© JBpress 提供 密教経典『発菩提心論』には覚りのきっかけは普賢大菩提心と示されている(画:国宝 普賢菩薩像 東京国立博物館)
古今東西、宗教といえば祈りが伴う。祈りとは祈る人の願いを叶えるため、人智を超えた存在にお願いをする行為。その根幹にあるのは、人が抱く夢であり、希望である。
密教では祈る行為を加持と称する。
『広辞苑』によれば、加持とは仏陀が迷いの世界の衆生を加護保持すること。密教などで、病気平癒、災難を除くため、仏陀の加護保持を祈祷する秘法、とある。
神仏の不可思議な力によって衆生を守ることを指し「神力」「威神」と漢訳される。
加持の「加」は増加添加、「持」は受持任持の意味がある。
この相反する2つの立場の双方が補い合うことで一つに融合し、加持祈祷が成立する。
それは、神秘の力である不可思議な威力を放つ側と、それを受ける側の構図がみてとれる。つまり、加わるのは持する作用に応じるからであり、持する作用は加わるのを感じるから生じる。
すなわち加持する働きは感応に修まることで、不可思議な結果が顕われるのである。
妙有とは何か
加持感応がすべての森羅万象の原理でもある、と密教は明示する。
それは釈尊の、万象すべて因縁所生にして従って無常であり無我という「諸行無常」「諸法無我」に一致する。
つまり、世界は常に変化しながらも、すべてのものごとは、つながり合い独立しているものは一つもないということであり、それは、この世に生じる万象各々が本来備えている真理とされる。
仏教で「真空(しんくう)」とは、一切の迷いによって見られる相を離れている涅槃の状態を指す。
自性もなく、他と区別された個人としての自我である個我もなく、この世に存在する有形・無形の一切のものは、皆、空という意である。
そうした状態は物質にもあてはまる。
例えば水は四角、三角、円の器に注がれるといずれの形にもなる。それは形有るものを超えた存在であり空といえる。
だが、形を超えてはいても、水は一定の形ではなく器に従いながらも、水として厳然と存在している。
真空は、ありのままの姿、万物の本体としての永久不変の真理、宇宙万有にあまねく存在する根元的な実体である真如が、あらゆる妄想を離れて空であることを指し、また真の空が現実世界の種々の妙なる姿を展開することを指す。
対して、妙有(みょうう)とは常住不変であって仮の姿(仮有)ではなく真実の姿(有)で、有無を超越した無限なるもの、形象を変えて応現しながら、生滅を超えて永劫に生き続けるものをいう。
弘法大師空海は真空の一面のみ停滞する教えを遮情門と名付け、妙有的な真理が顕われる様子を表徳門と名付けた。
それは真空の一面のみ停滞する、あらゆる個々の現象、自我に執着する気持ちを鎮め、妙有的な現実世界の種々の妙なる体解をもって自他の境界を超えて融合する。
この妙有を体解することが、密教の呪術である加持における第一歩となる。
不可思議な力の根源
密教は加持祈祷宗といわれる。
加持祈祷といえば、信仰した結果がこの世において実り、欲望が達せられる現世利益(げんぜりやく)的な側面がある。
したがって真言密教は、仏陀の悟りを追究する教えとは終着点が少し異なる。
真言密教は神秘体験の教えであり、密教の覚りは神秘体験ということになる。
それは神秘の力を纏い、大宇宙大生命体と一体となり、無限にあふれ、絶対的に揺るがず、永遠で深淵なる境地に住することを意味する。
その神秘的かつ霊的なエネルギー的存在と意識を共有することで神秘の力である加持祈祷の効果は顕われると密教はとらえる。
弘法大師空海の密教請来より前の時代、加持とは神仏の側からもたらされるもので、人間は神仏の慈悲に受動的に縋るというものだった。
だが、空海の祈祷法は受動的に神仏から慈悲を受けるというものではなく、能動的に自らが宇宙生命に融合して力を得て、自らが仏となって衆生を救済するという神仏と人間の関係の立ち位置を変換させた祈りである。
空海の密教の本領は視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚といった目・耳・鼻・舌・皮膚の5つの感覚器官の感覚では捉えることのできない神秘の感覚・神秘体験にあり、密教においては「覚り」と「祈祷」と表裏一体といえよう。
宇宙の真実の本性・実相は、すべてのものを包括し、生み出し、生かす本源である。
