忍者ブログ
[12]  [13]  [14]  [15]  [16]  [17]  [18]  [19]  [20]  [21]  [22
日本の侍に盾というのは似合わないし、あまり合理的でもなさそうである。ただし、古代の戦では盾は使われていたはずで、鎌倉(平安末期)以降は、騎馬戦が普通になったから盾を持たなくなったとも考えられる。騎馬で盾を持つことは不可能である。騎馬なら、刀を鞘に入れておくことも不合理だろう。常に抜き身で持っていて、片手は手綱を持つわけだ。盾を持つのは不可能。
もちろん、遠距離戦ではまず弓で戦うだろう。その場合も盾を持つことは不可能。
江戸以降は、実戦そのものが無いし、日常で盾を持つのは馬鹿でしかない。防御のためなら鍔があるし、刀身自体が防御用でもある。そもそも、盾自体が「死ぬのを怖れる」意識のシンボルでもあるから、侍がそういう意識を他人に見せるはずがない。
下のタイトルの、「鎧が頑丈だったから」は、まったくのナンセンス。

有識者「日本の武士が盾を持たなかった理由は鎧が頑丈だから、あと片手武器が無かったから」

1名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:44:38.64 ID:N/+fE79N0
西洋だと頑丈そうな鎧着てても盾持ってるのにな
no title

no title

no title

2名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:45:17.05 ID:CECLI4Bba
肩に装備してるのが盾みたいなもんだぞ
ガンダムに出てくるザクと一緒や

3名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:45:51.75 ID:J5PvLVlBd
片手武器って武蔵が二刀流しとるやんけ

4名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:46:04.99 ID:6T8JtvvBa
ロングボウやからやろ
イギリスもその路線になったらプレートメイル飾りになったやん

5名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:46:11.33 ID:jBhukLh20
こいつらこけたらおわったらしいな

7名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:47:51.55 ID:ySNxceFor
鎌倉武士か江戸の士族かで全然違うやろがい

10名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:49:21.47 ID:l7KNBX3Vd
それにしても効率わるくね
ゲームと違って出血したら終わりやし盾は有用やろ

11名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:49:47.22 ID:m7OWG9qj0
弓 両手武器
槍 両手武器
刀 両手武器

12名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:52:31.66 ID:xeyFABHMr
持たなかったと言われても普通に盾もつかってるんだが

13名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:52:48.75 ID:N/+fE79N0
有識者「二刀流は嘘!!日本刀は重いから片手では振れない!!」

西洋人「片手にバトルアックス、片手に盾ッスw」

平均150cmの限界か

17名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:53:35.36 ID:CECLI4Bba
>>13
当時は西洋人も平均身長150とかやぞ

14名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:53:21.30 ID:bj/pAUrI0
全身鎧あるなら盾いらんやん
実際他の国もそうやん儀礼的なので使うかも知らんが

15名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:53:21.76 ID:nCPk8vOt0
ザクみたいな盾にするのがええと分かったんや

no title

16名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:53:34.09 ID:N8jygtoy0
この西洋の鎧って実際着たら動けなくねぇか?

18名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:53:59.90 ID:CECLI4Bba
>>16
実際転んだら自分で起き上がれない

19名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:54:18.19 ID:Fduc4JxjM
日本でも弓防ぐために盾使ってたやろ
板みたいなやつ

25名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:55:20.96 ID:CECLI4Bba
>>19
設置するやつな
あと鉄砲対策に竹束なんてのもあった

20名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:54:22.78 ID:AoDWLGdrr
両手持ちの槍が強いから

22名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:54:29.89 ID:lmNBivRB0
盾はダサいからやで
武士の美意識はすごいよ

24名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:54:40.70 ID:LsKY6VoYd
盾は有能やぞ
ソースは自殺島

27名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:55:54.98 ID:ztdK8X5Qa
アジア圏に手持ちの盾の文化がなかっただけじゃね

32名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:56:51.75 ID:CECLI4Bba
>>27
中華の歩兵も盾持たないんだっけ?

