筒井康隆の好みの言葉で、韜晦的に用いている感じがある。
要は、既知事項による別事項の推定であるようだ。
内挿は、既知事項を含む集合内での推定、
外挿は既知事項の外の集合での推定、
と言えるのではないか。挿は単に「差し込む」意味だろう。既知事項をどこに差し込むかという話だ。
(以下引用)
要は、既知事項による別事項の推定であるようだ。
内挿は、既知事項を含む集合内での推定、
外挿は既知事項の外の集合での推定、
と言えるのではないか。挿は単に「差し込む」意味だろう。既知事項をどこに差し込むかという話だ。
(以下引用)
内挿(Interpolation)と外挿(Extrapolation)という言葉は、最近ではDeep Learning関連で目にする事が多い気がしますが、内挿・外挿とは、データを近似し、データ以外の場所を推定する際に、データの範囲内を推定することを内挿といい、データの範囲外を推定することを外挿といいます。
しかしながら、一般的に外挿で推定した値は必ずしも正しいとは限らないため、しない方が良いといわれます。以下に推定した値が正しくならない例を示します。
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小説、あるいは脚本の本質を「事件」と見做して、事件とはどういうものか、数学的に考察してみたい。
おそらく、事件とは「人物×欲望×行動」という積で表現されるものかと思う。で、その人物や欲望や行動が複数になって、事件が複雑化するわけである。物語とは「a× b× c+ d× e×f+ g× h× i」のような積と和の総合だろう。ただし、その中の欲望因子であるものが「b=e=h」であったりするわけである。つまり、3人が同じ女に恋着したり、同じ宝物を狙ったりすることもある。そして、ひとつの場面での個々の行動と、次の場面での個々の行動は変化するから、この積と和の連続は無限に展開する。変わらぬもの、あるいは基本的に変わらぬ物は、人物の個性(キャラクター)である。長編小説では人物のキャラが変わったりもするだろうが、映画やテレビドラマで人物のキャラが変わるのは反則行為だろう。ただ、善人と思われていたキャラが実は悪人だったというのはキャラの変更ではない。単に「偽善者」というキャラだったのである。
ただし、注意したいのは、寺田寅彦が言っているように、実は映画では「筋」というのはさほど大事ではない。大事なのはシーンであり、シーンとシーンの連続から来る興味である。だから、名作と言われる名画は名シーンが必ずある。キューブリックの映画などは最初から最後までが名シーンである。二流の作品は、シーンとシーンの間に「たるみ」がある。
おそらく、事件とは「人物×欲望×行動」という積で表現されるものかと思う。で、その人物や欲望や行動が複数になって、事件が複雑化するわけである。物語とは「a× b× c+ d× e×f+ g× h× i」のような積と和の総合だろう。ただし、その中の欲望因子であるものが「b=e=h」であったりするわけである。つまり、3人が同じ女に恋着したり、同じ宝物を狙ったりすることもある。そして、ひとつの場面での個々の行動と、次の場面での個々の行動は変化するから、この積と和の連続は無限に展開する。変わらぬもの、あるいは基本的に変わらぬ物は、人物の個性(キャラクター)である。長編小説では人物のキャラが変わったりもするだろうが、映画やテレビドラマで人物のキャラが変わるのは反則行為だろう。ただ、善人と思われていたキャラが実は悪人だったというのはキャラの変更ではない。単に「偽善者」というキャラだったのである。
ただし、注意したいのは、寺田寅彦が言っているように、実は映画では「筋」というのはさほど大事ではない。大事なのはシーンであり、シーンとシーンの連続から来る興味である。だから、名作と言われる名画は名シーンが必ずある。キューブリックの映画などは最初から最後までが名シーンである。二流の作品は、シーンとシーンの間に「たるみ」がある。
ネットテレビで「第三の男」と「かもめ」を見て、どちらも途中までの状態で中断して今この考察をしているのだが、前者は映画的に完璧な名作で、後者はただの「芝居の映画化」であるという違いがあるようだ。で、映画的であるとは何かというと、「無駄なシーンが無い」ということだ。後者も悪い作品ではないが、「名シーン」はひとつも無い。単に19世紀ロシアらしい身なりをした俳優たちが俗物的欲望の結果悲劇に陥る話を演じるだけで、観客は誰に感情移入すればいいのか分からない。これは原作の芝居そのものも同じだっただろうが、まあ、観客ごとに思い入れする役があったのだろう。これは別に「第三の男」に人格高潔な人物が出るという話ではない。描かれるのは、ハリー・ライムという稀有な悪役の存在によって恋愛と友情の崩壊が起こるだけである。まあ、そういうものを描くのが文学なのである。つまり「人生の真実」がそこにあるわけだ。
