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昔の商家にでもありそうな、気色の悪い「人間の試し方」だが、試された人間がそれを自分でもやるのがまた気持ち悪い。で、そのおっさんの部下が報告してこなかったのは、カネを数えすらしなかったのではないか。上役がそんな下種なことをするという想像すらしない、善良な人間たちだった可能性は大きいと思う。もっとも、「余った1枚」を抜いて返していたら、自分が試されていることにも気づかないただの馬鹿である。


大家福岡
@ooya_fukuoka
上司から数百万の現金を預かる 何度数えても1枚多い 上司に報告 これが何度かあった後昇進のスピードが上がり最後は役員になった。 うちの親父の話。 後から試されていたのだと気づいたそうですが、自分が逆に、試す側になったら殆どの部下が報告してこなかったそう。
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こういうのは二次創作と言うより、連歌(前句付け)の発想だと思うが、まあ、二次創作ではあるだろう。で、付け句がいかにも「人を唸らせてやろう。やれそうだ」というスケベ心が見えて不快感もある。
これに似たもので、高杉晋作の辞世の句「面白きことも無き世を面白く」に、傍らにいた望東尼(と言ったと思う。)が「住みなすものは心なりけり」と付けた例だ。まあ、無難というか、前句の言っていることを詳しく説明しただけの句だが、晋作は頷いて死んでいったらしい。仏教徒らしい説教臭さが付け句には漂っている。晋作の生涯とは、まさに面白くもない世の中を面白く暴れまわった人生で、それは肺病の持病を持っていたため自分の命が長くないという自覚があったからだと思う。望東尼の付け句だと、何も行動しなくても、自分の心さえ制御したら面白くなる、という意味にも受け取れるわけで、それは晋作的ではないなあ、と思う。
「井の中の蛙大海を知らず」は、それだけで完結している内容であり、「されど空の青さを知る」と付けると、前句の否定になるわけで、或る意味、罪が重いかもしれない。

(以下引用)


どんぷく
@donpuku
井の中の蛙、「されど空の青さを知る」って言われても別に井戸の外の蛙も空の青さは知ってるからそのへんのツメの甘さがいかにも二次創作って感じでクオリティ低いよな(絶対に考えた人出てこないのでボロクソに言っても怒られない)




一読した時に不愉快になったツィートなので、反論されていて少し安心した。そもそも、農学者のひとりでしかない人間が、自分を農学者代表みたいな言い方をするのはケシカランと思う。
もちろん、学者というのは、感情論を排除して物事を理屈と現実から考察することを強調したいという意図は分からないでもない。しかし、飢餓で死んでいく膨大な人口に対して、「食料の少ない社会に生まれたこと自体が間違いだ」とするのは一種のキチガイだろう。お前は神様か。世界の統制者か。
同じ「農学者」である宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福になるまでは個人の幸福はありえない」という言葉を贈りたい。

(以下引用)

みんみ
@MMedinfo
アフリカの農業を真剣に勉強してる農学者はこのツリーのようなことは言いません。 だいたいどこも近代技術と伝統技術をなんだかんだミックスさせてやってますし。
引用ツイート
Tamejirou
@Tamejirou
·
アフリカの内戦や飢餓で○百万人死んだ、みたいなのを見るにつけ「あの痩せた大地でそこまで増えてしまったことがそもそも間違いだったのでは……」という気になってしまうのは農学者のカルマ
このスレッドを表示
これは冗談抜きで、「頭が良いとはどういうことか」という大きなテーマを示唆している。日常的な言動では頭がいいのに、学校の勉強はまったくできないという人もいるし、その逆もいるのではないか。少なくとも、学校秀才が頭がいいと思った経験は私にはあまり無い。(まあ、あまり接触したこともないが。)その逆に、日常生活の上では頭がいいなあ、と思う人間が多いのだが、彼らはたいてい学校の勉強は苦手だった。
これは、考察する価値がある問題だと思う。
学校の成績の悪い人は、本当は頭が悪くはない。ただ、「理詰めで考える能力が低い」だけで、瞬間の判断や身近なことを記憶する能力は高いのではないか。で、理詰めで考える能力というのは頭の良さのひとつでしかないと思うわけだ。つまり、直感的に正解が出せる問題なら、理屈は不要であるわけで、そちらのほうがむしろ高度な頭の良さだと見ることもできる。ただ、不特定多数の人に「説明する」段になると、理屈抜きでは説明が説得力を持たないから、理屈の言える人間が「頭がいい」と多くの人に思われるのだろう。


