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今、清の時代(とは言っても、初期と末期を融合したインチキ歴史だが)の中国を舞台に「老残遊記」と「児女英雄伝」と維新期の日本も含めたフィクションを書こうと思っているが、「漢奸」という言葉は、誰が誰に対して用いたのか、疑問が湧いたので調べてみた。つまり、清末期には「滅満興漢」という思想があったように、漢民族の、支配層である満州族への反抗の機運もあったわけで、そうすると、「漢奸」とは満州族が被支配層の漢民族を蔑視した意味もあったのか、とも思ったわけだ。だが、下の記述によると、その意味合いは無いようだ。単に外国勢力と結託して自国を裏切る売国奴の意味合いで用いたようである。
もちろん、フィクションの中では満州族と漢民族の対立を表す概念として使ってもべつにいいわけである。
なお、概要は、「水滸伝」にも似ているが、最初は残酷な地方支配者に反抗してその支配者を殺した義侠たちが集結し、政府がそれを弾圧しようとするが、その時に阿片戦争が起こり、その義侠たちが義勇兵となり英国軍を悩ませ、あわや勝利する寸前に政府が英国を恐れて英国に降伏し、戦争は敗北に終わる。その義侠たちは日本に渡り、下関戦争や薩英戦争で日本を勝利に導くが、倒幕を優先した薩長勢力によって義侠たちはほとんどが殺され、歴史の闇の中に埋もれる、という話。

まあ、要するに中国でも日本でも英国の「分断して支配せよ」の政治手腕が奏功した、という話である。同国人同士が争えば、外国勢力のいいようにされるという話。



「漢奸」という言葉の誕生[編集]

中国において売国奴を指す言葉だが、字義通り受け止めれば、「民族を裏切った物」と言う事になる。漢奸と呼ばれる有名人には秦檜呂文煥石敬瑭呉三桂汪兆銘などがいるが、中国の歴史の中で「漢奸」という言葉が生れ、現在の意味となったのはの時代においてである[4]。清朝では支配の中心であった満州族を除く民族が漢として意識されるようになった。これが漢という言葉で明確に民族を括ることの始まりである[5]。最初は漢と満州族は対立する概念であったが、帝国主義列強の影響が増した19世紀から満州族も漢に含まれるようになる[6]。初めて漢奸という言葉が使われたのは17世紀であり、対立していた南方の部族と通じる漢に使われた。この時、支配の中心にいた満州族とは区別されていた漢の中の存在であり、今日の意味とは異なっていた[7]



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