28名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:55:59.89 ID:R5TdH/Ki0
平野で戦わないからやないのかね

31名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:56:30.24 ID:N3OUr95F0
実際、刀剣って武器としては中途半端だよな

36名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:57:47.84 ID:+pvgYO2r0
>>31
武士は武道も心得てるからな
刀が無くなっても戦えるように訓練してる

33名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:57:32.72 ID:bsqg/AAa0
武士「いや、馬乗るし‥」

35名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:57:42.23 ID:nQ5IJO9Z0
西洋は盾に紋章描いたりとそれがステータスだったから長く残ったと聞いた。それでも後の方になったらなくなったけど

40名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 13:58:56.54 ID:CECLI4Bba
>>35
鎧に描いちゃいかんのか?
日本だとよく胴丸に家紋ついてたけど

52名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 14:04:28.04 ID:Va4v5v7jd
プレートメイルだけでも矢は防げそうやけどなあ
強度でではなく丸みを帯びた形状で滑らせる感じで

58名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 14:06:46.91 ID:nQ5IJO9Z0
>>52
まあ矢が相手だと盾は安心できる。日本でも矢戦だと置盾使うし

60名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 14:07:14.86 ID:7xMgPdKw0
エアプやん小手が盾やし矢防ぐ用の盾も普通にあるわ

77名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 14:12:45.82 ID:gXgl0czC0
盾は武器です
これを守りに使う人、みんな馬鹿ですw

84名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 14:14:29.34 ID:gBLs0PwP0
>>77
ポリコレに負けたアメリカのヒーローかな?

78名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 14:13:17.25 ID:BgOahJXo0
っぱ攻防一体型のランタンシールドよ
no title

92名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 14:16:05.29 ID:rbklsDOv0
手持ちの盾とか相当リスト強くないと保持できなくない?

94名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 14:16:14.85 ID:RaT0yCdW0
武士って重装弓騎兵やろ
そら盾なんて邪魔くさくて持たないやろ

98名無しのアニゲーさん 2023/08/09(水) 14:17:18.36 ID:dppsRLiR0
片手で持つ盾って重量武器とか長物に対してあんまり役に立たなそう
PR
森博嗣のウェブエッセイの一節だが、ある程度は納得できる説だ。
ただ、西尾維新のような「雑学が小説内容のほとんど(と思われる)」の小説を書く前提には膨大なインプットがあるだろう。まあ、既にインプットのたくさんある読者には、読んでも時間つぶしにしかならない気がするが、無知な若者にとっては有益な読書かもしれない。もちろん、知識を並べるだけで小説にはならないから、キャラ作りをし、「お話」の骨組みもあるだろうが、アニメで少し見た限りでは、話らしい話は無いように感じた。何やら、奇妙な名前を持った変な性格の、人間と妖怪の中間的存在が、わけのわからない会話を延々とするのである。


(以下引用)


読書量も最近は多い。同時に数冊を読む。ただ、小説は一切読まない。読書には古いKindleをまだ使っている。ページを捲るだけだから、少々反応が遅くても我慢。

 このようにインプットの時間が増えているのは、歳のせいだと思う。いろいろ億劫になったし、体調を考え、無理をしない。さらに、文章を書く仕事を順調に削減できたことも大きい。

 小説を書こうと思ったら、このようなインプットは障害となる。何故かというと、面白い作品に出会うたびに、「こういうものは書けないな」と感じるから。世の中にもう存在しているものは、忌諱の対象となる。創作とは、まだ存在しないものを生み出す行為なので、もしなにも知らなければ、無限の可能性がある。インプットして既存のものを蓄積するほど、創作の自由度が縮小する。


