- 【イギリスのABガイド】
- スコットランド、エディンバラ在住。街全体が世界遺産で、アーチストが多く住むエディンバラ。一歩路地に入れば、そこは中世の世界。おもちゃ箱の中にいる様なイベントを日々楽しんでいます。日本でまだよく知られていないスコットランドを主に、英国情報をお伝えしていきたいと思います。旅行者の方に役立つ情報を、旅行大好きなガイドがお届けします。
スコットランド女王メアリー誕生の地、リンリスゴーへ
掲載日:2015/04/24 テーマ: 行き先: / ライター:
タグ:
リンリスゴーの駅。坂を下ればメイン道路へ。
宮殿のある歴史ある古い町並み
以前から行ってみたいと思っていたリンリスゴーへ行ってきました。町には宮殿があり、スコットランド女王のメアリーもここで生まれました。町は小さく、大きな湖が宮殿そばにあり散歩の憩いの場所となっているほか、中心街にはカフェなどのお店が立ち並んでいます。エディンバラからは、バス又は電車で行くことができます。スコッツレイルの電車で片道約20分、往復チケット6.70ポンド。リンリスゴーの駅を出ればメイン道路に通じています。案内所は、宮殿入り口近くの建物、カフェの手前にありました。
メイン通りの端には歴史的建物が並び、お店として活用されています。
エディンバラのような…
町並みは、エディンバラに似ているかなというのが第一印象でした。写真にもうっつていますが、三角すい型屋根が多く可愛かったです。ここも銀行やお店が古い建物を利用して立ち並んでいます。有名店よりも、小売店や専門店が多いです。一軒、チョコレート屋さんを発見しました。店内は混んでいて人気があるようでした。他にもパブやカフェも見つけられます。今回は特に立ち寄りませんでしたが、美味しいティールームがいくつかあるという情報を聞きました。
近くによるととても大きい宮殿だということがわかりました。
スチュアート家が愛した宮殿
歴代のスコットランド王族のお気に入りだった宮殿がここです。メアリー女王が生まれた部屋も見学できます。内部は迷路のようで、一部は崩壊してしまっていますがそれがより神秘性を醸し出しています。実は、館内見学の時に気付いたことが…以前エディンバラの教会を見学しているとき、その教会とロズリン礼拝堂にだけある特別な彫刻があると聞いていました。バグパイプを演奏しているエンジェル。スコットランドらしいモチーフですが、なんと、この宮殿でも発見。ボロボロではありましたが、ここにもあるんだ...とうれしくなりました。
絶景...この言葉がピッタリな景色です。
みんなの憩いの場所
宮殿前にある湖の周りには散歩コースができています。この日は、週末ということもあり家族連れや犬の散歩をする地元の人が多くいました。白鳥やカモなどの鳥を保護しているようです。湖の周りは約30分ほどで周ることができますが、今回は1時間かけてじっくりと。途中ベンチもあり湖越しの宮殿は絶景です。宮殿の傍には芝生があるのでお弁当を持ってピクニックをするには絶好の場所。この日は、真っ青な青空に、飛行機雲でバッテンのしるしができていて、スコットランドの旗のようでした。
白鳥が羽を休めています。
今回で、エディンバラガイドを終了いたします。
約2年間のガイド記事、楽しんでいただけたでしょうか?今回をもちましてエディンバラご紹介を終了いたします。ここ最近、独立運動、テレビドラマやスコッチウイスキーの復活などで、スコットランドが観光地としてより注目が集まってきました。まだまだご紹介しきれていない所が多くあります。イングランドやアイルランドとは違う、スコットランドの人のよさ、自然、歴史など魅力いっぱいです。そこに惹かれ他の地域から移住をしてくる人の話を多く聞きます。是非一度、足を運んでみてください。素敵な出会いが皆様にありますように。
・家康は複数の小禄譜代大名で構成した執政機関(老中部屋)を置き、原則として将軍は親政しない方針をとらせた。しかし、執政の任免権は将軍の手中に握らせた。六代将軍家宣が顔色を動かすことなく老中上座柳沢吉保を罷免したのはその例である。役員人事の独裁権を持つほど強いものはない。だからこそ徳川幕府はとにかく二百五十年以上も続いたのである。
・朱子学は君臣秩序維持にきわめて都合のいい支配階級の学問で、百姓、町人にいたるまでこの忠義精神によって抑圧される。これが明治政府にうけつがれる。
・君に背くものは不忠であるという道徳は徳川幕府になってからでき上った。さかのぼっては足利尊氏にも乱臣賊子のレッテルが張(貼)られた。(中略)日本の中国侵略があらわになってきた昭和十年ごろには、尊氏をほめる者は不忠の臣であり、国体を紊す賊子の徒であるとの声が軍部や右翼方面から上がり、「国体明徴」運動が起こり憲法学者の美濃部達吉は天皇機関説で排撃を受け貴族院議員を辞職せしめられ、不敬罪で起訴された周知の事件となる。
