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「混沌堂主人雑記」所載の「Deeply Japan」記事の一部で、第二次大戦末期のソ連参戦の「意義」を明解に説明している。まあ、当時のキチガイ日本からアジアを救ったのがこのソ連参戦だろう。

(以下引用)


■ 日本以外にとっては朗報だったソ連侵攻

で、前から書いてますが、日本人にとっては、1945年8月9日のソ連軍の満州侵攻作戦は腹立たしいものなんでしょうが、中国、朝鮮にとっては、これは、よーーーーやく、あの忌々しい関東軍を満州から追い出し、もって、我が物顔に大陸に居座った日本軍を追い出すことに成功したという事象なので、朗報以外の何なの?ってところでしょう。
去年の在日ロシア大使館さんは、このへんのところをコンパクトにまとめていた。地図までつけて。
まさに、これこそ重要だったわけですよ。前はそこまで考えが及ばなかったけど、このブログを書いたおかげで、毎年考えるチャンスがあって、考えれば考えるほど、この1945年8月のソ連の攻撃は本当に大きかったと思うようになった。
私は再度力説したい。関東軍が物理的に破壊されなかったら、関東軍、支那派遣軍、朝鮮派遣軍からなる日本が大陸においた勢力が、事実起こったように速やかに撤退していたかどうかは、かなり怪しい。
例えばアメリカのディープステートが、天皇いてもOKのゴーサインを出したことを受けて東京の支配層が、よかったよかった、さて戦争は終わりと言ったところで、大陸の軍人たちが総意で命令を遵守できるのか? まったく確証が持てない。
そもそも、東京の命令を無視して突っ切って他国をかすめ取ることに熱をあげて、はては、世界戦争だとか抜かしていた妄想が強い勢力なわけですから、負けてないのになぜ撤退なのだ、と言い出す気配は濃厚でしょう(負けたノモンハンは不問に付すわけだが)。さらに、そもそも、日本軍は使用に耐える軍事に使える船舶を失っている状況だから、もとより、数百万の兵隊は本土に帰ろうにも帰れない。
その状態で、誰が何をできるでしょう? アメリカが、俺は強いので俺の命令を聞け、船は出そう、といったところで、アメリカには大陸の日本軍、特に関東軍を制圧する力はない。そんなデカい作戦が可能なアメリカ陸軍は今も昔も存在しない。
航空機があれば、爆弾があれば、とか言う人は、単に戦争をわかってない。爆撃したところで、逃げる場所があったら簡単には終わらない。ながーーい時間をかけて、武器弾薬の損耗を待つ? いやしかし、フィリピンあたりと異なり、大陸内は大損害の戦闘は限定的だったので、武器弾薬はかなりのところ温存できていた(だから、日本軍の武装解除で出た兵器を国民党側にもらい受けるよう、米軍があわてて手配したという話もある)。
日本の兵隊をばらけさせて、中国の国民党軍に合流させて使うという手もあったかもしれない。兵隊を連れ帰ると面倒を起こすので、別の戦争を与えて、そこで死んでもらうという作戦・・・。日本人にとってOKなんだろうか、という気もするが。
ということで、ソ連軍が明確な戦略目標の下に、関東軍を南に追い出しながら破壊して、元に戻せなくするという大作戦を決行するというのは、考えられる限り最も合理的で迅速な戦争の終わらせ方だったと思う。
したがって、日本人にとっては癪に障る一件であるにせよ、朝鮮、中国がこれを喜ばない、正当な評価を与えないというのは、ちょっとやそっとではなく、信じられないぐらいの不名誉だった。軌道修正できたことは彼ら(韓国を除く)にとって良いこと。
去年まとめた通り。
1945年8月ソ連軍満洲侵攻作戦 by 駐日ロシア大使館

■ オマケ

で、今後の日本は、ますますナチ化して、欧州のおかしな人たちと組んでいくか、さすがにそれはヤバいと、適当にうにゃうにゃするかのどちらかを取るんじゃないかと思う。この辺で見直し、などということにはならない。
そこで、欧州のナチ勢と組む際には、おそらく、クリミアと北方領土をバーターにして、相互に支持してロシアに圧力を、とか言い出すんじゃなかろうか?
超がつくほど筋の悪い話だが、ありそう。
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かなり悪相であり、実際に非道な行いをやったこともあるようだが、カトリックとの闘いの上では英雄と言っていい。人格者というのは戦いには向かないのである。

(以下引用)

