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かなり悪相であり、実際に非道な行いをやったこともあるようだが、カトリックとの闘いの上では英雄と言っていい。人格者というのは戦いには向かないのである。

(以下引用)

ルーカス・クラーナハ『マルティン・ルターの肖像』1529年 聖アンナ教会
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「魔群の饗宴」を書いてから、その後に何か書きたいと思ってはいるが、まったくアイデアが出ない。まあ、単なる趣味だから無理に書く必要は無いが、まったく無為に日月を過ごすのも、少し気が飢える。もちろん、基本的にはあらゆる趣味は単なる時間つぶしだが、創作は、趣味の中では有益性が高いような気がするわけだ。誰かがその創作を読んで面白いと思えば、誰かの人生の一瞬間を充実させるメリットはあるのだから。
昔読んだ小説や未読の小説を読むのも面白い時間つぶしだが、何かを作っている時の充実感は、それとは少し色合いが違う。下手な創作でも、そういう充実感はある。

私は山田風太郎という作家を、作家としてより「観察者」として高く評価しているのだが、彼の小説自体は、読んだ後に「読書の充実感」が無いのである。つまり、それによって自分の人生に何かが加わったとか広がったという感じが無い。暇つぶしとしては実に優秀な小説ではあるが、人生の残りが少ない老人としては、「時間潰し」をしていられないという焦燥感があるから、彼の小説を虚心に味わうことができない。
そういう「時間つぶし」をするよりは、たとえばブログに雑文を書くほうがマシな気がする。それは、少なくとも「自分自身の発見」にはなるからだ。何かを書くことは、その問題(ネタ)自体を深く観照することであり、それは自分自身の脳(心)を観照することである。
甘い考えではあるが、ある瞬間に、何かの凄い発見をする可能性というのは、死ぬまで「可能性としては」あるわけだ。そういうワクワク感が、創作や思考作業にはある。それは、受動的な娯楽では得られないのだ。
前に、強硬な天皇否定論者であるkojitakenのブログ記事を載せたが、ここでも参考までに同ブログ記事を載せておく。言うまでもなく、賛同しての転載ではない。白井聡の論が中島岳志によって簡潔に説明されているためである。

(以下引用)


白井聡『国体論』は予想通りひどい駄本だった

   

白井聡の『国体論 - 菊と星条旗』(集英社新書)を読んだが、もともと白井を全く買っていない私が予想していた通り、ろくでもない本だった。


国体論 菊と星条旗 (集英社新書)

国体論 菊と星条旗 (集英社新書)

(中略)

なお、『国体論』でもう一つ指摘しておかなければならない大きな問題点は、相変わらず鳩山由紀夫政権を「対米従属」から脱しようとして挫折した政権だと位置づけていることだ。私見ではそれは事実に反する。普天間基地辺野古移設「現状回帰」を決断したのは鳩山由紀夫自身であり、当時鳩山が「こんなことをしたら小沢さんに政局にされる」と恐れており、かつそれが現実になった歴史的事実をしつこく指摘し続けているのは私くらいのものだろう。私は当時の『報道ステーション』の報道を覚えているだけなのだが。

あの時は、鳩山を追い落として菅直人と組もうとした小沢一郎のもくろみに反して、小沢が菅にポストを打診した時には既に菅は前原誠司野田佳彦らと手を組んでおり、小沢は菅にあえなく切られてしまった。そこで小沢はやむなく鳩山と一緒に「党内下野」し、再び小沢と鳩山とが野合したのだった。あの時の菅直人小沢一郎の選択は、両者とも最悪だった。菅と小沢の罪は万死に値する、今でも私はそう思っている*1。「鳩山政権=対米自立志向政権」という神話が生まれたのは、実は鳩山政権が倒れてからあとの話だった(これには孫崎享も一役買っている)。もちろん小沢と鳩山とでは政策も違うのだが、もともと2人とも反米でも何でもなかった。それが証拠に、両者とも自民党時代には吉田茂の流れを汲む田中角栄竹下登系列の派閥に属していた。前世紀末から今世紀の初めにかけては、小沢も鳩山もアメリカの歓心を買いそうな改憲案をメディアに発表したこともあった。鳩山由紀夫が祖父・鳩山一郎譲りの反米路線(それは鳩山一郎公職追放された個人的恨みに由来するものだった)へと舵を切ったのは、鳩山が政権を投げ出したあとのことだったのである。

