夫の実家から軍刀が出てきた。聞けば義母の祖父の物とのこと。軍医だった。
警察へ届け、銃砲刀審査へ行く説明を受ける際「鞘が癒着して抜けないから中で錆びついているかもしれない。刀剣の価値無しと言われたら、ただの危険物になるので、こちらで廃棄するから再度警察へ持ち込むように」と言われた
一番最初の漫画は、実戦でそれができるかどうかは別として、理屈は通っていると思う。
スペツナズの「飛び出しナイフ」(まさに文字通りのナイフだ。)は、射出された刃が本当に先端部を先にして飛んでいくのか怪しい気がするし、射出が一回しか使えないということで、実用性はどうかと思うが、その見かけはなかなか凶悪で魅力はある。
まあ、いかに格闘技の名人でも、ナイフ程度ならともかく、相手の武器が日本刀なら、それを持っているのがど素人でも女性でも老人でも勝負にならないと思う。ただし、日本刀は「斬れるように刃筋を合わせるのが難しい」と言われるが、相手は刃先に触れただけでも大怪我をするだろう。
(以下引用)
12: 風吹けば名無し 2018/05/14(月) 10:15:16.49 ID:uQANxvlr0
刃物は怖いってやってたぞ
一理あるようなないような
そら素人からしたら恐いけど、これ言ってるの空手の達人やしなぁ
くっそ怖いやろ
蹴り食らう寸前に持ち方変える
刃物出されたら走って逃げるって言ってたわ
空手家はナイフ一回避けたら腕蹴ってナイフ払い落とすとか選択肢あるから無限に避けなきゃいけないわけやないし
そこまで怖くないのかもな
スペツナズ・ナイフ
スペツナズ・ナイフは、ソビエト連邦の特殊任務部隊(スペツナズ)が装備・使用していたといわれる、刀身の射出が可能なナイフである。ロシア語では、「弾道ナイフ」、または「発射ナイフ」と呼ばれる。
外観は、円筒形の柄を持つ中小型の短剣である。刀身は柄に固定されておらず、刀身と同程度の長さのある筒状もしくは棒状の茎(なかご)を持つ。刀身形状はその使用目的上「突き刺さる」ことを重視しているために両刃の直剣形、いわゆる「ダガー」形状となっている。刀身中央部に軽量化のためと思われる複数の中抜穴があるものが多い。円筒形の鞘は金属製で頑丈に作られており、装着したままでも警棒のように使用できる。中空の柄の内部に強力なスプリングを備えており、鞘に収めた刀身の茎を柄に差し込み、鞘ごと刀身を柄に押し込む(もしくは、鞘に収めた刀身に柄を押し込む)ことによりスプリングを圧縮して鍔にあたる位置に配置されたラッチ(留め金)により固定する。使用時にはラッチを解除するレバー、もしくはボタンを押すことで刀身を前方に射出することができる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/スペツナズ・ナイフ
聞いてないよお~で命乞いすれば良い
そら間合いによるんやろ
ナイフも投げようと思えば投げられるけどそんなハイリスクなことせんやろ?
結局空手家の間合いに入ってまう
手榴弾なら?
手榴弾持ちを相手にするってのがまずよく分からんから
間合いも自由自在やで
なお、シャコタンという言葉自体がDQNである。
「車高なんて落としてどうするんだ?」という疑問を持つ方がいますが、落とす側にもそれなりの理由があります。今回は、車高を落とすメリットとデメリットを紹介します。
「車高の低いクルマ」には、2種類ある
車高を低くするためにローダウンサスや車高調を組んでいるクルマですが、その目的は2種類あります。
ひとつは"走行性能の追求”で、車高を下げることによって車両の重心を下げ、コーナリングスピードを高めるというもの。
これは単純に重心が下がればいいというものではなく、やり方を間違えるとかえって性能低下を招いてしまうケースもあります。しかし、目的は性能アップなので、そういったケースも”走行性能の追求”に含めます。
また、車高を下げるとともにサスペンションを固めてステアリングを切った時のレスポンス向上を狙うのも含まれるでしょう。
そしてもうひとつが"スタイルの追求"で、純粋にドレスアップ目的の場合です。
とにかく見た目重視で車高を下げますので、理屈では説明できない車高になっていますが、車高を下げること自体が目的なので問題にはなりません。
また車高を限界まで下げることで、ボディ底部を路面と接触させて火花を散らすことを目的としたスタイルもあるなど、周囲へのアピールを高めるためなら何でもありの世界です。
その際は、タイヤのキャンバーも限界までつけたりすることもあり、いわゆるネガキャン(ハの字タイヤ)もセットという印象です。
スタンスネイション 2016東京の様子…シャコタンのパレード!?
