戦艦大和に関する軍事オタクのスレッドコメントの一部だが、「大艦巨砲主義」の根本的誤りを見事に指摘している。そもそも、巨砲主義というのは、「敵の弾の届かない遠距離から撃って、こちらの弾は相手に当てたい」という素朴な考えだが、移動する相手に遠距離から撃っても、弾が相手に届くころには相手は移動しており、その移動位置を予測して撃っても、まず当たるはずはない。つまり、盲撃ちみたいなものだ。基本を考えただけでも巨砲主義の愚かしさは分かるはずだが、当時の海軍上層部は日露戦争の日本海海戦の幻想に囚われ続けていたのである。
29: 天王星(神奈川県) [BR] 2019/08/13(火) 19:44:39.17 ID:/opGhUAt0
あの大砲は対地攻撃にこそ有効だった
動く標的に長距離で撃っても当たらない
動く標的に長距離で撃っても当たらない
768: ベガ(山城・丹波・丹後國) [US] 2019/08/14(水) 07:23:52.60 ID:W36dbRxh0
>>29
これだわ
これだわ
まあ、その地獄状態である「プロ」創作家の存在によって我々創作愛好者は無数の傑作や名作に出逢えて幸福を得られるわけで、これはある意味では「他人の不幸が自分の幸福になる」悪魔のサイクルである。そして、カネが得られるということによって彼らは膨大な傑作や名作を生み出す。私は「搾取のサイクル」である資本主義を否定する人間だが、創作活動ということに関しては資本主義は物凄いエネルギーを生み出すものだとは思う。
山本貴嗣 @atsuji_yamamoto 59分59分前
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編集の意見を聞くこともなく、描きたい時に描き、描きたくないときに描かず、すべて好きに出来る同人誌には、けしてプロでは味わえない幸せがあります。
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ちなみにプロで漫画を描いていくのは、生まれ変わっても(そんな気はないが)二度とやりたくないくらいしんどい。一生漫画を描いていたいほど漫画が好きな自分でもそんなにしんどいことを、うかつに人にすすめられない。
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自分は一生漫画を描いて死にたいくらい漫画が好きだが、ほんの1時間でも机に向かうのは拷問という人がいるのも知っている。あなたも描くと幸せになるかもしれませんよ、とか、興味の無い人に間違ってもすすめない。
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単なるメモだが、どうも戦の陣形というのはピンと来ない。まあ、鶴翼くらいなら、両側から相手を押し包んで攻めるのだろうくらいは想像できるが、それ以外の陣形の意味が分からない。なぜ一列横隊の陣形が無いのかも分からない。鶴翼がそれに近いか。
週刊朝日ムック「歴史道Vol.5」では、戦国合戦を大特集。源平がしのぎを削ったその勃興期、一対一で相まみえることが原則だった武士の戦い。しかし蒙古襲来、鉄砲伝来などの新しい風を受けて、合戦は集団対集団の形態に移行。雑兵・足軽を重用する戦術や陣形が練り上げられていった。ここでは「三国志」の時代に生まれた兵法を日本流の軍学が昇華させた「八陣」を紹介する。
※「長篠・設楽原の戦い」が首位! 戦国大合戦ランキング
【山中などの狭い地形の突破に適した「長蛇」と、広い場所での接近戦に向く「雁行」】
* * *
■諸葛亮の策を伝えた「八陣」の虚実とは?
