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・前のシーンの翌日、岩野家。
・よく晴れた日である。庭にテーブルと椅子。その椅子に岩野理伊子と佐藤富士夫が座って対面している。二人は初対面で、ともにやや緊張している。
・木漏れ日が二人に落ちている。

理伊子「お呼びだてして済みません。本当は私の方から伺わないといけないのですが」
佐藤「いえ……」(目を伏せている)
理伊子「私、小さな出版社を作ろうかと思っていて、あなたが出版について詳しいと桐井さんにお聞きしまして、相談したかったのです」
佐藤「はあ」
理伊子「出版社と言っても、新聞社としての仕事が主になるんですの。それ以外に、本もいろいろ出したいのですよ」
佐藤「新聞?」
理伊子「まだここにはいい新聞社が無いので、必要じゃないでしょうか」
佐藤「必要なんですか?」
理伊子「そう思います。ここにもいろいろ事件があるでしょうし、その事件の詳しいことを知りたいと思うのが普通じゃありません?」
佐藤「金棒引きはたくさんいますから、そいつらがあれこれ触れ回りますよ。わざわざ新聞に書かなくてもいいでしょう」
理伊子「でも、新聞なら、高尚な論文も載せることができますから、人々の教化にいいんじゃありませんか」
佐藤「教化などしたら、人々は社会の現実を知って不満を持つだけですよ」
理伊子「でも、社会主義というのは、人々を教化することで現実的な力を持つんじゃないですか」
佐藤「あなたは社会主義の何を知っているんですか。それに、僕が社会主義に何か関係があると思っているんですか」
理伊子「大学生のころ、須田銀三郎さんと一緒に、そういう活動をしていたと伺って」
佐藤「昔の話です。今さらほじくり返されるのは迷惑ですね。それより、僕のことは桐井から聞いたとさっきおっしゃいましたが、桐井なら面白いパンフレットが書けますよ」
理伊子「どのような?」
佐藤「真に自由な人間は自殺するべきだ、という思想です」(意地悪い顔の笑顔)
理伊子「(?)どういうことですの?」
佐藤「さあね。僕は桐井じゃないから分かりません。そういうパンフレットをあなたの出版社が出したら面白いでしょうね。それを読んだ人間は続々自殺するわけです」
理伊子「意地悪をおっしゃるのね。なぜ、そんな意地悪なんですか」
佐藤「あなたの目的は、僕から須田銀三郎の話を聞きたいだけでしょう」
理伊子「お友達だとお聞きしたので……」
佐藤「お友達どころか、むしろ敵ですね。あいつは人非人ですよ」
理伊子「まさか、なぜそんなことをおっしゃるのですか。何か、あの人との間にあったのですか」
佐藤「言いたくありませんね。僕はこれで失礼したほうがよさそうだ」
佐藤は立ち上がって庭を出て行く。残されて呆然とする理伊子。

・インサートショットで、函館港に着いた船から降りる銀三郎の遠景。顔も身なりもほとんど分からない程度に遠くからのショットで、誰かが船から降りたことしか分からない。

(この場面終わり)
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・大正時代を感じさせるノスタルジックなクラシックの曲(「メリーウィドウワルツ」など)が静かに流れる中、晩秋の北海道の風景が次々に映し出される。遠くの山、流れる川、野原や動物、空。
・それらの風景を背景に、タイトル「魔群の狂宴」以下、テロップが流れる。
・カメラが大きな洋館を映し出し、その二階の客室の開いた大きな窓を映すと、反転してその客室で対面してのどかに話している二人を映す。(背景は窓になる)

