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この「流砂」への誤解の原因は、「砂漠」そのものへの誤解にあるかと思う。一般に思われているような、大地全体が砂に覆われた砂漠はむしろ少なく、たいていの砂漠はむしろ「土漠」とでも言うべきものだ、と聞いたことがある。まあ、砂の部分と土の部分が半々程度と思えばいいのではないか。
下の動画でも、土壌は砂混じりの土という感じだ。
で、流砂とは、その砂混じりの土が、水が湧き出したために泥状になったものであるようだ。
その流砂からの脱出方法は、「何とかして、まず両足を泥の上に出して(つまり、体を水平にして)」、泥の上を這って脱出する、というものである。泥の表面を「泳ぐ」感じか。
なお、泥の比重が大きいためか、体は一定以上には沈まないようで、溺れ死ぬことは無いらしい。問題は、その流砂から脱出することが非常に難しく、太陽の熱とパニックで死に至ることであるようだ。
下の動画では、脱出後に泥を落とさないと、体が砂でこすれて傷つき、感染症などの危険があることまで親切に語っており、まさに、サバイバルというのは、そこまで考えるべきものなのだな、と感心する。



白土三平の漫画や風の谷のナウシカなどで流砂を知った人は多いと思うが、現実の流砂は砂漠に湧き出た泉で、砂が大量の水分で流動化したもので、底無し沼みたいなもの。漫画やアニメのようなサラサラの流れる砂ではない。>流砂から脱出する方法。>










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小田嶋隆の文章の一部だが、創造的な仕事に関する真理だと思う。
我々は、アイデアというのは、天から落ちてくるものだと考えていることが多いが、実は、創造のその過程の中でこそアイデアは浮かんでくるのである。つまり、兼好法師が言うように、考えというのは何かが機縁になって生じるのであり、新しいアイデアも同様だ。しかも、創造の過程で浮かんでくるアイデアは、その創造対象、あるいは創造目的に適合したアイデアであるのは「心理は連想でつながれていく」という前提から当然だろう。
書くことが無ければ、何か適当に書いてみる。すると、書いた内容に刺激されて、思考が動き出すのである。(最初の部分は、きっかけに過ぎないから、ダメ内容であることが多い。そこで、最初の部分を切り捨てるといい作品になるだろう。多くの人は、「素晴らしいアイデアが浮かぶまで」筆を執らない。そこで、無駄な時間を延々と続ける。これを「下手な考え休むに似たり」と言う。)
手塚治虫を始め、天才の多くは、仕事そのものが大好きな、ワーカホリックだったのだ。

(以下引用)



休めば休むだけ、アイディアは枯渇する。少なくとも、私の場合はそうだ。

 アイディアは書けば書くほど湧き出してくるものだ、と、ポジティブに言えばそう言い換えることもできる。

 実際、原稿のネタは、原稿を書いている最中でないと出てこないものだ。だからこそ、Aの原稿を書いていると、別のBの原稿のアイディアが、ふと思い浮かんできたりする。

 ということはつまり、アイディアは、瓶の中に入っている有限な液体よりは、むしろ地下水脈に似ているわけだ。掘り進めば掘り進めるだけいくらでも湧いてくる半面、掘る手を休めると、その時点で枯渇してしまう、と、そう考えるのが、たぶん、勤勉な書き手であるための有効な考え方なのだろう。

 別の言い方をすれば、勤勉な時間の過ごし方に快適さを感じる意識のあり方を、才能と呼ぶわけだ。









小田嶋師も言っていたが、「情緒について論理的に語った」いい文章である。
「死者の再利用」と言うと靖国神社を想起するが、「俗情を利用する」点では右翼(保守政党とは少し違う。厳密には「保守」ではない。昔の右翼がかった自民党も保守ではないが、特に現在の政権はグローバリズムの先兵だ。)と芸能界は親近性が高いようだ。



(以下引用)



AI美空ひばりへの違和感

2020年最初のワダアキ考は、毎年恒例の紅白振り返り、と思いきや、昨年NHKでドキュメンタリーとして放送され、紅白出場も果たした「AI美空ひばり」について。完成度の高さへの驚きと同時に、大きな批判も呼んでいるAI美空ひばりに、武田砂鉄さんはどのような違和感を抱いているのでしょうか。

「30年ぶりの美空ひばりの新曲」という明記

毎年、年頭の原稿は紅白歌合戦を振り返る内容を記してきたのだが、一昨年に成功した三山ひろしのけん玉ギネス記録が失敗に終わったこと、豪華衣装路線を独占してきた水森かおりが豪華衣装を捨てて割と平凡なイリュージョンを2年連続で披露したことなどを踏まえると、積極的な議論をいくつも拾い上げるのが難しいので、今回は「AI美空ひばり」に絞りたい。