合戦をするとき、数千あるいは数万の軍勢が勝手に思い思いに戦っても勝ち目はないわけで、やはり、規則正しく、組織だって戦う方が有利である。陣形を整え、鎗隊・鉄砲隊というように隊列を組んで攻めかかった方がいいし、また、守る場合も守りやすい。
では、そもそも基本的な陣形とされる「八陣」というものは、いつ、どのように生まれたものなのだろうか。文献的には、『続(※1)日本紀』の天平宝字4年(760)の条に、日本人軍師第一号などといわれる吉備真備が唐から「諸葛亮(しょかつりょう)八陣」をわが国にはじめて伝えたとみえる。諸葛亮は諸(※2)葛孔明のことである。
「八陣」とは、魚麟(ぎょりん)・鶴翼(かくよく)・雁行(がんこう)・長蛇(ちょうだ)・偃月(えんげつ)・鋒矢(ほうし)・衡軛(こうやく)・方円(ほうえん)の八つの陣形のことをいう。
魚麟は、全体が魚の形になり、一隊一隊をそれぞれ鱗うろこにみたてたものである。鶴翼は、ちょうど鶴が翼を広げたような形になり、鶴の頭の部分に大将が位置するようになっている。この魚鱗と鶴翼は最もオーソドックスな陣形といってよい。
雁行は、雁が飛んでいく形に陣形を整えたもので、偃月は、彎月(わんげつ)ともいい、三日月形をした陣形で、鋒矢は、矢印の形、長蛇は字の通り、まっすぐ一列の陣形で、衡軛は互いちがいになる形で、方円は全体が円を描くような形である。
こうした「八陣」が、実際の戦国時代の合戦でどのように用いられたかはわからない面もある。江戸時代になって、軍学の流行とともに人びとの注目を集めたという側面もある。そこで、江戸時代に書かれた軍記物に、「八陣」がどのように描かれていたかを知るために、具体例を二つほどあげておきたい。
一つは豊後の戦国大名大友氏の『大友興廃記』で、そこに、「此度(このたび)の敵魚麟の陣をとらば、味方は彎月の陣をはるべし。方円をとらば、此方よりは雁行をとるべし。鶴翼をとらば、長蛇をとるべし。鋒箭をとらば衡軛を取べし。軍法の義は、兼々ならしをかるゝといへども、今弥(いよいよ)念を入、今日は軍の議定を成され、明日早天に御入数を出されん事御尤もっともに存候」と記されている。
もう一つは播磨三木城の別所長治の軍記『別所長治記』で、別所氏の陣形と方角の関係について次のようにみえる。
味方南に陣取る時、敵北に陣を張る時は、北より南を水剋火と剋す。此の時、味方衡軛に陣を張る。衡軛は四方。西方は土也。土剋水と剋す。味方北に陣をはる時、敵南に陣取る。水剋火論ずるに及ばず。敵若し衡軛を張らば、味方方円・団形・魚鱗の陣を張るなり。
団形は木、衡軛は土なれば木剋土と剋す(以下略)。
五行思想の五方、すなわち、東が木、南が火、中央が土、西が金、北が水で、五行相剋がベースになっていたとする。(監修・文/小和田哲男)
(※1)しょくにほんぎ/文武天皇から桓武天皇まで(697~791年)の95年間を編年体で記した国史。六国史の一つ。
(※2)しょかつこうめい/三国時代の蜀漢の政治家、戦略家。劉備からの三顧の礼を受けて仕えたと伝えられる。
※図版作成/アトリエ・プラン
※週刊朝日ムック「歴史道Vol.5」より
勝つための基本陣形「八陣」大研究
短期連載「戦国合戦の作法と舞台裏」(2)

図版左から「鶴翼」「魚麟」
※「長篠・設楽原の戦い」が首位! 戦国大合戦ランキング
【山中などの狭い地形の突破に適した「長蛇」と、広い場所での接近戦に向く「雁行」】
* * *
■諸葛亮の策を伝えた「八陣」の虚実とは?