「silverfish files」というブログの読書記事から転載。
私の別ブログに載せたかもしれない記事だが、ここに載せるのは、ある意味、私の理想とする小説のスタイルがこれだからだ。漱石の「吾輩は猫である」も理想だが、あれは結構、話がしっかりしていて破綻はあまりない。ただし、寺田寅彦が批判していたように、最後のあたりではキャラ同士の会話が、「そのキャラ」だからそう話すのではなく、作者の思想をキャラに分割して喋らせているだけになっている。おそらく漱石が「猫」に飽きたのだろう。しかし、それが目立つのは実は、「猫」のそこまでの書き方に破綻が無かったからである。
尾崎士郎の「三国志」は、最初から最後まで滅茶苦茶で、そこが面白い。ついでだが、私がチッペラリー(遥かなチッペラリー)という軍歌を知ったのは、この小説によってである。古代中国で軍隊が行進する時に兵士らが歌うのが、英国軍歌「遥かなチッペラリー」なのであるwww

(以下引用)

018年2月28日 (水)

尾崎士郎の「三国志」

新説三国志/尾崎士郎(河出新書,1955)
 尾崎士郎といえば、戦前・戦中・戦後にわたって活躍した大作家で、『人生劇場』で一世を風靡したことで知られる。東京と愛知県の二箇所に記念館があり、文豪と言ってもいいだろう。
 この本は古本でたまたま見つけて買ったもので、新書版、200ページ程度の薄い本。三国志を語るにしては妙に短い。もともと「三国志」ものに興味があったから買ったので、尾崎士郎の名前で買ったのではない。
 とはいえ、何しろ大作家の書く三国志だから、どんなすごい作品かと思ったら…。
 これがとんでもないシロモノで、怪作としか言いようがない。どこからつっこんでいいのかわからない。

 登場人物のセリフが完全に現代語だとか、地の文に「テーブル」とか「ジャック・ナイフ」とかやたらカタカナ語が出てくるとか、それどころかセリフにまで「オー・ケー」とか「サンキュー・ベリー・マッチ」とか英語が混じる。
 しかしそれはまだいい。基本設定に矛盾があるのは困る。
 例えば、諸葛亮が初登場する時の年齢設定がおかしいとか。「まだ三十には間があると思われる年配であるのに、細長い顔に粗髭をのばし」などと書いてあるが、この時はまだ物語の序盤、何進が暗殺される直前なのである。とすれば189年、孔明はまだ8歳のはず。いくらなんでも年齢が違いすぎ。
 何よりも、ストーリーが何だかおかしい。肝心なところをはしょりまくっていて、話のつながりがめちゃくちゃになっている。黄巾の乱の後、劉備は督郵をぶん殴って行方をくらまし、いつの間にか流浪の軍団の長となって荊州に出現する。その間、呂布も出てこないし官渡の戦いもない。劉備と曹操とのからみも一切なし。
 そして話は、劉備が諸葛亮を軍師に迎え、新野に曹操軍を迎え撃つ直前で唐突に中断する。作者のやる気がなくなったのかと思ってしまうような中途半端な終わり方。
 まったく、なんじゃこれは、と言いたくなる小説だった。ある意味すごい。

 実は尾崎士郎の小説、他には1冊も読んだことがない。まさかこんな変な話ばかり書いていたわけではないだろう、と思いたい。

Shinsetsusangokushi

最近よく言われる「無敵の人」は、確かに無敵である。
しかし、その種の人間が卑小にしか見えないのは、その行為が単なる身近な他人や通りすがりの人間の大量殺人にすぎないことが多いからである。つまり、「無敵」であるはずなのに、「弱敵」しか相手にしない卑怯さが、彼らを軽蔑すべき存在にしている。
これがたとえば北一輝とか大塩平八郎になると、国家や政府を相手に立ち上がった彼らの行為は、まさに英雄的行為である。いや、革命的行為だけが英雄的なのではなく、「強敵」に対して立ち上がった行為が英雄的なのである。それが世間的には悪と見做されても、それは英雄の行為だ。その種のものには、たとえばマルキ・ド・サドやニーチェがいる。文筆行為の中には、その種の英雄的行為がよく見られる。文筆の徒は柔弱な者と見られることが多いが、実は英雄にしかできない行為を為したことも多いのだ。ただし、それが人類の利益となる行為だったかどうかはまた別の話である。それで害を受けた善良な者たちも多いだろう。ここでは、善であれ悪であれ、普通人ができない行為をした者を英雄としている。

