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某女性漫画家のツィートだが、「ホモソーシャル」という言葉は小田嶋師がツィートでよく使う言葉だが、だいたいこういう意味だろう、くらいの感じで把握しているだけで調べたことはない。そもそも「ホモ」は和製英語と言うべきで、それ自体は「同一の」もしくはラテン語で「人」くらいの意味だと思う。つまり、男性同性愛者を英語でホモとは言わないのではないか。小田嶋師の用法を見ると「男性同性愛者集団(的な)」という感じで「ホモソーシャル」と使っているように思える。
後で、念のために調べてみる。

(以下引用)


私が近年知ってよかったと思う言葉は「ホモソーシャル」。昔からモヤモヤして、でもどう表現したらいいのかわからなかった、あの現象。

(追記)

社会学としての用語の場合と一般的用法では異なる感じで、一般的用法では女性集団に「ホモソーシャル」という言葉は使わないようだ。とすれば、それは暗に「男性同性愛者的な連中」という軽蔑を意味しているのではないか。


「ホモソーシャル」という言葉を耳にしたことはあるだろうか?

ここ最近、男性の生きづらさや男性へのセクハラなどへの関心も高まってきているが、そうしたトピックを考える上でこの「ホモソーシャル」という言葉を踏まえることはとても重要だと感じる。

そこで今年の8月、パレットークは「ホモソーシャル」をテーマに漫画を公開した。

ホモソ01

ホモソ02

ホモソ03

ホモソ04

世の中には、本当に様々な形での"こうあるべき"が渦巻いている。そうした同調圧力の中で「自分はそれに当てはまれないな」と感じる場合、生きづらさを感じたり、「劣っている」と誰かに評価されてしまったりする。

そうした数々の同調圧力の中でも、男性同士の空間で流れる"こうあるべき"は、かなり厄介だ。その、男性同士の空間で流れる"こうあるべき"を「ホモソーシャル」と呼ぶ。

ホモソーシャルってどういう意味?男同士の絆

ホモソーシャルとは、「同性同士の性や恋愛を伴わない絆や繋がり」を指す言葉だ。特に男性同士の、いわゆる"男の付き合い"といった意味で使われることが多い。一見、"絆"というとポジティブな意味にも捉えられるような気がするが、実は多くの人の生きづらさを生んでしまったり、誰かを傷つけてしまったりしてる。

たとえば次のように感じる人も多いのではないだろうか?

①会社の上司や同僚にキャバクラや風俗に誘われたけど本当は行きたくない
②裸で温泉に入ることや人前で立ちションすることに抵抗がある
③タピオカや甘いものが好きだと言いづらい

①の場合、「男たるもの、女遊びができて当たり前。みんな女遊びが好きだろう」という前提を元に、男性同士の付き合いが深められようとしている。そしてその誘いを断った場合、「男らしくないな」「男が好きなのか?」といった言葉を投げかけられることが容易に想像がつくだろう。

②の場合も「男は裸が恥ずかしいわけがない」「裸の付き合いこそ男の付き合い」といった価値観が共有されている環境では、人前で裸にならないこと/性器を出さないことは「男らしくない」と評価されてしまう。

③の場合は「甘いものや、タピオカのような流行りものは女が好むもの」という意識が根底にある。そうしたものを好きだと言うと、またこちらも「男らしくない」ということになってしまうのだ。

ここでポイントとなるのは、ホモソーシャルな関係性を結ぶために
・ミソジニー(女性蔑視)
・ホモフォビア(同性愛嫌悪)

が発動してしまうということ。

上にあげた例から、"男らしさ"という言葉で表される男性像が、「性的欲求を持つ異性愛者」であることがわかるだろう。また基本的に、女性は男性より劣った存在という価値観がある。だからこそ「一般的に"女性のもの"とされるものを好む男性は劣った男性だ」と評価されてしまうのだ。さらに「そんな女性を性的に消費することはいいことである」というのも、ミソジニーの発露と言える。

そして、こうした"男らしい"あり方から外れると、途端に「男として一人前じゃない」というレッテルを貼られてしまったり、「同性愛者ではないか?」と言われたり…。そう、このような形でもホモフォビアは発動している。

同じ価値観を共有し、同質であろうとすることは、つまり異質なものを排除する、ということ。ホモ(同一の)ソーシャル(社会)な空間は、常に同質ではないもの(女性、同性愛者、そしていわゆる"男らしくない人")を排除することで成立するのだ。だからこそその空間や価値観に共感できなかったとしても、違和感を表明することはとてもハードルが高くなってしまっている。

当然のことだが、"男性"と一言で言っても、顔立ちが違うようにいろんな男性がいる。"女遊び"に興味がない男性、お酒が強くない男性、個室でトイレをしたい男性、タピオカが好きな男性。そしてもちろん、男性のことが好きな男性や、恋愛感情・性的欲求を持たない男性、そして可愛らしい服装やメイクを楽しむ男性も。

この漫画を公開したとき、Twitterなどで男性と思われる方達からとても多くの共感コメントをいただいた。きっと、それだけこのホモソーシャルな空気に違和感を覚える人が多いということだろう。もしかしたら今あなたが1人で感じ、押し殺している違和感を、隣の誰かも密かに感じ、必死に押し殺しているかもしれない。そんなことを考えた。

