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まあ、加害者の時も被害者の時も、その立場立場で「自分に都合の良いこと」を言っているわけで、何かの事件での関係者の発言はすべてポジショントークだという前提で聞くのが良い。
この「ポジショントーク」という言葉は、人生問題の混迷を脱する魔法の言葉のひとつだ。
親は親の、子供は子供のポジショントークで話すし、教師は教師の、生徒は生徒のポジショントークで話すから、一方だけを全面的に信じるべきではない。

(以下引用)

戸塚ヨットスクールに関しては「いじめは当然。体罰は当然!」とか主催者が言ってたのにもかかわらず、刑務所でいじめられたりした結果泣き言を言ってて、しかもその具体的内容を聞くと「お菓子を減らされた。鬼だ」とかそのレベルだったりして笑っちゃったよな。
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漫画家の青木俊直のツィートだが、朝ドラの感想だろう。
俳優が俳優の役をやって下手な芝居の演技をするのは難しいだろうと思うが、下手な芝居には固有の特徴があるのだろうか。
昔の邦画は下手な芝居のオンパレードだったが、特に子役など無残そのもので、観ていると共感性羞恥(最近の流行語だろうが、穿った言い方である。)を覚えることが多かった。日本の俳優の演技が自然になってきたのは、沢田研二やショーケンなど、歌手が俳優として演技をするようになってからで、それまでは新劇系統の不自然で大仰な演技をする俳優が多かったのである。歌手は演技の体験が少ないから、自然体で役柄を演じたのが良かったのだろう。
最近の俳優の演技は自然だが、ただし、演出が悪く、「泣く、喚く、怒鳴る」の頻度が高く、そういう場面だと見るに耐えないことが多い。そもそも、現実の生活ではそれほど泣く喚く怒鳴るという経験は誰もほとんど無い(昔の子役の演技で泣く演技が最悪に下手だったのは、泣いた経験の有無よりも、泣きたい感情も無いのに泣くこと自体がやりにくかったからだろう。それで、子供なりの判断で「泣く演技」をしたら、「泣き真似」でしかない、無残な出来になったわけだ。)のだから、その演技も不自然になって当然なのである。洋画では、そういう泣く喚く怒鳴るの場面が少ないのはご存じの通りだ。

「泣く演技」と「泣き真似」の相違を考えれば、面白い演技論になるかもしれないが、いわゆるスタニフラフスキーシステムなどもこれと同じ話かもしれない。つまり、泣き真似をいかにして泣く演技に昇華させるか、という問題だろう。


(以下引用)

みんな下手な芝居が上手いw(朝ちょ)
興味深いツィートや記事のリツィートや転載が多いのでよく「利用」している某漫画家のツィートだが、私はこの漫画家のデビュー時から知っていて、私には少しも面白く思えない漫画を描いていた。その後、まったくメジャーにならないが、現在まで漫画家を続けていられるのは、根性だけは凄いと思う。
で、私が彼の漫画に感じた「面白くない」という気持ちを分析すると、それは端的に「ユーモアセンスが無い」に尽きると思う。優れた漫画家のほとんどは、シリアスな作風の人間(たとえばつげ義春など)でも、たまにユーモアを入れることがあり、その時には冴えたユーモアセンスを発揮するものだ。「李さん一家」のラストの「で、その一家がその後どうなったかというと」「今でも隣にいるのです」の強烈なズッコケ感は有名で、多くの漫画家に模倣されたものだ。
ただし、ユーモアが知性のレベルを示すと結論づけるのは短絡であり、他者を馬鹿にすればそれだけでユーモアだとされる「現代の笑い」が低レベルな笑いであることは言うまでもない。
結論としては、ユーモアが低レベルな漫画家は大物になれない、ということだが、たとえばゆうきまさみのようにデビュー時はさほど冴えたユーモア感覚が無くても(というより、笑いが楽屋落ち的で嫌みでも)、一部のマニアにはウケ、長年のうちにそのユーモア感覚が進化して優れた漫画家になる例もある。楽屋落ちというのは、作品世界をメタ視点で見る姿勢だから、しばしばかなり嫌みになるのである。たがみよしひさなどがその例だろう。

(以下引用)絵のコピーはできなかったが、要するに「銀河皇帝」が和風のお大尽の衣装を着ているのが「面白いだろ?」ということである。まあ、低レベルのユーモアである。


自分で描いておいてバカみたいですが、30年以上昔描いた『エルフ・17』の銀河皇帝の衣装を久々に見て「くす」とか笑ってました。この原画もヤフオクで落札されましたので、もうすぐ我が家を旅立ちます。





日本画、特に版画の複製など容易だろうと前に書いたが、現在の複製技術を応用すれば、画学生などでも大家の模倣は簡単にできるのではないか。まあ、さすがにコピー機で転写するともいかないだろうが、転写した絵を下敷きに版画の台木に掘る技術くらいはあるだろうということだ。版画など、同じ絵が何百枚も流通しているのだから、ラッセンの絵と似たようなものだ。

(以下引用)


 
 