「無敵の人」がなぜ無敵になるか、その根本を言おう。それは、自分の人生と生命を捨ててかかるからである。それはしばしばその人の家族の人生も犠牲にする。だから、革命家と犯罪者は「無敵の人」としては同類なのである。
世間の多くの人が不自由と不満の人生を送る理由もまた同じ盾の半面だ。我々は、自分の人生、家族の人生を守るためにあらゆる不自由を忍んで生きるのである。
老人などは、もはや守るべき生命もほとんど無いのに、なぜあらゆる不自由を耐え忍ぶのか。それは、自分が明日死ぬ、という覚悟ができないからである。そして、自分の現状を作っている、社会的地位、名声、親類縁者などへの未練があるからである。

この一文は読みかけのトーマス・マンの「魔の山」の一節から想起した思念を書いたものなので、その一節(2か所)を引用する。

こういう事態(注:肺病からの回復が絶望的で、余命がほとんど無いこと)から僕にゆるされるすこしばかりの自由を、みなさんに大目にみていただきたいんです。高等学校で落第ときまってしまって、教師に質問もされないし、宿題もやらなくていい、あれと同じなんです。あの幸福な状態に僕は最後的にたどりついたんです。僕はもうなにもしなくていいし、もう数にもはいらない人間で、どうにでもなれなんです。



彼の感じたこと(注:主人公ハンス・カストルプ自身が、前述の若者アルピンの述懐を聞いて、彼自身の落第の経験を思い出したことへの感想)はだいたいつぎのようなことになる。つまり、名誉はりっぱな結構な特典をあたえてくれるが、不名誉もそれにおとらぬ結構なものであって、むしろ不名誉の特典はまったく広大無辺ともいえる性質のものである、というものであった。


多島斗志之の「症例A」を読了したが、凄い傑作である。ただ、さほど話題にもならなかったのは、題名のせいと、作者の知名度の低さのためだろう。これが若手の作家なら、その年の話題ナンバーワンになっていたと思う。
それよりも、題名が問題だ。まず、書店で買いたくなるタイトルではない。まるで魅力の無い題名である。もちろん、作者は報道記事における「少年A」「少女A」と同じく、病名を伏せながら、その病名が問題だ、ということを暗示したのだとは思う。しかし、一般人にとって魅力のある題名かというと、まったく魅力がない。もっと安直に「七つの顔の少女」とでもしたら良かったのではないか。ただし、真のヒロインは少女ではなく三十代の女性だが、それだと「売れない」ので、そこは誤魔化すわけだ。

なお、全体の話より、作中に出て来るエピソードで、敗戦時の日本で、美術館職員たちが進駐軍による美術品没収を怖れて、美術品の贋作を大量に作る話があるが、これなど、2時間くらいの娯楽映画に最適の話である。いわゆる「コンゲーム」(ゲーム的詐欺)物だ。有名どころでは「スティング」などがそれである。話の最後は、贋作作成集団の頭が、秘密の場所に保存した美術品を過誤による火災で焼失した、と言いながら、実はそれを独り占めして海外に売り、巨額のカネを得るという、これもまさにコンゲーム的オチである。
<<< 前のページ 次のページ >>>
プロフィール
HN:
冬山想南
性別:
非公開
P R
忍者ブログ [PR]

photo byAnghel. 
◎ Template by hanamaru.