だが、その存在を自らの内に体得することで、自他という境界線を超えることが可能となり、そこで初めて祈る者と祈られる者の利益を現実化させる効験が顕れる。
それを促すのが密教の秘法であり、大いなる宇宙という真実在を自身の内在と感得することで、密教の祈りは成就する。
宇宙の本性である実相には、その至る所に微塵の世界が存在する。
事相とは、その微塵の世界に住む私たちが、宇宙の本性である実相と直結することで、その霊威を得るという、不可思議な威力を実際に発揮させるための威儀、経行の意義などを説き明かした行軌作法を指す。
しかし、その神秘の力を得るための修行をせず、その原理を理解しただけの知解に留まり、自らの不可思議な威力を体感するといった体解に至らなければ、いくら行軌作法を学んだとしても、それは形だけを真似ることであり事相の真実にたどり着けるものではない。
事相は、その目的に応じて2つに大別される。
一つは人間の社会的生活に関するもので、例えば除病延命や富貴安楽など現前の欲望を満たす現世利益である。
ほかの一つの目的は、自分自身が宇宙の編み出した神聖なる存在であるという、真理の自覚と理解である出世間の悉地に気づき、内在する宇宙の真理の本質を体感することにある。
真言密教が他宗とどこが異なるのか、それは秘密を重要な意義とすることにある。
真言密教の体系を述べた弘法大師空海の代表的著述の一つ『十住心論(秘密曼陀羅十住心論)』に「真言とは語密に就(つい)て名を得」と示されるように、密教では特に仏語の言葉の真実、文字の真実を重んじている。
「真の言(まことのことば)」は如来の説法が真実であるため真言といい、それは如来の覚りの領域であり、それを観取することで、事相である呪術を執する者は、神秘の世界を「体解」する動因となる。
語密という音の響きは人の耳に聞こえる物理的な音声だけではない。
それは、さまざまな現象の中に現れる物質の周期的な運動だったり、流体中を進む音波、真空中や絶縁体の中を伝わる電磁波や光波だったり、空間に加えられた変化が、周囲に伝わっていく波動や音も語密に含まれる。
音が生じるのは振動する媒体が存在して初めて発生するもので、顕在化した宇宙にあるものは、すべてが振動し、そこから波動が派生している。
物理学では、あるものの形態と、それが発する音には直接的な関係があるといわれている。
真言を正しく発音しなければならない理由は、人間の語密・振動周波数を大宇宙という真実性を象徴とする大日如来の波動と一致させるためであり、それにより行者と大宇宙が共鳴することとなり、密教行者はより高い次元へと上昇する。
それが、より精妙な霊験を手にする発露となる。
真言宗の真言とは、大宇宙の象徴・大日如来から発せられた如来の世界の音を享受するものであり、それは情報としての言語にとどまらず、叡智としての言葉を意味するものである。
「密」の2つの意味
真言宗は身密、意密、語密という三密瑜伽がその極意である。
三密が備わるのは人間や物質だけでなく、この世に存在するすべては、それぞれに身(体)、語(音)、意(志)の3つをもって形成され、存在し、活動しているととらえる。
宇宙を構成する要素と人を構成するものは同じもので、人と宇宙の物質や現象は同じ要素で生成されている。
そして、大宇宙も素粒子もまた、動物、植物、鉱物、水、細胞、原子、地球、太陽、大銀河にいたる万物のすべては、その形や色が身密、その音の響きが語密、個体として存在している意密の三密で形成され、存在し、活動している。
科学界において物質は仮の姿にすぎず、エネルギーのみが本質であるとする解釈がある。
その神秘的な霊的エネルギーが何らかの拍子で働き、現世に生まれ出て形づくられる。つまり目に見えない霊的エネルギーが天地を形成し、森羅万象を展開しているということになる。
たとえば花一輪を咲かすにも宇宙の意密は水となって潤わせ、光となって照らし、空気となってつみ、肥料となって養う。
「花、無心にして蝶を招き、蝶、無心にして花を尋ねる。花、開くとき蝶来り、蝶、来るとき花開く 知らずして帝則(ていそく)帝則(ていそく)(自然の摂理)に従う」
この良寛の歌は、霊的エネルギーが自己表現をするという摂理を花と蝶になぞらえたものだが、存在するものは、初めに意(志)が備わり、個体、つまり身(体)となって、それが音を発して語(音)となり、それが活動することで周囲に影響を与える。
