寝ている時に思いついたアイデアだが、小説で、タイトルを「セクハラ先生」というものだ。
そのタイトル自体が引っ掛けで、主人公は非モテで内気な若い教師である。学校の新校長が、学内のセクハラ問題が多いことからセクハラ問題担当教師を任命し、それに適当に指名された主人公が周囲から「セクハラ先生」と呼ばれることになるという悲喜劇である。自分はセクハラをしてもいないのにセクハラ先生と呼ばれるのは不運だが、実はそれがきっかけでいろいろな女性教師や女生徒から相談を受けることになり、馬鹿にされながらも案外好感を持たれ、女性と無縁だった人生の転機となる、という話である。漫画原作として面白いのではないか。
そのタイトル自体が引っ掛けで、主人公は非モテで内気な若い教師である。学校の新校長が、学内のセクハラ問題が多いことからセクハラ問題担当教師を任命し、それに適当に指名された主人公が周囲から「セクハラ先生」と呼ばれることになるという悲喜劇である。自分はセクハラをしてもいないのにセクハラ先生と呼ばれるのは不運だが、実はそれがきっかけでいろいろな女性教師や女生徒から相談を受けることになり、馬鹿にされながらも案外好感を持たれ、女性と無縁だった人生の転機となる、という話である。漫画原作として面白いのではないか。
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二重の論点ずらしがある会話だと思う。
元ツィートで否定されている「ロングソードの一撃をレイピアで防ぐことは不可能」という言葉は、ロングソードの一撃(だいたい、頭上からの一撃だろう)をレイピアで「受け止める」ことは不可能の意味だろうし、それはロングソードとレイピアの重量や形状から見て実際ほぼ不可能だろう。
「防ぐ」の内容として、体を躱すとか相手の一撃より早くこちらの刺突を相手に達するとするなら、レイピアでロングソードに勝つのは可能だろうが、それが「余裕で」となるのはレイピア側の技量によるだろう。つまり、発言者新美氏は自分がレイピアの達人だと誇示している。
もうひとつの論点ずらしはリツィートした人の発言の中の「レイピアで勝てる」という部分で、元ツィートは「防ぐ」ことを論じているのにそれが「勝てる」話にすり替わっている。つまり、上で述べた後半の内容になっている。しかも、それが「同レベルのロングソード持ちなら」となっていて、これは明らかに誇大表現だろう。レイピアのリーチはロングソードと同等(やや短い)で、しかもロングソードは振り下ろす動作、レイピアは刺突動作が基本だ。つまり、ボクシングのフックとストレートの軌道の違いからくる相手への到達速度の差はあるが、ロングソードの重量による破壊力はレイピアの比ではないだろう。
まして、ダガーがロングソードより有利だという説に至ってはキチガイの妄想としか思えない。
まあ、ここでロングソードというのがどういう長さや重さのものを前提としているのか分からないが、必ず両手持ちでしか使えない巨大なものを前提としているなら、それにダガーで勝つことも可能だろう。だが、普通の日本刀くらいのものも「ロングソード」の仲間だとすれば、下に書かれたことはまったく成り立たないと思う。
(以下引用)
元ツィートで否定されている「ロングソードの一撃をレイピアで防ぐことは不可能」という言葉は、ロングソードの一撃(だいたい、頭上からの一撃だろう)をレイピアで「受け止める」ことは不可能の意味だろうし、それはロングソードとレイピアの重量や形状から見て実際ほぼ不可能だろう。
「防ぐ」の内容として、体を躱すとか相手の一撃より早くこちらの刺突を相手に達するとするなら、レイピアでロングソードに勝つのは可能だろうが、それが「余裕で」となるのはレイピア側の技量によるだろう。つまり、発言者新美氏は自分がレイピアの達人だと誇示している。
もうひとつの論点ずらしはリツィートした人の発言の中の「レイピアで勝てる」という部分で、元ツィートは「防ぐ」ことを論じているのにそれが「勝てる」話にすり替わっている。つまり、上で述べた後半の内容になっている。しかも、それが「同レベルのロングソード持ちなら」となっていて、これは明らかに誇大表現だろう。レイピアのリーチはロングソードと同等(やや短い)で、しかもロングソードは振り下ろす動作、レイピアは刺突動作が基本だ。つまり、ボクシングのフックとストレートの軌道の違いからくる相手への到達速度の差はあるが、ロングソードの重量による破壊力はレイピアの比ではないだろう。
まして、ダガーがロングソードより有利だという説に至ってはキチガイの妄想としか思えない。
まあ、ここでロングソードというのがどういう長さや重さのものを前提としているのか分からないが、必ず両手持ちでしか使えない巨大なものを前提としているなら、それにダガーで勝つことも可能だろう。だが、普通の日本刀くらいのものも「ロングソード」の仲間だとすれば、下に書かれたことはまったく成り立たないと思う。
(以下引用)
ぶっちゃっけ相手が同レベルのロングソード持ちならレイピアで勝てるし、組討ちありなら難易度下がるしダガーも使って良いなら負ける気がしないくらいロングソードが不利になる。 なんでそうなるかは元ツイ主の教室で学んでください。 常に情報がタダって訳じゃないし金突っ込んで海外で学んでるんでw
