第三十一章 有為転変
それから三年が経った。今では、エルマニア国の政治の実権はローラン国から連れてきた宰相のケスタが一手に握っていた。最初の王妃であったジャンヌは、第二夫人のマリカの策謀で毒殺され、今はマリカが第一王妃となっていた。
年を取って容色の衰えたカーミラはフリードの寵を失い、アリーは存在を忘れられた。何しろ、フリードの後宮には、前国王の時代に国中から集められた選りすぐりの美女が百人近くいたからである。フリードの仕事は毎日毎晩違う女と寝ることだけであり、これはケスタの思う壺だった。
そして、エルマニア国の人々は重税と苦役にあえいでいた。
かつて自分たちが苦しめられた事を、今は自分が原因となってしていることに、フリードは気づいていなかった。それほどに国王の暮らしは安逸に満ちていたからである。
ある日、宰相のケスタが報告をした。
「フリード様の弟御のヴァジル様が殺されました」
フリードは顔色を変えた。
ヴァジルはフリードの後のローラン国王となっていたのである。
フリードは気持ちを落ち着けて、強いて冷静に聞いた。
「どういう事情だ?」
「お后の密通相手の大臣に殺されたようです」
「そいつの名は?」
「エドモンとかいう男です」
「よし、すぐにそのエドモンを討伐に行くぞ」
「それはおやめになったほうが」
「何故だ?」
「ヴァジル様の悪政のために、国民はヴァジル様を恨んでおりました。エドモンはまるでシーザーを殺したプルータスのように、ヴァジル様の悪政を殺害の理由とし、国民の人気と支持を得ています。しかし、どうしても討伐に行かれるなら、軍勢は二千人までに願います。なにしろ、国家財政が不如意なもので」
「そうなのか?」
「はい。今年は不作のため、税収が少のうございます」
「そうか。なら、二千人の軍勢で行こう」
三年間の殿様暮らしですっかり頭の鈍ったフリードは、ケスタの言う通り、僅か二千の軍勢だけを引き連れて出陣した。
彼がローラン国との国境近くまで来た時、ケスタが即位し、新国王となったという噂が流れて来た。
フリードは呆然となった。
しかも、ケスタはフリードを追討するために二万の軍勢を差し向けたということである。
ケスタが自分に二千の軍隊しか与えなかったのはこのためか、とフリードは地団駄を踏んで悔しがったが、後の祭りである。
フリードはローラン国との戦争をあきらめ、古馴染みのライオネルの治めるビンデン郡に向かった。
第三十二章 二つの愛
どうも言い訳ばかり多くて申し訳ないが、前章で作者がジャンヌを殺してしまったことについて一言言っておこう。
「王冠を戴く頭に眠りなし」とかいう意味の言葉をシェークスピアが言っているが、国王と同様に、王妃の座も危険極まりないものなのである。いや、王妃の権力は自分の力ではなく、国王に依存した力であるから、その危険性はいっそう大きい。国王の寵愛が冷めれば王妃の座を追放され、あるいは殺されてしまうことは珍しくない。
それよりも危険なのは、他の国王夫人、側室らの策謀、暗殺である。特に皇太子継承問題が絡むと、血で血を洗う抗争になることも珍しくない。国王夫人というものは、我が子を次期国王にするためなら、現国王、つまり自分の夫を暗殺することも厭わないのが普通である。なぜなら、女にも権力欲はあるが、国王を支配するのは難しい。しかし、我が子を通してなら自在に権力を行使できるからだ。ライバルである他の夫人たちやその子供の命を奪うことなど、ありふれすぎていて歴史の本に書く価値さえないくらいである。もちろん、正夫人が側室への寵を妬んで側室を殺した話も珍しくない。中国では、嫉妬のあまり、前国王の愛妾の手足を斬り、便所の汚物槽に住まわせて「人豚」と呼んで笑い物にしたというすさまじい話もある。(頭でしか物事を考えない現代の人間には、そのすさまじさをイメージすることも難しいだろうが、たまには、自分をその状態に置いて想像してみるが良い)
ジャンヌの死について、フリードもマリカの手によるものではないかと疑わないでもなかったが、その頃にはフリードのジャンヌへの愛も冷め、無関心になっていたので、深い追求はしなかったのであった。人間の恋愛感情など、そんなものである。強い恋愛感情というものも、相手との肉体関係が出来るまでの話であり、もしも恋愛感情を永続させたいなら、恋愛が成就したその瞬間に死ぬしかない。いや、成就する直前で死ぬのがベストだろう。多くの結婚生活では、結婚とともに、恋愛感情は無くなり、もっと穏やかな夫婦愛に移行していくのが普通である。特に女性の中には、それを不満に思い、もっとドラマチックで刺激的な不倫に走る向きも多いようだが、性愛などというものの刺激は、短期間しか続かないものであり、次から次へと相手を変える以外には、刺激を維持する手段はない。それによって傷つけられる人間関係の被害の大きさを考えれば、不倫は「やむなく」するものであり、自分から求めてするものではない。(旧約聖書の雅歌に曰く、「愛の自ずから起こるまでは、呼び、かつ覚ますことなかれ」と。)