ただ、そういうのとは切り離して、「第三の男」はすべてのシーンが意味を持っていて、たとえば些細な会話が思わぬ結果を招き、時には無関係な人間の死を招くというサスペンス性がある。つまり、平凡な人間の生活も運命的悲劇が隣り合わせであるわけだ。
まあ、「かもめ」の中で、ニーナが若い作家志望の男に「あなたの作品は、主人公がしゃべりつづけるだけ。事件を描きなさいよ」と忠告する場面があり、これは文学志望者の陥りやすい欠陥の代表的なものかもしれない。私の作品も、そういうものがおおい。論じるのは楽なのである。
「事件」が物語には必要だが、それには複数の人物と事件の焦点(誰かが欲しがる物や物事)が必要で、それを考えるのは、哲学的思考で頭が一杯の若者が苦手とするところだろう。
で、場合によっては、まず死体を出してから話を考えるという忙しい流行推理作家もいそうな気がするwww
ただ、そういうのとは切り離して、「第三の男」はすべてのシーンが意味を持っていて、たとえば些細な会話が思わぬ結果を招き、時には無関係な人間の死を招くというサスペンス性がある。つまり、平凡な人間の生活も運命的悲劇が隣り合わせであるわけだ。
まあ、「かもめ」の中で、ニーナが若い作家志望の男に「あなたの作品は、主人公がしゃべりつづけるだけ。事件を描きなさいよ」と忠告する場面があり、これは文学志望者の陥りやすい欠陥の代表的なものかもしれない。私の作品も、そういうものがおおい。論じるのは楽なのである。
「事件」が物語には必要だが、それには複数の人物と事件の焦点(誰かが欲しがる物や物事)が必要で、それを考えるのは、哲学的思考で頭が一杯の若者が苦手とするところだろう。
で、場合によっては、まず死体を出してから話を考えるという忙しい流行推理作家もいそうな気がするwww
私が小学五年生から剣道を習い始めたことは前に書いたが、私とほとんど同時に祖父の道場に入門した女の子がいた。祖父の数少ない門弟の飯島直哉という人の娘で、私と同じ小学五年生の飯島尚(なお)という子である。背の高さが私とまったく同じで、運動神経のいい子らしく、私と手合わせしたら、ほとんど彼女に私は負けていた。特に小手を打つのが上手く、上段からでも中段からでも下段からでも簡単に相手の小手を打つ才能があった。ただ、接近戦が嫌いなようで、私が体当たりすると「卑怯だ!」と怒ったものである。と言われても、遠距離戦だと私は簡単に小手を打たれるのだから、接近戦に持ち込んでゴチャゴチャした試合にするしか尚に勝つ方法が無かったのである。私たちの試合は祖父ではなく母の明里が指導したが、母も私の「体当たり戦法」を下品だ、と叱ったりした。しかし、祖父はニヤニヤしているだけで、それには文句を言わなかったのである。
「剣道の試合なら上品も下品もあるだろうが、実際の剣なら、どんな形でも相手の体に剣が触れれば大怪我になる。体当たりも、それが自分に有利なら使って悪いことはない」
というわけである。
それでというわけではないが、私は立木に座布団を縄で巻いて、体当たりの練習などもした。幸い骨がまだ柔らかいので骨折などしたことは無かったが、今思えば、乱暴な練習をしたものである。この体当たりの練習が、後に私が別のスポーツをやった時に案外役に立った気もするが、それは別の話だ。
しかし、剣道よりも、私の興味を惹いたのは、少年野球だった。
そのきっかけは尚だった。彼女がクラスの男子に誘われて少年野球のチームに入るついでに、私を誘ったのである。もしかしたら道具運びなどに利用するつもりだったかもしれないが、私も少年漫画などを見て野球というスポーツに興味を持ち初めていたので、その誘いに乗ったわけだ。
「剣道の試合なら上品も下品もあるだろうが、実際の剣なら、どんな形でも相手の体に剣が触れれば大怪我になる。体当たりも、それが自分に有利なら使って悪いことはない」
というわけである。
それでというわけではないが、私は立木に座布団を縄で巻いて、体当たりの練習などもした。幸い骨がまだ柔らかいので骨折などしたことは無かったが、今思えば、乱暴な練習をしたものである。この体当たりの練習が、後に私が別のスポーツをやった時に案外役に立った気もするが、それは別の話だ。
しかし、剣道よりも、私の興味を惹いたのは、少年野球だった。
そのきっかけは尚だった。彼女がクラスの男子に誘われて少年野球のチームに入るついでに、私を誘ったのである。もしかしたら道具運びなどに利用するつもりだったかもしれないが、私も少年漫画などを見て野球というスポーツに興味を持ち初めていたので、その誘いに乗ったわけだ。
