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私は万年筆はまったく使わないが、文房具全体が好きなので、下の記事は万年筆知識が豊富(かなり主観的意見が多いとは思うが)なので、メモしておく。
万年筆の書き味は素晴らしいが、最近のボールペンも書き味はいいし、万年筆のようにしばらく放っておくと乾いて書けなくなるという欠点もない。ただ、いい万年筆は「美術品」でもあるが、ボールペンにはそういう感じはまったく無い。
下の記事に関しては、モンブランが基本になっているのがそんなに悪いのか、という疑問もある。どんなサラブレッドも始祖の3頭から生まれているようなものではないか。その後のサラブレッドが6本足や8本足になったわけではない。ウォーターマンやパーカーが(多分)消えたのに比べれば、モンブランはまだ世界的なブランドだと思うのだが、違うのか。


国産万年筆がどうしようもなくダサいので早く中国に買収されてほしい

一刻も早くパイロットセーラープラチナ中華企業に買収されてほしい。台湾のツイスビーでも化。

まぁ別に欧米企業でもいいけど、欧米の筆記具メーカーも軒なみ経営きつそうだしな。エリカ様の「別に…」発言のあった映画でフィーチャーされてたデルタっていうイタリアの筆記具メーカーがこの間つぶれた。

それに漢字文化圏万年筆は質が高いし、中華企業ならその辺の重要性もわかってくれるはずだ。

つーか、単純に国産万年筆がクソダサいだけなんだけどな。

まぁ好みは人それぞれだからデザインについてあれこれ言うことはしたくないけど、国産万年筆メーカー3社の絶望的なダサさはデザインじゃなくてコンセプトにある。

それは、「3社のフラッグシップモデルが全部モンブランパクリ」ということだ。特にプラチナ万年筆な。本家モンブランマイスターシュテュック(一般的万年筆を思い浮かべてくれればそれでいい)は、ペン先に「モンブラン」という山の標高4810が刻印されているんだが、プラチナ万年筆にも#3776って富士山標高刻印されてるのよ。

これはダサいマジでダサい。やめてくれと懇願したくなるほどにダサい

いや、ダサいというよりは、本当にみっともない。恥ずかしい。

創業当時にモンブランをパクったのはわかる。それは仕方ないことだ。

しかし各社創業100年とかいっていて、いまだにそのみっともない万年筆フラッグシップに据えてるのはどうなのよ。

3社とも、バカみたいに黒金のいわゆる「仏壇万年筆」をいまだに推してるってどうなのよ。マジでみっともないから早くやめてくれと思う。

パイロットは、比較的頑張ってる。キャップレスとか海外でも大人気だし、これこそフラッグシップに据える価値のある技術とコンセプトだろう。キャップレス螺鈿かっこいいし。しかカスタム、これはダメだ。モンブランパクリのやつな。パクってるだけならまだいい。しかしこのカスタムのコンセプトは「持ち主に合った万年筆を」だろ。だからカスタム、と言う名前をつけて、豊富ペン先ラインナップしているはずだ。しかし、肝心の軸が選べない。判を押したように黒!代り映え、無し!素晴らしいペン先にクソダサデザイン黒軸テンション下がるわ。もっと色を選ばせろ。白とかスケルトンとか選ばせろ!フォルカンやウェーバリーもっと選択肢をよこせ。

セーラーな。ここはギリギリで何とか一応崖っぷちで足のつま先で引っ掛かっていると最大限好意的に見れば言えなくもないような気がふんわりとしてくる雰囲気がある。が、ダメだ。キャップの先にイカリマークつけて他のパクリ万年筆に差をつけてるが、本家モンブランにもキャップ先にホワイトスターがついてるからな。残念ながら、コンセプトは完全にパクリだ。むしろカスタムセンチュリーよりもパクリ濃度は高いくらいだ。セーラーペン先は素晴らしい。しかデザインコンセプトの貧困さがやばいパイロットキャップレスのような挑戦的コンセプトの万年筆がない。クロスニブなどすさまじいものはあるが、それを支える軸がまたしてもパクリの黒だ。かろうじてバルカロールが息をしている程度だ。しかしそれも黒。そして公式サイト00年代の作り。そして死にたいのは、「ふでDEまんねん」という小林製薬重篤な病に侵されるほどのクソダサネーミングの万年筆フォントもクッソダサい中華がパクって「美工筆」という名前で各種万年筆を出しているが、正直クッソうらやましい。美工筆という字面すごい。そしてこの美工筆はいろんな万年筆対応している。聞いてるかパイロット

