「隣のサインフェルド」というシットコムと言うか、ドラマ仕立てのお笑い番組があったのだが、それを見ていた記憶から、「ユダヤ的ユーモア」の本質は徹底的な客観性にあるのではないか、と考えた。もちろん、事物の客観視から、通常は座視されている物事の異常性を発見し、指摘することがユーモアの基本であるが、そこに「弱者」とか「自分自身」「偉い人」「善良な人」「悪の被害者」などの例外を作らないのがユダヤ的だと私は思う。これはユダヤ人が科学的偉人を輩出しているのと同根だろう。そうすると、その笑いはしばしば非倫理的なものになる。ユダヤ人は本質的には神をも信じていないはずである。ユダヤ的ユーモアが、神という非論理的。あるいは論理超越的存在を許容するはずがない。つまり、社会秩序維持、組織維持、民族維持のために神という存在を利用しているのではないか。
ひとつには、医者になるまでお勉強だけしてきたので、人間観察能力が発達しないのだろう。もうひとつは、医療業務をしていても、患者は医者に表面的敬意で接するだけで、本音は見せない。見せるのは病気関係だけであり、医者は患者の人間性ではなく病気の情報しか見ていない。
医者から文学者になった人物は多いが、医療経験よりも読書経験の蓄積による素養のためだと思う。ただ、死に接する機会は一般人よりは多いので、死にまつわる人間模様と「いざという時の本音」を知ることはできるのではないか。
人間観察眼では、医者よりも不良やDQNのほうが機会は多そうだが、地頭が悪いので偏頗な見方にしかならないだろう。つまり、悪い事をしても上手くやれば大丈夫、みたいな下種な知恵だけ身につける。
(以下引用)
医者から文学者になった人物は多いが、医療経験よりも読書経験の蓄積による素養のためだと思う。ただ、死に接する機会は一般人よりは多いので、死にまつわる人間模様と「いざという時の本音」を知ることはできるのではないか。
人間観察眼では、医者よりも不良やDQNのほうが機会は多そうだが、地頭が悪いので偏頗な見方にしかならないだろう。つまり、悪い事をしても上手くやれば大丈夫、みたいな下種な知恵だけ身につける。
(以下引用)
政治家は人たらしが多いので、医療のプロも「あの人はいい人だー」とすぐメロメロになりがちだ。が、実情を知るとそうでもないことも多い。医者など医療者の多くは案外、人を見る目がないからだ。
デビッド・ボウイの言葉だそうである。
名言だろう。人間は自分の吸収した知識の中から創造をするもので、そこに自然と当人の個性が出る。それがオリジナリティであり、人類の過去の文化的蓄積が無ければ新しい創造は無い。
(最も過大評価されている美徳は何だと思いますか?) オリジナリティ。
名言だろう。人間は自分の吸収した知識の中から創造をするもので、そこに自然と当人の個性が出る。それがオリジナリティであり、人類の過去の文化的蓄積が無ければ新しい創造は無い。
(最も過大評価されている美徳は何だと思いますか?) オリジナリティ。
プロフィール
HN:
冬山想南
性別:
非公開
カテゴリー
最新記事
P R