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「虚無党」というのはかつてロシアに実在したグループだが、ニヒリストが「党」に入るのは、筒井康隆のいわゆる「一匹狼の集団」というナンセンスの一種と私には思える。
前に書いた、ペチョーリンとロシアの女スパイを同一視することに私が違和感を覚えるのはそのためだ。スパイとは組織の上司に命じられて行動する人間で、そこにはニヒリズムとは異なる心性がある。つまり、ねじ曲がった(と私には思える)愛国心と冒険心であり、ニヒリズムの対極だろう。
なお、スパイの仕事自体は実は地味なものらしいが、常に生命の危機にさらされているという不安と恐怖が、彼らにはあるはずである。それでも逆に、そのスリルのためにスパイになる心理を私は「冒険心」と言っている。
本当のニヒリストは、一日中ベッドからも出ないで寝ているだろうし、生きるのが面倒になれば自殺するだろう。
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町山智弘は映画関係の雑学は「何でも知っている」ことを自分の売り物と考えているようで、知ったかぶりが多いのだが、ロシアの女スパイと「現代の英雄」のペチョーリンのどこに類似性があるのか。少なくとも、映画のほうの「ロシアより愛をこめて」に出てくるキチガイ婆の殺し屋のことでないとしたら、ボンドを色仕掛けで落とそうとする可愛い女スパイしかいないが、この女スパイをペチョーリンと同一視することはまったく不可能である。イアン・フレミングの原作の話だとしても、どこがどう似ているのか説明が必要だろう。

(以下引用)


イアン・フレミングの『ロシアより愛を込めて』で、ジェームズ・ボンドと出会ったソ連の女スパイは、あるロシア文学の主人公に似ている、と思う。その作品名はどこにも書かれていないが。レールモントフの『現代の英雄』のペチョーリンのことである。
現在はなろう小説原作のアニメや漫画が溢れているが、なろう小説にロクなのがほとんど無い原因は、せっかく異世界に行きながら、そこの風物や規範が地球の、せいぜいが中世ヨーロッパくらいで、しかもその登場人物たちの思考は現代人とほとんど変わらないことだろう。つまり、異世界の奇妙さ、人間的合理性を逸脱することの怖さが無いわけだ。
実は、これはほとんどのSF小説の限界でもある。
スタートレックの耳長男にしても、「合理的すぎて感情が無い」と言うわりには、さほど異星人的思考の不思議さを感じさせない。
かえって、「不思議の国のアリス」のほうが、異世界的思考を感じさせる。
これは、新しい「なろう小説(異世界小説)」のキーポイントかもしれない。

(以下引用)


返信先: さん
家出とか非行とか、社会への反逆行為という常識的な行為ではなく。異世界を通り抜けたがゆえに、現代社会のルールや規範がチャラになった、って感じで。焼け跡世代の作家さん達もそんな感じだったんでしょうね。


"if it was so,it might be; and if it were so,it would be; but as it isn't, it ain't."

これは、「不思議の国のアリス」の中のトゥイードルディの言葉だが、これを文法的に説明でき、原語のニュアンスを正しく把握して訳できる英語教師は、中学高校大学含めて全国で何人いるだろうか。
仮定法過去という文法事項は知っていても、「if it was so」と「if it were so」のwasと wereのここでの使い分けが説明できる人はどれだけいるか、ということだ。そして、「as it isn't 」と「it ain't」のis とareの使い分けの理由は何か、ということだ。
英語国民なら小児でも即座に分かる、あるいは瞬間的に使い分ける言葉のニュアンスを、外国人が理解するのは容易ではない。入試英語は分かっていても、子供向けの童話すら英語では読めず、そこに使われた言葉の文法的説明もできない英語教師は無数にいるのではないか。
片岡球子は知らない(名前は少し聞いた覚えもある。)が、東山魁夷も平山郁夫も簡単に偽作ができる画風だろう。個性はあるが、技術的にはその辺の画学生でも簡単に描ける絵だと思う。近大日本画の「巨匠」というのは画壇政治力で巨匠になっているだけだから、天才はいない。



 
 
 

 そごう・西武によると偽作の疑いがあるのは、日本画の巨匠、平山郁夫や東山魁夷、片岡球子の版画。







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