ゆうきまさみのツィートである。
そのほかに、「キャラは作るものではなく出会うものだと思っている」とも書いている。これは、偶然に出会うというよりは、あれこれ考えているうちに、キャラの本質的部分が突然把握できる、ということではないだろうか。いかにも作り物臭いキャラの不快さというのはありそうだ。現実の人間ですら「あ、こいつ、自分のキャラを『作っている』な」ということはある。もちろん、それ(自分のキャラを作ること)を、理想の自分に至る人間的成長と見ることもできる。
(以下引用)
僕の個人的な実感だと、(後に変更があるとしても)タイトルとストーリーの大雑把なイメージ、それとキャラクターが同時に降って来た作品は、概ねうまくいくような気がしている。当たり前か。
そのほかに、「キャラは作るものではなく出会うものだと思っている」とも書いている。これは、偶然に出会うというよりは、あれこれ考えているうちに、キャラの本質的部分が突然把握できる、ということではないだろうか。いかにも作り物臭いキャラの不快さというのはありそうだ。現実の人間ですら「あ、こいつ、自分のキャラを『作っている』な」ということはある。もちろん、それ(自分のキャラを作ること)を、理想の自分に至る人間的成長と見ることもできる。
(以下引用)
僕の個人的な実感だと、(後に変更があるとしても)タイトルとストーリーの大雑把なイメージ、それとキャラクターが同時に降って来た作品は、概ねうまくいくような気がしている。当たり前か。
PR
日本のアニメのキャラは白人だ、という説を完全に論破するコメントがこれ。
そもそも、アニメの顔に鼻をほとんど書かないのだから、鼻デカ白人の顔とアニメ顔はまったく別。
そもそも、アニメの顔に鼻をほとんど書かないのだから、鼻デカ白人の顔とアニメ顔はまったく別。
195: 名無し募集中。。。 2020/08/03(月) 18:17:59.14 0
つるんとした丸い顔にデカいお目々って
何人とかじゃなくアニメ人なんだよ
何人とかじゃなくアニメ人なんだよ
上段はともかく、下段は傑作揃いであり、それを「まあ、こんなもんです」は無いだろう。要するに、店の知名度が無いか客層が悪いか、現代人が馬鹿揃いで過去の少女漫画について無知なのだろうと思う。ここにある大島弓子の初期作品はすべて名作だ。というか、私は「綿の国星」以前の作品こそが大島弓子の作家性(個性)が出ていると思っている。
漫画本の値段が作品価値だけで決まるなら、大島弓子作品だけでなく、この写真の下段の大半は一千万円以上だろう。
漫画本の値段が作品価値だけで決まるなら、大島弓子作品だけでなく、この写真の下段の大半は一千万円以上だろう。
「隣のサインフェルド」というシットコムと言うか、ドラマ仕立てのお笑い番組があったのだが、それを見ていた記憶から、「ユダヤ的ユーモア」の本質は徹底的な客観性にあるのではないか、と考えた。もちろん、事物の客観視から、通常は座視されている物事の異常性を発見し、指摘することがユーモアの基本であるが、そこに「弱者」とか「自分自身」「偉い人」「善良な人」「悪の被害者」などの例外を作らないのがユダヤ的だと私は思う。これはユダヤ人が科学的偉人を輩出しているのと同根だろう。そうすると、その笑いはしばしば非倫理的なものになる。ユダヤ人は本質的には神をも信じていないはずである。ユダヤ的ユーモアが、神という非論理的。あるいは論理超越的存在を許容するはずがない。つまり、社会秩序維持、組織維持、民族維持のために神という存在を利用しているのではないか。
プロフィール
HN:
冬山想南
性別:
非公開
カテゴリー
P R