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少し前に書いた、「武器としての傘」の関連で、「道具」や「機械」について考えてみる。
実は、道具や機械も、「男の子」の心(大人の男の心の奥底にもある)をワクワクさせるものだと思う。
それはなぜかと言うと、道具も機械も、「自分の力を拡大する物」だからである。素手ではできないことが道具や機械を使うと可能になる。その「力が拡大した喜び」が、道具や機械を好む男の子には特に強い気がする。自動車やオートバイに乗ることで、ジャガーやチーターに劣らない速さで疾走できる。重機を使うことでとてつもない重さの物を自由に扱える。
些細な、あるいはごく身近な物で言えば、線引きを使うことで「自然界には存在しない」真っ直ぐな線を書くことができ、コンパスを使うことで、素手では描けない精密な円が描ける。それ以前に、ペンを使えば、一定の幅の線が描ける。これは筆の時代には無かったものだ。
で、道具や機械のいいところは、それがあくまで「自分の力の拡大」であることだ。
これは組織などを利用し、他人の力を利用する形の力の拡大、つまり「権力」とはまったく別の、ある意味では「身体性」から離れていない種類の力の拡大であり、だからこそ「気持ちがいい」のだろう。
私は、若いころ、異常に健康で、道を歩いているだけで「歩く喜び」「地面を踏み、地面から返ってくる反発力の感覚の喜び」を感じたものである。身体性を伴う喜びとはそういうものだ。これは、権力で人を動かしてその果実を得るだけの人間とは異なる、「自然に根差した」喜びだと思う。
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