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特に何のための保存ということもないが、刃物の刃を研ぐということをあまりに過大視(神秘化、神聖視)しすぎるのは、日本人の職人崇拝思想の悪影響かもしれない。
で、下のツィートのような場合に、どのようにして刃を研ぐのか、気になる。おそらく、切る方向と水平(刃と垂直か、やや斜め)に研げばいいのかな、と思うが、どうだろうか。
包丁でも刺身包丁と野菜包丁では研ぐ角度が違うかと思う。刺身は「引いて切る」だろうし、野菜は「上から押し付けて切る」だろう。それによって研ぎ方も違うのではないか。日本刀はどうか。西洋の剣はどうか。イメージ的には、日本刀は刺身包丁、西洋の剣は野菜包丁というイメージがある。マチェット(山刀)は木の枝などを切るのが主な用途だろうが、肉切包丁としても用いるだろうから、やや斜めに研ぐのかと思う。

(以下引用)


前にドキュメンタリーでアフリカの地方都市で山羊を捌く際にキッチンナイフを地面の石で研いで山羊をスパスパ切っていた。次に見た南米のメスティソの村では出漁前に港のブロック塀でマチェットゴリゴリ研いで亀やナマズをバカスカ切っていた。思い返すと砥石に大枚叩いた自分が馬鹿らしくなって来た。
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少なくとも、舞台が10世紀前後の西洋中世なら、銃や高度な機械が出てくるのは索然とした気持ちになる。中世が舞台なら「剣と魔法」で十分であり、科学や近代の産物を入れてはならない。
私の場合は中世的舞台のアニメやRPGに眼鏡キャラが出てきただけでウンザリする。むしろ、近眼であるための不利を何かの方法で克服した剣士が出てきたら燃える展開になるのではないか。安易に眼鏡キャラを出すのはやめてほしい。日本の時代劇でも眼鏡キャラの剣豪というのは、たとえ名作の「サムライチャンプルー」でも、私は嫌だった。眼鏡そのものは江戸時代にはあったと思うが、それを付けた剣豪というのは存在しなかったと思う。つまり、眼鏡を着用して激しい動きをするのは不可能だったはずだ。
もちろん、スチームパンク程度の「近代初期、あるいは近代直前の科学」というものの魅力は分かるが、それとチャンバラは別だという話である。

(以下芦部拓のツィートを引用)


時代劇の舞台は想像上の江戸時代、一種の異世界だったというのはまさにそうで、現実の江戸を知る三田村鳶魚なんかにはメチャクチャ腹立たしいものだったのは、『大衆文芸評判記』に明らか。だから僕なんかが疑似西洋中世風ファンタジーにコレジャナイ感を抱くのも、単なる頑迷固陋という気もするのです twitter.com/Parfum772/stat…



記紀における神話時代の人名のうち
「ミコト」は天皇家の人間
「カミ」は天皇家以前からの土着の豪族の象徴化
という仮説。
記紀における「カミ」は必ずしも超人的存在でなく、あるいは優越的人格を持たない。むしろ、「悪しき神」もたくさん出てくる。これは地方豪族の象徴と見るべきだろう。その「カミ」の中から天皇家に援助する「善神」も出てくるわけだ。
ただし、土着の豪族のすべてが縄文系というわけではなく、天皇家以前から日本全体に住み着いた大陸系の部族もいるわけだ。ただ、天皇家は「稲を持参してきた」(稲作の技術を持った)部族で、そのために財産蓄積が可能になり、勢力を拡大できたのではないか。


なお、「高天原」は「タカ・アマ・ガ・ハラ」が訛って「たかまがはら」になったものだろう。これは朝鮮半島全体かその一部ではないかと思う。つまり天皇家の父祖の地である。


(訂正)「カミ」を天皇家以前から日本列島に住んでいた土着の豪族とするのではなく、単に「天皇家以外の豪族」とする。と言うのは、「高天原」に住んでいたのも神々だったからだ。その中から、日本列島に渡来した豪族たちに関する記述が「国生み神話」だろう。つまり、「国生み」とは朝鮮系部族による日本列島侵略の象徴化だということである。国生みの最初が「ヒルコ」だったというのは、侵略に失敗したことの象徴ではないか。その次に淡路島が生まれたというのは、最初に朝鮮化したのが淡路島だったということで、それは現代でも淡路島が朝鮮系の人々(竹中某など)にとって象徴(日本支配の象徴)的意味を持っていることにつながっているかと思う。


