頭の良い人らしいコメントが多い。クリエイターにとって「面白くない」は致命的評価だから、この下種男に対して「面白くない」という評価をするのだ、というのは鋭い見方だと思う。元増田もそれは分かっているようだが、「罰」は「罪」とどう対応すべきかの選択が間違っていると思う。電通の人間なのだから、モラルを責められても何の痛痒も感じないだろう。「能力」への低評価が彼には一番こたえるのである。
(以下引用)
例の電通の人に始まったことじゃないが、なんか悪いことした人に面白くないとかつまんないとかダサいとか言うのやめてほしい。
つまらないのはその通りなんだろうけど、まるでセンスないことが罪深いみたいな感じになるので無駄に傷ついてしまう。
否定したいとか貶めたいっていう意図でやってるんだろうけど(特にクリエイティブな仕事の人に対して)、やったことに対して真向から批判してほしい。
思ったより反応があったのでちょっと補足。
まず電通のおじさんは批判されるべきだと思うので擁護するつもりはない。
ただ、今回の件はセンスのなさとかじゃなくて、人権意識の希薄さとかパワハラ的なやり方とか要するに道徳的な面で批判されているはず(と思っている)。
センスがないことはクリエイターとして評価する文脈でなら別に構わないと思うが、この件に絡めるとまるでセンスのなさが道徳的に悪いことのような印象を受けてしまう。(別にそんな意図はないと思うが)
どういう意図があるのか想像すると、クリエイターとして根本的に否定したいから、クリエイターにとって致命的なダメージを与える方法としてのセンス批判なのかなと。
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「面白くない」「つまらない」はまだ自分軸の評価だから (それが批判として成立するかはともかくとして)いいけど、 「ダサい」はもう何がどうなってることが「ダサい」なのかまっ...
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半分同意だけど、ブタの件での「面白くない」は「明らかに面白くないネタをゴリ押しできる立場にいるのは、ホモソーシャルなネットワークを利用して他人を蹴落としているからだろ...
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「センスが悪い」「つまらない」「ダサい」はこれ以上ないほどの真っ向からの批判だし、それで傷つくなら何かをぶちあげるのはやめとけって話でしょ それとも何でもよしよしされた...
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イケてる業界人気取りのおっさんが一番堪えるの「お前時代遅れでつまらん」だからみんな鈍器として使うわなあ・・・
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みんな相手が一番傷つく方法で殴るんだね 怖い
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男はそのくらいえぐらないと懲りないから
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ほんこれ むしろ時代遅れ程度でもびくともしないくらいタフだと思う だからこんな事になったんだけど
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その犠牲者はHSP男だよ。 みんな男はメンタルが強いって前提の上で暴言吐きやがる。 オッサンっていう生き物は。
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君ももっと気楽に人に「興味ない・寒い」といっていいんだよ 自分の内心の問題だから誹謗中傷には該当しない
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別に誰も宇宙人ジョーンズは否定してないだろう ブラックな意図で駄作を作ろうとしたクリエイターは叩かれるよ
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いまのテレビがつまらないのと一緒だよね
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「面白くない」「ダサい」っていうのはどっかの漫画家やコラムニストみたいに もう才能が枯渇して、党派性だけでなんとか水面に顔上げられてる人らにも全く同じことが言えちゃうん...
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だってあれが面白い、ウケると思ってあんな発言したんだろ? 感性が時代遅れでくそダサイって評価で何の問題が?
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「なら、面白きゃ許されたのか?」ってことだよね。
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差別的な上にくだらない。つまり最悪ということ。
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「読者は正義を好む」ことについては私自身何度か言及していると思う。とにかく、主人公が反道徳的な人間である小説は、読んでいて爽快感が無いのである。「大菩薩峠」は、主人公が机龍之介だけではないから成立している小説だろう。石原慎太郎の初期の小説には、そういう反道徳的な若者がよく登場しているが、それは彼が「力こそすべて」という主義の人間だからだと思う。それはまた「カネこそがすべて」というホリエモンや竹中平蔵などと同種の人間なのである。
(以下引用)
7.芸術よりモラルが大切であること。——二度とないこの人生を、もっと幸福に生きるためには、どうしたらよいか、それを具体的に追求して行く。 8.読者は正義を好むということ。
(以下引用)
2021 - 08/15 [Sun] - 21:06
DEEPLY JAPAN より
■ 戦争というより占領の終了
1980年モスクワ五輪とムジャヒディーン協賛諸国
https://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/83a9c709e51ea5ed18e7b32c1beb4e47
https://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/b68ddbb835d588715ab90ecb5a527fd7
■ 整理できないけど、前よりましになった
■ 関連記事
封建社会下で限界はあっても、或る意味、西欧とは別の「民主主義」が存在しているとも言えそうだ。つまり、「絶対的存在」を疑うという、精神の民主主義だ。
(以下引用)
■ 日本の主要な信仰体系では、
宗教的な信念において中央集権は重要な要素ではなかった。
それは神道や仏教でもそう。
明確な階層的、あるいは統一された構造はない。
一般人と僧侶たちとで意見が異なる事さえある。
これは基本的に、日本の歴史を通じて変わらないんだ。
キリスト教が日本に持ち込まれた時に、
市民や為政者が懐疑的に感じた要素は、
教会の中央集権的で統一された性格だったんだ。
神は唯一で、「教会(カトリック)」も1つで、法王も1人。
階層的な信仰に対する本能的な反発は、
今でも日本社会には残ってるんじゃないかな。
(以下引用)