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小田嶋師も言っていたが、「情緒について論理的に語った」いい文章である。
「死者の再利用」と言うと靖国神社を想起するが、「俗情を利用する」点では右翼(保守政党とは少し違う。厳密には「保守」ではない。昔の右翼がかった自民党も保守ではないが、特に現在の政権はグローバリズムの先兵だ。)と芸能界は親近性が高いようだ。



(以下引用)



AI美空ひばりへの違和感

2020年最初のワダアキ考は、毎年恒例の紅白振り返り、と思いきや、昨年NHKでドキュメンタリーとして放送され、紅白出場も果たした「AI美空ひばり」について。完成度の高さへの驚きと同時に、大きな批判も呼んでいるAI美空ひばりに、武田砂鉄さんはどのような違和感を抱いているのでしょうか。

「30年ぶりの美空ひばりの新曲」という明記

毎年、年頭の原稿は紅白歌合戦を振り返る内容を記してきたのだが、一昨年に成功した三山ひろしのけん玉ギネス記録が失敗に終わったこと、豪華衣装路線を独占してきた水森かおりが豪華衣装を捨てて割と平凡なイリュージョンを2年連続で披露したことなどを踏まえると、積極的な議論をいくつも拾い上げるのが難しいので、今回は「AI美空ひばり」に絞りたい。

紅白で披露された「AI美空ひばり」による「あれから」は、美空ひばりが残した膨大な音声データをもとに、AI技術を駆使して彼女の声を現代に蘇らせ、「人の心を揺さぶらせることができるのかという試みに挑みました」(日本コロムビア・プレスリリース)とのこと。「30年ぶりの美空ひばりの新曲」という明記に引っかかる。紅白歌合戦のウェブサイトの表記は「AI美空ひばり」だが、発売されたCDジャケットの表記は「美空ひばり(AI歌唱)」。しかも、「美空ひばり」を3分の1くらいに小さくしたサイズで「(AI歌唱)」と添えられている。できるかぎり、新曲として売り出したいのだ。いやらしい、と思った。

これはやってはいけないことだ

狙い通り、心を揺さぶられた人も多いのだろう。楽曲制作を追ったドキュメンタリー(NHKスペシャル『AIでよみがえる美空ひばり』)では、完成した映像と歌唱を見た多くの人が涙をこぼし、そのうちの一人の女性は「神様を見ている気持ちになって、神々しさを(感じて)、感動いたしました」と答えていた。この女性の見解は、こちらからの批判的な見解に用いる要素とおおよそかぶる。カリスマ的な故人に、誰かにとって好都合な言葉を新たに獲得させ、その言葉によって感情を揺さぶらせ、「神々しさ」まで感じさせるというのは極めて危うい。そういう宗教団体を私たちの多くは知っている。曲の間には、彼女の声で「お久しぶりです。あなたの事、ずっと見ていましたよ。頑張りましたね。さあ、私の分まで、まだまだ頑張って」という語りが入った。これはやってはいけないことだ。

たとえば、亡くなったミュージシャンの音源をもとに、残されたメンバーなどが新たに楽曲を作ることがある。ピンク・フロイドのキーボーディスト、リック・ライトは2008年に死亡したが、彼が残していた音源に肉付けする形で、残されたメンバーが新曲を制作、2014年にトリビュートの意味を込めて、最後の新作をリリースした。それでも、これは純然たる新作とは呼べない、と批判する声もあったし、メンバー自身もその声と向き合っていた。2016年に亡くなったプリンスが2018年のスーパーボウルのハーフタイムショーにホログラムで出演するとの情報が出回ると、生前のプリンスがVR演出に否定的なコメントを出していたことなどから中止になったことも話題になった。

「生きるというのは別れを知ること」

このように、あらかじめ存在している音源や映像であろうとも慎重に取り扱うべきだが、今回は、曲どころか、メッセージまでイチから創作した。「あれから」のPVの最後には「又逢える日を楽しみに私もがんばります」という、美空の直筆が映し出される。さすがにこれは、どこかのタイミングでファンの皆に向けられた文章なのだろうと思ったのだが、調べてみると、1987年に入院していた彼女のもとを訪れた千代の富士へのお礼の手紙から引用したのだという。PV映像にそのクレジットはない。これは二人の故人に対し、とてつもなく失礼だと思う。