夫婦の愛は、肉体関係とは別の愛情であり、子供への愛と同じような家族愛である。家族への愛は、しばしば、自分自身への愛以上に強いものであり、多くの家庭の父親のように、家族のためにはどのような自己犠牲も厭わない人間も多い。しかも、恋愛は相手への幻想の上に成り立つものであるのに対し、家族愛は、相手の長所も欠点もありのままに見た上で愛する愛である。恋愛がロマン主義的、幻想的愛なら、これは自然主義、リアリズムの愛だ。もっとも、幻想は現実以上に力強いもので、美的観点からは価値がある場合も無いではない。
こんなお喋りばかりしていると、話の方がおろそかになるが、フリードの栄達は行き着くところまで行き着いており、普通なら、後は没落を語るしかない。話がそのように進みそうなので、作者としてもこの後は、実はあまり書くのに気乗りはしないのだ。
だが、人間の上昇は、物質的、社会的なものばかりとは限らない。ジャン・ヴァルジャンのように、悲惨の中に死にながらも、精神的な栄光に包まれるというエンディングも考えられるし、マルキ・ド・サドの「呪縛の塔」の主人公ロドリグのように、神との壮大な対決をする、という手もある。まあ、多分、そのどちらにもなりそうもないが、フリードが風に乗ってこのままどこまでも飛んで行くのか、それとも風に吹き落とされるのか、もう少し見守っていただきたい。
第二十九章 冗談のような成り行き
さて、雪の降り出した中をフリードの軍隊は出発した。
国境の山脈の間道を通って大急ぎで進軍した結果、五日後に彼らはパーリャ郊外に到着したが、ちょうどその日の夕方にエルマニア国とフランシア国の大決戦は終わっていた。
結果は、共倒れであった。
エルマニアの五万の兵と、フランシアの三万の兵は互角に戦い、消耗し尽くしたのである。どちらも、自分の軍が有利に戦いを進めていると思って戦況を見ていたため、戦をやめるきっかけが掴めず、気が付くと、お互いに数百名の近衛隊だけを残すだけとなっていた。
やがて夕暮れになり、戦闘は自然に一段落した。この時にはどちらも、自分の軍が負けたと思い込んでいたのである。
エルマニア国王は夕闇に紛れて逃亡しようとしたが、その時、降りしきる雪の中を背後から近づく大軍隊があった。フリードの軍である。大軍隊どころではなく、たった二千名の小部隊であったが、その時のエルマニア国王にはフリード軍はまったく大軍隊に見えたのである。
一方、こちらも自軍が負けたと信じ込んでいたフランシア国王も王宮に戻って逃亡の支度をしていた。
そこへ、味方の兵士からの伝令が来て、次のように言った。
「国王、救援軍が来ました! ローラン国のフリード王です。ジャンヌ様の婿殿です。ローラン軍はエルマニア軍をさんざんに打ち破って、我が軍を勝利に導きました!」
マルタン国王は飛び上がって歓喜の声を上げた。
やがて王城に入城してきたフリードを、フランシア国王は腰を低くして丁重に迎えた。
「あなた方の御蔭で、我が国は救われました! この御恩は何と言っても言い足りないほどです」
「いやいや。何とか間に合ったようです。これで義父上への義理が果たせました」
フリードは鷹揚に、感謝に答えた。
第三十章 功績と褒賞
前章を読んで、「何だ、『漁夫の利』そのままじゃねえか」とお思いになった方は鋭い。
しかし、現実というものはこのようなものであり、もっとも働いた人間が報われるとは限らない。戦で死んだ人間には何も報いはなく、生き残った卑怯者たち(生き残った事自体、彼らが卑怯者であったことを示している。あるいは、幸運なだけ、かもしれないが、卑怯者であった可能性は高いだろう。特に先の戦争で、自分は戦にも出ないで若い兵士たちが死んでいくのを平気で眺めていた老人連中は、極悪人の、人間のクズどもである)が戦争の利得は分け合うものなのである。死んだ人間には、メダルか何かを贈ればそれで済む。要するに、死んだ人間は働き損ということだ。死人に口無し、である。
仕事の功績というものは、その現場が多くの人の目で目撃されていない場合には、実際に働いた人間よりも、後で自分の働きを積極的に言いふらす、口のうまい人間の物とされることが多い。だから、昔の武士たちでも、自分の功績をいかにアピールするかに腐心したものである。「男は黙って……」などというのは、確かに美的行為かもしれないが、それでは本人の自己満足しか得られはしない。
ともあれ、ほとんど何もしなかったフリードは、エルマニア国との戦いの武勲第一とされ、フランシア宮廷で、皇太子をもしのぐ実力者となったのであった。
フランシア国はこの勝利でエルマニア国を手に入れたが、残念ながらエルマニア国を統治するための兵力はほとんど残っていなかった。成り行きとして、フランシア国王マルタンの娘婿のフリードが手持ちの軍を引き連れて、エルマニア国を統治することになったのである。つまり、彼はエルマニア国の国王ということになった。
