上のツィートは江口寿史自身のもの。私も彼のデビュー当時は、さほど絵が上手いとは思わなかった。ギャグの質もさほど高いとは思わなかったが、デビュー後に彼ほど進歩した作家は稀だろう。ただ、漫画家としては時々ホームランを打つが打率は低いタイプで、絵の方に努力を傾けたのは正解だったと思う。自分の才能を自分で知らない例は案外多いかもしれない。
(以下引用)
(以下引用)
誰も期待してなかったし、作者自身さえ自分の絵に期待してなかったよ。面白いギャグを描くことが第一義で、絵は二の次、、というかとくに興味なかったし。若い時は自分の目の前に出来る事で精一杯で、40年後の自分がどうなるか、どうなりたいかなんて考えもしないよ。思い通りになるわけもないし。
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老化と創作活動ということで、参考になるかな、と思うので転載する。
この前に書かれた内容だが、短い眠りの連続の中で見る夢(妄想)が面白い、ということには大いに同感である。「老いていくと身軽になる」というのも同感。俗世の義理をどんどん捨てて、好きなことだけしていればいいし、周囲への責任もあまり要求されないのが老年だ。
(以下引用)
この前に書かれた内容だが、短い眠りの連続の中で見る夢(妄想)が面白い、ということには大いに同感である。「老いていくと身軽になる」というのも同感。俗世の義理をどんどん捨てて、好きなことだけしていればいいし、周囲への責任もあまり要求されないのが老年だ。
(以下引用)
「1年380日の晩酌!」老いていく自分自身の体を面白がる
公開日: 更新日:
それに、老いていくと身軽になる。会社や仕事、種々雑多なスケジュールに冠婚葬祭の義理事も減り、書くのも締め切りにそう追われることもなく、毎日だいたい原稿用紙で8枚から10枚くらいを埋めていくばかり。両手をパソコンのキーボードに乗せて、いつものキーの位置にぴたりと指があたらなくなったのは、両手が縮んだのでしょう。ピアニストがピアノの鍵盤の、決まったところに手を置くようなもので、思い通りに指が文字を打てなくなるのはちょっと困りますが、まあ、なんとか工夫して、やっている。
できなくなった物事を悔やんだって仕方ない。今もできることを全てと思って、やりくりすればいいだけの話。体の変調など大同小異ですよ。 =つづく
(聞き手=長昭彦/日刊ゲンダイ)
「隣のサインフェルド」というシットコムと言うか、ドラマ仕立てのお笑い番組があったのだが、それを見ていた記憶から、「ユダヤ的ユーモア」の本質は徹底的な客観性にあるのではないか、と考えた。もちろん、事物の客観視から、通常は座視されている物事の異常性を発見し、指摘することがユーモアの基本であるが、そこに「弱者」とか「自分自身」「偉い人」「善良な人」「悪の被害者」などの例外を作らないのがユダヤ的だと私は思う。これはユダヤ人が科学的偉人を輩出しているのと同根だろう。そうすると、その笑いはしばしば非倫理的なものになる。ユダヤ人は本質的には神をも信じていないはずである。ユダヤ的ユーモアが、神という非論理的。あるいは論理超越的存在を許容するはずがない。つまり、社会秩序維持、組織維持、民族維持のために神という存在を利用しているのではないか。
ロジャー・パルバースと四方田犬彦の共著「こんにちは、ユダヤ人です」の中に、ウッディ・アレンが一番尊敬しているのはベルイマンだ、というパルバースの発言があるのだが、なかなか面白い言葉である。たぶん、アレンはどう努力してもベルイマンにはなれないし、逆もまた同じである。
たとえば、スタンリー・キューブリックがベルイマンになろうとしても無理だろうし、なる気もないだろう。逆もまた同じだ。
ベルイマンの特徴を一言で言えば、「超真面目でユーモアのかけらも無い」ということではないか、と思う。それでいて、見ていてある種の快感があるのが不思議なのだが、ユーモアとは別に、「厳粛な面白さ」というのが映画や文学には存在するのである。人生について、見る者にひとつの次元上昇を体験させる、というのが一番近いのではないか。これは、トルストイやドストエフスキーの小説にも言えることで、優れた純文学の持つ特長だと思う。一見軽く見える「第三の男」でも、人生についての次元上昇を観る者に与えるから、名作なのである。
たとえば、スタンリー・キューブリックがベルイマンになろうとしても無理だろうし、なる気もないだろう。逆もまた同じだ。
ベルイマンの特徴を一言で言えば、「超真面目でユーモアのかけらも無い」ということではないか、と思う。それでいて、見ていてある種の快感があるのが不思議なのだが、ユーモアとは別に、「厳粛な面白さ」というのが映画や文学には存在するのである。人生について、見る者にひとつの次元上昇を体験させる、というのが一番近いのではないか。これは、トルストイやドストエフスキーの小説にも言えることで、優れた純文学の持つ特長だと思う。一見軽く見える「第三の男」でも、人生についての次元上昇を観る者に与えるから、名作なのである。
プロの漫画家が「趣味の漫画」を描くということ自体が面白いが、漫画家というのはもともと漫画を描くのが大好きだった人間だから不思議なことではない。成功した事業家というのもたいていは仕事をすることが大好きな人達だと思う。
だが、世間の9割がたの人は、残念ながら自分の仕事を辛い労働だとしか思っていないだろう。実際、その仕事を好きになれと言われても無理な仕事がほとんどではないか。闇金の借金回収の仕事が大好きだ、という人がいたら怖いwww
だが、世間の9割がたの人は、残念ながら自分の仕事を辛い労働だとしか思っていないだろう。実際、その仕事を好きになれと言われても無理な仕事がほとんどではないか。闇金の借金回収の仕事が大好きだ、という人がいたら怖いwww
久世番子さんの『クリスタはじめて物語』の1コマ力(ちから)が強すぎて、見るたびに笑ってしまう。かく言う僕の来年の目標の一つは、iPad Pro買ってクリスタ入れて趣味の漫画を描くことなんだけど、趣味ならばまあ苦労ではないだろう(笑)
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冬山想南
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