プラチナは最も罪深い。まず適当プラチナ万年筆公式サイトいって製品ラインナップを見てほしい。クソが映り込むはずだ。いや、さすがにそれは失礼だが、やはり映り込むのは黒軸モンブランパクリ万年筆の山。そしてプラチナパクリデザイン万年筆しか作ってない。「お、これいいじゃん」と思ったらクソ高いor限定品。高い山の標高ペン先に掲げるという罪と合わせて、残念ながらプラチナ万年筆地獄の最下層いきだ。とはいえセンチュリーの書き味は素晴らしい。無双といって差し支えない。1万円でマイスターシュテュックに迫るペンを持てることは全世界希望だろう。しかし、ダメパクリを積み重ねても3776mにしか到れない。4810mには達することはできない。

しろ国産3社は他のメーカーにニブ(ペン先)を売る存在になってくれればそれでいい。早く中華企業の傘下に入ってくれ。中華万年筆ガチパクリが多いといっても、パクリ先が豊富で飽きないからな。国産みたいにモンブランしかパクリ先がないのとはワケが違う。凄みを感じる無節操さが熱い。それに、ついに独自デザイン万年筆も打ち出してきた。Moonmanとか。手のひらに収まる万年筆とか、美しいアイドロッパーを追及したり、コンセプトも素晴らしい。

まぁ、そうはいっても国産3社の万年筆は俺は好きだ。

いや、「バランスとニブだけが好きだ」だな。

743フォルカンプロギアセンチュリー使ってるけど最高だよなこれ。モンブランも素晴らしいけど全く使ってないほどだ。

それゆえにコンセプト丸パクリなのがマジでダサいしみっともないし許せないんで、さっさと中華企業の傘下に入るか、フラッグシップモデル再考をお願いしたい。

アメリカで、万年筆あんま知らない人の前でセンチュリー使ってて、「それモンブラン?素敵よね!私も旦那プレゼントしたのよ!」って言われたときのいたたまれなさったらなかったぞ。

まぁその旦那さんが「センチュリーは最高だよ」って力説してくれたから助かったけど。

そんな幸運普通ないだろ。

「あっ、アジア特有パチモンね…」で終わるぞ。まじやべーよ。

万年筆好きだからモンブランとの細かい違いも分かるし、クソダサ黒軸も大好きになってるけど、これそろそろやばいでしょ。

ペンである以上、似るのは仕方ないけど、似すぎな製品を「フラッグシップでござい」っていうのはもう限界だろ。

ただでさえ「昔ながらの価値観に染まるのが大人の証」なんていう価値観が通じなくなってる時代だぞ。

いつまで「わかる人はわかってくれる」なんていう中学生男子ゴミ恋愛観に支配されてるつもりだ。それで日本は30年を失い、未来を失ってる最中だぞ。

台湾のツイスビーとかすげぇだろ。VAPEに間違われるんだぞ?それ自体次世代証拠だろ。うらやましくて仕方ないわ。ECOかっこいいし、プランジャー式を再定義したのはすげぇ。コンセプトで完全に日本を抜いてるわ。

プレピーいいよ!殺したりなんかしないよ!

しろそういうユーザー層を広げる施策をとってるくせに行き着く先はパクリ黒軸、と言うクソダサコンセプトを何とかしていただきたい。

あとプラチナならプロシオンもいい。かもしれない。なんかもうよくわからんくなってきた。俺はただ、選択肢が欲しいんだ…。

「今更かよ」とか「お前知ったかぶりしてるやろ?」とか、まぁそれはいいけどさ…。

あんたらは「国産万年筆ダサい、みっともない、コンセプトの丸パクリは恥ずかしい」っていう話に真剣に向き合ってきたのかよ、という話だよな…。

しろそんなに知識を持ってるなら、なぜもっと先に問題点を指摘してくれなかったのよ。










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「武田病院グループ」ホームページ記事の一部である。
まあ、一応予想どおりの内容だが、私が疑問なのは、視覚型記憶の人間と言語型記憶の人間がどこで分かれるのかだ。視覚型記憶の人間は、本のページを写真のように記憶し、テストなどの際にはそのページの該当部分を検索することで答えを出すという。
私は完全に言語型の人間で、人間の顔すらロクに覚えられないし、見た情景を記憶することも困難だ。だが、昔読んだ本の内容などはわりと覚えている。この言語型記憶を「聴覚型記憶」と言うこともあるようだが、私は軽い難聴で、聴いたこともあまり覚えてはいない。聴覚と言うよりやはり言語型と言うべきだろう。他人の言う言葉も聞き取りにくいので、ほとんど記憶できない。