ルーカス・クラーナハ『マルティン・ルターの肖像』1529年 聖アンナ教会
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「魔群の饗宴」を書いてから、その後に何か書きたいと思ってはいるが、まったくアイデアが出ない。まあ、単なる趣味だから無理に書く必要は無いが、まったく無為に日月を過ごすのも、少し気が飢える。もちろん、基本的にはあらゆる趣味は単なる時間つぶしだが、創作は、趣味の中では有益性が高いような気がするわけだ。誰かがその創作を読んで面白いと思えば、誰かの人生の一瞬間を充実させるメリットはあるのだから。
昔読んだ小説や未読の小説を読むのも面白い時間つぶしだが、何かを作っている時の充実感は、それとは少し色合いが違う。下手な創作でも、そういう充実感はある。

私は山田風太郎という作家を、作家としてより「観察者」として高く評価しているのだが、彼の小説自体は、読んだ後に「読書の充実感」が無いのである。つまり、それによって自分の人生に何かが加わったとか広がったという感じが無い。暇つぶしとしては実に優秀な小説ではあるが、人生の残りが少ない老人としては、「時間潰し」をしていられないという焦燥感があるから、彼の小説を虚心に味わうことができない。
そういう「時間つぶし」をするよりは、たとえばブログに雑文を書くほうがマシな気がする。それは、少なくとも「自分自身の発見」にはなるからだ。何かを書くことは、その問題(ネタ)自体を深く観照することであり、それは自分自身の脳(心)を観照することである。
甘い考えではあるが、ある瞬間に、何かの凄い発見をする可能性というのは、死ぬまで「可能性としては」あるわけだ。そういうワクワク感が、創作や思考作業にはある。それは、受動的な娯楽では得られないのだ。
前に、強硬な天皇否定論者であるkojitakenのブログ記事を載せたが、ここでも参考までに同ブログ記事を載せておく。言うまでもなく、賛同しての転載ではない。白井聡の論が中島岳志によって簡潔に説明されているためである。

(以下引用)


白井聡『国体論』は予想通りひどい駄本だった

   

白井聡の『国体論 - 菊と星条旗』(集英社新書)を読んだが、もともと白井を全く買っていない私が予想していた通り、ろくでもない本だった。


国体論 菊と星条旗 (集英社新書)

国体論 菊と星条旗 (集英社新書)

(中略)

なお、『国体論』でもう一つ指摘しておかなければならない大きな問題点は、相変わらず鳩山由紀夫政権を「対米従属」から脱しようとして挫折した政権だと位置づけていることだ。私見ではそれは事実に反する。普天間基地辺野古移設「現状回帰」を決断したのは鳩山由紀夫自身であり、当時鳩山が「こんなことをしたら小沢さんに政局にされる」と恐れており、かつそれが現実になった歴史的事実をしつこく指摘し続けているのは私くらいのものだろう。私は当時の『報道ステーション』の報道を覚えているだけなのだが。

あの時は、鳩山を追い落として菅直人と組もうとした小沢一郎のもくろみに反して、小沢が菅にポストを打診した時には既に菅は前原誠司野田佳彦らと手を組んでおり、小沢は菅にあえなく切られてしまった。そこで小沢はやむなく鳩山と一緒に「党内下野」し、再び小沢と鳩山とが野合したのだった。あの時の菅直人小沢一郎の選択は、両者とも最悪だった。菅と小沢の罪は万死に値する、今でも私はそう思っている*1。「鳩山政権=対米自立志向政権」という神話が生まれたのは、実は鳩山政権が倒れてからあとの話だった(これには孫崎享も一役買っている)。もちろん小沢と鳩山とでは政策も違うのだが、もともと2人とも反米でも何でもなかった。それが証拠に、両者とも自民党時代には吉田茂の流れを汲む田中角栄竹下登系列の派閥に属していた。前世紀末から今世紀の初めにかけては、小沢も鳩山もアメリカの歓心を買いそうな改憲案をメディアに発表したこともあった。鳩山由紀夫が祖父・鳩山一郎譲りの反米路線(それは鳩山一郎公職追放された個人的恨みに由来するものだった)へと舵を切ったのは、鳩山が政権を投げ出したあとのことだったのである。

