(以下引用)
問題は村人Aに転生した後の能力をどうするかだ。私なら、「不死」の能力だけで、後は、ごく普通の能力とする。そうでないと、「村人A」となった意味がないからだ。まあ、「過去の記憶」も持っているのは結構だろう。過去の記憶と現在の状態のギャップをギャグにもできる。
で、過去の、全能の魔王としての記憶と、現在の平凡な一般人としての生活のギャップに悩みながらも、その生活を楽しむという作品にしてみたい。当然、領主による搾取とかの理不尽に怒り、戦争の被害に苦しむわけである。たとえば戦争で恋人が殺されるなど。あるいは、恋人が村の暴力青年に強姦されるなど。昔の庶民生活とは、苦難や理不尽との共存でもあるわけで、この大魔王は国家改革、社会改革に乗り出す、というあらすじはどうか。不死だから、それを生かした話にできるだろう。
(以上引用)
まず、話の最初は、「勇者たち」に敗北した魔王が消滅する場面。(その時に、彼はこれまでの自分を反省し、後悔する。そして「再び生まれることがあったなら…」と思った瞬間、彼は死ぬ。あるいは消滅する。)(あるいは、この「魔王」は、さほど悪事はしていないが、RPGの役割上、勇者と戦っただけで、その役割運命を馬鹿馬鹿しく思っている。)後者の場合、タイトルを「人生はRPG」としてもいい。(魔王消滅の後、勇者グループのひとりが、「ところで、この魔王はどんな悪いことをやったんですか?」と聞くと、勇者は「そんなことは知らんよ。魔王なんだから悪い奴に決まっている」と答える。)
次の瞬間に彼は転生している。(A案:赤ん坊として B案:大人として)
コメント85に同感だが、ゲームと読み物を同一視するのは間違いかもしれない。
(以下引用)
なろう主人公「異世界に転生したけど能力もないから何もできないぜ!」←チートよりこういう設定の方が良いよな
現地人「¥$〆%#?」
主人公「何言ってるかわからないけど少しずつ学んで会話できるようになったぜ!」
ゴブリン「ころすごぶー!」
主人公「はじめは苦戦したけど少しずつ実践を詰んで勝てるようになったぜ!」
冒険者「お前嫌い」
主人公「文化の違いでうまくいかないこともあったけど苦楽を共にして今では仲良しだぜ!」
なんでも最初からできちゃうよりこっちの方が面白いやろ
豚の復讐
他の軸でドラマがないと
むしろそこで差別点を作るのが理想というか...
なんとかならんかったんか
コミュは高いけどいうほどハーレムか?
何回殺されてんねん
強くてスタートに全く勝てなかったエビデンスがあるから仕方ないね
こっちのほう難しいと思うけど
ミスターサタン バギー キングみたいなの
どこまですっ飛ばせるかがなろうの本質的なテーマみたいなとこあるしな
飛ばすことが全体のジャンルなんだから
飛ばしてることをつついても意味ないぞ
ちょっと修行して一気に無双して
数話で次の作品に移って大体の設定一通り見たら飽きて他に行けばいい
ゆっくりじっくり見ていくものじゃない
一般人レベルでは強くても
敵サイドの強者から見たらクソ雑魚⇒だから修行して強くなるってのがほとんどやろ
今は最初から敵サイドの最強キャラより強い
レベル40あればクリアできるゲームを最初からレベル99でプレイして何が面白いねん
しかも状態異常攻撃みたいなのすら効かない特性持ちだったりする
でもアニメ化してるようなチート系なろうには負けてるんや
これよりまし
鑑定スキルの奴好きやったけどあれ主人公が最初4歳設定やと思うと凄い気持ち悪く感じるわ
4歳であんな利発で人材集めてる子供とか気味が悪い…
最初から苦労し続けて艱難辛苦の末にようやく成功しました、まで素人の文章なんか読んでくれる人いるかっていう
つまり書き手側じゃなくて読み手側の問題
なろうのレベルが著しく低くなった気がする、それ以前はもっとちゃんとした設定の奴もあったと思う
常に気持ちよくしなくちゃいけないときく
なお、私は「中絶の当否の結論は最終当事者である女性の意志に任せるべきだ」という考えである。「父親」の意見など、頭の片隅にでも入れれば十分だろう。産むのは女性なのだから。男は妊娠や出産の苦痛や苦労の1%も肩代わりできない。つまり、口出しする権利はない。
下の孔徳秋水氏の意見は「胎児の人権が重要だ」という思想だと簡単にまとめることができるだろうが、私は胎児の人権は無いという意見だ。無事に生まれてから人権の対象になる。
別の言い方をすれば、「胎児には母親の人生を破滅させる権利はない」とも言える。さらに別の言い方をすれば、胎児の段階では、それは母親の体の一部でしかなく、その処置権は完全に母親にある、とも言える。私が爪や髪を切るのに、誰かの許可がいるか?