結論。『国体論』はやはりろくでもない本だった。リベラル・左派を自認する諸氏は、あんな本に騙されてはなるまい。


[追記]
検索語「君側の奸 白井聡」でググって、下記中島岳志による『国体論』の書評(『文藝春秋』2018年7月号掲載)を見つけた。

天皇とアメリカ――誰も書けない“激しい問題提起” | 文春オンライン

天皇アメリカ――誰も書けない“激しい問題提起”
中島岳志が『国体論 菊と星条旗』(白井聡 著)を読む

中島 岳志
2018/06/17
source : 文藝春秋 2018年7月号
genre : ニュース, 読書, 社会, 政治, 国際

 戦前の日本は天皇統治の正当性を唱える「国体」が支配し、戦後になって解放されたと考えられている。しかし、著者の見解では、国体は連続している。「『国体』は表面的には廃絶されたにもかかわらず、実は再編されたかたちで生き残った」。そして「現代日本の入り込んだ奇怪な逼塞状態を分析・説明することのできる唯一の概念が、『国体』である」と言う。どういうことか。白井の見るところ、「戦後の国体」は「菊と星条旗の結合」、つまり天皇アメリカの共犯関係である。アメリカが構想した戦後日本のあり方は、天皇制から軍国主義を抜き取り、「平和と民主主義」を注入することにあった。そのため、「対米追随構造の下」に「天皇の権威」が措定された。「象徴天皇制とは、大枠として対米従属構造の一部を成すものとして設計されたもの」である。

 しかし、「戦後の国体」は、すでに破たんしている。発端は冷戦の終結にある。ソ連という共通敵が存在する時代、アメリカは日本を庇護する理由があったが、冷戦の崩壊によって、アメリカが日本を守らなければならない理由はなくなった。これにより日本へのスタンスが「庇護」から「収奪」へと変化する。

 ここに天皇アメリカの分離が生じる。今上天皇が志向するのは国民統合である。天皇・皇后の特徴は「動く」こと。被災地に赴き、慰めとねぎらいの言葉をかける。戦地に赴き、祈る。天皇は「動き、祈ること」で日本国の象徴となり、「国民の統合」をつくりだす。天皇が「日本という共同体の霊的中心」となる。

 この「国民統合」の障害となっているのがアメリカだ。親米保守アメリカの国益のために行動し、日本社会を荒廃させる。沖縄の声を無視し、辺野古の基地建設を強行する。

 天皇は、加齢によって「動く」ことが満足にできなくなることを、退位の理由とした。しかし、安倍政権を支える親米保守論者は、天皇の生き方を否定し、「天皇は祈っているだけでいい」と言い放つ。そして、天皇よりもアメリカを選択する。

 天皇のお言葉は危機意識の表れに他ならないと白井は言う。腐敗した「戦後の国体」が日本国民を破たんへ導こうとしているとき、「本来ならば国体の中心にいると観念されてきた存在=天皇が、その流れに待ったをかける行為に出たのである」。

 白井は、今上天皇の決断に対する「共感と敬意」を述べ、その意思を民衆が受け止めることで、真の民主主義が稼働する可能性を模索する。

 この構想は危ない。君民一体の国体によって、君側の奸を撃つという昭和維新のイマジネーションが投入されているからだ。白井は、そんなことを百も承知で、この構想を投げかける。それだけ安倍政権への危機意識が大きいのだろう。

 激しい問題提起の一冊である。

(文春オンラインより)

さすがに中島岳志白井聡の「構想は危ない」と的確に指摘しているが、「それだけ安倍政権への危機意識が大きいのだろう」などと白井の心中を忖度して、せっかくの批判を自分から腰砕けさせてしまっている。これについては、中島が反安倍政権側の言論の主流(=惰性力)に流された(=妥協した)安易な態度の表れとして批判しないわけにはいかない。