鳥居教授「秋もそろそろ終わりですなあ」
須田夫人「窓を開けていると寒いくらいですわねえ。これから長い冬が来ると思うとうんざりですわ」
少し黙って窓の外の風景を眺める二人。
客間のドアがノックされる。
須田夫人「お入り」
菊「失礼します」
入ってきて鳥居教授に軽く頭を下げ、夫人に電報を渡す。
菊「これが今参りました」
須田夫人が電報を開く。
須田夫人「おやおや、大変だ」
鳥居教授「何事ですかな」
須田夫人「あの子が帰ってくるんですよ」
鳥居教授「ほう、銀三郎君が?」
須田夫人「ええ。明後日到着だそうで」
鳥居教授「それは嬉しいことでしょう。何年ぶりでしたか」
須田夫人「大学卒業からすぐにアメリカに行きましたから、2年ぶりくらいですかねえ」
鳥居教授「僕はまだ銀三郎君にはお目にかかったことが無いから、お会いするのが楽しみです」
須田夫人「少し変なところのある子なんですよ。まあ、父親にはあまり似ていないのが良かったのか悪かったのか。父親はたいそう分かりやすい人でしたから」
鳥居教授「須田伯爵にもお目にかかっていないが、豪放な人だったようですな」
須田夫人「まあ、豪傑と言えば豪傑ですけど、女癖が悪くて、たいそう泣かされました」
鳥居教授「しかし、須田伯爵はこちらにはあまりいらっしゃらなかったようですな」
須田夫人「まあ、開拓使長官とは言っても、東京でもいろいろやることがあったのでしょう。何をしていたのか、私などにはさっぱり分かりませんけどね」
鳥居教授「その開拓使も今では道庁ですからな。時代も明治から大正に変わったし」
須田夫人「時代ねえ。何ですか、あの頃は没落した士族がたいそう不平を申して自由民権運動とかやってましたが、最近では民本主義とか社会主義とかいう変な思想まで出てきたそうで」
鳥居教授「ほう、社会主義をご存じですか。偉いもんだ」
須田夫人「一時、うちの子が大学でその研究会だとかに首を突っ込んでいたらしいのですよ。私には、それがどういうものかまるで分かりませんけどね。社会主義とはどういう思想なんですか、鳥居さん」
鳥居教授「まあ、簡単に言えば、平等な社会を作ろうという思想でしょうな。僕も専門じゃあないが」
須田夫人「それじゃあ、華族も百姓も平等にしようと?」
鳥居教授「はあ」
須田夫人「そりゃあ、恐ろしい思想じゃございませんか。フランス革命みたいに、王様の首を斬り落として貴族を皆殺しにするんでしょう?」
鳥居教授「フランス革命と社会主義は別物だが、精神には近いところはあるでしょうな」
須田夫人「おお、いやだいやだ。うちの銀三郎がそんなのに近づかないように願いたいものだわ」
鳥居教授「まあ、華族がわざわざ自分からその身分を捨てて百姓になることは無いでしょう」
須田夫人「あの子は、頭は悪くないんだけど、時々、突拍子もないことをするんですよ。大学生の夏に帰ってきた時には、あるパーティで加賀野将軍の鼻をつまんで引きずりまわしたりして大変な騒ぎになりましたわ。それも将軍が『俺の鼻をつまんで引きずりまわせる奴はいないからな』と御冗談を言ったら、突然、そういうことをやったんですよ。あの時はその騒ぎを治めるのに大変でしたわ」
鳥居教授「ご本人はどうしてそんなことをやったか言いましたか?」
須田夫人「その時は頭の調子が悪かったということで、お医者さんがヒポコンデリーとか何とか診断書を書いたと覚えています」
鳥居教授「まあ、若気の至りでしょう。とにかく、大変な美男子だという噂を聞きましたが、女での揉め事よりはマシかもしれませんよ。偉い人の鼻をつまむくらいはそのうち笑い話になります」
須田夫人「幸いというか、女出入りは少ないようです。まあ、私が知らないだけかもしれませんけどね」
二人、黙って窓の外を眺める。
窓の外の情景。日差しが少し傾いている。

(この場面終わり)