ただ、母親となる人は、自分の腹の中の子供が「無限の可能性を持った存在だ」と考えるべきだと思う。それがブッダやキリストであるなら、その胎児を殺すことはどういう意味を持つだろうか。「アタイがキリストを殺せるなんてオモシレー」と考えて殺すだろうか。
(以下引用)
テレビや新聞があるせいで、日本はファッショ化しているのである。
そして、最近は、これにネットが乗っかってきている…
めちゃくちゃヤバイ。
よって、「中絶問題」も、同様のファシズム形成工作に使用されている。
「ジェンダー」も「多様性」も、めちゃめちゃヤバいのであるが…
この「中絶問題」で恐ろしいのは、「優生思想」が語られているところである。
「産む産まないは女性の権利」…
これ、言いなおせば、生まれる前なら、
赤子を生かすも●すも「女性」が「好きにしてよい」ということである。
これは、武器を持つ方が、
相手を生かすも●すも「正義」の側が「好きにしてよい」という論理と同じである。
こういう論理を公然と日本のメディアが「正当化」し、「拡散」している。
これを「おかしい」と思わないとすれば、かなり「頭のおかしい」人であろう。
そして、これが、いまの日本のメディアの現状だということ…
いまの「社会」も「経済」とされているものも…
「いのち」をみていない。
人間が、「モノ扱い」され…
だれかの都合で「ランキング」され…
拾われたり、捨てられたりする…
「このままでいいのか、だめなのか、そいつが問題だ」
これこそ、この時のハムレットが抱えていた最大の問題であるのは明白である。つまり、「生きるか死ぬか」という問題ではなく、母親の不倫(父王の生前からの関係がどうかは不明だが、父王を殺したのが叔父なら、その可能性大)と、叔父による王(ハムレットの父)の殺害に対して立ち上がるか否かという問題だ。
そして、立ち上がることは、自分の死をもたらす可能性もあり、母の不倫を世に知らしめることにもなる。だからこそ、ハムレットは悩みに悩み、オフェーリアさえも「女という、不倫予備軍」と見てしまうのである。彼のオフェーリアへのあまりに無情な態度の意味はそこにある。だから「尼寺へ行け」なのである。それは「性欲を断て」という厳しい命令なのであり、そこに母親の不倫に苦しむ息子の怨念があるわけだ。
(以下引用)
「生きるべきか死ぬべきか」、それは誤訳だ。『ハムレット』の"例の箇所"について(透明なシェイクスピア(1))
宮さん宮さん(トンヤレ節)
お馬の前に ヒラヒラするのは 何じゃいな♪
『宮さん宮さん』は、1868年の戊辰戦争(ぼしんせんそう)を新政府軍(官軍)側から描写した明治時代初期の流行歌。
戊辰戦争時に実際に歌われていたとのことで、日本初の軍歌としても位置づけられる。歌詞から「トコトンヤレ節」、「トンヤレ節」とも題される。
写真:有栖川宮記念公園内の熾仁親王像(東京都港区南麻布)
「宮さん」とは、戊辰戦争時に新政府の総裁で東征大総督を兼任した有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう/1835-1895)を指している。
官軍の司令官となった有栖川宮熾仁親王は1868年2月、明治天皇から錦の御旗(にしきのみはた)と節刀を授けられ、同年4月には無血開城された江戸城へ入城している。
作詞:品川弥二郎、作曲:大村益次郎とされるが、実際の作曲者については、品川弥二郎と親しかった祇園の芸妓・中西 君尾(なかにし きみお/1844-1918)の名前を挙げる説もあるようだ。
【YouTube】 宮さん宮さん
歌詞
1.
宮さん宮さん お馬の前に
ヒラヒラするのは 何じゃいな
トコトンヤレ トンヤレナ
あれは朝敵 征伐せよとの
錦の御旗(みはた)じや 知らないか
トコトンヤレ トンヤレナ
2.
一天万乗(いってんばんじょう)の 一天万乗の
帝王(みかど)に手向かい する奴を
トコトンヤレ トンヤレナ
ねらい外さず ねらい外さず
どんどん撃ち出す 薩長土(さっちょうど)
トコトンヤレ トンヤレナ
3.
伏見 鳥羽 淀 伏見 鳥羽 淀
橋本 葛葉(くずは)の戦いは
トコトンヤレ トンヤレナ
薩長土肥(さっちょうどひ)の 薩長土肥の
合(お)うたる手際じゃ ないかいな
トコトンヤレ トンヤレナ
4.
音に聞こえし 関東武士(さむらい)
どっちへ逃げたと 問うたれば
トコトンヤレ トンヤレナ
城も気概も 城も気概も
捨てて吾妻(あづま)へ 逃げたげな
トコトンヤレ トンヤレナ
5.
国を追うのも 人を殺すも
誰も本意じゃ ないけれど
トコトンヤレ トンヤレナ
薩長土肥の 薩長土肥の
先手(さきて)に手向かい する故に
トコトンヤレ トンヤレナ
6.
雨の降るような 雨の降るような
鉄砲の玉の 来る中に
トコトンヤレ トンヤレナ
命惜しまず 魁(さきがけ)するのも
皆お主の 為故じゃ
トコトンヤレ トンヤレナ
歌詞の意味・補足
一天万乗(いってんばんじょう)とは、天子、天皇のこと。中国由来の表現で、天子は天下のすべてを治め、兵車を一万台も動かす国土を有する、との意味合いがある。「一天万乗の君」。
薩長土(さっちょうど)は、明治維新の原動力となった薩摩藩、長州藩、土佐藩の「勤皇三藩」の総称。戊辰戦争の頃から肥前藩を加えて「薩長土肥(さっちょうどひ)」と呼ばれ、明治維新の母体となった。
葛葉(くずは)の戦いは、鳥羽・伏見の戦いにおける楠葉台場(くずはだいば)での戦いのこと。現在の楠葉台場跡史跡公園。
吾妻(あづま)とは、上方から見て東の国々のこと。
魁(さきがけ)とは、先駆け、すなわち合戦において他の者よりも先に敵の中に攻め入ること。