紅白で披露された「AI美空ひばり」による「あれから」は、美空ひばりが残した膨大な音声データをもとに、AI技術を駆使して彼女の声を現代に蘇らせ、「人の心を揺さぶらせることができるのかという試みに挑みました」(日本コロムビア・プレスリリース)とのこと。「30年ぶりの美空ひばりの新曲」という明記に引っかかる。紅白歌合戦のウェブサイトの表記は「AI美空ひばり」だが、発売されたCDジャケットの表記は「美空ひばり(AI歌唱)」。しかも、「美空ひばり」を3分の1くらいに小さくしたサイズで「(AI歌唱)」と添えられている。できるかぎり、新曲として売り出したいのだ。いやらしい、と思った。

これはやってはいけないことだ

狙い通り、心を揺さぶられた人も多いのだろう。楽曲制作を追ったドキュメンタリー(NHKスペシャル『AIでよみがえる美空ひばり』)では、完成した映像と歌唱を見た多くの人が涙をこぼし、そのうちの一人の女性は「神様を見ている気持ちになって、神々しさを(感じて)、感動いたしました」と答えていた。この女性の見解は、こちらからの批判的な見解に用いる要素とおおよそかぶる。カリスマ的な故人に、誰かにとって好都合な言葉を新たに獲得させ、その言葉によって感情を揺さぶらせ、「神々しさ」まで感じさせるというのは極めて危うい。そういう宗教団体を私たちの多くは知っている。曲の間には、彼女の声で「お久しぶりです。あなたの事、ずっと見ていましたよ。頑張りましたね。さあ、私の分まで、まだまだ頑張って」という語りが入った。これはやってはいけないことだ。

たとえば、亡くなったミュージシャンの音源をもとに、残されたメンバーなどが新たに楽曲を作ることがある。ピンク・フロイドのキーボーディスト、リック・ライトは2008年に死亡したが、彼が残していた音源に肉付けする形で、残されたメンバーが新曲を制作、2014年にトリビュートの意味を込めて、最後の新作をリリースした。それでも、これは純然たる新作とは呼べない、と批判する声もあったし、メンバー自身もその声と向き合っていた。2016年に亡くなったプリンスが2018年のスーパーボウルのハーフタイムショーにホログラムで出演するとの情報が出回ると、生前のプリンスがVR演出に否定的なコメントを出していたことなどから中止になったことも話題になった。

「生きるというのは別れを知ること」

このように、あらかじめ存在している音源や映像であろうとも慎重に取り扱うべきだが、今回は、曲どころか、メッセージまでイチから創作した。「あれから」のPVの最後には「又逢える日を楽しみに私もがんばります」という、美空の直筆が映し出される。さすがにこれは、どこかのタイミングでファンの皆に向けられた文章なのだろうと思ったのだが、調べてみると、1987年に入院していた彼女のもとを訪れた千代の富士へのお礼の手紙から引用したのだという。PV映像にそのクレジットはない。これは二人の故人に対し、とてつもなく失礼だと思う。

昨春、自分の祖母が98歳で亡くなったのだが、不思議なもので、亡くなってからのほうが具体的な会話や一緒に訪ねた光景をあれこれ思い出すようになった。いなくなっちゃった人の存在というのは、こうやって、時間をかけて大切に育てていくものなのだと実感した。もちろん、今回の美空のように、祖母から新しい言葉が与えられたら泣き崩れるかもしれないけれど、そうやって強奪された涙は、祖母と自分の関係において、極めて淡白で無機質なものだ。つまり、「生きるというのは別れを知ること」なのだ。この一節は、秋元康・作詞による「あれから」の歌詞からの引用である。生きるというのは別れを知ることならば、こうやって、感動させる目的で死者に新しい言葉を与えてはいけないと思う。

AI美空ひばりと血液クレンジング

NHKのドキュメンタリーの中で秋元は、「どんな方法でもいいから、ひばりさんとお会いしたい」「もう一回やっぱりレコーディングしたいですね」「技術がすごいですね、だと、人の心は打たないじゃないですか。本当にそこにひばりさんがいるんだということをみんな見たいわけだから」と述べている。多くの人がかかわっているプロジェクトだし、著作権者も了承しているプロジェクトだが、ドキュメンタリーを通しで見ると、とにかく彼の私欲がこぼれてくる。

