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今時の漫画やアニメの作り手だと、「血液型は」「好みの食べ物は」「靴のサイズは」とやるのが「キャラの掘り下げ」だと思うのではないかwww





  1. さんがリツイート
    返信先: さん

    過去に悲惨な出来事があって世をすねた怪物みたいなキャラの、過去を具体的に掘り下げたら、ただケツの穴の小さい小人物みたいになっちゃう場合もありますねw

  2. さんがリツイート

    「キャラの掘り下げ」といい、二次創作でアニメキャラの過去や背景を描くことがあるが、たとえば丹下左膳が隻眼隻手になった事情が必要なのか(川口松太郎が書いたようだが)。彼は狂騒的な怪物としていきなり現われるべきで、そこに至るプロセスが克明に描かれたら、もう左膳でなくなるのではないか




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「ネットゲリラ」から転載。
「夙村」という名前の異常な禍々しさが興味深い。なぜ禍々しく感じるのだろう。「夙」という字は「夙(つと)に」と読まれる字で、別に不吉な字ではないと思うが、「屍」という字に似ていること、「死」という字にも少し似ていることなどが原因だろうか。
なお、山林に居住していた集団は「サンカ」などと呼ばれて、徴税対象ではなかったと思う。もっとも、「サンカ」は山林居住集団の中でも特別なものを言うのかもしれない。いずれにしても、封建時代の百姓は一種の奴隷だと思うのがいい。居住の自由(引っ越しの自由)が無い時点で奴隷である。世界的にも「農奴」と呼ばれる階級があった。日本の百姓もそれだが、豪農や富農というのも存在した。






柿渋集団の村

| コメント(1)
忽然と消えた村、というんだが、そういう話するなら、日本の三大秘境のひとつと言われる遠州京丸の話をしちゃうぞ、いいのか? 止まらないぞw というのは置いといて、中伊豆にもこうした廃村がありまして、丸い石を置いただけの墓があったり、異様な雰囲気です。ここは水がなくて水稲栽培ができず、長年、荒れ地だったんだが、静岡市が空襲に遭って被災者が出た時に、静岡市から被災者が移り住んだ土地です。ところが、山の高地で寒くて、水利が悪いので、ロクな作物が穫れない。街の復興が進むにつれ、いつしか人は去り、おいらが見に行った頃には二軒しか残ってなかった。今では一軒もないかも知れない。

嘉永4―5年(1851―52年)に書かれた「多紀郡明細記」に「柿渋師 夙村ノモノ」の記述がある。
柿渋は、未熟な青い柿の実を砕いて絞り、その汁を発酵・熟成させて作る赤褐色の液体。防腐・防水効果や、補強、医薬品、紙布の染料など、当時は多くの利用があったとされる。
酒井さんは、「夙の人々は柿渋を製造する職人集団で、柿を求めて各地をめぐる出稼ぎの人々だったのでは」と話す。
一時期、80戸を誇る大きな村を形成していた夙村だが、嘉永年間(1848―55年)のわずか7年の間に7戸にまで戸数を減らし、さらにその後、全戸がなくなったという記述が1884年(明治17)に編さんされた「兵庫県多紀郡地誌」にある。
「わずか7年間という短期間で7戸にまで減ったのは疫病が流行ったからでは」と酒井さんは推測。自寺の過去帳から葬儀件数を割り出したところ、同時期の件数が平年の4・4倍にも跳ね上がっており、近隣のほかの寺においても高い値を示している事実から、「村の9割近くがあっという間になくなってしまうということは、やはり流行り病が原因と考えてしまう」と話す。

その後、明治中期から後期にかけて味間南で火災が続いた。あまりに相次ぐ大火に、当時の村人たちはその原因を「消滅した夙の人たちの霊を放置しているからだ」とうわさした。
そこで村人たちは、夙の村跡の掃除をしたり、夙の氏神であった加茂神社の御神体を味間南の岩上神社に、仏像(阿弥陀如来坐像)を同集落の地蔵堂にそれぞれまつるなどした(1908年)。
さらに、山中に散在していた夙の人々の墓石を1カ所に集め、毎年、秋の彼岸には地元の住職を迎えて供養をするようになった。
以来、大きな火事は起こっていないという。