昨春、自分の祖母が98歳で亡くなったのだが、不思議なもので、亡くなってからのほうが具体的な会話や一緒に訪ねた光景をあれこれ思い出すようになった。いなくなっちゃった人の存在というのは、こうやって、時間をかけて大切に育てていくものなのだと実感した。もちろん、今回の美空のように、祖母から新しい言葉が与えられたら泣き崩れるかもしれないけれど、そうやって強奪された涙は、祖母と自分の関係において、極めて淡白で無機質なものだ。つまり、「生きるというのは別れを知ること」なのだ。この一節は、秋元康・作詞による「あれから」の歌詞からの引用である。生きるというのは別れを知ることならば、こうやって、感動させる目的で死者に新しい言葉を与えてはいけないと思う。

AI美空ひばりと血液クレンジング

NHKのドキュメンタリーの中で秋元は、「どんな方法でもいいから、ひばりさんとお会いしたい」「もう一回やっぱりレコーディングしたいですね」「技術がすごいですね、だと、人の心は打たないじゃないですか。本当にそこにひばりさんがいるんだということをみんな見たいわけだから」と述べている。多くの人がかかわっているプロジェクトだし、著作権者も了承しているプロジェクトだが、ドキュメンタリーを通しで見ると、とにかく彼の私欲がこぼれてくる。

決定的なのは、先に問題視した語りの部分についての見解だ。「今、この時代に、ひばりさんが『あれからいろんなことあったけど、ずっと見ていたわよ』と、ひばりさんが空の上から『私の分まで頑張って』と言う。それがいちばん伝えたかった所なので。ひばりさんから『よく頑張ったわね』と言われたら、日本中がまだ頑張ろうと思える」と述べている。つまり、これは「美空の願い」ではなく、「秋元の願い」なのである。

秋元が、今回のプロジェクトは人間の思いを科学がサポートしているもので、科学よりも人間の思いが大事なのだ、と付け加える。科学、人間の思い、とくれば思い出すのが血液クレンジング。昨年、「科学的根拠がない」「エセ医療だ」と問題になり、芸能人・インフルエンサーによってはブログなどで釈明を強いられていたが、見城徹と定期的にクリニックに出向き、血液クレンジングを行っていたのが秋元だった。彼は「男同士で来るのがいいんですよ。80年代から戦ってきた、戦友のような関係だし、ここでの時間は満身創痍の戦士の休息なんです」(web「GOETHE」)と、その思いを語っていたが、この記事はなんの断りもなく消えた。彼が言う、「科学よりも人間の思いが大事」との提言はなかなか響かない。科学も大事だ。人間の思いも大事だ。

これは美空ひばりの新曲ではない

芸能人が何人も続けて感想を述べる「あれから」のPR映像の中で、俳優・村上虹郎が「美空さんの声の温かさみたいなものは、何か少し足りない感じもするんですけど、正直……」と前置きして話していたのには驚いた。とても真っ直ぐで、かっこいい人だなと思った。実際の撮影現場がどうだったのかは知らないが、これだけの大きな企画を前に、ちょっとした苦言をコメントに含めることには、それなりの勇気が必要だったはずである。

村上が指摘する通り、美空ひばりの実際の音源と比べれば、温かみに欠けることはすぐにわかる。声の奥行き、息遣い、間合い、私たちはとても感覚的なものの集積で音楽に揺さぶられてきた。今回の曲は、秋元康とその周辺が、「会いたかった美空ひばり」を作り上げたプロジェクトである。それは「30年ぶりの美空ひばりの新曲」ではないと思う。ちなみに、秋元が血液クレンジングについて熱弁していた記事の初出は『GOETHE』2017年6月号。その特集名は「死なないカラダを手に入れろ!」である。人はみんな死ぬ。カラダは無くなり、思いが残る。死んでしまった大切な人と、また会いたいと願いながら、頭の中で長い時間をかけて付き合っていく。誰かの私欲で、そういう大切なものを揺さぶられたくない。