(以下引用)

ひとくちに記憶といっても「言語性記憶」と「視覚性記憶」に大きく分かれています。「言語性記憶」とは耳で聞いた情報を記憶することです。対して「視覚性記憶」とは目で見た情報を記憶することです。わたしたちはこれら両方の記憶を利用していますが、人によってはどちらかが得意という傾向があります。
例えば、どこか目的地に行こうとする時に、言語性記憶が得意な人は、人から「まっすぐ進んで、最初の交差点を左に曲がる」と聞いたことを頭や口で繰り返しながらであれば、スムーズに進むことができるかもしれません。一方、視覚性記憶が得意な人は地図を見る方が頭にイメージを定着でき、スムーズに目的に着けるかもしれません。記憶の詳しい検査を行うことによって、どのような記憶が得意なのか、あるいは苦手なのかなどが詳しく分かります。
リアリストによる童話www
こんなのを幼稚園児に見せて、どんな大人にしたいのだろうか。
なお、爺Bは下のツィートとは(この段階では)無関係のようだ。





さんがリツイート

幼稚園にあった紙芝居がすごく怖かったのを思い出した。
タイトルは忘れた。
ある山に爺が2人住んでいた。山の真反対側なので1度も会った事は無い。
吹雪の夜、爺Aの家に狐や兎や栗鼠が「寒いので入れてください」とやってきた。爺Aは片っ端から撃ち殺して毛皮を剥いでしまった。



業界人や玄人はだしの素人がよく使う「差分」という言葉は、まあその文脈や漢字から意味はだいたい想像が付くのだが、一応調べたので載せておく。


「差分」とは「別バージョン」の意味

ゲームやアニメなどの業界では、「差分」はオリジナル作品から派生した別バージョンのことを指します。元となる作品の登場人物や構図は同じままでセリフを変えたり背景を変える差分や、構図は同じものの登場人物を変える差分、登場人物の衣装や髪形などを変えた差分など、さまざまな差分があります。

オリジナル作品に手を加えて新しい作品として作り出された作品のことも「差分」といいます。

「差分イラスト」とは原画にアレンジを加えたイラスト

「差分イラスト」とは元となる画像やイラストに変化を加えた画像のことです。

例えば、ある部屋の画像に朝から夕方などの時間の経過に合わせて変化をつけた画像を「時間帯差分」といいます。また家具などのものの配置を変えるパターンは「状態差分」と呼ばれます。

芦部氏は、「人間ジェネリク」氏の愚論を丁寧に論破していて、いいと思う。
ジェネリク氏が小説に求めるのは何なのだろう。「描写」の無い小説は「説明」だけではないか。論文や教科書と何が違うのか
優れた作家の「描写力」は素晴らしいもので、たとえば江戸川乱歩のように通俗作家とされている人でも、「人でなしの恋」における女性の縁談から結婚、新婚生活での心理描写など、男の乱歩がなぜそこまで描けるのか、と驚嘆させられる。それに近いのが太宰治の「女生徒」の少女のモノローグだが、こちらは実は太宰が参考にした少女の日記があることを、北村薫がその作品の中で書いている。
国木田独歩など最近の人は読まないが、彼の「竹の木戸」や「窮死」における貧民生活とその庶民心理の描写、あるいは、「二老人」におけるふたりの老人の描写など、なぜ下層階級でもなく、若い独歩がこれほどありありと描けたのか、不思議なほどである。







さんがリツイート
16時間前

そして読者の脳内ライブラリーに頼って描写や説明が希薄化してゆくのは、そのジャンルが崩壊衰退してゆく予兆でもある。このへんは『倶楽部雑誌探究』巻末の小田光雄氏の文章など参照のこと。「繁華街」「絵に描いたような漁師の街」が「は、何これ?」と投げ出される日はそれほど遠くなく来るでしょう

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  • さんがリツイート
    16時間前

    「読者の脳内ライブラリー」というのは、この人が馬鹿にする克明な描写があって形成されたもの。僕は現代アメリカ作家描くマフィアとギャンブルの世界が全くイメージできなくて読むのを断念したことがある。せいぜい映画のカジノしかイメージストックがなかったので、もうちょっと描写があればと思った

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  • さんがリツイート
    16時間前

    なぜ19世紀文学の描写や説明があんなに克明かというと、読者の側に知識もイメージもなく、映画も写真もなければ報道すら未発達で、唯一小説という媒体と作家の想像力だけが「世界」を描くことができたから。今メディアの進歩でその役割が薄くなったからといって簡単に放棄していいのかなぁとは思います

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