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小説には何でも詰め込めるし、長さに制限が(基本的には)ない。
だが、映画は技術的に描けるものと描けないものがあるし、長さが決まっている。
とすると、大事なのは足し算ではなく引き算になる。足し算をしていいのは、元ネタが短編小説である場合などで、ヒッチコックの「鳥」の原作は短編小説だし、「座頭市」は、あるエッセイの一文を膨らませたものであるという。要するに、「盲目の按摩で、剣客でもある者がいた」というだけの事実を膨らまして映画にしたわけだ。
なお、SF映画というのは、特撮技術だけでなく、俳優の演技やメーキャップも大事で、邦画のSFはその点ではほぼ全部落第である。内容に架空性が強いほど、小さな部分の手抜きで架空性(作り物性)が意識され、観客がしらけるのである。
これは時代劇も同じなのだが、黒澤映画などではさすがに細部に手抜きが無いから、観客をすんなり映画の中に入り込ませる。おそらく、「用心棒」の最初に三船敏郎が登場する場面では、彼の着る衣服にちゃんと「汚し」を入れて、長旅で着古した感じを出していると思う。それが白黒映画でも観客には伝わるのである。


さんがリツイート

さよならジュピターは もっと面白くなっても良いと思うのだけれど 仲のいい人が集まって映画作るときの失敗の見本、みたいな感じなのでは。 当時のこと全く知らないので適当に書いてますけど。いろんな人の顔を立てて盛り込み過ぎて 色んな場面とか出番を引き算出来ない、みたいな




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