忍者ブログ
[109]  [110]  [111]  [112]  [113]  [114]  [115]  [116]  [117]  [118]  [119
これ、「赤毛のアン」でダイアナがやっていた奴であるwww


(以下引用)

どんぷく
@donpuku
スティーブンキングが「原稿まったく進まなくなったから登場人物半分殺したらメッチャ筆進んだ」って言ってたこと思い出すとなんか安心するね
PR
「隣のサインフェルド」というシットコムと言うか、ドラマ仕立てのお笑い番組があったのだが、それを見ていた記憶から、「ユダヤ的ユーモア」の本質は徹底的な客観性にあるのではないか、と考えた。もちろん、事物の客観視から、通常は座視されている物事の異常性を発見し、指摘することがユーモアの基本であるが、そこに「弱者」とか「自分自身」「偉い人」「善良な人」「悪の被害者」などの例外を作らないのがユダヤ的だと私は思う。これはユダヤ人が科学的偉人を輩出しているのと同根だろう。そうすると、その笑いはしばしば非倫理的なものになる。ユダヤ人は本質的には神をも信じていないはずである。ユダヤ的ユーモアが、神という非論理的。あるいは論理超越的存在を許容するはずがない。つまり、社会秩序維持、組織維持、民族維持のために神という存在を利用しているのではないか。





ひとつには、医者になるまでお勉強だけしてきたので、人間観察能力が発達しないのだろう。もうひとつは、医療業務をしていても、患者は医者に表面的敬意で接するだけで、本音は見せない。見せるのは病気関係だけであり、医者は患者の人間性ではなく病気の情報しか見ていない。
医者から文学者になった人物は多いが、医療経験よりも読書経験の蓄積による素養のためだと思う。ただ、死に接する機会は一般人よりは多いので、死にまつわる人間模様と「いざという時の本音」を知ることはできるのではないか。
人間観察眼では、医者よりも不良やDQNのほうが機会は多そうだが、地頭が悪いので偏頗な見方にしかならないだろう。つまり、悪い事をしても上手くやれば大丈夫、みたいな下種な知恵だけ身につける。


(以下引用)

岩田健太郎 Kentaro Iwata
@georgebest1969
政治家は人たらしが多いので、医療のプロも「あの人はいい人だー」とすぐメロメロになりがちだ。が、実情を知るとそうでもないことも多い。医者など医療者の多くは案外、人を見る目がないからだ。







デビッド・ボウイの言葉だそうである。
名言だろう。人間は自分の吸収した知識の中から創造をするもので、そこに自然と当人の個性が出る。それがオリジナリティであり、人類の過去の文化的蓄積が無ければ新しい創造は無い。


(最も過大評価されている美徳は何だと思いますか?) オリジナリティ。

まあ、関係者以外にとってはどうでもいい話だろうが、これは正論である。
「ガロ」が劇画の代表的雑誌というイメージは私には無い。「ガロ」は「純文学的漫画」の漫画誌だったという印象だ。もちろん、表現としては劇画的描写が多かったが、たとえば佐々木マキの漫画は、あれは劇画か? ほかにも劇画的でない作風の人はけっこういた気がする。

(以下引用)


妖奇七郎・一休ちゃんSTRONG JAPANなのでありんす!
@ikkyujapan
7/24に『ガロ』が創刊されたので劇画の日だそうですが、劇画ブームの礎を築いたのは、さいとうたかを氏や佐藤まさあき氏、松本正彦氏達が昭和31年5月に立ち上げた『影』なので本日を劇画の日とするのには抵抗がありんす。
<<< 前のページ 次のページ >>>
プロフィール
HN:
冬山想南
性別:
非公開
P R
忍者ブログ [PR]

photo byAnghel. 
◎ Template by hanamaru.