車高を下げるメリットは見栄えと低重心
車高を下げる2種類の目的を、もう少し詳しく解説しましょう。
まず性能面から見た場合には、前述のように車両の重心位置が下がります。正確には車高を下げることで、コーナーを曲がる時などに車両の傾く=ロールの中心、ロールセンターが下がるということです。
路面に対しての位置が下がるだけで、車体の中でのロールセンターが変わるわけではありませんが、重心位置が下がるだけでコーナリング時の安定感は増していきますので、その意味では車高を下げるメリットは大いにあります。
また、ドレスアップ目的の場合には、"低ければ低いほどエライ”ということになるので、車高が低いこと自体がメリット。
この場合は、最低地上高にも低さを求めますから、車高が下がりきらない場合は、サイドガードやアンダースポイラーなどを追加して、視覚的に路面ギリギリのクリアランス量を狙います。
昔だとタバコのショートホープが最低地上高の尺度に用いられたもので、「ショッポ(長さ70mm)が入らないくらい車高が低い!」などと感心されたりしたものでした。
そこまですると路面との接触を避けるためにはサスを相当固めないといけませんが、あえて柔らかいサスのままで路面と接触させ、レーシングカーのような火花を発生させられればさらにウケるということで、これもドレスアップ目的で車高を下げる時のメリットになるでしょう。
レーシングカーも車高が低いです
性能面で見た場合、下げ過ぎによるデメリットも少なくない
デメリットに関しても、性能面とドレスアップ目的で、それぞれに発生します。
まず性能面から見れば、車高を下げれば低重心化でコーナリング時の安定感は増しますが、その一方でサスペンションのストロークが短くなります。
それを解決するため、車高は下げつつもストロークを確保する全長調整式の車高調というのもありますが、基本的に高価なため、競技用やレース用などよほど性能を追求する理由が無い限り一般に用いられることは少ないです。
また、車高を下げたことによってロワアームなどアーム類の位置や角度の変化が起こり、その結果としてロワアームが万歳したり固着したような状態になって、サスペンションが適正な動きをできなくなるような場合もあります。
ひたすら平坦なサーキットならともかく、一般公道を走る場合や、あまり舗装状態の良くない場所で行われるジムカーナ競技などの場合は、路面のギャップ(段差)で跳ねて、タイヤのグリップやトラクションが失われることになります。
性能面から見た場合は、適正な車高を選ばないとかえって性能ダウンにつながり、結局ドレスアップ目的のようになってしまいます。
ドレスアップ面からは実用性の低下というデメリット
ドレスアップ目的で車高を下げた場合は、なにしろ性能的なものなどに配慮していないので、走行性能の低下は看過されます。
実用性の低下についての問題のほうが深刻で、ちょっとした段差でもバンパーなどを引っ掛けて傷をつける、割るというのは当たり前、道路上のマンホールに接触して最悪マフラーなどがちぎれ飛ぶ可能性もあります。
車高可変式としたエアサスなどで、そうした路面を乗り切る場合もありますが、通常のサスペンションでただ車高を下げた場合にはそういうわけにもいきません。
また、車高を下げることと直接の関連ではないのですが、キャンバーをつけて無理やり太いタイヤを履かせている場合にはフェンダーやインナーフェンダーにタイヤが接触してしまうので、ハンドルを十分に切ることが難しくなり、車庫入れで何度も切り返さなければいけない場合もあります。
ちなみにリアサスが構造的にキャンバーをつけられない場合に使用するアダプターがありますが、そういったパーツのなかには、十分な強度を持っていなかったり、根本的に装着場所のどこかに無理が掛かってしまうものがあるので、衝撃や構造疲労で破断するリスクもあります。
ただし、そうした事柄のすべてが”車高を限界まで下げるためなら仕方がない”、”デメリットが出るくらい車高を下げてこそかっこいい”という考えもあるので、本人にとってはあまりデメリットではないともいえますね。
私のぼんやりとした記憶では、これまでの日本史があまり目を向けなかったサンカとか河原者とか製鉄業者などにスポットを当てただけのものという印象なのだが、それは「史学」なのか。