さて、こちらの話は兵庫県です。農村と、その近くの非農村という関係なんだが、農村と非農村では江戸時代の支配制度が違うんですね。農民は大名とか幕府の管理下にあって、移動を禁じられていた。逃げたら「逃散」といって、処罰の対象です。その土地に住み続け、支配者のためにコメを作って税金として収めるというのが、農民のお仕事です。それが非農村では、そもそも「山の中に勝手に住んでるだけ」なので、どこに行こうが勝手。コメが穫れないところに住んでいるので、支配者にとっては興味がない。どこにでも移動し、税金を収めないw 特権階級みたいなもんだが、それだけに農民からは妬まれ、エタヒニンとまで呼ばれる。農民から見ると、職人、商人のほぼ全部がエタヒニンです。正式な支配体制に組み込まれた「日本」の正社員w それが農民w それ以外は非正規w


◎「海馬 脳は疲れない」池谷裕二 糸井重里 のヒントによる思考素

・子供は記銘された量が少ないので、想起が容易であり、大人は記銘された量が多いので想起が困難になる。これが、「大人になると記憶力が悪くなる」と言われることの実体。逆に言えば、無知・無教養な人間ほど「物覚えがいい」。
・子供は白紙状態だから、刺激を印象深くとらえる。したがって、それを容易に記憶する。大人は生活が惰性化しているために、物事に対する印象が弱い。これが大人の記憶が弱い理由の一つ。物事に対する好奇心を持った人間は、大人でも記憶力がいい。
・好悪を決める脳の部位が扁桃体、重要と非重要を判断する脳の部位が海馬。この二つは近くにあり、連携している。つまり、「好きな物=重要」「嫌いな物=非重要」となり、重要と判定されたものは記憶され、非重要と判定されたものは記憶されない。
・ある作業に対して「やる気を出す」、つまり側座核を働かせるには、「まずその作業をやること」である。やることによって側座核が働き始める。
・脳は新しいものを警戒する。これは動物の生存本能による。文化現象でも、新しいものは攻撃される。
・脳は我々の無意識を支配しているが、我々の意識は脳を支配している。そして、我々の無意識はしばしば我々の意識を支配している。こうしたサイクルが、脳と意識のありようである。(BY N.T)
・新しいものへの好奇心があることは創造的人間の特徴である。逆に、新しいものへの拒否反応が強いのは、老化現象の一つである。つまり、知的成長への意欲よりも動物的生存本能が強くなり、無難な安定を求めているのである。
・ストッパーをはずすことで、新しい可能性が生まれる。
・酸化は老化に関係している。
・脳は疲れない。疲れるのは目や筋肉である。
・人間は視覚情報に頼る度合いが大きく、嗅覚や聴覚が弱い。
詳しい事情は分からないが、被害者母娘への「激しい怒り」を持っていた、ということは、学校内でのいじめなどがあった可能性もあるのではないか。
実は、「子供の受けているいじめへの復讐を親が行う」という内容の小説を考えたことがあり、そのうち構想を練ってみたいと思っていたので、少し気になる事件である。
案外と、子供の受けたいじめに親が報復する事件というのは少ない気がする。
子供の喧嘩に親が出る、というのはダメなこととされているが、いじめ事件だと逆に、親が出ないと問題は解決しないだろうし、学校に問題を持ち込むと(特にいじめっ子の親が有力者だと)有耶無耶にされるのではないか。
頭が良い親で子供がかわいくてならないなら、親が子供の復讐としての「完全犯罪」を計画してもおかしくはないだろう。
下の事件などは、突発的犯行だろうから、私の構想とは少し違うのだが。