*1:民主党政権を成功させるためには、互いに反りの合わなかった小沢一郎菅直人が鼻をつまみ合いながら手を組むしかなかったと今でも私は考えているが、2人ともそんなこらえ性の持ち合わせなどなかった。

小説や脚本の小ネタとして。

男女デュオの名前が「我恋流」で、読みは「ガーゴイル」。女性ボーカルは「ガーコ(ガー子、鴉子、我子など表記は自由)」で、ギタリストの男が「イル(ill、 IL)」。作詞作曲はガーコとイルのどちらも可能。編曲は主にイル。福島と宮城出身。政治や社会や常識へのニヒルさと、「至高の存在への憧れと絶望」が歌詞の大半。コンサートで歌う「私はイエスが分からない」が絶品で、客のほとんどはこの曲を聞くと泣き出す。ガーコは、普段は顔の上半分が奇抜なメイクで、下半分は「口裂け女」の口を描いたマスクをしているので素顔は不明だが、かなり美女の模様。イルはサングラスに普通の手術マスク、長髪、やせ型。
我恋流のライバルのロックグループが、沖縄出身の「ワンカラ(one colourと表記することもある)」で、名前は沖縄方言で「出しゃばり(自分から、俺から)」の意味。

犯罪を実際にやった人間と、犯罪者的性向を持つ人間とは別物だが、人相は似ていると私は推定している。こういう人相なら人を殺すこともやるだろうな、と私が思っている顔はユニクロの柳井氏だが、氏が実際に人殺しはしていないだろう。また、人を殺すにも、自分自身が恐怖に駆られてやむなく人を殺すのと、平然と殺す人間とは人相が違うはずだ。まあ、要するに性格は顔に出る、というだけのことだ。
詐欺師的性格の人間の特徴は、「落ち着きが無い」ことで、相手の言動に敏感に反応する。つまり、「考えてから反応する」のではなく、反射神経的に反応する。こういう人間はもちろんタレントには最適である。相手が話している間に自分が次に話すことを考えているから、相手の話を真剣に聞いていない。ひろゆきなど、そのタイプだろう。会話が「自分を相手や周囲に高く評価させるゲーム」になっているから、当然、会話から何一つ生産的なものは生まれない。


(以下引用)

人相学と眼

 昨日、母親の月法要に出て、母親の若い頃の写真が飾られていて、立ち会った人は「優しいお顔ですね」と皆言った。
 だいたい、顔を見れば、その人の性格があらかた分かるのは、人生を重ねて経験を積めば積むほど理解が深まるものだ。60歳を過ぎた頃には、たくさん、欺された人生経験のなかから、人相を見れば、おおむねの人間性が直感できるようになる。

 しかし、それでも老人たちがオレオレ詐欺=振り込め詐欺の被害に遭う事態が絶えないのは、人相を直視せずに、電話だけで話を進めてしまうからで、金を振り込むような事態では、必ず相手の人相を直視できるようにすれば、被害は相当に減るだろうと思う。

 母親は、優しいというか、他人の悪口を決して口にしない、まあ、清らかといえる性格だった。それが如実に顔に出ていて、母親は96歳になるまでの生涯、その第一印象でずいぶん得をしたと思う。母親に厳しく当たる人は少なかった。
 父親が浮気して、母との離婚を考えていたときも、親戚中が「あんないい人を捨てるのか」と父に詰め寄ったので、父も考え直して、浮気相手と手を切ったようだ。

 優しい性格の人は優しい顔をしているものだが、逆に、優しくない、他人に苛酷に当たる性格の人物も、如実に人相に出てくる。過去に、私が「欺された」と感じた相手の人相は、共通点があった。
 それは、「ふくよか」の逆をいく、とげとげしい人相だったことだ。たとえて言えば「カマキリ顔」だ。そして眼に優しさがない。

 私がタクシーの運転手をしていた1990年代のことだが、常連客として、現在の山口組6代目をはじめ弘道会幹部クラスがいた。6代目の篠田氏も、大幹部も、三人を殺害して刑務所を出たという噂だった
 私は、当時、FBIのプロファイルに凝っていて、いろいろな犯罪者と、現役ヤクザの客などの人相を見比べてみて、ある共通点に気づいたのだ。