「どっちが上で、どっちが下」などというヒエラルキーは、いらない。誰かを排除し、傷つけることで作られる繋がりも、いらない。同質性だけが根拠となる絆なんて、本当は必要ない。

そのことが、いわゆる"男社会"とされる環境でも少しずつ広がっていくといいな、と思う。

(漫画:keika、編集後記:伊藤まり











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働き盛りの年齢には、仕事を引退したら、読書と映画鑑賞三昧の生活をしたい、と思う人は多いだろうが、実際その年齢になると死が間近に迫っているので、数少ない傑作に出会うために無数の愚作に時間を費やすのが耐えがたくなるのではないか。
とは言っても、プロのクリエイターというのは、案外世間で流れている愚作には寛容である。で、その中から美点を見出すわけだろう。むしろ素人のほうが作品の欠点に厳しい。


(以下「綾辻行人」のツィートを引用)

自分はいろんなキャパシティが小さいため、あれもこれもはできないので、引退して読書と映画三昧の生活で余生を過ごしたい、とも思うのだが、一方で「まだあれこれ書きたいな」という気持ちもあるので、結果として時間が足りない。悩ましいお年ごろです。





某有名ベストセラーを今どきのなろう小説風のタイトルにしたのが面白い。
タイトルだけで導入部分を全部説明するわけだ。

(以下引用)

99: 風吹けば名無し 2021/03/11(木) 23:41:54.20 ID:+gZJ3jFi0.net
交通事故で死んだ妹の子供なので叔母家族は散々馬鹿にしてきましたが、本当は有名な魔法使いの息子でした。
魔法学校からの手紙が届いてから部屋に閉じ込めたって無駄ですよ?

136: 風吹けば名無し 2021/03/11(木) 23:44:17.41 ID:L+3fEQPgd.net
>>99
魔法使いの子供なのはばれてたから余計冷遇されてたんだよなあ

138: 風吹けば名無し 2021/03/11(木) 23:44:25.40 ID:KRMBzgS20.net
>>99
こう書くと見る気失せるからタイトルって重要やわ
後半と言うか、「部下に無理な要求をするな」は同意だが、前半はまったく同意しない。
社長の仕事と社員の仕事はまったく別だろう。事務の仕事が抜群の社員が社長として優秀かどうかは分からないし、社長はできても事務仕事は無能という社長もゴマンといるだろう。
まあ、社長の仕事って何だ? と言われても想像できないが、有力な知り合いと会食したり酒を飲んだり、銀行からカネを借りたりするのがメインだという気がするwww
下のツィートは、優秀な人間が社長になるという前提で語っており、優秀な社員が出世して社長になる例もあるだろうが、稀な気がする。優秀な社員はその職務で優秀なのであって、それが重役や社長として優秀とは限らないし、社員が出世するかどうかは上の人間の恣意的な判断でしか決まらないだろう。

(以下某漫画家のツィッターから転載)



著者は忘れましたが、昔読んだ本で「社長のあなたが部下にあなたと同じ能力を要求するのは愚かだ、そんな能力があったらその部下は社長になっていて、あなたの下で働いたりしない」という意味のことが書かれていて、部下に無理な要求をする人は多くがこのパターンだと思っています。


たなかしげととかいう人のツィートだが、議論の前提部分が不確かな感じがある。いや、私も正確な理解はしていないが、「氏」と「姓」の区別をして論じているのか、下の文章でははっきりしない。基本的に「氏」はその一族の社会的記号だろうし、一部の一族だけに許されたものだったと思う。確か、「源平藤橘」の四氏しかなかったのではないか。だから、素性の知れない成り上がりは、無理やりに自分を「源氏の末裔である」とか何とか偽系図を作ったと思う。
姓は、その「一家」の表象である。しかし、これは武家特有と言うか、中世以降のものではないか。貴族にも姓があったと見るのかどうか、私はよく知らない。貴族社会では、「家」より「一族」が重要だったのは確かだろう。名乗りの際に「藤原の何とか」と言えば、「ああ、藤原一族のあの家だな」というのは貴族なら誰でも即座に分かるので、「何々家」と言う必要もなかったと思う。
言うまでもなく、庶民にはこうした氏姓制度は無関係の話である。庶民には氏どころか姓も無く、名前だけがあった。それが、明治の一応は「四民平等」の原則で戸籍を作るために新たにでっち上げたのが現代の「姓」の大半であり、だから、「住居が田んぼの中にあるから田中」とか、「川の上にあるから川上」とか「村の中にあるから中村」のような姓が多いわけだ。
なお、下のツィートに関して言えば、庶民のほとんどは百姓だから「家業を継ぐ」理由で氏や姓が必要か不要かというのは論点がずれている。家業も氏姓制度も無関係に、百姓に生まれれば百姓というのが江戸時代の庶民の宿命である。「家業」を継ぐのは商人や職人だが、職人に氏や姓は不要だし、商人に必要なのも氏や姓ではなく「屋号」である。

(以下引用)

そもそも明治以前にはほとんどの人は「氏」というものを持っておらず、それにもかかわらず家産を継承して家業を継続することはできていたわけで、「家」を継ぐのに「氏」は必要ない。
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