偽版画なぜ拡散…日本画価格下落で経営難 鑑定書なく目利き頼み© 産経新聞社 偽版画なぜ拡散…日本画価格下落で経営難 鑑定書なく目利き頼み

 日本画の大家、平山郁夫らの絵画を基にした版画の偽作が見つかった事件は、関与を認めた大阪府の画商が人気の高い大家の偽作を大量に流通させ、市場で値崩れを起こす事態まで招いていた。美術関係者らは長年、偽作が流通した背景について、鑑定書がなく、真贋(しんがん)を目利きだけに頼る版画特有の事情を指摘する。さらには、偽作の制作を容易にする技術の向上、取引市場の移り変わりなど複雑な時代背景も浮かんでくる。(吉沢智美)

偽版画なぜ拡散…日本画価格下落で経営難 鑑定書なく目利き頼み© 産経新聞社 偽版画なぜ拡散…日本画価格下落で経営難 鑑定書なく目利き頼み

 需要落ち込み

 「いつの世も偽作は存在する。普通は画商が見つけるなどして歯止めがかかるものだが、今回はあまりにも長きにわたり流通してしまった」。東京都内の美術関係者は険しい表情で語る。

 平山郁夫、東山魁夷(かいい)、片岡球子(たまこ)、有元利夫-。偽作版画は、大家や人気作家の名が並ぶ。これまでに、大阪府の50代の男性画商が一部への関与を認め、約8年前の平成25年ごろから、奈良県の工房に制作を依頼していたことがわかっている。

 美術関係者によると、25年前後、日本画を取り巻く情勢は厳しかった。20年のリーマン・ショック以降、取引価格は大きく下落。23年の東日本大震災を経て、需要はさらに落ち込んだ。

 美術関係者は「資金力がなく、著名作家の作品を仕入れることができない画商は経営が厳しいだろう」と証言する。大阪の画商が関与した偽作は、いずれも人気が高く、日本画が値崩れする情勢の中でも比較的高値で取引されている作家のものだった。業界関係者によると、東山の版画は高額なもので900万円、平山の版画も250万円ほどで売買されているという。

 ある画廊経営者は「味をしめて、偽作を流通させ続けたのだろう」と話す。

業界特有の事情も

 偽作の大量流通を長年、許した背景には版画特有の事情も浮かぶ。日本では、版画専門の鑑定機関などは存在しない。芸術作品の取引などで本物であることを証明する「鑑定書」もないまま、売り買いされているのが現状だという。

 問題を受け、日本現代版画商協同組合(日版商)や美術商らが立ち上げた臨時偽作版画調査委員会の事務局は「どのような方法で鑑定するかを模索するところから、始めなければならない」と実情を明かす。

 現状では、画商らは作品のカタログや真作と見比べながら真偽を判別。関係者は「きちんと鑑定できる人がいないことで、偽作が売り続けられたのかもしれない」と推察する。

 一般客と画商らを結ぶ売買の舞台となる百貨店などの事情を原因に挙げる声もある。関係者によると、百貨店などにはかつて、美術品を見る専門担当者らがいたが、長引く不況で、こうした人員を育成することが困難に。結果的に「画商との信頼関係を頼りに作品を取り扱うしかなくなってきた」(関係者)という。

 近年、技術の進歩などにより偽作はより容易に制作できるようになっているという。美術関係者は「今後も長い期間、偽作が見抜かれず流通するリスクはある」と話した。

     ◇

 実際に偽作を制作したとされる奈良県の工房の男性経営者が、産経新聞の取材に応じ「(流通させるとは思わず)他の用途で使うと想像していた」などと語った。

 男性は「摺師(すりし)」として40年以上にわたり、さまざまな作家の複製版画の制作に携わってきたという。ただ、仕事量が激減。20年ほど前から修復の仕事も引き受けるようになったとしている。

 大阪の画商と知り合ったのは、その頃で、最初は修復の仕事をもらっていたという。偽作の依頼が来たのは8年ほど前。「修復で『ええ仕事するな』と見込まれたのではないか」と推察する。

 「絶対に迷惑をかけないから」と言われ、東山魁夷や平山郁夫らの複製版画を作った。1作品を制作するのには約2カ月を要し、年5~6点ほどの依頼があったという。

 約2年前まで依頼が来ていたとし、これまでに制作したのは、少なくとも東山ら4人の作家で「800枚だ」と証言した。

 男性経営者は「『こんなもの何に使うのか』と思っていたが、売るとは思わなかった。よい仕事があれば受けるのは当然。(大阪の画商の)言葉を信じたのに…」と話した。(田中一毅)



真木太郎は、私が日本一のプロデューサーだと思っている人物で、有名無名の名作アニメの多くにその名前が出ている。プロデュースする作品を選ぶ、その目の確かさが凄い。
おそらく、子供のころから優れた大衆的映画に接するだけでなく、その育った家には、映画関係の資料が無数にあったのではないか。



(以下引用)

新東宝映画『鋼鉄の巨人(スーパージャイアンツ)』全作や『地獄』の脚本家で、TV『水戸黄門』の印籠シーンの基本パターンを作った脚本家の宮川一郎氏 asahi.com/showbiz/tv_rad が、アニメ映画『この世界の片隅に』の真木太郎プロデューサーの実父とは知らなかった。ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE
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