(イラスト:ハセガワシオリ













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まあ、政権の安定だけを論じるなら、王政でかつ独裁政権の安定性が一番高いに決まっている。古代の歴史は、いかにして自分の王権を守るかという話がほとんどだ。そのためには自分の親だろうが子供だろうが殺したわけで、べつに親族経営(政治も経営も同じである。)が優れているという話にはなるはずがない。
こうした話は、だいたい片手落ちなものだ。
まあ、下の人間が、「余計な希望(野心)を持たない」ことが、経営者にはメリットは大きいだろう。




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あと、もう一つ日産の話で面白かったのが「日産は創業者が自分の子供を関わらせず、世襲にしなかった。しかし誰でも社長になれるため、権力闘争が激化してしまった」という話で、創業者一族が経営しているトヨタは比較的安定しているらしい。王政の利点って感じだ。

これは真筆だと私も思う。ほとんど読めないが、「人」という字が、私が前に見た西郷隆盛の「敬天愛人」と書かれた額の「人」の字とまったく同じである。




上野戦争の前日に西郷隆盛が書いた書簡。1行目から2行目にかけて「彰義隊討伐」と書かれている © KYODONEWS 上野戦争の前日に西郷隆盛が書いた書簡。1行目から2行目にかけて「彰義隊討伐」と書かれている

 東京・上野の寛永寺を本拠とする彰義隊に新政府軍が勝利した1868(慶応4)年5月の上野戦争の前日に、新政府軍側の薩摩藩兵を指揮した西郷隆盛が、藩兵の隊長と思われる「肝付郷右衛門」に出した書簡が5日までに見つかった。

 西郷南洲顕彰館(鹿児島市)が西郷の真筆と鑑定。落合弘樹明治大教授(幕末維新史)も丸みを帯びた柔らかな独特の筆致と簡潔な文体からみて、真筆と判断した。

 落合教授は「前線に向かう将兵への細やかな配慮と、上野戦争前日の多忙で緊迫した雰囲気が伝わってくる」と評価している。

 書簡は、群馬県高崎市の古書店・名雲書店が古書市で入手した。













あまり有効な対策には思えない。少しは「症状」を軽減させるかな、という程度の対症療法でしかない、という感じ。
本屋が急激に消滅している理由は、「家に本を置くスペースがない」「スマホの通信費で手一杯で本を買うカネがない」「本を読む能力も読書への関心もない人が激増している」ということだろう。さらに、「万引き問題」も大きいはずだ。つまり、基本的なモラルの消滅。
とすれば、対策はそこにしかないはずである。つまり、下の対策は、今でも本好きは多い、という前提での対症療法でしかない。


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返本制度が日本に比べるとかなり脆弱なアメリカで生き延びた書店のとった道としては
1) 玩具、CDやDVD/BDなど書籍以外を取り扱う
2) 喫茶店や様々な集会、サイン会を受け入れリピーターを増やす
3) 同人誌や古本も常備し、極めてマニアックなオンリーワンを狙う
などを採用したお店が多い気がします。

若い人や児童・学生の読解力が無残に低下しているという話と根が同じなのではないか。子供のころからまったく文学書(児童書)を読まないで育った人間が大量にいると思う。それは、想像力を育てる機会を持たなかったということだ。文字を読んで、その世界を想像することと、映像を見る経験とはまったく別である。後者には想像力は不要である。すべては「与えられている」のだから。理解できなかったものについては「他人(周囲)の意見」を口移しに言うだけである。




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10年前、車社会の山口で救急車に道を譲らない車はほとんどいませんでした。久しぶりに山口に戻ってまだ1年経たないのに道を譲らない車両たちを何度見たことか。想像力の欠如はもちろんそうなんでしょうけど、想像してご覧?という思考の仕方を自分より下の世代に教えなくなった大人の責任もあると

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