ヒトラーの絵についてのいくつかの評言だが、ジョン・ガンサーは(よく覚えていないが)ジャーナリストにすぎなかったのではないか。つまり、ヒトラーの絵を語る資格があるのか。その下にある美術評論家(名前を書いていない)の評価のほうがまともだと私は思う。ジョン・ガンサーは、「ヒトラーの絵だ」という偏見の下で最初から見ているという気がする。
ヒトラーの人物画は風景画の一部にあるものしか見ていないが、確かに稚拙である。建築物の絵が実に細密丁寧に描かれているのと対比的だ。だが、人物画が嫌いな画家がいてもべつにいいと思う。私も、部屋に飾るなら人物画ではなく風景画を選ぶ。毎日同じ人物の同じ顔を見て、何が面白いのか。まあ、飽きるという点ではどんな名画でも同じではある。自宅に名画を飾っている人は、毎日同じ絵を見て飽きないのだろうか。買って二、三日は見るが、その後はまったく見ないのではないかwww
「人間に興味が無い」人間のほうが、抽象的な計画にのめり込む傾向がある(当然、その種の思考が得意である)ような気がする。人間を個々人ではなく人種(あるいは集団や組織単位)で考える、というのは「人間の抽象化」だろう。会社経営者や政治家に多そうである。宗教家なども案外そういう思考をしがちなのではないか。下手をしたら、「教育者」を名乗る人間(学校経営者など)にもかなりいる気がする。
(以下引用)
ヒトラーの人物画は風景画の一部にあるものしか見ていないが、確かに稚拙である。建築物の絵が実に細密丁寧に描かれているのと対比的だ。だが、人物画が嫌いな画家がいてもべつにいいと思う。私も、部屋に飾るなら人物画ではなく風景画を選ぶ。毎日同じ人物の同じ顔を見て、何が面白いのか。まあ、飽きるという点ではどんな名画でも同じではある。自宅に名画を飾っている人は、毎日同じ絵を見て飽きないのだろうか。買って二、三日は見るが、その後はまったく見ないのではないかwww
「人間に興味が無い」人間のほうが、抽象的な計画にのめり込む傾向がある(当然、その種の思考が得意である)ような気がする。人間を個々人ではなく人種(あるいは集団や組織単位)で考える、というのは「人間の抽象化」だろう。会社経営者や政治家に多そうである。宗教家なども案外そういう思考をしがちなのではないか。下手をしたら、「教育者」を名乗る人間(学校経営者など)にもかなりいる気がする。
(以下引用)
先ほど思いついただけの思想なのだが、ヒロイズムというのはヒロインが存在して初めて成立するものではないだろうか。
たとえば、「未来少年コナン」で、コナンがラナに出会うことが無かったなら、彼は南の孤島で抜群の身体能力を持って生き抜き、生涯を終えるだろうが、それはヒーローだろうか。単に、面白い野蛮人で終わるのではないか。コナンがラナのためにすべてを捧げ、行動するからこそ彼はヒーローなのではないか、というわけだ。
これはべつにフェミニストに媚びているわけではない。ラナのようなヒロインは何億人にひとりしか存在しないからだ。
まあ、要するに、ゲーテの「永遠に女性なるもの、我らを牽きて往かしむ」というのは、物事を斜めに見たがる猪口才な人間が思うより深淵な真理を道破しているのではないかということだ。
たとえば、「未来少年コナン」で、コナンがラナに出会うことが無かったなら、彼は南の孤島で抜群の身体能力を持って生き抜き、生涯を終えるだろうが、それはヒーローだろうか。単に、面白い野蛮人で終わるのではないか。コナンがラナのためにすべてを捧げ、行動するからこそ彼はヒーローなのではないか、というわけだ。
これはべつにフェミニストに媚びているわけではない。ラナのようなヒロインは何億人にひとりしか存在しないからだ。
まあ、要するに、ゲーテの「永遠に女性なるもの、我らを牽きて往かしむ」というのは、物事を斜めに見たがる猪口才な人間が思うより深淵な真理を道破しているのではないかということだ。
まあ、現代では純文学でベストセラーという事例は滅多にないことからも、世間の平均的読解力水準や芸術理解力水準は分かる。世界文学の古典は「大衆文学」でもあったから評判になり、「純文学性」つまり、思想的な高さがあったから古典となったわけだ。DQN的な、趣味の低劣な人間が多い国なら、その国でベストセラーになるのは恥でさえあるだろう。
「なんでこんなつまらんマンガが売れてるんだろ」違います、あなたがその絵柄/キャラ/ジャンル/話が苦手、趣味に合わないだけで、合う人が多いのです。 「こんなマンガがトップかよ、俺がこの雑誌に持ち込んだら即入賞だな」違います、こんなマンガを好む読者が多い雑誌だからあなたは勝てません。
プロフィール
HN:
冬山想南
性別:
非公開
カテゴリー
P R
ウィーン美術アカデミー所有のヒトラー作品を鑑賞したジョン・ガンサーは、
「どれも単調で、リズムも精彩も感情も、物質世界を越える想像力もない。
ただの建築家のスケッチだ。骨を折りながらも正確な図面を描いている。
それ以上ではない。ウィーンの教授陣が建築学校にいけ、ファインアートは
見込みがないから諦めろといったのも不思議はない」と語っている[7]。
ある現代美術評論家は、ヒトラーの絵を誰が描いたか伏せた状態で批評を求められ、
「とても素晴らしい」と認めた。一方で、作風は異なるもののやはりヒトラーが
描いた人物画については、作者が人間にまったく興味が無いことがわかる、
という評価だった[18]。
フラテッリ・アリナーリ社の『ヒトラーの水彩画』という題の本によれば、
その作品には表現主義特有の「陰鬱さ」がある[1]。