・応仁の乱によってすっかり体制が崩れると、それまで続いたところの将軍の源家や足利家も落ちぶれてしまう。天皇も公家も力はない。もっとも、天皇や公家に実力がないといっても、伝統的な権威というものは続いている。天皇が現在まで万世一系として存続している理由についてはっきり説明できない人が多い。歴史的にみて、天皇よりも実際に力が上だった蘇我氏だとか藤原氏、平氏、源氏、足利氏が、天皇になろうとしてなれなかった理由については、誰もはっきりと説明ができないのである。
・(日本書紀によって)皇室の祖先は神武、綏靖、安寧、懿徳以下何々として皇統が上世いらい日本の知識人の頭脳に灼きつけられた。そこに一種の系統主義というものが生まれたとわたしは思う。だからこそ、藤原氏に実力があっても天皇家に対抗して、自分たちが天皇だといってこれに取って代わることができなかった。源頼朝も足利尊氏も天皇にはなれなかった。系統主義によって周囲が容認しないのである。
・後白河法皇は頼朝と対決した。頼朝の家来、上総権介平広常という者が、なにも法皇に遠慮することはない。法皇をやっつけなさいという意味のことを進言した。聞いた頼朝は、たちまち広常を殺した。こんな人間は、いつまたおのれの地位をひっくり返すかもわからないと恐れたからである。これも系統主義のあらわれである。
図表が見づらいが、大体は分かるかと思う。6歳で尋常小学校に入学し、12歳で卒業、これだけが「義務教育」で、後は家庭の事情や親の考えでその上に幾つかの路線がある、ということだろう。高等小学校と中学校の区別が私にはよく分からない。
複線型の進学システム
(4) 学校系統図 大正8年 ※
-
上級学校に進学しようとする場合にも、最終的な目標学校に合わせて進路を選択する必要があります。進学できる学校の種類は時期によって異なりますが、総じて「複線型」と呼ばれる複雑な学校制度となっています。
たとえば、高等教育機関まで含めて教育制度整備のほぼ完了した大正8年(1919年)の学校制度を見てみましょう(1940年代以降には戦争という時局変化に対応するため、この教育体制からさらに学校名称や制度が一部変更されます)。(4) は当時の学校の系統図です。この時期は、尋常小学校6年間が義務教育課程です。
尋常小学校卒業後の進路としては、男子の場合には(a)中学校を経て、(a-1)高等学校-大学へと進むルート、(a-2)専門学校へと進むルート、(a-3)高等師範学校へと進むルート、(b)高等小学校を経て、(b-1)師範学校、(b-2)実業学校へと進むルート、さらに(c)として、(c-1)実業学校・(c-2)実業補習学校に進むルートの3つに大きく分けられます。女子の場合も、高等女学校を経て女子高等師範学校へ進むルートと、高等小学校を経て師範学校、実業学校へと進むルート、実業学校・実業補習学校に進むルートの3つに大きく分けられます。女子の場合には、ごく一部の学校を除いて、高等学校にも大学にも進学することは認められていませんでした。
・幕府の称制では、将軍(征夷大将軍)はじめ大名級にたいして天皇から公家の官位に叙任させ朝臣とするのと、幕府が直接に任命する守護大名的な職名とがある。この二重構造は幕府が朝廷の制度を利用した権威主義からきている。たとえば加藤清正の肥後守は幕府の官職任命、主計頭(かずえのかみ)は公家の職名、従五位上はその位階である。擬制的な「朝臣」である。
・公家の官制では「大夫」は四位、五位の汎称である。
・右近は、近衛舎人で天皇外出にさいし輿の右側を警護する下級者名の略。左側につくのが左近。もちろん無位である。(したがって右近大夫というのは有り得ない)
・大夫は、律令制度では宮内庁の各職の責任者。といってもいまの部長クラスだろうが、大夫の上には所属の職名がつく。たとえば大膳寮の長は大膳大夫、となる。俗に云う「無官の大夫」は反語的な駄じゃれである。大夫は四位ないし五位と決まっている。
・職を退いた後にも職名を通称として使ったようだ。
李寧熈(イ・ヨンヒ)が、万葉集(の中の枕詞)は古代朝鮮語でまったく別の解釈をするべきだ、という趣旨の主張をした記憶があるが、歌全体が朝鮮語だというのは無理だとしても、一部には朝鮮語が入っていて当然だろう。つまり、現代人の書く文章の中にカタカナ語(外来語)が無数に入っているのと同じである。ただ、和歌となると、外来語を入れることは少ないだろう。つまり、万葉集に朝鮮語がたくさん入っているとは思わないし、枕詞が朝鮮語だとするには、彼女の「枕詞の秘密」(まだ少ししか目を通していないが)にある枕詞の解釈はどうも歌にならないものが大半であるように思う。
しかし、古代朝鮮語の影響が日本語にあるのは確かだろう。
上記の本の中から、これは朝鮮語由来と見るのが合理的かな、と思われるものを少し挙げておく。
秋津島(アギジシム):「アギ」は子、「シム」はそのまま島の意で、「子の島」つまり、朝鮮から見て日本は子の島だという認識を、渡来人たちが持っていたということだろう。
朝(アサ):これは朝鮮も日本も同じ。
天(アメ):これも同じ。
水(ミ):「ミズ」とほぼ同じで、日本でも「み」と読む例は多い。
さざれ(ジャジャレ):小さい、細かい
白(シラ):日朝ほぼ同じ。
千(チ)
三(ミ)
やすみしし(エェシムシジ):八島を鎮めた(「大君」にかかる枕詞)
女(メ)
少女(ヲミナ)