わずか一年前には素寒貧の猟師だった若者が、ヨーロッパ最大の国の国王となったわけで、いくらお話とはいえ都合が良すぎるが、成り行きというものはこんなものである。ナポレオンだろうが、シーザーだろうが、偶然に恵まれなければあれほどの存在にはならなかったはずで、我々が個人の能力を過大評価するのは、その栄光のはなばなしさに目が眩まされるからである。世の中の出来事の多くは偶然に支配されており、人間の能力と結果とは、半分くらいしか結びつかないものである。また、栄光なるものは、大体は誇大宣伝によるもので、半分は眉唾物と思っていい。
人間は、事が終わった後では、必ず自分や関係者を美化するものであり、その結果、世の中には自称他称の嘘っぱちの偉人伝が満ち溢れることになる。トルストイの「戦争と平和」に描かれたナポレオンとクツーゾフの姿は、現実に近いと思われるが、世の中の人間の大半は、ナポレオンを偉大な英雄とし、クツーゾフなど覚えている人もいない。ナポレオンには、彼を美化する崇拝者が多かったが、クツーゾフにはトルストイ以外に弁護者がいなかったからだ。だから、昔から権力者たちは、自分の宣伝者を周到に手配したものである。
偉大な結果が、その当人たちの能力や判断とは無関係な場合もある。たとえば、日本海海戦の大勝利で、東郷平八郎は名将とされ、作戦参謀の秋山真之は名参謀とされたが、秋山による敵の行動予測は大外れしており、戦の間、彼は何一つしていない。また、東郷の判断による敵前大回頭など愚劣極まる作戦であり、自軍の被害を大きくしただけである。もちろん、そうしなければ敵を逃していたわけだから、止むを得ない行動だったわけだが、それが名将の理由にはならない。結果的には、長い航海で疲弊し、訓練不足の敵を打ち破って名を高めたわけだが、この勝利の「神話」が、その後の日本の軍隊を誇大妄想狂にし、将軍よりも参謀が大きい顔をするような、馬鹿げた参謀信仰を高めたのである。
日本の近代の「偉大な」軍人の戦績を詳しく見れば、その大半は失敗の連続であり、その栄光はたった一度の偶然の大当たりによるものであることが分かるだろう。いかに優れたリーダーでも、その場の状況では味方を全滅させることもあり、いかに無能なリーダーでも、(たとえば弱敵に遭遇するといった)偶然に恵まれて素晴らしい戦績を挙げることもある。それが戦争というものだが、日本の官僚や上級軍人たちは、自分たちの能力こそが勝利の鍵を握っていると信じていた。太平洋戦争における日本の敗北は、日露戦争以降に「システム化された」愚劣さによるものなのである。
さて、フリードは自分の腹心の部下たちをエルマニア国のそれぞれの郡の領主とし、自分はそれらの封建領主の上に立って国を統治した。
仲間たちは皆喜んでそれぞれの郡の領主となったが、ジグムントだけはそれを断った。領主の仕事で頭を悩ますより、気楽に生きていきたいというわけである。そして、彼は何処へとも無く去っていった。
第二十七章 感動的場面とバックステージ
フリードの考えには、しかし、弟のヴァジルが反対した。もともとフランシアに縁もゆかりもないヴァジルにとって、大国エルマニアとフランシアの戦いに首を突っ込むのは、せっかく手に入れたローラン国を自ら捨てるような行為と思われたのである。
ヴァジルは、国王の側室の一人であった美女を情婦にし、その女に魂まで蕩かされていた。なにしろ、これまで山の中で贅沢らしい贅沢を何一つせずに育った人間が、短い間とはいえ、今では国王の弟として贅沢三昧の暮らしをしているのだから、この暮らしを捨てたくないと思うのも無理はない。
フリードは仕方なく、エルマニアとの戦いの間の城の留守番をヴァジルに任せ、他の仲間とフランシアに向かうことにした。
その頃、エルマニアの軍隊はパーリャから四、五日の距離の所まで迫っており、フリードたちが近道を通って大急ぎで救援に向かっても間に合うかどうか際どい瀬戸際であった。
前のルドルフ王に仕えていた兵士たちは、フリードの軍に降伏した後、フリードに仕えていたが、その人数に新規に採用した兵士を入れても兵力はおよそ二千人でしかない。
フランシア軍に味方する近隣諸国の軍を入れてもフランシア軍は三万、それに対し、エルマニア軍は五万と、数の上では圧倒している。しかし、前回のローヌの戦いと違うのは、フランシアと縁戚関係にあるバイエル公国がフランシアと同盟を結んでいることで、バイエル公国は精妙な弓部隊を持っていることで知られていた。このため、パーリャを最後の決戦場と決めて待っているフランシア軍に対して、エルマニア軍も慎重に歩を進めていたのであった。しかも、季節は冬に入っており、遠征軍にとっては食糧の調達が次第に難しくなってきていた。フランシア国内の穀物倉はフランシア軍によって焼き払われ、残りはパーリャに集められた物だけである。エルマニア国から食糧を運ぼうにも、雪が降り出したため、それも思うに任せない。ナポレオンのロシア侵攻ほどではないが、敵地で戦う困難にエルマニア軍は苦しんでいたわけである。
エルマニア国王ヘンリックは、兵士の間に次第に厭戦気分が広がりかかっているのを見て、ある案を実行することにした。
彼は、全兵士を整列させ、次のように演説した。