 奈良県生駒市で昨年12月、当時小学2年の女児(8)を包丁で刺したとして、殺人未遂の罪に問われた女児の同級生の母親、岡田利恵被告(42)の裁判員裁判の論告求刑公判が25日、奈良地裁(西川篤志裁判長)で開かれた。検察側は「極めて危険で一方的かつ執拗な犯行」として懲役12年を求刑した。判決は27日に言い渡される。

 検察側は「女児とその母に激しい怒りを衝動的に爆発させた。鋭利な刃物で少なくとも21回刺したことは殺意に基づく」と主張。弁護側は「犯行後に救急車を呼ぶなどしており、殺意はなかった」として、保護観察付きの執行猶予判決を求めた。

 起訴状によると、岡田被告は昨年12月7日午後4時10分ごろ、同市鹿ノ台南の当時の自宅で、女児の左胸などを包丁で複数回刺し、殺害しようとしたとしている。女児は病院に搬送されたが命に別条はなかった。



ちょっと不思議な夢を見たので、メモしておく。
不思議というのは、まったく夢らしくない夢だったからである。つまり、夢らしい非現実性が無いわりに、自分自身のことでもない、何か小説か漫画かドラマの原作みたいな夢である。
まあ、仮にその主人公を私としておく。前にも、大学を中退した男が主人公のドラマを考えたが、ここでも私は高校か大学を中退して前途を見失っている男である。
その私が、あるきっかけで自動車修理工場か、自動車やバイクで何かを配達する小さな店の若主人に雇われ、その家に住み込むことになる。ちなみに、私はバイクには乗れない。で、話の中には、その乗れないバイクにいきなり乗らさられて、お得意先に行く仕事を一人で任され、おっかなびっくりで運転するシーンがある。
話の本筋というか、キモはそこではない。その店は隠居らしい元主人と若主人のほかに娘がいて、これが私と同じ高校生(あるいは私が大学中退なら年下の高校生)なのである。その娘に二人の友人がいて、こちらも高校生女子だ。その性格や言動が妙にリアルだったので、この夢の中で私は現実に生きていたような気分になったのだが、その気分を作品化できたら面白いな、と思ったわけである。
女子高生3人が周囲にいる話ならハーレム物に見えるが、さほど恋愛の雰囲気は(夢の中のシーンに出たかぎりは)無かったし、ましてエロい方面はまったく無い。
夢の登場人物(女子高生たち)の一人は山本恵子と言うが、他の人物の名前は分からない。もう一人は岡田美貴としておく。これが店の娘の友人二人だ。
前に書いた人物以外に、店の店員(工員と言うべきか)がいて、こちらは元暴走族か何かだが、悪い奴ではなく、一種の江戸っ子気質である。江戸っ子気質は主人公(私)以外の人物に共通している。そのさばさばした空気の中で「私」は教育し直され、生き直すという話だ。
作品化するなら、タイトルは道交法関係の言葉にしたい。「一時停止」とかその類だ。もっといい言葉で、この話にふさわしいのがあるかと思うが、当分、それにしておく。


山本恵子と岡田美貴のふたつは平凡だが覚えやすい名前であり、リアリティもあると思う。
店の娘の名前を思い付かないが、平坂という姓はどうかと考えている。山に岡ときたから、地形関係で坂である。平坂読という作家もいたが、それとは無関係。
今、名前を度忘れしたが、「パトレイバー」のヒロイン(?)の名前のような、物語のイコンになるような名前を考えたい。「今井優」はどうか、と思う。なるべく一字名がいいような気がする。二文字名だと他のふたりとごっちゃになるし。爽やかな風を感じる名前がいいのだが、思いつかない。

「人生修理工場」という作品タイトルを考えたが、「人生」という漢字が古臭い。もっとサラっとしたタイトルがいい。トルーマン・カポーティの「ティファニーで朝食を」のような。「僕はアンダーリペア」ではどうか。







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