銀三郎は東京帝大在学中に社会主義に関心を持ち、その研究会に入っていた。
その時のメンバーが、佐藤富士夫、桐井六郎、佐藤(当時は別姓)鱒江、外部メンバーが兵頭栄三である。鱒江は富士夫の恋人だったが、新たに研究会に入った銀三郎に激しく恋をし、富士夫を捨てる。銀三郎は鱒江を連れて海外留学をする。だが、帰国直前、鱒江(妊娠している)を不良仲間の外国人に与え、捨てる。物語の冒頭部分は、その銀三郎の帰国を待つ郷里(北海道)の上流社会の話。
銀三郎が幼い少女を強姦するのは、海外留学中のこと。留学先の不良仲間の娘である。(下宿先の娘でもいい。そのほうが、マリリン・モンロー的な悲哀感があるか。名前も「ノーマ」とする。)
銀三郎の父親は北海道開拓使長官、須田清隆。ただし、ほとんど東京に在住していた。清隆の死後、(夫の不快な記憶を忘れるため)妻の須田夫人が札幌に住居を買って住むようになった。息子の銀三郎は学習院への通学の都合上、東京に残していたので、彼が休暇を過ごしに北海道に来る以外はほとんど会う機会がない。須田夫人の北海道在住のつれづれを慰めていたのが鳥居教授で、あわよくば須田夫人の後夫になる野心もあったが、ついに恋仲になることはなかった。
須田夫人の友人が岩野夫人で、その娘の理伊子は中学生のころに夏季休暇で来た銀三郎を一目見て以来、彼に恋している。
須田夫人の使用人の息子が佐藤富士夫、その妹が菊で、菊が気に入った須田夫人は菊を養女にするが、養女とは言っても下女的な地位である。菊にとって銀三郎は主人的存在で、恋心の対象でもある。
銀三郎は父清隆の荒淫を嫌悪していたため、成熟した女性全体を嫌うところがある。性行為を獣的行為として嫌悪しながら性欲はあるため、ペドフィリア的傾向を持つ。十歳の時に父親の妾に誘惑されたのが彼の初体験。その妾は、泥酔した清隆に日本刀で斬殺される。その現場を銀三郎は目撃する。
銀三郎は、知力・体力・財力・美貌と、すべてに完璧なので、周囲の人々から常に敬意を受けてきた。しかし、何もやりたいことが無いので、大学在学中には社会改革を考え、社会主義研究会などに入ったりしたが、べつに貧しい人や不幸な人への深い同情心も無いので、中途で関心を失っている。しかし、議論ができる程度の知識はある。
あまりにすべてに恵まれているので、銀三郎は「自分にできないこと」をあえてやる傾向があり、その表れが、不良仲間、賭博仲間の田端退役大尉(実は上等兵どまり)の妹、麻里江との結婚である。少し頭の狂っている女で、足がびっこである彼女と結婚できるか、と田端に挑まれ、面白いと受けて立ったのが結婚のいきさつ。ただし、このことは田端と銀三郎しか知らない。北海道に来た銀三郎の後を追うように田端が妹を連れて北海道に来たのは、当然、銀三郎からカネをゆするためだが、いざとなれば銀三郎は彼を平然と殺すだろうと恐れてもいる。なお、銀三郎は麻里江と結婚したが体の関係は持っておらず、麻里江は処女のままである。しかし、結婚したらしいという曖昧な記憶があるため、子供を産んだ妄想を持っている。





前に書いた脚本構成要素を適当な順序に並べてプロットを作ってみる。先に、その構成要素を書き出しておく。

ということで、「魔群の饗宴」の「物語」を構築していく必要があるわけだ。「悪霊」とは違って、須田銀三郎と大杉栄を「対立的存在」として描くか。銀三郎は貴族ではあるが社会主義に関心があり、理想社会の実現を「考察対象」にしてはいる。そういう存在とするか。
大杉栄(話の中では兵頭栄三)は、ヤクザな性格と社会改革への情熱が同居した人間。物凄い行動力の持ち主で、そこはピョートルと同じ。銀三郎を「利用」しようとして彼に接近するという点でもピョートルと同じ。(「魔群の饗宴」は「魔群の狂宴」でもいい)
中江兆民をステパン先生的な役回りで使うか。栄三とは特に親子関係でなくてもいい。

山のひとつは、銀三郎と栄三の「社会主義論争」(アナーキズムの不可能性について、栄三が銀三郎に完全に論破される。その際に、彼の「自由恋愛思想」が三角関係相手の女に刺されることで破産していることを揶揄される。)

山の二つ目は、大地震(関東大震災)の際に栄三と恋人が官憲によって殺害される事件。

いわば、一つ目の山が栄三の思想的死、二つ目の山が肉体的死である。

しかし、銀三郎も貴族階級の衰退という運命が待っていることを暗示して話は終わる。(その前に、銀三郎は自分自身のニヒリズムによって精神的に破産していることを示す。)