「お前たちを長い間待たせたが、いよいよ明日、フランシアとの決戦を行なうことにした。お前たちは、明日の戦いに勝って、この国を手に入れ、故郷に戻るのだ。この戦いが終われば、もはや戦争はない。ここまでの戦いで死んだ者も多いが、わしはお前たちだけに犠牲を払わせたりはしない。わしのこの戦いに対する決意を見せるために、わしは何よりも大きな犠牲を払おう。わしの息子のミロシュは、明日の戦いで、先頭に立って突進する。おそらく、彼は勇敢に戦って死ぬだろう。それだけではない。皆、見るがよい。ここにわしはわしの后を同行させてきた、何よりもわしの愛する妻だ。しかし、その妻に対する愛よりも、お前たち兵士への愛の方が大きい事をわしは見せよう」
彼は傍に立って無心に微笑んでいた妻の腕を掴んだ。王妃は、驚いたような顔で、夫の顔を見上げた。
「見よ、わしはこの戦の勝利のための犠牲として、わしの妻の命を神に捧げる!」
ヘンリックは、剣を抜いて、妻の胸に突き刺した。
悲鳴を上げて王妃は倒れ、やがて息絶えた。
全軍は凍りつくような沈黙に包まれ、やがて誰かが
「王様万歳!」
と叫ぶと、次々にそれに唱和する声が広がり、爆発的な叫びとなった。兵士たちの中には、興奮のあまり泣き出す者さえいる始末である。
ヘンリック王は、満足げに頷くと、片手を上げて、王を称える歓呼に答えながら天幕の中に姿を消した。
天幕の中に戻ると、国王はしなだれかかってきた側女の一人を抱いて接吻した。
「これで、私が王妃になれるわけね」
女は、嬉しそうに言った。
「ああ、カソリックは離婚を許さんのでな。こうでもしなけりゃあ、王妃の始末がつかん。これで兵士の士気が上がれば、一石二鳥というものさ」
「それに、もちろん、皇太子も私の子のマックスになるのでしょうね」
「ああ、明日の戦いでミロシュがうまい具合に死んでくれればな」
第二十八章 男という動物について
どうも、この話ではやたらと女性がひどい扱いを受けるので、作者の事を残忍冷酷な人間だと思う人がいるかもしれないが、それは時代のせいであって、実際に昔は女性がひどい扱いを受けていたのだから仕方がない。なにしろ、暴力が支配する時代では、女性や弱者の人権など、無きに等しいのである。もちろん、作者の私自身、強姦願望や殺人願望が心の底にあるからこそ、このような話を書いているのだと言われればその通りではあるのだが、現実人生では作者の私は虫も殺せぬ善人であることは、私自身が保証する。(そんな保証には一文の値打ちも無いかもしれないが。)願望と実行はまったく別の話であり、サマセット・モームも、普通の人間が心の底で考える妄想をそのまま書いたら、他人はその人をとんでもない人非人だと思うだろうと書いている。大事な事は、現実世界では妄想を妄想のままに止めておく理性と自制心なのである。しかし、小説の世界は、妄想こそがまさに現実である世界なのだ。
ところで、男で、ピストルや剣が嫌いな人間は滅多にいないと思うが、フロイトを待つまでもなく、ピストルや剣は男根の隠喩である。つまり、刺すとか発射するという事自体、男には性的快感のイメージがあるのであり、だから男はこうした武器の出てくる話を好むのである。それを下劣と言おうが、幼稚と言おうが、それが男の本性なのだから仕方がない。
性欲によってだけ人間の深層心理をはかるのは誤りかもしれないが、男なら女を、女なら男を得ることがもっとも一般的な欲望であることは確かである。異性を手に入れるために人はいろいろと面倒くさい手続きを取る。その手続き部分に比重を置いて書けば恋愛小説になるのだが、筆者は恋愛小説が大嫌いなのである。その理由は、筆者は人間の愛憎のごちゃごちゃが大嫌いで、単純そのものの人間だからである。
女性の場合には、男とは違って意味もなく性的衝動に駆られることは少ないため、恋愛や色事のその手続き自体を楽しむ人間が多いようだが、男の場合は、よほど異常な(これは生物としては異常ということで、別の言い方をすれば女性的、文化的ということだ)人間でもない限り、恋愛や色事のプロセス自体を楽しむ人間は少ないはずである。それは男の性欲の在り方に原因がある。美しい女を見る若い男の頭の中にはただ一つ、その女を犯し、女の体の中に射精したいという事しか無い。強姦魔と聖人君子は、女性を見る際の頭の中身、性的衝動の面では同じであり、ただそれを実行するかしないかが違うだけなのだ。だからこそ、そういう自分の心を隠して女と話をしている自分に、まともな男なら、恥ずかしさを感じて、平気では話せないはずなのである。したがって、性欲の減退した老人ならいざ知らず、性欲に衝き動かされる年齢の若い男には恋愛は不可能なはずだ、というのが恋愛経験の無い筆者の断定である。その不可能なはずの恋愛が、さも可能であるかのように描いているのが、多くの恋愛漫画や恋愛小説などのフィクションなのである。それを現実と混同して泣きをみる女は後を絶たない。若い男など、みんな性欲の塊で、強姦魔のケダモノだと思っておけば間違いはない。もっとも、これは、ある精神科医の言うように、人間は皆精神異常で、その程度の違いがあるだけだ、というのと同じ意味で言っているのだが。