私が初めて竹刀を手にしたのは小学5年の時だった。竹刀の握り方もその時に教えられた。考えていた握り方と違って、親指や人差し指は軽く握る(というより浮かす)感じで、小指と薬指で強く握れ、と教えられたのだが、これはほかの流派も同じなのかどうか、私には分からない。その時に、親指と人差し指で強く握ると、腕の上側の筋肉がこわばり、竹刀の動きの柔らかさが無くなると祖父は教えたが、その感じは最初のうちはよく分からなかった。だが、確かに、親指と人差し指で強く握ると、突きをする時に、突きの届く距離が1寸くらい短くなる気がした。つまり、自分の突きを自分で止めてしまう感じだ。
そして、それ以外に祖父が教えたことは、「構えなど気にするな」「飛んだり跳ねたりするな」という2点であった。これは、それまでに見たことのある忍者アニメや忍者漫画と正反対の教えで、侍同士の戦いは、最初に恰好よく構えて、相手が攻撃してきたら派手に飛んだり跳ねたりして攻撃を避けるのがほとんどだったからだ。「足元が定まっていないと、打ちこみがいい加減になる」「飛んだり跳ねたりしている間、空中にあるお前の動きは次の体の位置が決まっているということだ。つまり、相手がそこを狙えば、簡単に打たれることになる。普通に歩くように動き、相手の動きを予測して、そこを打てばいいのだ」
確かに、祖父が道場破りを相手にした時を思い出すと、祖父はほとんど構えらしい構えをせず、相手にスタスタと近づいて、ポンと打って終わり、ということが多かった。相手がなぜそんなに簡単に打たれるのか、見ている私には不思議でならなかったものだ。
名人というものは、相手の視線の動き、足の位置、体の構えなどから、相手が次にどういう行動に出るか、「読める」ものらしい。幕末の寺田何とかいう名人の試合がそれだったらしい。
まあ、そうは言っても、祖父は幼い私を剣道の道に進ませる気はほとんんど無かったようで、最初の教え以外は、「自分で工夫しろ」と言うだけだった。それに、剣道よりも、学校でやる運動競技の練習をしたほうが当座の役に立つと思っていたのだろう。つまり、私自身の生活の質という奴をちゃんと配慮していたわけだ。
低学年の間私が学校での運動が苦手で劣等感を持っていたことは前に書いたが、3年になった時から祖父は私の運動能力向上の手助けをしたわけである。その効果は半年くらい経ってからメキメキ現れてきた。まず、4年になると走力がクラスでも上位になった。もちろん、私より速い子は何人かいたが、クラスのベスト5くらいまでは上がってきたのである。何も走る訓練をしていない子供が普通なのだから、これは当然の結果だろう。クラスの上位の子は、家庭の方針で何かのスポーツをやっている子供ばかりだった。ある意味では、こういう「不平等な競争」というのが学校体育や学校教育の本質かもしれない。
そして、それ以外に祖父が教えたことは、「構えなど気にするな」「飛んだり跳ねたりするな」という2点であった。これは、それまでに見たことのある忍者アニメや忍者漫画と正反対の教えで、侍同士の戦いは、最初に恰好よく構えて、相手が攻撃してきたら派手に飛んだり跳ねたりして攻撃を避けるのがほとんどだったからだ。「足元が定まっていないと、打ちこみがいい加減になる」「飛んだり跳ねたりしている間、空中にあるお前の動きは次の体の位置が決まっているということだ。つまり、相手がそこを狙えば、簡単に打たれることになる。普通に歩くように動き、相手の動きを予測して、そこを打てばいいのだ」
確かに、祖父が道場破りを相手にした時を思い出すと、祖父はほとんど構えらしい構えをせず、相手にスタスタと近づいて、ポンと打って終わり、ということが多かった。相手がなぜそんなに簡単に打たれるのか、見ている私には不思議でならなかったものだ。
名人というものは、相手の視線の動き、足の位置、体の構えなどから、相手が次にどういう行動に出るか、「読める」ものらしい。幕末の寺田何とかいう名人の試合がそれだったらしい。
まあ、そうは言っても、祖父は幼い私を剣道の道に進ませる気はほとんんど無かったようで、最初の教え以外は、「自分で工夫しろ」と言うだけだった。それに、剣道よりも、学校でやる運動競技の練習をしたほうが当座の役に立つと思っていたのだろう。つまり、私自身の生活の質という奴をちゃんと配慮していたわけだ。
低学年の間私が学校での運動が苦手で劣等感を持っていたことは前に書いたが、3年になった時から祖父は私の運動能力向上の手助けをしたわけである。その効果は半年くらい経ってからメキメキ現れてきた。まず、4年になると走力がクラスでも上位になった。もちろん、私より速い子は何人かいたが、クラスのベスト5くらいまでは上がってきたのである。何も走る訓練をしていない子供が普通なのだから、これは当然の結果だろう。クラスの上位の子は、家庭の方針で何かのスポーツをやっている子供ばかりだった。ある意味では、こういう「不平等な競争」というのが学校体育や学校教育の本質かもしれない。
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