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アガサ・クリスティーの「象は忘れない」を読み終えたのだが、彼女の作品の明るさ、気持ちよさは何が原因なのだろうか。
その反対が松本清張で、彼の作品の暗さ、読んだ後の不快感は何が原因なのだろうか。
どちらも同じようにほとんどが殺人を扱っているのに、印象が正反対だ。私は文学者としての松本清張を非常に高く評価していて、「日本のバルザックだ」と思っているのだが、彼の作品にはユーモアのかけらも無い。むしろユーモアがまったく似合わないと言うべきか。あの暗さ、陰鬱さこそが清張の味であり個性なのだろう。
運命や社会への怒りが彼の創作の原動力なのではないかと思うし、そのあたりはプロレタリア作家に似ている。プロレタリア作家もほとんどユーモアの要素が無いはずだ。
ただし、ユーモアは無いが、清張にも抒情性がある。抒情性とユーモアは文学の二大要素だろう。で、その両者とも無い粗製乱造大衆小説は無数にある。
鴎外にも漱石にも抒情性もユーモアもある。ただし、森鴎外のユーモアは稀だが、作者の精神が晴朗なので読んでいて不快感がゼロである。
一見ユーモアに見えるもので、「冷笑」や「嘲笑」というものがあって、芥川龍之介やチェーホフの「笑い」はそれである。精神が暗いのだ。晴朗な笑いではない。
「象は忘れない」の中に出て来る女流推理小説作家は明らかに作者自身の戯画だろう。そのように、自分自身も含めた人間の弱点やこっけいさをメタ視点から眺めて、作者自身が気持ちよく笑うのがユーモアだと思う。笑っていても笑っている当人が心の中で苦虫を嚙み潰しているのが冷笑や嘲笑だ。その最大の作家がスイフトだろう。怒りを含んだ笑いなのである。
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