とにかく、世の中の、恋愛を扱った甘ったるいフィクションは、若い男女に道を誤らせるもとである、というのが作者の考えだ。もっとも、幸福な結婚生活の秘訣は両性の「誤解」である、と言った作家もいることだし、同じことが恋愛についても言えるかもしれないが。
第二十五章 戦後処理など
昔の戦争にはいい所がいくつかあるが、その一つは、戦争は貴族や騎士(武士)階級の仕事であり、庶民生活とはほとんど関係が無かったことである。もちろん、戦に駆り出される庶民も一部にはいたのであるが。
ルドルフ王の軍を倒したフリードの軍隊が、ルドルフ王の城に向かうために行進するその様子を、道に沿った畑で働く農民たちは眺めていたが、その大半は、まだ、何が起こったのかも分かっていなかった。
城の中では、逃亡したルドルフ王に取り残された家族や貴族たちが右往左往していた。まもなく、野獣のような敵の兵士がやってきて、女たちは皆強姦され、男たちの大半は処刑されることはほぼ確実だと、誰もが考えていた。
ルドルフ王には王妃との間に二人の子供がいた。上は男で、すでに成人していたが、今度の戦で戦死しており、下の女の子は、まだ十四歳であった。母親が中々の美人だったためか、この子もちょっと可愛い顔をしており、母親は、我が身を犠牲にしてもこの可愛い娘を野獣どもの手から何としても守ろうと悲壮な決意をしていた。
フリードたちが入城してきたとき、敵の大将のあまりの若さに人々は驚いた。まだ、髭すら生えていない若者である。
宰相のケスタは、敵の大将フリードを恭しく迎えた。商人上がりの彼は、頭を下げる事と世辞を言う事は大の得意である。頭を下げながら、心の中では相手を馬鹿にしていたが。
「今やこのローラン国は、あなた様のものです。当然のことですが、我々の財産もすべてあなた様に差し出しますので、どうか命だけはお助け下さいますようお願い申し上げます。あなた様の御仁慈のお噂はかねてから聞いておりますので、我々の期待が裏切られる事はないと信じております。さすれば、臣下たちも臣民たちも皆、あなた様に感謝し、崇拝するでありましょう」
フリードとしても、無駄に人殺しをする気はないので、城内の人々の命の安全だけは保証してやった。
やがて、貴族たちそれぞれの城や住居に兵士たちが向かい、目ぼしい財産を没収して回った。その間に女たちの何人かが強姦されたり、私的な略奪が行なわれたりしたのは言うまでもない。いくらフリードがそれを禁じていても、末端の兵士の中には、それだけが楽しみの連中が多いのだから、完全に禁止できるものではないのである。その一つひとつが悲劇ではあるが、いちいちその描写を読むのは読者も不快だろう。ここはただ、戦とはそういうものだ、と思ってもらえばいい。
フリードの方も、決して道徳的にふるまっていたわけではない。そもそも、道徳などというものは庶民生活の秩序維持のためにあるものであり、権力者には道徳など関係のない話なのである。このことは、旧約聖書や歴史の本などを少し読めばすぐに分かることだ。
フリードは、ルドルフ国王の王妃が、すでに四十を越しているにも関わらず美しいことに驚き、早速手を出した。このあたり、まるで源義経と建礼門院の猥談である。昔から、男というものは、高貴な女性が無力な状況にあるのを思いのままにするというシチュエーションに、性的な興奮を感じるものらしい。まあ、高貴な女性といったところで、裸にすれば、普通の女性と何も変わるわけでもないが。
酒飲みのルドルフ王は、ここ数年は不能の状態だったので、王妃は、若く逞しいフリードに攻め立てられて歓喜した。この世にこんな喜びがあったかと思うと、ルドルフ王が戦に負けてくれたことを神に感謝したい気持ちにさえなったくらいである。
王妃の心配は、フリードが娘に手を出さないかということだったが、その心配は杞憂のようであった。王の後宮には多くの美女がいて、何も子供に手を出す必要はなかったからだ。
ケスタにも娘が一人いて、二十四歳と少し年増だが、こちらも中々の美人だった。ケスタの方は、この娘マリカをフリードの后にしようと画策していた。
ケスタは当然、宰相の座を追われていたが、そのうちどうせ自分は返り咲くことになる、と読んでいた。その読みはやがて実現するのだが、要するに、一般に敗戦後の処理には、その国の事情に通じていない戦勝国の人間より、敗戦国の官僚の方が使いやすいということから、結局、戦争責任は棚上げにしても用いることになるのである。敗戦後の日本で、日本を戦争に導いた官僚の大半が、一時は公職追放されながら、やがて米国の都合によって政治に復帰し、戦前そのままの政治を結局は継続するのに成功しているのは、そのいい例だ。日本の場合は、戦争責任者の一人である岸伸介が戦後の日本の総理大臣になり、日本を破滅に導いた大本営参謀の辻正信が国会議員になるという滅茶苦茶がまかり通る、あまりにも不思議な国ではあるが。まあ、これは生き残った人間はいくらでも自分たちの都合がいいように自己宣伝をし、無知な大衆を引きずり回せるからである。
