どうでもいいようなジョークを思い付いたのだが、
ドイツでヒトラーが復権し、その生誕地(はオーストリアか?)で復権記念に「アドルフ饅頭」が売り出される、という、古い映画(洋画)ファンにしか通用しないジョークである。
ドイツでヒトラーが復権し、その生誕地(はオーストリアか?)で復権記念に「アドルフ饅頭」が売り出される、という、古い映画(洋画)ファンにしか通用しないジョークである。
アドルフ・マンジュー
アドルフ・マンジュー Adolphe Menjou | |
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『スタア誕生』(1937)より
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本名 | Adolphe Jean Menjou |
生年月日 | 1890年2月18日 |
没年月日 | 1963年10月29日(73歳没) |
出生地 | ペンシルベニア州ピッツバーグ |
死没地 | カリフォルニア州ビバリーヒルズ |
国籍 | アメリカ合衆国 |
職業 | 俳優 |
活動期間 | 1916年 – 1961年 |
配偶者 | Kathryn Conn Tinsley (? - ?) Kathryn Carver (1928–1934) Verree Teasdale (1934–1963) |
アドルフ・マンジュー(Adolphe Jean Menjou、1890年2月18日 –1963年10月29日) はアメリカ合衆国の俳優。サイレント映画からトーキーの移り変わりから活躍を開始し 『シーク』、『巴里の女性』、『モロッコ』、『スタア誕生』と言った作品に出演した。また、1931年に『犯罪都市』に出演したことでアカデミー賞にノミネートされた。
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in deep」の一番新しい記事の冒頭に引用されていたものだが、私が長い間「人生のモットー」としていた聖書の言葉が、聖書のどこにあるのかがこの引用で分かったのでメモしておく。
まあ、「in deep」の記事自体は例によって「地球の滅亡が迫って筆者は大はしゃぎ」という内容で、引用されている中国とインドの衝突に関する記事もイスラエルという怪しげな国のマスコミ記事のようだ。
(以下引用)
まあ、「in deep」の記事自体は例によって「地球の滅亡が迫って筆者は大はしゃぎ」という内容で、引用されている中国とインドの衝突に関する記事もイスラエルという怪しげな国のマスコミ記事のようだ。
(以下引用)
新約聖書『マタイによる福音書』 24章 06-14節
戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。
民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、飢饉が起り、また地震があるであろう。
しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。
そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。
また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。
また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。
私もクリスチャン・ラッセンの絵は嫌いなのだが、彼の絵を好む人間(女性より男が多そうな気がする。)もいるわけで、人はなぜ彼の絵が嫌いなのか、あるいは好きなのか、分析してみたくなる。
まず、私自身の「嫌悪感」の理由を自分の心に尋ねてみると、
(1)「絵」ではなく「デザイン」であるものを「絵」として売っている。
(2)その絵があまりに「キラキラ」していて、聖画の「後光」を意図的に連想させている。
(3)描かれた内容にまとまりがまったく無い。幾種類かの要素(波、光、イルカなど)を配置しただけであり、CGを使えば即座に幾つでも作れる。
(4)「波、光、イルカ」という「選択」に、「お前ら、どうせこんなモンが好きなんだろ」という軽薄な人間観が出ている。
(5)以上を総合すると、絵など好きでも何でもない、多少器用なだけの人間が「絵」を売り物にして商売しているだけだ、ということが何となく分かる。
彼の絵が好きな人間の「好きな理由」は、分からない。
で、問題の「彼の絵を好きな男に女性がうんざりする理由」だが、要するに芸術(絵画はそのひとつ)鑑賞のセンスが無いということは、「物事を判定し判断する能力」に何か大きな欠陥があるということを示すものだからではないだろうか。いや、高度な芸術ならともかく、ラッセンのような「分かりやすい偽物芸術」に騙されるようでは、その判断のすべてが怪しい、ということだ。実際、ラッセンの絵はキャッチセールスで売られており、その絵を買って部屋に飾るのは「詐欺に引っかかる(頭の悪い)人間」である証明であり、成り金が応接間に赤富士の絵を飾ったり黄金の招き猫を置くようなものである。
つまり「ラッセン判定」は正しい、と私は見る。
(以下引用)
まず、私自身の「嫌悪感」の理由を自分の心に尋ねてみると、
(1)「絵」ではなく「デザイン」であるものを「絵」として売っている。
(2)その絵があまりに「キラキラ」していて、聖画の「後光」を意図的に連想させている。
(3)描かれた内容にまとまりがまったく無い。幾種類かの要素(波、光、イルカなど)を配置しただけであり、CGを使えば即座に幾つでも作れる。
(4)「波、光、イルカ」という「選択」に、「お前ら、どうせこんなモンが好きなんだろ」という軽薄な人間観が出ている。
(5)以上を総合すると、絵など好きでも何でもない、多少器用なだけの人間が「絵」を売り物にして商売しているだけだ、ということが何となく分かる。
彼の絵が好きな人間の「好きな理由」は、分からない。
で、問題の「彼の絵を好きな男に女性がうんざりする理由」だが、要するに芸術(絵画はそのひとつ)鑑賞のセンスが無いということは、「物事を判定し判断する能力」に何か大きな欠陥があるということを示すものだからではないだろうか。いや、高度な芸術ならともかく、ラッセンのような「分かりやすい偽物芸術」に騙されるようでは、その判断のすべてが怪しい、ということだ。実際、ラッセンの絵はキャッチセールスで売られており、その絵を買って部屋に飾るのは「詐欺に引っかかる(頭の悪い)人間」である証明であり、成り金が応接間に赤富士の絵を飾ったり黄金の招き猫を置くようなものである。
つまり「ラッセン判定」は正しい、と私は見る。
(以下引用)
ラッセン元から興味なかったけど、そこまで言われていたとは…
それにしても進化系キラキラッセンは、本当に帰りたくなるw
フィクションの創作というのが苦行であるというのが石黒発言から分かる。もちろん、エロ漫画やバイオレンス漫画というのは描いている当人もそれが楽しいから描くのだろうが、石黒作品のように緻密な思考で精密に作り上げられた作品は、描いている本人は楽しいだけではないだろうな、と思っていたので、当人の口から創作が苦行であることを聞けたのは重要だ。もちろん、そうした苦行の果てに優れた作品を作れた時の達成感や満足感はのんべんだらりと生きている人間には得られない巨大なものがあるのだろう。まあ、それを自分は何もしないで楽しませてもらえる受容者が一番幸福かもしれない。優れた創作者への報酬が日本は安すぎる。
ただ、問題は、作品の質の判定を誰がするのか、ということで、結局売れている漫画(アニメ)が価値がある、という判断になってしまう。そのため、優れた作家が報われないことになる。
(以下引用)
ただ、問題は、作品の質の判定を誰がするのか、ということで、結局売れている漫画(アニメ)が価値がある、という判断になってしまう。そのため、優れた作家が報われないことになる。
(以下引用)
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冬山想南
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