あるいは、資本家という最高の俗物たちが社会の勝利者になる、という「社会主義の墓碑銘」的なエピローグで終わる。

*後藤象二郎と大杉栄のエピソード(実話)も入れる。社会の支配者は左派さえも操縦する、という話。

*ビスマルクの「国家社会主義」の成功の話をどこかに入れる。(佐藤不二雄に言わせるか)同じく国家社会主義の北一輝も登場させるか。

*佐藤不二雄は柳原白蓮(棚原晶子)の恋人とするか。父親は右翼の大物で、当人は社会主義者。白蓮の悲惨な前半生の話も入れる。

*女性はほかに伊藤野枝(伊野藤枝)と神近市子(神市千賀子)も登場。


*佐藤不二雄と桐井六郎の友情を前半の大きな柱とし、桐井六郎の棚原晶子への失恋と、哲学的自殺、佐藤の妻の登場、銀三郎が狂人の妻があることを告白して前半終わり。(前半の内容として、銀三郎への周囲の期待感、銀三郎の登場、彼の老将軍への奇怪なふるまい、彼への周囲の女性たちの恋着など)(兵頭栄三のアナーキスト活動、社会主義者たちのグループへの接近、支配の試み、銀三郎への接近、政治家との結託の工作、女性関係、神市千賀子に刺される事件など)要するに、三本の柱である。
*後半は佐藤の妻の死産、妻の死、工場の火事、理伊子の死、銀三郎の妻の死で始まる。(死人だらけであるww)田端兄妹の死は、銀三郎に話を持ちかけた男に銀三郎が「勝手にしろ」と言ったことを「殺人の命令」と受け取ったことによる。カネは事後の会談で銀三郎が「うるさそうに」与えるが、その直後に栄三が犯人を殺害し、カネを奪う。「このカネは社会改革に使わせてもらうぜwww」「目的は行動を浄化するんだよ」
*工場の火事が、アナーキストグループの犯行ではないかと疑われる。兵頭栄三が銀三郎の庇護を求める。しかし、アナーキズム問答が始まり、ふたりは決別する。憲兵隊による兵頭周辺への捜索。兵頭の逮捕と釈放。国外逃亡。佐藤不二夫と棚原晶子の接近。駆け落ち。(コマ落とし的に喜劇的に描くのもいい)兵頭教授と北一輝の対面。
*兵頭の帰国。佐藤不二夫の病死。
*関東大震災と兵頭の死。大不況と2.26(的な)事件。大正デモクラシー的空気の終焉。銀三郎が兵頭の墓に向かって独白する(「この国はキチガイと馬鹿に支配されている。もうすぐ終わりだよ」「お前が正しかったのかもしれん」)。この場面で全体の終わり。

須田銀三郎:城田優
兵頭栄三:斎藤工
佐藤不二雄:風間俊介:妻を銀三郎に寝取られている。陰鬱な激情家。
桐井六郎:鈴木亮平(岡田将生でも可)いい人だから死ぬ、という点が大事。
棚原晶子:橋本愛
伊野藤枝:長澤まさみ
神市千賀子:満島ひかり
佐藤鱒江:不二雄の妻、銀三郎の子を妊娠している:市川実日子
岩野夫人:貴族:戸田恵子または松坂慶子
岩野理伊子:銀三郎に惚れている。:夏菜または満島ひかり
真淵力也(力弥):理伊子の「家来」的恋人:岡田将生
佐藤菊:不二雄の妹、須田家の養女。銀三郎に惚れている。:北野きい
加賀野将軍:銀三郎に無礼を受ける老将軍。:平泉成または温水洋一
田端退役大尉:古田新太または吉田鋼太郎または香川照之
田端麻里亜:狂人、銀三郎の妻:のん
淵野辺:役人、社会主義仲間:豊川悦司または安田顕
栗谷:社会主義仲間:森山未来
須田夫人:大竹しのぶ
須田清隆(回想):鹿賀丈史または綿引勝彦
清隆の妾(回想):栗山千明または木南晴夏
甘粕大尉:松山ケンイチ

鳥居教授(中江兆民):嶋田久作または平泉成 *話の要所での語り手でもある。

上の断片を(適宜追加、あるいはカットして)約40のシーンにする。1シーン3分程度として、120分である。まずまずの長さだろう。何をファーストシーンにするかが難しい。