フリードの方は、フランシアとエルマニアの戦の方に関心は向いており、行政面でなにやかやとケスタに相談するうちに、彼の明晰な頭脳や判断の的確さに感心し、次第にケスタに政治の一部を任せるようになっていった。まさしくケスタの読みどおりであった。
一方、フランシアに侵攻したエルマニア軍は、最初のローヌの戦いでフランシア軍を打ち破った後、一月以上もかけて、首都パーリャに向かってゆっくりと進んでいた。それには事情があったのであり、物語の進行の都合上、フリードたちがローラン国を破るのを待っていたわけではない。
フリードは、字の書けるケスタに頼んで、フランシア王への親書を書かせた。その親書には、フランシアと同盟を結ぶ代わり、王女ジャンヌとの婚姻を許して欲しいと書いてあった。
自分の娘とフリードとの結婚を望んでいたケスタは渋い顔をしたが、この若僧の新国王がこの先どうなるかを見てから娘との結婚は考えてもいいだろうと思い直したのであった。
第二十六章 フランシアとの同盟
ローラン国の新国王フリードからの親書を得たフランシア国王マルタンは、王女ジャンヌとの婚姻に同意する旨の返事をすぐさまフリードに書き送った。なにしろ、エルマニア軍との戦いを前に、少しでも援軍が欲しかったからである。のみならず、この手紙が嘘でない証拠に、王女ジャンヌをローラン国に送り届けた。
なんというお手軽さだ、と非難する向きもあるだろうが、国王や貴族の子女は、どの国でもこうした場合の同盟のための手駒であり、今こそがその機会だったのだから、マルタンのこの決断は決して軽率と責められる行為ではない。もっとも、話の展開の強引さで作者を責めるなら別だが。
ともあれ、フリードは久し振りにジャンヌとの再開を果たし、ジャンヌの方は、自分が突然結婚することになった相手がまだ若くハンサムな青年であったことを喜んだ。しかも、その相手が、いつか自分が夜這いされて処女を失ったその相手であった事を聞かされては、運命の不思議さを思わずにはいられなかった。
ジャンヌにとって不本意だったのは、自分の結婚した相手には、ほかにも数人の女がいた事であった。しかし、国王たるもの、側室の十数名はいるのが当然という時代であったから、この事にも表立って不満は述べなかった。
アリーの方は最初から自分の分際は弁えており、また、フリードの新しい情婦である、前国王の王妃カーミラは、まだ少女のような新王妃よりも、自分の方が国王を操縦できるはずだという自信を持っていたから、あえてジャンヌと表立って張り合う気はなかった。女には女なりの政治があるものだ。
夢であったジャンヌとの結婚を果たしたフリードは、美しいお人形のようなジャンヌを手に入れた事に有頂天になり、戦の方はどうでも良くなったが、フランシアへの援軍をそのままにしておくわけにもいかない。
フリードは、ジグムントやライオネルらとともに、これから先の行動について相談した。
「フランシアからの要求を無視するのも一つの手ではありますが、この戦いは、このままではおそらくエルマニア国の勝ちになるでしょう。そうすれば、いずれエルマニア国はこのローラン国を攻めることになると思われます。ならば、やはりフランシアに味方して、フランシアを勝利に導くことが、良い方策かと思われます」
ライオネルが言った。フリードは顔をジグムントの方に向けて意見を求める表情をした。
「わしは反対じゃな。我々が援助しても、エルマニア国に勝てる保証はない。フランシアには、援軍を出す振りだけして、エルマニア国に親書を送り、恭順の意を示しておく方が安全確実な道じゃろう」
ジグムントは現実的な意見を述べた。
「軍事的な面ではどうだ、ライオネル。我々の軍勢で、エルマニア国と戦うことはできるか」
ライオネルは首を捻った。
「まず、難しいでしょうな。なにしろ、エルマニア国の軍勢は、五万人、我々ローラン国は、どんなに掻き集めても二千人がせいぜいです。フランシア国でも二万人くらいの軍勢ですから、我々が援助してもエルマニア国に勝つのは難しいというのは、確かにジグムント殿のおっしゃる通りです。しかし、我々はもともとエルマニア国との戦いに備えてアキム殿の資金で作られた傭兵隊です。やはり、フランシアに味方するのが筋ではないでしょうか」
真面目なライオネルの発言に、ジグムントは首を横に振った。
「寡兵は衆兵に勝てんとは、お主が言った事ではないか。むざむざ死ぬ戦をすることはあるまい。アキムの事は、何もフランシア全体を救わずとも、彼の家族だけを救えば済む事だ」
フリードが口を挟んだ。
「だが、マリアはどうする。王家は放っておいて皇太子妃だけを救い出す事はできんだろう。それでは、アキムの一家を守るという約束に反することになる」
「そうか。マリアの事があったな」
ジグムントも少し困ったような顔になった。
「マリアは仕方ないじゃろう。皇太子妃ともなれば、周りの者が守ってくれるだろうし、国が滅びれば国とともに滅びるのが王家の人間の定めじゃろうからな」