決定的なのは、先に問題視した語りの部分についての見解だ。「今、この時代に、ひばりさんが『あれからいろんなことあったけど、ずっと見ていたわよ』と、ひばりさんが空の上から『私の分まで頑張って』と言う。それがいちばん伝えたかった所なので。ひばりさんから『よく頑張ったわね』と言われたら、日本中がまだ頑張ろうと思える」と述べている。つまり、これは「美空の願い」ではなく、「秋元の願い」なのである。

秋元が、今回のプロジェクトは人間の思いを科学がサポートしているもので、科学よりも人間の思いが大事なのだ、と付け加える。科学、人間の思い、とくれば思い出すのが血液クレンジング。昨年、「科学的根拠がない」「エセ医療だ」と問題になり、芸能人・インフルエンサーによってはブログなどで釈明を強いられていたが、見城徹と定期的にクリニックに出向き、血液クレンジングを行っていたのが秋元だった。彼は「男同士で来るのがいいんですよ。80年代から戦ってきた、戦友のような関係だし、ここでの時間は満身創痍の戦士の休息なんです」(web「GOETHE」)と、その思いを語っていたが、この記事はなんの断りもなく消えた。彼が言う、「科学よりも人間の思いが大事」との提言はなかなか響かない。科学も大事だ。人間の思いも大事だ。

これは美空ひばりの新曲ではない

芸能人が何人も続けて感想を述べる「あれから」のPR映像の中で、俳優・村上虹郎が「美空さんの声の温かさみたいなものは、何か少し足りない感じもするんですけど、正直……」と前置きして話していたのには驚いた。とても真っ直ぐで、かっこいい人だなと思った。実際の撮影現場がどうだったのかは知らないが、これだけの大きな企画を前に、ちょっとした苦言をコメントに含めることには、それなりの勇気が必要だったはずである。

村上が指摘する通り、美空ひばりの実際の音源と比べれば、温かみに欠けることはすぐにわかる。声の奥行き、息遣い、間合い、私たちはとても感覚的なものの集積で音楽に揺さぶられてきた。今回の曲は、秋元康とその周辺が、「会いたかった美空ひばり」を作り上げたプロジェクトである。それは「30年ぶりの美空ひばりの新曲」ではないと思う。ちなみに、秋元が血液クレンジングについて熱弁していた記事の初出は『GOETHE』2017年6月号。その特集名は「死なないカラダを手に入れろ!」である。人はみんな死ぬ。カラダは無くなり、思いが残る。死んでしまった大切な人と、また会いたいと願いながら、頭の中で長い時間をかけて付き合っていく。誰かの私欲で、そういう大切なものを揺さぶられたくない。

(イラスト:ハセガワシオリ













まあ、政権の安定だけを論じるなら、王政でかつ独裁政権の安定性が一番高いに決まっている。古代の歴史は、いかにして自分の王権を守るかという話がほとんどだ。そのためには自分の親だろうが子供だろうが殺したわけで、べつに親族経営(政治も経営も同じである。)が優れているという話にはなるはずがない。
こうした話は、だいたい片手落ちなものだ。
まあ、下の人間が、「余計な希望(野心)を持たない」ことが、経営者にはメリットは大きいだろう。




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あと、もう一つ日産の話で面白かったのが「日産は創業者が自分の子供を関わらせず、世襲にしなかった。しかし誰でも社長になれるため、権力闘争が激化してしまった」という話で、創業者一族が経営しているトヨタは比較的安定しているらしい。王政の利点って感じだ。

これは真筆だと私も思う。ほとんど読めないが、「人」という字が、私が前に見た西郷隆盛の「敬天愛人」と書かれた額の「人」の字とまったく同じである。




上野戦争の前日に西郷隆盛が書いた書簡。1行目から2行目にかけて「彰義隊討伐」と書かれている © KYODONEWS 上野戦争の前日に西郷隆盛が書いた書簡。1行目から2行目にかけて「彰義隊討伐」と書かれている

 東京・上野の寛永寺を本拠とする彰義隊に新政府軍が勝利した1868(慶応4)年5月の上野戦争の前日に、新政府軍側の薩摩藩兵を指揮した西郷隆盛が、藩兵の隊長と思われる「肝付郷右衛門」に出した書簡が5日までに見つかった。

 西郷南洲顕彰館(鹿児島市)が西郷の真筆と鑑定。落合弘樹明治大教授(幕末維新史)も丸みを帯びた柔らかな独特の筆致と簡潔な文体からみて、真筆と判断した。

 落合教授は「前線に向かう将兵への細やかな配慮と、上野戦争前日の多忙で緊迫した雰囲気が伝わってくる」と評価している。

 書簡は、群馬県高崎市の古書店・名雲書店が古書市で入手した。













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