プロローグ:北海道の美しい風景と貴族たち。
1:鳥居教授と須田夫人。社会主義思想についての会話。
2:銀三郎の噂。理伊子と菊と須田夫人、岩原夫人。
3:佐藤富士夫と理伊子の面談。佐藤は銀三郎については答えない。
4:銀三郎の登場。
5:銀三郎の老将軍への奇怪なふるまい。
6:佐藤富士夫が銀三郎を平手打ちする。
7:(回想)東京での佐藤と桐井六郎の会話。佐藤の妻のこと。兵頭のこと。
8:(回想)兵頭と女たち。
9:(回想)佐藤、桐井と棚原晶子との出会い。晶子についての二人の会話。
10:(現在に戻る)社会主義者たちの会合。兵頭や銀三郎の噂。佐藤、桐井他。工場の労働争議の話。
11:兵頭夫妻のこの地への登場。田端退役大尉と理伊子。田端兄と田端妹(狂女)と佐藤、桐井。
12:桐井の自殺哲学のこと。晶子への思慕のこと。
13:銀三郎と佐藤菊と須田夫人。須田夫人は菊の銀三郎への秘めた思慕を知る。
14:須田夫人が菊に鳥居教授と結婚しろと命令する。
15:佐藤富士夫の前に、臨月の妻が現れる。
16:銀三郎と妻(狂人)の再会。妻に罵倒される銀三郎。
17:懲役人藤田(フェージカ)が銀三郎の前に現れる。恐喝に失敗。銀三郎に心服する。銀三郎はカネをやる。
18:佐藤鱒江の出産。桐井と佐藤がそのために奔走する。
19:鱒江の死産。桐井六郎の自殺。鱒江の死。
20:銀三郎が妻帯していることを人々に告げる。工場の火事の勃発。



21:鳥居教授のモノローグで、現在の状況が語られる。官憲による社会主義者たちの探索。
22:兵頭と銀三郎の対話(アナーキズム問答)
23:兵頭の上海への逃亡。
24:兵頭のパリからの「魔子への手紙」(大杉栄の娘への手紙をそのまま使う)
25:東京に出た佐藤富士夫と白蓮(棚原晶子)との再会。恋仲になる。佐藤は結核になっている。
26:鳥居教授と菊の結婚を進める須田夫人。鳥居教授の疑惑。
27:「他人の不始末」との結婚を疑う鳥居教授。真淵力弥が教授を批判する。
28:理伊子が銀三郎の元に奔る。追う真淵。
29:銀三郎の前に懲役人藤田が現れ、田端兄妹を始末してやろうと言う。それを拒否しながらカネをやる銀三郎。
30:(回想)酔った父が妾を切り殺す場面を思い出す銀三郎。自分の中に潜む狂気への疑い。
31:(回想)銀三郎がかつて幼い少女を強姦したことを暗示するシーン。
32:(回想)「いつでも、あなたの看護婦になります」と言う菊。
33:藤田による田端兄妹殺害。銀三郎が主犯だと民衆は疑う。
34:殺害現場に駆け付ける理伊子、それを追う真淵。理伊子は民衆に投石され、死ぬ。呆然とする銀三郎たち。
35:(東京にて)兵頭の帰国。理伊子の死と佐藤富士夫の病死の件を聞く。
36:(東京にて)憲兵らによる兵頭の探索。
37:(東京にて)後藤象二郎にカネを無心し、カネを得て喜ぶ兵頭。
38:関東大震災と兵頭の死。
39:甘粕大尉らの裁判、5.15事件、2.26事件と日本の軍国化。
40:栄三の墓の前の銀三郎の独白




特に事実にこだわる気はないが、おおまかな時代背景は下のような「大正デモクラシー」末期から昭和初期である。この話の後、日本は急速に軍国主義化し、滅亡に進んでいく。

(以下引用)

日露戦争終結後、国際的緊張関係は緩和に向かい、1905年(明治38年)には東京中国同盟会が結成されるなど民主主義的自由の獲得を目指した運動が本格化していった。一方、アジアで数少ない独立国で、かつ唯一「五大国」に入る先進工業国かつ資本主義の急速な発展と成長は、日本の国民に政治的・市民的自由を自覚させ、様々な課題を掲げた自主集団が設立され自由と権利の獲得、抑圧からの解放に対して声高に叫ばれる時代背景ができ上がっていった。

このような状況の中で、1911年(明治44年)に朝の四川省で発生した鉄道国有化の反対運動をきっかけとして辛亥革命が勃発し、中国革命同盟会が中核となった革命軍は、翌1912年(民国元年、大正元年)に清朝を倒して中華民国を樹立した。この中国情勢の混乱を勢力圏拡大の好機と判断した陸軍大臣上原勇作は、第2次西園寺内閣に対し朝鮮半島に2個師団を新設するよう提言した。しかし西園寺は日露戦争を要因とした財政難や国際関係の問題などを理由に拒否した為、上原は軍部大臣現役武官制を利用して西園寺内閣を内閣総辞職へ追い込み、陸軍主導の内閣を成立させようと画策した。