フリードは、この言葉には承服できなかった。女にだらしない人間ではあるが、もともと義を重んじ、優しい人間だったからである。
「やはり、フランシアに味方することにしよう。どうせ、最初から無かったような命だ。人を裏切って不愉快な気持ちのままで生きていくよりは、たとえ戦で死のうが、正しい行為をしたほうがせいせいする」
フリードのこの言葉を聞いて、ジグムントは、改めて彼を見直す気持ちになった。この男は、いろいろと欠点もあり、馬鹿な所もあるが、人間の器は自分などよりは大きい。
この会議のあと、すぐにフリードはフランシア救援のための軍隊を出す命令を下した。
第二十三章 開戦の演説
思えば、故郷を出てから今まで、まだ半年もたっていないのである。その間に思いがけぬ偶然から今はフランシアの皇太子妃となっているマリアを山賊の手から救い、その父のアキムの支援で小さいとはいえ一つの軍隊の隊長となった。その軍隊が今では五百人を超える人数に成長したのである。
フリードは、ローラン国に向かって出発する前に王宮に忍び込んで抱いた王女ジャンヌの事を思い返していた。一国の王女を抱くというのは夢のような事であったが、それも不可能ではなかった。
世の中には美しい女たちがおり、それを次々に物にする男もいれば、それに一生縁の無い男たちもいる。おそらくあのまま故郷にいたら、自分はその後者だっただろう。村の醜い娘と結婚し、何の魅力もないその体しか知らず、一生を終えたはずである。マリアやジャンヌ、そしてこのアリーのような美女を我が物とできただけでも、生きた甲斐はあった。
翌日、ライオネル、ジグムントと共にフリードは全軍の前に立ち、最後の指示を与えた。
国王軍の人数はおよそ千数百人、こちらは六百人にわずかに欠ける半分の戦力である。しかも、その大半は武器など手にしたこともない農民や町人の若者だ。しかし、ここまで征服してきた村や町の軍隊から武器は奪っており、一応それぞれに武器は持ってはいる。実際の戦闘の経験が無いという点では、国王軍も似たり寄ったりである。
フリードは、その事を自分の兵士たちに言った。国王軍兵士は案山子に過ぎない。お互いに武器を持ちさえしたら、百姓と変わる事はないのだ。逆に、こちらには歴戦の勇者が何人もいる。アルフォンス、ローダン、ミルドレッドの名前はフランシアに鳴り響いている。それに参謀ライオネルは有名な騎士長だった男で、知恵の塊だ。ジグムントは老人だが、これも他国にまで知られた剣豪だ。これだけの勇士、猛将に率いられたこの戦が負けるわけはない。
フリードは、だいぶ前から弟のヴァジルを弓隊の隊長に任命していた。この事に異存のある者はいない。ヴァジルは若いが、弓は名人であり、勘もいい。度胸があって喧嘩も強いから、部下を統率することはできるだろう。アルフォンスとローダンが歩兵隊の隊長、ジグムントとミルドレッドが騎兵を指揮している。ジラルダンは、今は将軍と名乗っているフリードの副官として戦の命令を各部署に伝える役目である。ラッパや太鼓で全軍の行動を指示する事も考えたが、戦場の騒ぎの中ではかえって誤りやすいとして、ジラルダンを伝令にしたのである。
「お前達は、全軍の状況は知らなくても、とにかく自分の直接の指揮官の指示に従いさえすればよい。戦闘が始まったら勝手に戦えばよいのだ。中には怖くなって逃げ出す者もいるだろうが、それは問わない。お前たちは、この国を暴君の手から救うために立ち上がったのだが、それは自分自身のためでもあるはずだ。だから、命を捨ててまで戦えとは私は言わない。ただ、誰が勇敢に戦い、誰が逃げたかを覚えておくがよい。もっとも勇敢だと皆が認めた者には最大の褒賞をしよう。臆病者は勝手に逃げるがよい」
フリードが言うと、兵士たちは怒ったように、
「俺は決して逃げない。死んでも戦ってみせる」
「そうだ、俺は死ぬ事など怖くない!」
と叫んだ。
フリードは満足げに頷いた。
「お前達は立派な兵士だ。私はお前達を誇りに思う。では、今日がこの国の新しい夜明けになることを信じて戦おう」
フリードはそう語って演説を終えた。
ジグムントは感心したようにフリードに囁いた。
「お主、なかなかの役者だな。お主の演説で、兵士たちは死ぬ気で戦うぞ」
アルギアの野の一方には国王軍が既に布陣を終えていた。小国の軍隊とはいえ、ローマ式の密集陣形を整然と整えた様はさすがに威圧感がある。大楯で前面を固く守り、投げ槍を構えているその様は、まるで甲羅の中の亀である。
「あれをどう打ち破る?」
フリードはライオネルに聞いた。
「歩兵隊をまず進軍させましょう。彼らの投げ槍は一度使えばそれきりです。しかし、馬を倒されてはまずいから騎兵では分が悪い。また、弓も楯に防がれるでしょうから駄目です。騎兵と弓隊を後詰めにして、盾で投槍を防ぎながら、歩兵隊に切り込ませます。それも長槍部隊を前面にしてまずファランクスの前面を突き崩し、重装歩兵の肉弾戦に持ち込みます。その横から騎兵隊に切り込ませ、防御の薄くなったところや大将級の騎士に対しては集中して矢を射込ませましょう」
