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例の、大和朝廷の話だが、登場人物は仮名で、「ああ、あれだな」と類推できる名前にしようと思っている。
たとえば、神武天皇の有能な部下で、スパイや物見の役割をする男は

野見長脛彦(のみのながすねひこ)

で、野見の宿祢とナガスネヒコの合体した名前。当然、蚤のすねは長いという意味。
蚤のようなジャンプ力を持っている。

以下、おいおい追加していく予定。

(5月31日追記)天皇以外の天皇一族は「王」とする。

天智天皇:西湖王(サイコパス)→天地天皇
天武天皇:山立王(簒奪者)→展武天皇
額田王:奴賀田巫女
持統天皇:治當天皇
斉明天皇:最明天皇
中臣鎌足:仲冨鎌子
僧旻:日文法師

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小田嶋隆のブログ記事の一部だが、この芸能界や出版界の話は、銀行業界の「信用創造」に似ている。何も無い紙に数字が書かれただけで、(銀行自体にそのカネが存在しなくても)世の中にカネが突然生まれる、というあの詐欺行為である。
プロデュースというのは、創造行為ではなく、「仲介行為」「創造援助行為」であるが、それが、その名前に「プロデュース(生産・創造)」という言葉が入ることで、誤解を招いている。つまり、無から有を生んでいるのではなく、既にある誰かの作品を世に出す行為である。創造価値は当然、作った人に所属するが、それをプロデュースする者がいないと作品や作者は世に埋もれる。
そういう意味では、「信用創造」とは違う面があるが、詐欺師的部分が大きいという点では似ている。まさに、「世に出してやる」ことで、世間への信用を創造してやったわけだ。

(以下引用)


 テレビタレントの例を引くと、ずっと直感的にわかりやすくなると思うので、以下、芸能人の「実力」の話をする。

 芸能人の「実力」は、そのほとんどすべてを「知名度」に負っている。で、その「知名度」の源泉となるのは、メディアへの露出度で、メディアへの露出量を担保するのは、そのタレントの「実力」ということになっている。

 ん? この話はいわゆる「ニワトリとタマゴ」じゃないかと思ったあなたは正しい。

  1. 知名度があるからみんなが知っている
  2. みんなが知っているから愛される
  3. 愛されるからタレントとしての実力が認められる
  4. タレントとしての実力があるから出演のオファーが来る
  5. 1に戻る

 つまり、最初に誰かのおまけでも何でも良いからテレビに出て顔を売れば、その顔を売ったという実績が自分の商品価値になるということだ。
 ライターも実は似たようなものだ。商業誌に連載を持っているからといって、そのライターがとびっきりに文章の上手な書き手であるわけでもなければ、人並みはずれて頭が良いわけでもない。正直なところを述べれば、一流の雑誌に書いているライターの中にも、取りえのない書き手はいくらでもいる。

 それでも、一度業界に「座席」を占めたライターが仕事を失わないのは、業界の編集者たちが「◯◯誌に書いている」という実績を重視する中で、「実力」と称されるものが仮定されているからだ。
 行列のできるラーメン屋の構造と同じだ。誰もが行列のケツにつきたがる。そういうくだらない話だ。

 そんなわけで、キャスティング権を握っているテレビのプロデューサーや、編集権を手の内に持つ雑誌の編集者は、言ってみれば、タレントやライターの「実力」を自在に生産・配布する利権そのものなのである

これは、動画をぜひ見てほしいところだが、動画のコピーは(仕様によって)なかなか困難なので、文章で説明すると、「縦型風車」であり、一本の柱の周囲に同じく縦型の羽根が幾つもついている。(その羽根の形状自体も要説明だが、困難なので省略。)つまり、風を受けることで柱が回り、その回る柱自体が碾き臼と続いているわけだろう。
回転運動の方向の変換や、そのための接合部分が不要な、実に合理的な作りであり、なぜこの方式が世界に普及しなかったのか、不思議である。

(以下引用)


進め!中東探検隊
@Susume_ME
イランにある世界最古の風車。1,000年以上たった今もまわり続けている。風車下には石臼があり、風力で小麦を挽いて粉にしていた。











作品のヒントだが、現在までの経験を持ったまま、若いころの自分に戻ってみたい、というのは多くの人が妄想するものだと思う。それだけ人生には後悔が多く、特に若いころの過ちをやり直したい(塗り替えたい)、という人が多いのだろう。
だが、それとは別に、現在の精神のままで肉体だけ若返るとどうか、というのがH・G・ウェルズの「若返りの泉」とか何とか言う短編小説である。その小説は「単なる肉体の若返り」にたいした価値はない、というテーマだったが、果たしてそうか。
もしも、現在の精神のままで、肉体だけ二十代に若返ることができるなら、財産のほとんどを提供してもいいという大金持ちはたくさんいるだろう。(「ファウスト」もそれに近い話だ。)
そして、科学の進歩は、あるいはそうした「若返りの薬」をいずれ作り出す可能性もあるのではないだろうか。つまり、植物の肥料のように、細胞を活性化させる薬である。身体の機能が二十年くらい若返り、完全な健康体になるなら、それは数兆円の価値があるだろう。
ということを考えたのは、ある漢方薬を飲んで、ここ数年のかすみ目がたった二錠で驚くほど改善されたので、薬というものの大きな可能性を痛感したからである。
昔の仙人が求めた不老不死は、現代科学、特に薬学や生物学がいずれそれに近いところまで人類を導くかもしれない。とは言っても、私が薬の効果を感じたのは漢方薬のほうなのだが。
幼い子供が怖がって、観るのから逃げたがることで有名な(と言うか、私の娘と某漫画家の二例しか知らないがwww)アバンタイトルだが、こういう肯定的な考えは初めて見た。
私は、大衆娯楽の快感の基本は高揚感と上昇感にある、と考える者だが、最初から高い位置にいると後は下降するしかないわけで、上昇感覚のほうがより重要だと考えている。
「未来少年コナン」のアバンタイトルは、物語全体の構造の一部として見事に組み込まれているわけだ。実作者ならではの北原氏のコメントだと思う。

(以下引用)
北崎 拓@月に溺れるかぐや姫、ますらお 連載中!
@takukitazaki
始まった!
毎回このギガントのアバンから入るのって、物語の根底がただ事じゃなく不穏でイイよね。後はアガるしかないって逆に希望を感じるというか(*´д`*)
#未来少年コナン




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