結論。『国体論』はやはりろくでもない本だった。リベラル・左派を自認する諸氏は、あんな本に騙されてはなるまい。


[追記]
検索語「君側の奸 白井聡」でググって、下記中島岳志による『国体論』の書評(『文藝春秋』2018年7月号掲載)を見つけた。

天皇とアメリカ――誰も書けない“激しい問題提起” | 文春オンライン

天皇アメリカ――誰も書けない“激しい問題提起”
中島岳志が『国体論 菊と星条旗』(白井聡 著)を読む

中島 岳志
2018/06/17
source : 文藝春秋 2018年7月号
genre : ニュース, 読書, 社会, 政治, 国際

 戦前の日本は天皇統治の正当性を唱える「国体」が支配し、戦後になって解放されたと考えられている。しかし、著者の見解では、国体は連続している。「『国体』は表面的には廃絶されたにもかかわらず、実は再編されたかたちで生き残った」。そして「現代日本の入り込んだ奇怪な逼塞状態を分析・説明することのできる唯一の概念が、『国体』である」と言う。どういうことか。白井の見るところ、「戦後の国体」は「菊と星条旗の結合」、つまり天皇アメリカの共犯関係である。アメリカが構想した戦後日本のあり方は、天皇制から軍国主義を抜き取り、「平和と民主主義」を注入することにあった。そのため、「対米追随構造の下」に「天皇の権威」が措定された。「象徴天皇制とは、大枠として対米従属構造の一部を成すものとして設計されたもの」である。

 しかし、「戦後の国体」は、すでに破たんしている。発端は冷戦の終結にある。ソ連という共通敵が存在する時代、アメリカは日本を庇護する理由があったが、冷戦の崩壊によって、アメリカが日本を守らなければならない理由はなくなった。これにより日本へのスタンスが「庇護」から「収奪」へと変化する。

 ここに天皇アメリカの分離が生じる。今上天皇が志向するのは国民統合である。天皇・皇后の特徴は「動く」こと。被災地に赴き、慰めとねぎらいの言葉をかける。戦地に赴き、祈る。天皇は「動き、祈ること」で日本国の象徴となり、「国民の統合」をつくりだす。天皇が「日本という共同体の霊的中心」となる。

 この「国民統合」の障害となっているのがアメリカだ。親米保守アメリカの国益のために行動し、日本社会を荒廃させる。沖縄の声を無視し、辺野古の基地建設を強行する。

 天皇は、加齢によって「動く」ことが満足にできなくなることを、退位の理由とした。しかし、安倍政権を支える親米保守論者は、天皇の生き方を否定し、「天皇は祈っているだけでいい」と言い放つ。そして、天皇よりもアメリカを選択する。

 天皇のお言葉は危機意識の表れに他ならないと白井は言う。腐敗した「戦後の国体」が日本国民を破たんへ導こうとしているとき、「本来ならば国体の中心にいると観念されてきた存在=天皇が、その流れに待ったをかける行為に出たのである」。

 白井は、今上天皇の決断に対する「共感と敬意」を述べ、その意思を民衆が受け止めることで、真の民主主義が稼働する可能性を模索する。

 この構想は危ない。君民一体の国体によって、君側の奸を撃つという昭和維新のイマジネーションが投入されているからだ。白井は、そんなことを百も承知で、この構想を投げかける。それだけ安倍政権への危機意識が大きいのだろう。

 激しい問題提起の一冊である。

(文春オンラインより)

さすがに中島岳志白井聡の「構想は危ない」と的確に指摘しているが、「それだけ安倍政権への危機意識が大きいのだろう」などと白井の心中を忖度して、せっかくの批判を自分から腰砕けさせてしまっている。これについては、中島が反安倍政権側の言論の主流(=惰性力)に流された(=妥協した)安易な態度の表れとして批判しないわけにはいかない。

*1:民主党政権を成功させるためには、互いに反りの合わなかった小沢一郎菅直人が鼻をつまみ合いながら手を組むしかなかったと今でも私は考えているが、2人ともそんなこらえ性の持ち合わせなどなかった。

小説や脚本の小ネタとして。

男女デュオの名前が「我恋流」で、読みは「ガーゴイル」。女性ボーカルは「ガーコ(ガー子、鴉子、我子など表記は自由)」で、ギタリストの男が「イル(ill、 IL)」。作詞作曲はガーコとイルのどちらも可能。編曲は主にイル。福島と宮城出身。政治や社会や常識へのニヒルさと、「至高の存在への憧れと絶望」が歌詞の大半。コンサートで歌う「私はイエスが分からない」が絶品で、客のほとんどはこの曲を聞くと泣き出す。ガーコは、普段は顔の上半分が奇抜なメイクで、下半分は「口裂け女」の口を描いたマスクをしているので素顔は不明だが、かなり美女の模様。イルはサングラスに普通の手術マスク、長髪、やせ型。
我恋流のライバルのロックグループが、沖縄出身の「ワンカラ(one colourと表記することもある)」で、名前は沖縄方言で「出しゃばり(自分から、俺から)」の意味。

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