忍者ブログ
[138]  [139]  [140]  [141]  [142]  [143]  [144]  [145]  [146]  [147]  [148
私は、「けっして」とは、「決して」つまり、決定的に、の意味だと考えているから、それを「けして」と書く人間に不快感を持っているのだが、三省堂の辞書(下のweblio辞書はその引用らしい。)では「けして」を許容しているようだ。他の辞書もそうなのだろうか。




けっし て [0] 【決して】

( 副 )
(下に打ち消しの語を伴って
打ち消し強調する気持ちを表す。どんなことがあっても。けして。 「ここなら-見つからないだろう」 「 -人に話してはいけない」 「 -ご迷惑はおかけしません」
一部分はそうであっても全部がそうではないという気持ちを表す。部分否定の意を表す。必ずしも。 「この程度で-満足しているわけではない
推量判断間違いない思われるさま。必ず。きっと。 「 -聟や娘に追ひ回されて,口惜しい日を送るであらう/鳩翁道話

けし て [0] 【決して】

( 副 )
けっして(決) 」に同じ。


PR
漫画家近藤ようこの随筆集の中に、

「ヤクザと売春婦はどんな大根役者でも上手くできるという。現実のヤクザや売春婦が、自分自身を演じている役者そのものだからだろう。

という文があり、これは卓見だ、と感心した。もちろん、後半(赤字部分)にである。
我々は日常生活の中でいつも演技をしている、というのは私の持論(まあ、べつにオリジナルな考えだと主張はしない)だが、特に「ヤクザと売春婦」がそうである、というのは彼女のほかには言った人はいないのではないか。たとえば、教師など、演じているように見えながら、「個性を出しているだけ」という人も多いだろう。あるいは、その演技が無意識的であったりする。それは既に「役者」ではない。
しかし、ヤクザは「演じないと務まらない」商売の最たるものではないか。つまり、「凄む、脅す」という演技の達人であるわけだ。実際の「暴力の能力」以上に、この演技が優れている人間がヤクザ界のエリートだと思う。
売春婦もまた役者である、というのも、何となく理解できる。つまり、「自分自身(の肉体)を相手に買わせる」には、演技が必要であるわけで、それはオーディションを受ける新人女優と変わりはない。
「hugkum」という育児ネットマガジンの吉田戦車インタビューの一部で、彼が子供(娘さん)にどんな漫画を読ませているか、という部分だ。
昔、萩尾望都に抱っこされたことがある、というのは、皇后陛下に抱っこされたくらいの貴重な体験だろうが、子供本人は覚えていないだろう。
男親は藤子不二雄を子供に勧めても、女の子はどんなに小さくても恋愛ものを好みそうな気がする。「ちはやふる」は、かるた取りという競技(バトル)でオブラートにくるんだ恋愛漫画だと思う。少女漫画は基本的にすべて恋愛漫画だろう。


(以下引用)


娘には、「色鉛筆が欲しい」と言えば多色を買ってあげたり、お絵かきをして一瞬で消せるようなデジタルのものを与えたりはしています。また、本には糸目をつけないとう妻の方針があって、図鑑も揃えてあります。

ただ、僕らの蔵書から「これを読んでもいいよ」って貸しているものもあります。伊藤はね『キャンディキャンディ』。新刊がでていないので超ボロボロなんですが(笑)娘は、それを読んでいます

僕は、藤子・F・不二雄先生の漫画を、読ませています。あとは、僕が持っていた『エースをねらえ!』(山本鈴美香)と、『ストップ! ひばりくん』(江口寿史)。これは、男女の複雑さを学ぶのにいいんじゃないかな(笑)娘は、『ちはやふる』(末次由紀)に夢中ですかね。

昔からギャグ作家の漫画家は仲が良かったんです。僕は、『伝染るんです。』描いていた頃に、漫画家さんの知り合いも増えて良く集まったり飲んだりしていました。今も漫画家さん同士飲んだりしますね。

二ノ宮(二ノ宮 和子)や、安野(安野モヨコ)が妻の親友で、子どもが生まれた時に、監督(庵野 秀明)まで来ちゃったりして、楽しかったですよ。もっと中学高校になっても漫画が好きだったら、(自分の環境に)気づくんじゃないですか。凄い人に会っていたんだなって。萩尾望都先生に抱っこされたことがあるんだとか。後で思い知るがいいって(笑)

「神戸だいすき」の中に出ていた豆知識だが、私は知らなかった。(私は「神戸大好き」さんは情報通だとは思うが、新興宗教信者らしいので、あまり知性や人格は信じていない)
さすがに、民間芸能に関係しているだけに、古い習俗の知識に接することも多いのだろう。
「着て、さらに着る」から「き・さら・ぎ」というのは筋が通っているように聞こえるが、こうした語源説というのは、案外、新しい時代に誰かがでっち上げたものも多いのではないか。
「弥生」などは、漢字も読みも分かりやすい。「植物がいよいよ生い茂り始める季節」ということだろう。だが、「睦月」などは分からない。雪に閉じ込められて「家族や親しい者たちが睦まじくすごす」意味か。



2月の古い名称を知っていますか?
「きさらぎ」と言うのよ。「重ね着しないとおられない寒さ」の意味。

銃が「自分の身には危険が無く、遠距離から人を殺せる」卑怯な武器である、ということをテーマにした脚本の案。
登場するのは、「女、子供、老人、病人(障害者)」で構成された殺し屋集団。ただし、それぞれ優れたガンマン(ガンウーマン)。
その女子供老人病人に、屈強な体格の男たちが銃で簡単に殺されていくのが、話の主筋。毎回、そういうパターン。(別に、相手が悪だから殺すというのではなく、純粋にビジネスとして殺す。)
主人公(あるいは副主人公)は、毎回、その殺し屋のひとり。テレビドラマなら、視聴者は、その登場人物が殺し屋であることを知っているから、「神の視点」でドラマを上から眺めることになる。映画「バリー・リンドン」のような感じにしたい。視聴者が感情移入しそうな「善人」も回の最後では(ビジネス上)殺される。
登場人物のひとりに、「銃はイクエイター(平等を作るもの)である」という哲学を語らせ、同時に銃が卑怯者(あるいは弱者)の武器であることをも語らせる。

主要人物(仮に想定しただけで、いくらでも増やせるし改変できる。)

30代女性:最悪の人生を歩んできた、筋金入りのフェミニストで、美人。社会と男性を憎悪している。
50代女性:最愛の旦那を街のチンピラに殺され、銃で犯人を殺して服役。見かけは優しい中年女性。
70代男性:上司の犯罪の罪を着せられ、人生を棒に振った男。
40代男性:聾者。
10代男性:トランスジェンダーで、美少女に見え、女装が得意。

なお、この案は、先ほど見た昔の映画「三人の狙撃者」からヒントを得た。その映画では、戦場で27人殺したことが自慢の殺し屋フランク・シナトラが、おそらく銃を撃ったこともない家庭の主婦(平和主義者で銃嫌い)にピストルで撃ち殺され、惨めに死んでいく。
<<< 前のページ 次のページ >>>
プロフィール
HN:
冬山想南
性別:
非公開
P R
忍者ブログ [PR]

photo byAnghel. 
◎ Template by hanamaru.