 それは眼だ。共通して、眼に優しさがまったくない。優しさというのは、いつでも微笑んでいるような眼の輪郭だ。それは上瞼で作るような気がするが、彫刻家なら容易に理解できることだろう。
 かちこみ三人殺しで15年服役直後に復帰した大幹部の印象をいうと、似ているのは前田健太だ。前田の眼を、やや奥に引っ込めさせると実に似ている。
 この人とは、親しくなって、たくさんの情報をもらった。

 「たくさん人殺しをした人間は、目玉が奥に引っ込んでいる」印象があるが、もう一つ、眼を見開いている。すぼめたり、憂いを見せたり、眼を逸らしたりしない。我々で言えば、無感動・無表情という状態に近い。
 人殺しを重ねると、たぶん無感動で人を機械的に殺せるようになるのだ。たぶんナチスSS隊兵士やマフィアの人殺し部隊、柳川組や工藤会の組員あたりが、そんな眼をしているのではないだろうか。
 山口組六代目も出入りで三人殺しているようなので、やはり殺人者の目をしている。

sinoda.jpg

 ただ、篠田氏の名誉のために書いておくが、彼は本当は礼儀正しく心優しい人間で、趣味は冬山単独登山だ。私は雪の越百山でも数回会っている。怒ると人殺しも厭わない超一本気な性格ということだ。その眼には底知れない恐ろしさがある。

 以下のサイトに、犯罪者と眼についての考察がある。
 犯罪者かもしれない人を顔(目)で見分ける方法伝授します!
 http://anshinconcierge.com/?p=2764

 しかし、私の経験からは、異議がある。警察官が三白眼になりやすいのは、目の前で起きていることを厳しく観察しようとして三白眼になる。ヤクザが下三白眼になると書いてあるのだが、私の経験では、無表情な感情を露呈しない眼になるが、どちらかといえば三白眼だ。
 やはり優しさがない。殺人者の目は詐欺師の目にも似ている。私に対する誹謗中傷を重ねる人物(たぶん、このパソコンを破壊した犯人)の目も、殺人者の無機的な目に近い。

 以下は外国の連続殺人犯で、やはり三白眼に近い。

satujinsya04.jpg


 
 人殺しを重ねた人物は、結局、 他人に対して、心の根源からの温かさを失ってしまうので、無意識に人間に対する愛情を表現できなくなるのだ。
 すると、上の写真のような無機的な表情となる。詐欺師も同じだし、このパソコンを破壊した犯人も、同じように無機的な、人間性を失った人相をしている。
 だから、観察力を蓄積した人物にとって、人相は誤魔化しようがない真実の鏡なのだ。

 以下のサイトでも、犯罪者の人相を扱っているが、どうも私の経験から首肯しかねる内容ばかりだ。
 https://allabout.co.jp/gm/gc/210054/

 納得できるのは、目の間隔の広い人は、一芸に秀でている人が多いことだろうか。
 
 以下のサイトでは、詐欺師の人相について書いている。
 http://i-come.jp/blog/1340

 一般的ではあるが、ある程度役に立つ。
 唇が薄くて、引きつったようにニヤニヤ笑う。(唇は愛情運を表します)
耳の形がいびつ。(家庭運も耳にでます)
鼻が細くて、縦皺が多いとんがり鼻。
顔に傷が多い。(人相で頬の部分は世間宮といいます)
目つきが悪い。(特に三白眼の方には注意)

 ここでも、三白眼が出ているが、心に一物を持って人に当たると三白眼になるのかもしれない。誰に対しても、心からの人間性で当たろうとする人が三白眼になることはない。
 人を利用するしか考えないタイプは、顔の下側が小さいかまきり顔が多いというのは、私の人生経験からだ。

 人に対して温かい心を持った人は、おおむねふくよかな顔をしていて、目が大きく見える。三白眼には暖かい人はいない。
 大きな瞳で真正面から話す人に嘘つきはいないが、ときに殺人者でも、そんな人物がいるので、注意は必要だ。


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