こうした背景の中、長州藩閥出身で陸軍の影響力が強い第3次桂内閣が組閣された。この桂内閣に対し国民世論の批判が高まり、また衆議院でも衆議院議員尾崎行雄犬養毅らが藩閥政治であるとして桂内閣を批判し、1912年(大正元年)、「閥族打破・憲政擁護」を掲げた第一次護憲運動が展開され、桂内閣は組閣してからわずか53日で内閣総辞職に追い込まれた(大正政変)。続いて設立された立憲政友会与党とする第1次山本内閣軍部大臣現役武官制の廃止など陸海軍の内閣への発言力を弱める改革に着手したが、海軍高官の贈賄事件(シーメンス事件)の影響により再び国民の批判を招き、1914年(大正3年)に内閣総辞職を余儀なくされた。

大正デモクラシーの流れ[編集]

民本主義と天皇機関説[編集]

1913年(大正2年)、石田友治らによって言論雑誌『第三帝国』が刊行され、また第一次世界大戦下の1916年(大正5年)には東京帝国大学吉野作造により民本主義による政治が提唱された事(「憲政けんせい本義ほんぎいてその有終ゆうしゅうすのみちろんず」(『中央公論』1916年1月号)等)を背景に、次第に普選運動が活発になっていった。また1912年(明治45年)3月美濃部達吉は『憲法講話』を著し天皇機関説を提唱した。それは天皇主権説に反対し、議会が独自の機能を持つことを理論的に基礎づけ[1]、国家が統治権の主体であるべきと主張し政党内閣制を支持した。この説に対して上杉慎吉天皇主権説の立場から批判を行ったが、天皇機関説は議会政治を実現する上での憲法解釈上の大きな根拠として度々取り上げられるようになった。

また吉野・美濃部の両人に加え、中央大学出身の長谷川如是閑早稲田大学出身の大山郁夫といったジャーナリストや学者の発言も在り方に大きな影響を与えた。

米騒動[編集]

1917年(大正6年)のロシア革命に端を発して、同盟国のイギリスアメリカの要請を受けて寺内内閣により第一次世界大戦終結直前の1918年(大正7年)7月12日シベリア出兵宣言が出されると、需要拡大を見込んだ商人によるの買占め、売惜しみが発生し米価格が急騰した。

そのような中、富山県で発生した米問屋と住民の騒動は瞬く間に全国に広がり(米騒動)米問屋の打ち壊しや焼き討ちなどが2ヶ月間に渡り頻発した。

日本初の本格的政党内閣[編集]

戦争による格差の拡大、新聞社に対する言論の弾圧などの問題を孕んだこの騒動は9月21日、寺内内閣の総辞職をもって一応の収まりを見せ、ついに「平民宰相」と呼ばれた原敬による、日本で初めての本格的な政党内閣9月27日組織されるに至った。

第二次護憲運動[編集]

1923年(大正12年)12月27日に発生した、難波大助による摂政裕仁親王狙撃事件(虎ノ門事件)により、当時の第二次山本権兵衛内閣は総辞職に追い込まれ、枢密院議長であった清浦奎吾の内閣が発足した。しかし清浦内閣はほぼ全ての閣僚が貴族院議員から選出された超然内閣であり、国民の間で再び憲政擁護を求める第二次護憲運動が起こった。

その結果立憲政友会憲政会革新倶楽部護憲三派からなる加藤高明内閣が成立し普通選挙法が制定され、財産(納税額)によって制限される制限選挙から、満25歳以上全ての男子に選挙権が与えられることとなり、アジアで初の男子普通選挙が実現した。

しかし同時にロシアソ連が誕生したことにより、国民の一部に赤化(共産主義)思想が広まり、共産主義革命の発生や、天皇制及び国家神道の動揺を懸念した政府は、治安維持法を制定し、共産主義的な運動に対しては規制がかけられる形となった。

後世の評価[編集]

大正デモクラシーは戦後民主主義を形成する遺産として大きな意味を持ったと指摘する論者もライシャワーをはじめ数多い[2]。また、石橋湛山は自著『大正時代の真評価』において大正時代を「デモクラシーの発展史上特筆大書すべき新時期」と評価している。

一方で、この思想を基本とする保守派知識人達(具体的人物は吉田茂岡崎久彦)は戦後世代から「オールドリベラリスト」(古典的自由主義者)と呼ばれる。

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