合戦をするとき、数千あるいは数万の軍勢が勝手に思い思いに戦っても勝ち目はないわけで、やはり、規則正しく、組織だって戦う方が有利である。陣形を整え、鎗隊・鉄砲隊というように隊列を組んで攻めかかった方がいいし、また、守る場合も守りやすい。
では、そもそも基本的な陣形とされる「八陣」というものは、いつ、どのように生まれたものなのだろうか。文献的には、『続(※1)日本紀』の天平宝字4年(760)の条に、日本人軍師第一号などといわれる吉備真備が唐から「諸葛亮(しょかつりょう)八陣」をわが国にはじめて伝えたとみえる。諸葛亮は諸(※2)葛孔明のことである。
「八陣」とは、魚麟(ぎょりん)・鶴翼(かくよく)・雁行(がんこう)・長蛇(ちょうだ)・偃月(えんげつ)・鋒矢(ほうし)・衡軛(こうやく)・方円(ほうえん)の八つの陣形のことをいう。
魚麟は、全体が魚の形になり、一隊一隊をそれぞれ鱗うろこにみたてたものである。鶴翼は、ちょうど鶴が翼を広げたような形になり、鶴の頭の部分に大将が位置するようになっている。この魚鱗と鶴翼は最もオーソドックスな陣形といってよい。

図版左から「長蛇」「雁行」

図版左から「鋒矢」「偃月」
一つは豊後の戦国大名大友氏の『大友興廃記』で、そこに、「此度(このたび)の敵魚麟の陣をとらば、味方は彎月の陣をはるべし。方円をとらば、此方よりは雁行をとるべし。鶴翼をとらば、長蛇をとるべし。鋒箭をとらば衡軛を取べし。軍法の義は、兼々ならしをかるゝといへども、今弥(いよいよ)念を入、今日は軍の議定を成され、明日早天に御入数を出されん事御尤もっともに存候」と記されている。
もう一つは播磨三木城の別所長治の軍記『別所長治記』で、別所氏の陣形と方角の関係について次のようにみえる。

図版左から「方円」「衡軛」
団形は木、衡軛は土なれば木剋土と剋す(以下略)。
五行思想の五方、すなわち、東が木、南が火、中央が土、西が金、北が水で、五行相剋がベースになっていたとする。(監修・文/小和田哲男)
(※1)しょくにほんぎ/文武天皇から桓武天皇まで(697~791年)の95年間を編年体で記した国史。六国史の一つ。
(※2)しょかつこうめい/三国時代の蜀漢の政治家、戦略家。劉備からの三顧の礼を受けて仕えたと伝えられる。
※図版作成/アトリエ・プラン
※週刊朝日ムック「歴史道Vol.5」より
前回書いた田口俊樹訳の「泥棒は図書室で推理する」(原題は「図書室の泥棒」というあっさりとしたものだが、このタイトルの訳はいいのか悪いのか判断が難しい。)の中に、ケネス・グレアムの童話というか、子供向けの小説である「たのしい川辺」に「ウィンド・イン・ザ・ウィロウ」と振り仮名がつけてあり、この種の振り仮名がこの作品(翻訳)には多くて非常に助かるのだが、「ウィンド・イン・ザ・ウィロウ」には頭をひねった。直訳すると「柳の中の風」である。「風の中の柳」なら意味も分かるが、動物の気管じゃあるまいし、柳の中に風があるのは妙である。そこで、(私はこの有名な児童文学を読んでいないので)あれこれ考えたのだが、たとえば、登場人物(擬人化された動物)のひとりが、言葉の言い間違いをする癖があって、それが特徴になっている、という考えなど。一番簡単なのは原題が「wind in the willows」つまり、「柳の林の間を吹き抜ける風」なのではないか、というものだが、まさか英文翻訳家である人間が、英語では重視される単数と複数の違いを無視するという、そんな初歩的な間違いをすることはあるまい、ということで最初に却下した。
そこで、ネットで調べられる限界の確認の意味もこめて、調べてみると、あっさりと「(The)wind in the willows」というのが出てきた。つまり、これが正確な原題だったわけだ。
そこで、ネットで調べられる限界の確認の意味もこめて、調べてみると、あっさりと「(The)wind in the willows」というのが出てきた。つまり、これが正確な原題だったわけだ。
たのしい川べ
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冬山想南
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