ゆまに書房の『網野史学の超え方』という本を読んでいますが、網野善彦さんの本より私には難解です。「網野史学」、「網野史学」と連発さされるのですが、この本の各執筆者によって微妙に捉え方が違うような。「網野史学」っていう言葉は、その言葉だけで共通認識のようなものがあるのだろうか。
(以下ウィキペディアより引用)途中略
活動・評価[編集]
- 中世の職人や芸能民など、農民以外の非定住の人々である漂泊民の世界を明らかにし、天皇を頂点とする農耕民の均質な国家とされてきたそれまでの日本像に疑問を投げかけ、日本中世史研究に影響を与えた。また、中世から近世にかけての歴史的な百姓身分に属した者たちが、決して農民だけではなく商業や手工業などの多様な生業の従事者であったと主張した。その学説には批判もある。(安良城盛昭など)
「日本」論について[編集]
- 晩年期の著作である『「日本」とは何か』において、一般的な日本人の「孤立した島国」という日本像は改めるべきであると述べ、実際は日本が「列島」であり、「アジア大陸東辺の懸け橋」として、周辺の海を通じて多くの人や物がたえまなく列島に出入りしていると主張している。また、「日本」という国号が古くからいつのまにか決まっているという見方も見直すべきであり、実際は「日本」という国号が七世紀末、689年に実行された飛鳥浄御原令によって定まり、そのときから「日本」ははじめて地球上に現れたのであると主張する(なお、日本国号の成立期に関しては異説もある)。
- 日本人とはただ「「日本国」の国制の下にある人々」であると定義し、日本国家の出発点以前には日本も日本人も存在しないと考えている。つまり、現在の日本国が支配する地域に暮らしていたのが「日本人」だと定義することは誤りだと述べている。小・中・高の教科書には国名に関わる記述はなく、逆に「縄文時代の日本」、「弥生時代の日本人」などと書かれているが、実際はそれぞれの時代に日本も日本人が存在していなかったと主張し、「旧石器時代に日本人がいた」という新聞記事も現れているが、これらは「神代」から日本が始まったという戦前の史観と近いとしている。
- また、成立当初の日本国家、つまり7世紀末から日本国家が支配する地域が現在の日本列島や日本国の領域と同じだったというわけではなく、自然に国境が定まったわけではないと主張している。「日本国」という国家は「侵略」と「征服」で領域を広げたと意識しておくべきであると述べている。アイヌ民族や琉球人などに限らず、日本国家の支配者に蝦夷なども侵略され、軍事力を背景とした力による圧服であったと主張し、そういった認識をもつべきだとしている。
- 沈仁安(北京大学教授)は、「『倭』『倭人』が、日本、日本人の古代の呼び方であることは、中国の学界では、疑問はない[10]」「『倭人は日本人ではない』の論拠あるいは史料根拠はないか不足しており、さらに主としてその論証方法に多くの問題[11]」「歴史事実からも無論のこと、論理からも成立しがたい[11]」として、網野の『「日本」とは何か』における「日本」は特定の国家の国号であることを根拠に「倭人は日本人ではない」という主張や、倭寇も全て日本人ではなく、古代の倭人の勢力は、東海地区より以東には達しておらず、朝鮮半島南部にも倭人がいたとする主張を批判している[12]。
- 古田武彦は、網野は「倭国」は7世紀末まで、「日本国」は8世紀初頭以後という基本認識について、7世紀以前に関連して、例えば「九州王朝」「近畿天皇家とは別個の王朝」というような実体的な歴史認識が示されておらず、結果「7世紀以前は、日本国に非ず」という主張が、「単なる『名議論』『国名の言い換え論』に陥っている」と指摘しており[13]、さらに古田は「網野説の場合、『倭国と日本国との国名変化』に関する先行説であるわたしの立説をとりあげ、それと自家の新説(網野説)との異同を論ずべきだったと思われる。それが学者として、先行説に対する学的礼儀だったのではあるまいか」と苦言を呈している[13]。
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長岡鉄男氏のオーディオビジュアルルーム「方舟」は全体がオーディオのために設計された5角形の建物。何故方舟かというと、氏が住んでいた埼玉の某所は地盤が砂地で弱く、30メートルの杭を打たないと岩盤に到達せず、莫大な費用がかかるので、家全体が砂地に浮かぶ船の構造にしたため。