三密の「密」には2つの意味がある。
一つは隠れているもの、あらわれていないものを指し「密」は万物の奥に隠れている、という意。
もう一つの「密」は、膨大な要素が詰まっているという意である。つまり、存在する様々なもの、森羅万象の真諦がぎっしりと詰まり、それらはすべての根源をなす。
密には森羅万象に影響を及す神秘の働きがある。
それは個体が全体に通じ合い、動植物もその細胞も、鉱物や水と原子も、その根底は同一で、世の中に存在する物質のすべて、一切の生命、意識、霊魂は森羅万象を織りなし、無数の天体となり、行雲流水となり、山河草木や諸種の動物となって顕在する。
その大宇宙という真実在の象徴・大日如来の意(志)という霊海から、この世に生まれ出た一滴を私たちの霊魂とするならば、私たちは大宇宙の一部として生まれ出た、如来の一部といえる。
仏陀と異なる密教の覚りとは何か
仏陀の覚りとは智慧と慈悲の獲得をもって衆生を救済するものだが、密教の覚りは知識の力で悟る知解では身につかず、体解によらなければ完全に習得することができない。
体解の「体」は物事が働くことのもとをなすもので、「解」はその本質を捉えて理解することの意である。
知解とは知識の力で悟ることを意味するが、知解は覚りの全体ではなく一部とみなし、そこに到る途中と密教ではとらえる。
密教では知解の段階で衆生救護の論理を習得し、そこで得た智慧を実証しながら現実の救いを実践する、それが体解であり、密教では体解を覚りの到達点と位置づけられている。
つまり、知解とは灼熱の火焔に向き合う護摩行をしている行者を観察し、その行程を涼しいところから眺めて理解したと感じるようなものだが、それでは実際の護摩行の本質を理解することはできない。
もし、本当に護摩行を理解するならば、三密瑜伽とともに修法が実際にどういう手順で行われ、どんな熱さかを肌で感じ、灼熱地獄の中に佇む神仏を知覚し、その神秘の力を受け止める必要がある。それが体解である。
密教の奥義は文章で伝えることはできない。だからこそ、心を以って心に伝えることが尊ばれる。
密教の「覚り」と「祈祷」は切り離すことができないものであり、神秘の力を纏い、大宇宙大生命体と一体となる境地に住することを意味するもので、一般の仏教である顕教のような「生死煩悩を解脱して覚りに達する」といった論理ではない。
行軌により仏の印契を結ぶ身密、仏の真言を唱える語密、心に本尊を念ずる意密によって万物と大宇宙生命がもつ三密とを一致させて結びつけ、実相の真実、大宇宙大生命体と合一をはかる。
大宇宙生命体の大いなる威力をもってして、行者が祈願者を救済するのが密教の覚りであり、醍醐味なのだ。
即身成仏を説く密教行者必須の論書『発菩提心論(金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論:龍樹著、不空訳)』には、無上菩提を身に付けるため普賢大菩提心に住すべし、と完全な覚りを求めるためには、菩提心の観行を修持することが求められる。
普賢の普は遍一切処(へんいっさいじょ)、つまり遍く一切の意で「あらゆるところに至る」ということ。賢は最妙善の義の意。
宇宙万象を擬神化した大日如来の意(志)とは一切を生かす大慈悲という意(志)であり、本来、宇宙には本来、これが充満しており、万物はその中にあって生成し化育している。
密教の覚りである実相の悉地は、伝統の修法に則り修することで、その感覚を知覚体解し次第に自身の心は無心へと向かい、すべての森羅万象の作用が流れ、満たされた神聖なる霊的な力と融合しながら、やがて虚空が全てを包むように、神仏と己が一切を共有する一如一体となる。
それが密教の覚りの妙味であり、その妙境の領域に入り、本尊と自身の一体性が示現すれば、一念は天地を貫き、一印は宇宙を動かす。
そうなれば自己を絶対者である大宇宙生命体に結びつけることで瑜伽観行の坐を起たなくともすべて、世界は意のままに照らすことがかなうと『発菩提心論』は明示している。
秘密瑜伽、秘密事相はその要諦となるものである。
© JBpress 提供 池口恵観著『秘密事相』高野山出版社刊
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