
確かに高校も大学も産業、つまり利益獲得企業なのだろうが、大学側がこれほど堂々とそれを言ったのは珍しいのではないか。
一応、読解問題として下の文章の問題個所を分析してみる。
「高等教育はglobal産業、つまり研究者と学生が自由に移動できる条件が不可欠だから。」
これは「高等教育はglobal産業(なので)、つまり研究者と学生が自由に移動できる条件が不可欠だから。」
もしくは「高等教育(に)はglobal産業(つまり研究者と学生が自由に移動できる条件)が不可欠だから。
のどちらかと読めるが、後者はいわゆる産学連携の意味になるかと思うが、高校や大学に進む人間がみなグローバル産業に就職することを望んではいないだろう。
とすると、やはり「高等教育はグローバル産業だ」という意味に取るしかない。
まあ、教育も産業だ、というのは資本主義社会では当然だ、としても、高等教育はグローバルなものでなければならない、というのは暴論だろう。古典研究や日本史学などは高等教育ではない、ということになる。
「九月入学」の問題はまた改めて考えたい。
「たとえば人生の残り時間が五年なら何をしたいか」という問題だが、今日も酒は相変わらず飲んでいるがまだ酔いはさほどでもないので、酒のつまみに考えてみる。
一番にしたいことは、もっと自然と親しむことである。私は出不精なので散歩にも滅多に出ないが、出ると自然の風情に感動することが多い。そういう時に、雑草の花や木々の花を見て、その雑草や木々の名前を知っていれば良かったなあ、と思う。名前を知らないから俳句にも短歌にもならない。
二番目は、過去の記憶を探ることである。私は物覚えが非常に悪く、自分の経験したことをほとんど覚えていない。それで生きてきたと言えるのか、非常にこころもとない。まあ、私が悪いのではなく、記憶力のせいである、と迷亭みたいなことを言ってみる。
三番目は、何かいい小説なり脚本なりを一本書いてみたい、ということで、そのための準備などはこのブログに資料として少し残している。
四番目は、これは私が生きていることの「言い訳」みたいなものだが、もしかしたらある日突然、天からの啓示が降りてきて、「世界から貧乏や戦争を無くし、人類全体が幸福になり、地上の天国を作るアイデア」が心の中に生まれるのではないか、という期待というか、希望がある。
それを生み出せれば、私はただの飲兵衛の無能者から人類史上最大の偉人になるのであるwww
まあ、実はそれはウェッブ夫妻の「漸進的社会主義」思想で既に提示されてはいるのだが、それがなぜか(まあ、資本家がすべてを、特にマスコミと教育界と政治を牛耳っているからだが)全世界に広がっていかないのである。
一番にしたいことは、もっと自然と親しむことである。私は出不精なので散歩にも滅多に出ないが、出ると自然の風情に感動することが多い。そういう時に、雑草の花や木々の花を見て、その雑草や木々の名前を知っていれば良かったなあ、と思う。名前を知らないから俳句にも短歌にもならない。
二番目は、過去の記憶を探ることである。私は物覚えが非常に悪く、自分の経験したことをほとんど覚えていない。それで生きてきたと言えるのか、非常にこころもとない。まあ、私が悪いのではなく、記憶力のせいである、と迷亭みたいなことを言ってみる。
三番目は、何かいい小説なり脚本なりを一本書いてみたい、ということで、そのための準備などはこのブログに資料として少し残している。
四番目は、これは私が生きていることの「言い訳」みたいなものだが、もしかしたらある日突然、天からの啓示が降りてきて、「世界から貧乏や戦争を無くし、人類全体が幸福になり、地上の天国を作るアイデア」が心の中に生まれるのではないか、という期待というか、希望がある。
それを生み出せれば、私はただの飲兵衛の無能者から人類史上最大の偉人になるのであるwww
まあ、実はそれはウェッブ夫妻の「漸進的社会主義」思想で既に提示されてはいるのだが、それがなぜか(まあ、資本家がすべてを、特にマスコミと教育界と政治を牛耳っているからだが)全世界に広がっていかないのである。
某ツィートだが、訳者が「明日は明日の風が吹く」の名訳を知りながら、あえて直訳にしたとなぜ思わないのだろうか。「明日は別の日」とは、まさに今日の不幸を乗り越え、明日を見つめる意思を示すものであり、「明日は明日の風が吹く」に少し感じられる虚無感を排除したものだとも言える。(ただし、「明日は明日の風が吹く」と訳した人は、書名の「風とともに去りぬ」を意識して、風という言葉を入れた訳にしたのだろう。)
(以下引用)
明らかに「明日は別の日になる」って、"Tomorrow is another day"ですよね。 訳した人、『風と共に去りぬ』の「明日は明日の風が吹く」を知らなかったのか… マドンナ、抗体検査で陽性「明日は別の日になる」
(以下引用)
明らかに「明日は別の日になる」って、"Tomorrow is another day"ですよね。 訳した人、『風と共に去りぬ』の「明日は明日の風が吹く」を知らなかったのか… マドンナ、抗体検査で陽性「明日は別の日になる」
私のこのブログは思いつきをメモするだけの倉庫なのだが、中には一部、過去の自作小説や翻訳などもあり、まあ、頭脳の記憶装置の代用品だ。
何しろ、私は考えたことを覚えておく能力が希薄なので、SNS上に記録しておくのが都合がいいのである。紙の日記だと、書いたことさえ忘れて、読み返すこともないが、ブログだと検索が簡単なので、読み返して再発見することも多い。だから、自分以外の読み手はほとんど想定していない。
私がこのブログで創作メモを残していても、それを実際に創作することは、まず無さそうである。だから、誰でもそのメモを利用していい。SNSとはそのように、最初から著作権とは無縁のものだろう。
で、私は自分の寿命を後五年程度と想定している(もちろん、五年どころかこれを書いた数秒後に死ぬ可能性もある。)が、その残り時間で何をしたいか、というのを考えておこうと思ったが、先ほど飲んだ酒の酔いがあるので、素面の時に考えたい。
何しろ、私は考えたことを覚えておく能力が希薄なので、SNS上に記録しておくのが都合がいいのである。紙の日記だと、書いたことさえ忘れて、読み返すこともないが、ブログだと検索が簡単なので、読み返して再発見することも多い。だから、自分以外の読み手はほとんど想定していない。
私がこのブログで創作メモを残していても、それを実際に創作することは、まず無さそうである。だから、誰でもそのメモを利用していい。SNSとはそのように、最初から著作権とは無縁のものだろう。
で、私は自分の寿命を後五年程度と想定している(もちろん、五年どころかこれを書いた数秒後に死ぬ可能性もある。)が、その残り時間で何をしたいか、というのを考えておこうと思ったが、先ほど飲んだ酒の酔いがあるので、素面の時に考えたい。
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冬山想南
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