「分かった。良い考えだと思う」
フリードはライオネルの案に従って各隊長に指示を伝えた。まず歩兵部隊が先陣を切ると聞いて、アルフォンスとローダンは満足げに「よしっ」と頷き、ジグムントとミルドレッドは不満そうな顔をした。しかし、国王軍を打ち破るにはこの手順が良いのだと言われて、二人はこの脇役に甘んじることにしたのであった。
第二十四章 戦闘
肥大漢のアルフォンスは特別誂えのプレートメイルを着て、通常の剣の三倍ほどもあるなぎなたを手にし、歩兵団の先頭に立った。同じくローダンも完全武装の姿で矛槍を担ぎ、もう一つの歩兵団を率いる。
「いいか、敵が投げ槍を投げ終わるまでは、無理に近づくなよ。その後は、槍部隊が先に立って進むのだ。その間を縫って入り込む敵は、俺がみんな片づけてやる。俺の手から逃れた敵に対しては、お前らは、二人三人がかりで立ち向かうのだ。危ない時は逃げてよいぞ」
フリードに指示された通りに二人は部下たちに命令する。普通、戦で自軍兵士に「逃げてよい」などと言うことは無い。むしろ、自軍兵士の逃走をいかに防ぐかが常に問題とされるのである。だから、自軍の後ろで剣を構え、前線から逃走する者を斬り殺すという事がよく行われる。しかし、大半が素人である兵士たちに逃亡を禁じても無駄だとフリードたちは判断していた。むしろ、逃げてもよいという自由の中で、彼らを戦わせた方が、楽な動きができ、勝機も見つけやすいだろう。それに、もともと自由に戦に参加した連中を無理に死地に追いやる気はフリードたちには無かったのである。甘いと言えば甘いかもしれないが、そういう戦い方も可能だとライオネルもフリードも考えていた。
空は真っ青に晴れ上がった初冬の日であった。風が穏やかにアルギアの野を吹いていく。
野の一方に陣取った国王軍から鯨波(鬨の声)が上がり、軍がゆっくりとこちらに向かって動き出した。いよいよ開戦である。
敵は両翼に騎兵を置いて左右を守らせ、背後に回られるのを防ぐ形である。フリード軍も右後方にジグムント、左後方にミルドレッドの騎兵隊が守っている。
フリードは片手を上げ、一呼吸置いて大声で
「進め!」
と命じた。
両軍ともゆっくりとした歩調で進んでいく。戦いの間合いに入るまでそのまま進んでいくのである。
やがて国王軍の後方から矢が放たれた。矢はフリード軍の最前列に届き、楯で防ぐものの、何人かが矢に倒れた。同じようにフリード軍の歩兵隊の後方に位置していた弓部隊が矢を放つ。
国王軍の騎馬隊が轟くような蹄の音を立てて、前面に出てきた。
これこそライオネルが待ち望んでいた事だった。騎馬隊は確かに通常の歩兵部隊に対しては圧倒的な破壊力を持っている。しかし、槍ぶすまを作った歩兵隊に対しては、まったく無力である。騎馬隊の一部は、フリード軍に達する前に矢で射られて落馬し、あるいは馬を傷つけられて転落して怪我を負っている。そして、フリード軍に達した残りは、一面に構えられた槍の前に、為す術もなく立ち往生しているだけだ。馬の多くは棒立ちになって、乗り手を振り落とすものもいる。
この様子を見た敵将は、ラッパを吹かせて騎兵隊を後方に下げようとした。その間にも弓で数頭の騎馬兵が射られて落ちている。
フリードは手を上げて、騎馬隊に進撃を命じた。
じりじりしながら出番を待っていたジグムントとミルドレッドは、鬨の声を上げて馬の腹を蹴った。二人に率いられ、騎馬隊が敵軍に向かって疾走する。この騎馬隊こそがフリード軍の精鋭の兵士たちである。しかも、この騎馬隊には秘策があった。彼らの乗っている馬は上から下まで鉄の網に覆われて体を保護されている上に、その網には長く突き出た鋭い刃が無数に付いていて、触れれば人の体を切る仕組みになっていた。アキムの別荘で兵たちを訓練している間にライオネルが数十人の鍛冶屋を使って作らせた秘密兵器である。しかも、彼らは二人ごとに組になって長さが五メートルほどもある鉄鎖を引っ張っていた。この鉄鎖にも鋭い棘が出ていて、それに触れた者に大怪我を与える。二頭の馬の間に入った者は鉄鎖に撥ね飛ばされ、鉄の棘で大怪我をすることになる。
この異様な騎馬隊が敵陣に入ると、敵は大混乱して逃げまどった。なにしろ、馬に近づくことはできないし、離れて逃げようとしても鉄鎖に撥ね飛ばされてしまうのだから、まるで生身の人間が戦車にぶつかるようなものである。
おそらく、この武器の噂が広がると、国王軍は警戒して対策を講じるだろうと思ったので、フリードたちはここまでこの武器を使わなかったのだが、その威力は絶大だった。
敵のファランクスは今では滅茶苦茶だった。その間に、アルフォンスとローダンがその怪力で目の前の敵をばったばったと切り倒していく。二人を中心に、他の歩兵たちも奮戦している。
戦闘はおよそ三時間ほどであっけなく終わった。
形勢が圧倒的に不利になったことを悟った国王ルドルフは、数人の取り巻きだけを連れて逃亡し、その逃亡を知った国王軍はフリード軍に降伏したのであった。