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今時の若い人はヘミングウェイなど読まないだろうから、彼の作品の中であまり知られていないものを、私が「超訳」してみようと思う。前に、「踊るドワーフ」でやったみたいな奴だ。知らない英単語は辞書を引くかもしれないし引かないかもしれない。おそらく原作の版権は切れていると思うが、切れていないかもしれない。まあ、わざわざ日本語訳まで調べはしないだろう。
作品は「THE SEA CHANGE」という、原書で5ページほどの短編で、日本語ではどういう題で訳されているかは知らない。「潮の変わり目」かもしれない。何ということもない若い男女の痴話喧嘩で始まる短編だが、その一方にとっては、まさに人生の潮の変わり目かもしれない或る出来事と、その周辺の日常的風景の対比の残酷さが面白い作品だ。
少し、内容を露骨に表しすぎる題名だが、「心の死刑宣告」という題名にしておく。「夏の終わり」というのも詩情があっていい。もちろん、「終わり」は季節の終わりだけではなく、別の何かの終わりも意味している。


   「心の死刑宣告」


「分かったよ」
若者が言った。「それでどうだい」
「いやよ」少女が言った。「できないわ」
「やる気が無いってことだろ」
「できないって言ったの」少女は言った。「そう言ったじゃない」
「そりゃあ、やる気が無いって意味だろ」
「いいわ」少女は言った。「何とでも好きなように取ればいいわ」
「そういう問題じゃない。俺はそうしてほしいんだ」
「しつこいわよ」少女は言った。

朝の早い時間で、カフェの中にはバーテンと、隅のテーブルで向かい合っている若い二人以外には人がいなかった。今は夏の終わりで、その二人は日に焼けており、パリの街では場違いに見えた。少女はツィードのスーツを着て、肌はなめらかな金褐色をし、そのブロンドの髪は短くカットされ、額の周りを美しく飾っていた。若者は少女を見た。

「あの女、殺してやる」彼は言った。
「お願い、やめて」少女は言った。彼女の腕はほっそりとし、日に焼けて美しかった。彼はその腕を見た。
「やってやる。神に誓ってな」
「あなたが不幸になるだけよ」
「ほかにやりようがあるか?」
「何も思いつかないけど、本気なの?」
「言っただろ」
「だめ、本当に、だめよ」
「自分でも分からないんだ。どうすればいいのか」彼は言った。少女は彼を見て、手を伸ばした。「可哀そうなフィル」彼女は言った。彼は彼女の腕を見たが、その腕に触れようとはしなかった。




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この書き方だと、石子順というのが「漫画における差別」問題に関して嘲笑の対象になっていると思われるが、どういうことなのか、調べようがないのでこちらの居心地が悪い。(自分と無関係でも、他人がほとんど知っていて自分が知らないのは居心地が悪いのだ。)そもそも、石子順と石子順造の違いが分からない。まあ、昔から名前は知っているが、たぶんどちらも漫画業界に関係の深い批評家か何かで、名前が似すぎていて区別がつかない。






さんがリツイート

石子順の話題が出ると、「待ってました!」的な笑いが出る訓練された観客たち





(追記)気になって調べたが、特に嘲笑の対象となる言動があったようには見えない。むしろ、「はだしのゲン」を高く評価するなど、差別問題と真摯に向き合った人のように思えるが、上記の「笑い」の理由は何なのか。



石子順

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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石子 順(いしこ じゅん、1935年1月10日[1]- )は、日本漫画評論家、映画評論家。本名は石河 糺(いしこ ただし)で、1960年代後半ごろから「石子順」のペンネームを使用する。

評論家の石子順造とは名前が似ている上に、主たる評論分野が同じ漫画及び映画であり、活動期間が1970年代において重なっていて、しかも両者ともに日本共産党との関係が深い(石子順造は離党している)ために混同されやすく、親子もしくは親戚とおもわれている場合もあるが全くの別人で血縁関係もない。

石子順造も石子順同様にペンネームであり、両者の年齢は7歳しか違わない。

来歴[編集]

京都府京都市生まれ。1961年、東洋大学文学部卒。1960年代から1970年代にかけての漫画評論草創期における活躍が特に知られる。当時PTA教育委員会から「悪書」とされた漫画の地位および質的な向上に尽力し、また、政治的な問題で集英社が出版を躊躇していた週刊少年ジャンプ連載漫画「はだしのゲン」全4巻(当時)の刊行および一般への普及に大きな役割を果たす。『手塚治虫 漫画の奥義』などで、手塚治虫に対するインタビューの手腕でも評価が高い。

2002-05年和光大学表現学部教授(視覚文化論)[2]。映画についての研究も多い。





日本が「アジアのアートの拠点」だった時代や時期が存在するとは思わないし、特に「現代アート」に関しては、(もともと西洋の物まねとして始まったため)海外から評価されたこともほとんど無いような気がする。
下の「芸術家」は、確かエロとグロを主なテーマとする「現代アート」の人間だったと思うが、一般庶民はもう少し上品な志向性を持っているのではないか。
ただし、日本の伝統文化の中の美術性は海外でも高く評価されており、それには「現代アート」の自称芸術家たちはほとんど寄与していない。むしろ、漫画やアニメ(芸術家ではなく、職人の創造物)などをアートとして評価している海外の人間は結構いる。




さんがリツイート

アジアの「アートの拠点」が日本でなくなったのは現代アートに無理解な一般人のせいという芸術家の被害妄想的なツイートを読んで、日本が一時期「アートの拠点」だったのは経済の御蔭で一般人にそこまでの影響力はないということを知っていて、あえて一般人にぶつけたいものがあるんだろうなと思った。



このツィートを見て、即座にレイ・チャールズの「愛さずにはいられない」の歌詞の一節を思い出した。(原題の「I can't stop loving you」は、「愛さずにはいられない」ではなく、「君を愛することは止められない」と訳すのが正しいが、もちろん、こんな間延びしたタイトルではダメである。)うろ覚えだが、こんな一節だ。

They say that time heals the broken heart,

But time has stood still,since we've been apart 





さんがリツイート

今日、テーブルに頭ぶつけた息子が泣いてたから、「時間がたてば治るよ」って声かけたんだけど。しばらくして頭さすりながら「時間まだ座ってるね」って言っててかわいさに悶絶した…そうだね、立つの反対は座るだよね。

今、ロシア語の表記を覚えようとしているのだが、キリル文字アルファベットを書く方は何とかなりつつあるが、読む方は覚えきれない。そのために、下のツィートの発言者の名前の読みが気になるので、一字一字その字の発音との対照をしてみると、
「ハヤーミ・ラセンジェイン」となるだろうか。「ハヤーミ」は「速見」か「速水」か「早見」だと思うが、下の名前が日本人の名としては読めない。
なお、肉欲棒太郎は「ナニワ金融道」の登場人物だったと思うが、ソムデン・ポチョムキッドが記憶に無いので元ツィッターを見ると、「じゃりン子チエ」に出てきたらしい。それほどインパクトのある名前だろうか。むしろ、タイあたりにいかにもいそうな名前に思える。






さんがリツイート

死ぬまで脳裏に刻まれているであろうインパクトネームといえば、肉欲棒太郎とソムデン・ポチョムキッドですかね...



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