(追記)ここに書いてあることは、単なるその場その場の思い付きだけなので、根拠はほとんど無いし、事実の間違いもたくさんある。上に書いた中でも、「カミ」は天皇家以外の豪族に限らず、「天照大神」という大物がいるwww ただし、これは女性であり、また「祖神」であるから、「カミ」としか言えない、とも言える。
また、天皇家は朝鮮渡来の一族だというのは、記紀でのさまざまな事柄から私は確実視しているが、この説の難点は、「それならなぜ天皇家では、少なくともその内部で朝鮮語を使い、それが伝統となっていないのか」ということである。彼らが朝鮮人でありながら、日常でまでわざわざ「外国語」である日本語を使っていたとは思えない。ただ、古代の天皇家の歴史が天皇家内部での殺し合いであったという事実は、彼らが大陸系、あるいは半島系の血筋であることを伺わせる。狩猟民族(縄文人)は財産の蓄積が無いから、同族どうしは協力しあうのが普通であり、地位をめぐって身内が殺し合いをするのは天皇家が渡来人だからだろう。


「リテラ」記事の一部で、すべての内容に賛同するわけではないが、天皇や皇室の「人権」について触れているのは希少なので、転載する。
私自身は、日本の天皇や皇族としての人生は気の毒だなあ、と思っている。まあ、最初から世捨て人と言うか、「世外の人」として生きる道しかないわけだ。

(以下引用)


竹田恒泰が『モーニングショー』で女系天皇否定を強弁! 女性差別を批判され「天皇そのものが差別の根源」と開き直り

基本的人権の制限された皇室をイデオロギーに利用する“男系カルト”

 しかも、安倍首相や竹田サンたち“男系カルト”が置き去りにしているのは、憲法と国民の意思だけではない。実は、この「男系男子」の強制こそが、実は天皇家を苦しめ、抑圧していることに触れず、ひたすら自分たちの願望を喚いているに過ぎないのだ。『モーニングショー』のなかで青木氏がこの点に言及していたが、実はそれこそが、本来、国民がなすべき皇室議論から完全に取り残されているものに他ならない。

「僕らが真剣に考えなくちゃいけないのは、女系天皇を認めるか認めないかっていうことをやるんだったら早くしないと、愛子さんとか眞子さんとかのこれからの人生に関わってくるわけですよ。(人生が)一変しちゃうわけでしょ。だって民間に結婚して出ていくのか、あるいは残って場合によっては天皇になるんじゃないかってことになる。その人生にかかわってくるわけで、天皇制を仮に存続させましょうって言ったときに、非常に人権が制限された立場の方々の、さらに人生を考えなくちゃいけないんですよ。それを本当にやるんだったら、女性天皇を早く入れるという方針を入れてやらないとだめなんですよ。じゃないと、どんどんいなくなってしまうし、やるなら早めにやってあげないと、ただでさえ人権が制限されている皇族の皆さんの人生のことを考えなくちゃいけない」

 周知のように、天皇や皇族は、わたしたちが当たり前に有している権利の多くが、極めて強く制限される。実際、参政権もなければ、職業選択の自由もなく、表現の自由は大幅に制限され、好きな人と結婚することですらあまりに多くの困難が立ちはだかる。この国では誰しもに基本的人権が保障されているはずだが、皇室だけはその領域から隔絶されているのだ。ところが “男系カルト”は、そうした状態をむしろありがたがってみせる。自分は基本的人権を享受しながら、皇室を祭り上げることで天皇を神格化し、イデオロギーに利用しようとしている。

 青木氏が指摘するように、民間人として暮らしていた旧宮家の子弟を、憲法の「基本的人権の尊重」つまり“人間らしく当たり前に生きる権利”の例外へと向かわせることは、すなわち、わたしたち国民の決断として、その“非人間的な生き方を歩ませる人間”を選ぶということに他ならない。それは、仮に法改正がなされ、たとえ「旧宮家の男系男子」その人が自由意志で皇室に入ったとしても同じこと。そこに新たに生まれる赤子は“人柱”だ。産声をあげた瞬間、強制的に人権を制限される。国民は、天皇制を現状維持で黙認しているという以上に、その重たすぎる責任を負わねばならない。

“男系カルト”たちの口車に乗ることは、つまり、そういうことなのだ。連中はしたり顔で「女系天皇は先例がない」「意見の分かれる天皇というのは避けなければならない」「最強のYを継承せよ」などと言うが、いったい何様なのか。いずれにしても、国民が真剣に向き合わないまま、政府主導で皇位継承問題を「解決」させては絶対にいけない。






クリエイターの中にも、娯楽作品を作るのがいかに難しいか知らない人は多いのではないか。特に喜劇映画は実に駄作が多いのであって、だからこそ優れた喜劇映画は貴重なのである。


(以下引用)


『クラジョウ』に限らないけど、作り手が「小難しくない痛快娯楽B級作品を作るぞ」と力んでガチガチになるケースってあるよね。 ジャンルあるあるなシチュエーションをねじ込もうとして滑ったり。






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