ひとつには、医者になるまでお勉強だけしてきたので、人間観察能力が発達しないのだろう。もうひとつは、医療業務をしていても、患者は医者に表面的敬意で接するだけで、本音は見せない。見せるのは病気関係だけであり、医者は患者の人間性ではなく病気の情報しか見ていない。
医者から文学者になった人物は多いが、医療経験よりも読書経験の蓄積による素養のためだと思う。ただ、死に接する機会は一般人よりは多いので、死にまつわる人間模様と「いざという時の本音」を知ることはできるのではないか。
人間観察眼では、医者よりも不良やDQNのほうが機会は多そうだが、地頭が悪いので偏頗な見方にしかならないだろう。つまり、悪い事をしても上手くやれば大丈夫、みたいな下種な知恵だけ身につける。
(以下引用)
医者から文学者になった人物は多いが、医療経験よりも読書経験の蓄積による素養のためだと思う。ただ、死に接する機会は一般人よりは多いので、死にまつわる人間模様と「いざという時の本音」を知ることはできるのではないか。
人間観察眼では、医者よりも不良やDQNのほうが機会は多そうだが、地頭が悪いので偏頗な見方にしかならないだろう。つまり、悪い事をしても上手くやれば大丈夫、みたいな下種な知恵だけ身につける。
(以下引用)
政治家は人たらしが多いので、医療のプロも「あの人はいい人だー」とすぐメロメロになりがちだ。が、実情を知るとそうでもないことも多い。医者など医療者の多くは案外、人を見る目がないからだ。
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デビッド・ボウイの言葉だそうである。
名言だろう。人間は自分の吸収した知識の中から創造をするもので、そこに自然と当人の個性が出る。それがオリジナリティであり、人類の過去の文化的蓄積が無ければ新しい創造は無い。
(最も過大評価されている美徳は何だと思いますか?) オリジナリティ。
名言だろう。人間は自分の吸収した知識の中から創造をするもので、そこに自然と当人の個性が出る。それがオリジナリティであり、人類の過去の文化的蓄積が無ければ新しい創造は無い。
(最も過大評価されている美徳は何だと思いますか?) オリジナリティ。
頭の中に将棋盤が無くて、なぜ答えを出せるのか、と言えば、「直観で出している」としか考えられないだろう。つまり、論理演算ではなく、頭の中にある膨大なデータの中で、現在の駒組みから考えて最善の一手を直観で選んで指すのではないか。この推論が正しければ、データの膨大さという点ではコンピュータに似てもいるが、論理演算ではない、という点では完全に対極的なものだろう。
プロフィール
HN:
冬山想南
性別:
非公開
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