借金玉
@syakkin_dama
「その学歴でなんでオーダー5つくらい覚えられないの?」という怒られはわりと人生で発生しましたが、「なんで作業しながら雑談しつつオーダー覚えられて、おまえ俺より学歴低いのか完全に意味不明」って返したらマジギレされたことある。
私は日本の現代小説、特にSF小説は初期の御三家(小松、星、筒井)とその少し後の広瀬正や半村良以外はほとんど読んでいないので、山本弘の作品は当然読んでいない。そもそも日本の今のSF小説が好きという人は珍しいのではないか。
下の記事の中で山本弘が書いていることは、そういう「SF外」人間から見ると、ずいぶんな自惚れだなあ、と思えるのだが、彼の作品は自分で言うほど「面白い」のだろうか。もし面白いなら、ある程度のベストセラーになったはずだが、彼の本が売れたという話は一度も聞いたことが無いのである。そもそも、SF小説でベストセラーになった例はここ十年いや、二十年ほど無いのではないか。
それに、「と学会」を自分のファンクラブと思っているところが凄い。外部の人間から見れば、「と学会」は冗談半分の学会であり、特に誰が中心ということはない集団というイメージで、山本弘がその会長であるというのは、一部の人間しか知らないと思う。
作品を読んだことが無いので文章の印象から憶測で言うのだが、この人は「お勉強」的な意味で頭が良くて記憶力や論理構築力、整合性を緻密にして何かを組み立てることが得意なタイプではないかと思う。その反面、大胆な構想や破天荒なユーモア(つまり、小松左京、筒井康隆的ユーモア)とは無縁の人のように思える。つまり、視野がひどく狭い、小動物的なタイプに思える。


(以下引用)

と学会の興亡・その四

 僕かと学会をやめようと決心したある事件がある。

 その頃、と学会の例会はある駅の5階か6階(もう記憶か曖昧だ)にあった。そこまで上るのはもちろんエレベーター。ちょうど季節は2012年の春。窓の外には完成が近づいた東京スカイツリーがよく見えた。僕はその日、一人のと学会会員といっしょにエレベーターにのった。

「もうじき完成てすね、スカイツリー」

 するとその若者はこう言ったのだ。

「最初にスカイツリーを壊しに来るのはどんな怪獣なんでしょうね?」

 僕は息が止まるほどのショックを受けた。

 スカイツリーを壊しに来る怪獣? そんなもの決まっている。怪獣6号ゼロケルビンだ。チルソギーニャ遊星人に操られて東京に襲来、スカイツリーの上でヒメと激戦を繰り広げるのだ……。

 そう、『MM9』の続編『invasion』。僕はそれを2011年に描いた。スカイツリー完成の前の年だ。当然、僕の読者なら知っているはずだ。

 僕はその体験の直後に、と学会会員の言動に目を走らせはじめた。そして直ちに、それまで気づかなかったことに気が付くようになった。

 みんな僕の小説の話を聞こうとしない。

 『MM9』だけではなく、他の小説についても同じことが言える。たとえば『BISビブリオバトル部』などは本の好きな人間ならたまらないとおもうのだが。他にも『夏葉と宇宙へ三週間』とか『僕の光輝く世界』とか『UFOはもう来ない』とか面白い作品は山ほどある。まあと学会の中でも原田実さんや開田裕治さん夫妻などは特撮関係の著書にも詳しいけど、それ以外の一般のと学会の関係者はあまり本を読んでいない印象である。

 こうなる前に皆神龍太郎さんが言っていた言葉を思い出した。「と学会会員は山本さんの下で遊んでるんだ。つまりみんなに遊び場を提供するのが山本さんの役目なんだ」と。

 僕はその言葉を噛みしめた。僕の役割とは、単に遊び場を提供するだけ。と学会の会員には僕の小説を読んでいない人が多い。

 それに気づいたとき、僕は会長の座をやめようと決心した。

 僕は「と学会の天皇」なんて空虚な座は欲しくかった。

 僕の望みはただひとつ、小説を読んだ人に「面白かった!」と言ってもらえることだったから!

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