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「君は素晴らしい踊り手だ」私は彼に叫んだ。「君は音楽そのものだ」
「ありがとう」少し気取った感じで彼は答えた。
「君はいつもこんな風にやるのかい」
「まあね」と彼は言った。
そしてこのドワーフは足の爪先で美しい回転を行い、彼の柔らかな波打つ髪は風に流れた。私は拍手した。私はこれまで、これほど完璧なダンスを見たことがなかった。曲が終わるとドワーフは敬意をこめたお辞儀をした。彼はダンスをやめ、タオルで汗を拭いた。針がレコードの中心部でこつこつ音をたてている。私はプレーヤーのアームを持ち上げ、スイッチをオフにし、そのレコードを一番手近にあった空のジャケットに入れた。






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だが、こうしたゴタゴタはドワーフには何の問題もないようだった。かかっている曲が何であれ、それで踊ることができれば、彼は満足だった。その時彼が踊っていたのはチャーリー・パーカーのレコードで、そいつは「クラシック・ギター・グレート・セレクション」というジャケットに入っていた。彼の体は竜巻のように回転し、それはまるでチャーリー・パーカーのサキソフォンから注がれる荒々しい音のつむじ風を吸い上げているかのようだった。ブドウを食べながら、私は彼が踊るのを眺めていた。
彼は汗をかいていた。彼の頭がスイングするたびに彼の顔から汗が飛び散り、彼の腕が波打つたびにその指から汗が放射された。だが何者も彼を止められなかった。レコードが終わるたびに私はブドウの入ったボウルを新しいブドウのボウルに取り換えた。そして彼は踊り続けた。
一人の(一匹のと言うべきか)ドワーフが私の夢の中に現れて、ダンスを踊ってくれと私に言った。
それがただの夢だと私は知っていたが、その時の私は現実生活と同様、夢の中でも疲れていた。そこで私は非常に丁重にお断りした。ドワーフは気分を害した風もなく、自分ひとりで踊りだした。
彼は地面にポータブル・プレーヤーを置き、音楽に合わせて踊った。レコードはプレーヤーの周りに散乱していた。そのうちの幾つかを私はあちこちの山から拾い上げた。それらはまったくの音楽的ごた混ぜで、まるでドワーフはそれらを目を閉じて手に触れた限り集めたかのようだった。そしてどのレコードもその正しいジャケットの中に入っているものはなかった。ドワーフは演奏半ばのレコードをターンテーブルから取り上げ、ジャケットに入れもしないでレコードの山の上に投げ、その後でいい加減に手あたり次第のジャケットに入れた。グレン・ミラーのジャケットの中にローリング・ストーンズのレコードがあり、ラベルの「ダフニスとクロエ」の中にミッチ・ミラー合唱団があったりした。








ちょっと妙な試みをしてみようと思う。昨年イギリスに旅行に行った時に買った「BEDTIME STORIES」という本の中に村上春樹の短編小説が載っていたのだが、同じ本に載っている他の作者を見るとナサニエル・ホーソンとかR・L・スチーブンソンとかモーパッサンとかロード・ダンセイニなどの大物がほとんどで、新しいところではウラジミール・ナボコフとかアーシュラ・K・ル・グインなど、やはり知名度の高い作家ばかりである。その中に入っているのだから、村上春樹も大したものである。
私は実はどちらかと言えば村上春樹の作品は苦手で、あまり読んだことは無いのだが、この中に入っていた「ダンシング・ドワーフ」を少し読んでみると、これがなかなかの傑作であると思われた。そこで、英語からの重訳という形で、この作品を訳してみようと思う。
もちろん、私はこの作品の日本語原作は読んでいない上に英語も不得意なので、誤訳がたくさん出てくると思うし、実は真面目に辞書を引く気もあまり無い。辞書を引くのは必要最低限にして、知らない単語の大半は推測で訳すつもりである。だから、村上作品のまったくのパチモンになるわけだが、それでも村上作品のテイストが少しは出ることになるのか、ひとつの実験である。
とにかく、この作品のファンタジー風味はたいしたもので、村上春樹は短編作家としてのほうが才能はあるような気がする。と言っても、先に書いたように私は彼の作品はほとんど読んでいないのだが。
なお、著作権の問題は、先に書いたように、これは英文からの翻訳であり、村上作品そのものではない、ということで見逃してもらいたい。むしろ、作品の宣伝になる、くらいの広い心を原著者にはお願いしたい。
名所などで案内掲示や地図に英語や中国語とともにハングル表記が併用されていることが増えているが、それを見ていて、ハングルとは要するに、出来の悪いローマ字だな、と気が付いたので、ネットで探してみると案の定であった。まあ、出来が悪いというのは失礼だが、ローマ字で済むところを妙な字形にしたために、不要な負担を多くの人々に与えているから悪口を言ったのである。
見てのとおり、母音に相当する記号を子音相当記号の右か下につけるだけだから、ローマ字と何も変わりはしない。
そして、ハングルを強制的に国民に使わせた結果、漢字が読める人口が激減したというのは嫌韓サイトなどでよく言われることだが、それも事実だろう。
私自身は、差別意識はゼロだと断言したうえで、ハングルの採用は韓国や北朝鮮の人々にとって不幸だったと思う。



参考資料

  1. 「NHKラジオ基礎英語2」テキスト(平成11年5月号)
    「華麗なる世界の文字ハングル」金裕鴻 (NHKラジオ講師、NHK国際局アナウンサー等)
    ハングルでの五十音表が紹介されています。
  2. K.K氏(静岡県伊東市高校教諭)社会科の先生
    ハングルで自分の名前を書く、粘土板に楔形文字で名前を刻む等のユニークな授 業実践をされています。
    メールで自作の五十音表をお寄せ下さいました。「ん」の表記については、氏の方法を参考にさせていただきました。


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