キャラ作りだが、私は現実の人間にほとんど興味が無く、つきあいも無いので、好きな作品の好きなキャラをモデルにしたい。
主に「ヒナまつり」の脇役たちで、「性格の悪い」女子連中と「馬鹿な」男たちである。高専だと優秀な生徒の集まりなので「世間知が無い」「人間関係慣れしていない」意味の「馬鹿」である。ただし、中には本物の馬鹿もいる。
視点を主人公視点にするか、傍観者視点(ワトソン的人物が語る)にするか、神の視点にするかという問題もある。
話を、高専の生徒たちが、「世界の歴史を変える」大発明をする話にするとか、何か大きなドラマが欲しい。最初はただの馬鹿な男の子や女の子の話から、最後は壮大な結末にする。
(追記)専科と本科の違いだが、専科は「院」的なものと見ていいようだ。下の「五年生」「二年生」は「五年制」「二年制」の間違いだろう。
高専OBです。
1:三嶋瞳
2:相沢さよ
3:倉敷(委員長)
4:中田ケンゴ(ただの馬鹿。悪意は無い)
5:新庄マミ(性格のみ)
6:中村貴志(馬鹿だが妄想癖あり、特殊性癖あり)
7:斑鳩景
8:アンズ(性格のみ)
9:マオ(性格のみ)
10:前田仁志(無自覚イケメンアイドル:性格良し)
11:ミカ(暴力派部活顧問)
12:詩子
13:横山霞(やる気無し教師だが、頭はいい)
14:日代千鶴(「リライフ」から特別出演)
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主に「ヒナまつり」の脇役たちで、「性格の悪い」女子連中と「馬鹿な」男たちである。高専だと優秀な生徒の集まりなので「世間知が無い」「人間関係慣れしていない」意味の「馬鹿」である。ただし、中には本物の馬鹿もいる。
視点を主人公視点にするか、傍観者視点(ワトソン的人物が語る)にするか、神の視点にするかという問題もある。
話を、高専の生徒たちが、「世界の歴史を変える」大発明をする話にするとか、何か大きなドラマが欲しい。最初はただの馬鹿な男の子や女の子の話から、最後は壮大な結末にする。
(追記)専科と本科の違いだが、専科は「院」的なものと見ていいようだ。下の「五年生」「二年生」は「五年制」「二年制」の間違いだろう。
高専OBです。
>高専本科・高専専攻科というのがあるようですが、高専本科は五年生、高専専攻科は二年生ということでいいのでしょうか。
おっしゃる通りです。 ちなみに、組織上は異なる学校として見なされるので 何かと手続きが面倒です。 補足についてですが 学士の称号が自動的に得られるのは四年制大学だけですから 学位試験を受けなければ、学士にはなれません。 ただ、多くの高専が 学位取得を修了条件としているでしょうから 実際は専攻科修了時に学士となる と言っても過言ではないでしょう。
1:三嶋瞳
2:相沢さよ
3:倉敷(委員長)
4:中田ケンゴ(ただの馬鹿。悪意は無い)
5:新庄マミ(性格のみ)
6:中村貴志(馬鹿だが妄想癖あり、特殊性癖あり)
7:斑鳩景
8:アンズ(性格のみ)
9:マオ(性格のみ)
10:前田仁志(無自覚イケメンアイドル:性格良し)
11:ミカ(暴力派部活顧問)
12:詩子
13:横山霞(やる気無し教師だが、頭はいい)
14:日代千鶴(「リライフ」から特別出演)
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夢で見たというか、自分のこととして体験したのだが、24歳くらいになって高校生(あるいは高専か)をやりなおすという「リライフ」現実版を小説化してみようかと思う。ずっと大学受験に失敗した後(あるいは気に染まない大学の学部に入って失敗した後)、高専に入り直し、自分よりずっと年下の同級生や自分と同年の先生と高校生活を送るという話で、第一話は、入学式当日に、乗っていたバイクが故障し、後で同級生になる男の子(工学部)に助けられる話である。
「高専」について調べること。年齢的に何歳まで入学が可能か。どういう学部があるか。
タイトルは仮に「高校四年生」としておく。彼の四年次と五年次を描く。当然、年下の16,17,18の生徒と、少し年上の生徒との絡みがある。勉強の話も結構ある予定。ただ、私自身に高専の授業内容が分からないのがネックである。
受験資格は、中卒(同等含む)であることのみで、年齢制限もありません。ただ、実際に入学を許可されるかどうかは学校長の裁量です。「大卒の方はご遠慮ください。」と言われるかもしれません。あなたが志望する高専に問い合わせてみることをお勧めします。
「高専」について調べること。年齢的に何歳まで入学が可能か。どういう学部があるか。
タイトルは仮に「高校四年生」としておく。彼の四年次と五年次を描く。当然、年下の16,17,18の生徒と、少し年上の生徒との絡みがある。勉強の話も結構ある予定。ただ、私自身に高専の授業内容が分からないのがネックである。
受験資格は、中卒(同等含む)であることのみで、年齢制限もありません。ただ、実際に入学を許可されるかどうかは学校長の裁量です。「大卒の方はご遠慮ください。」と言われるかもしれません。あなたが志望する高専に問い合わせてみることをお勧めします。
- 在校生 / 2019年入学
自由な校風で自分なりに過ごしたい人へ
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2020年02月投稿
- 5.0
[校則 5| いじめの少なさ 5| 部活 5| 進学 5| 施設 4| 制服 5| イベント 4]
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総合評価とにかく設備が良い。細かいところを見ていくと不満も少しあるが(梅雨の体育館アリーナと寮の部屋の湿度が異常だったり)他高専とかと比べると圧倒的に大学みたいできれいだし、通っていて楽しいと思う。
先輩はとにかくフレンドリーで親しみやすい。
高専にも陽と陰の人がいる。高専だからオタクしかいない、というわけでもない。ただ、オタクの比が高く、陽な感じの人もどっぷり浸かってたりする。オタクだから、っていう差別は絶対にないと思う。
でも陽と陰が生まれるのは単にコミュニケーション能力によるものだと思う。 -
校則県内の高校に比べると一番ゆるいと思われる。髪は染めて良いし(自分も入学2ヶ月くらいで染めた)スマホを休み時間とかにさわって良い。流石に授業中使うのはダメだが。それでも何とかなっているのは高専が学生の(高専は大学と同じ高等教育機関なので生徒ではなく学生と呼ぶ)自主性を尊重しているからだろう。
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いじめの少なさ結構厳しい。少しのいじめが発覚するだけでその人は即刻停学処分を食らったりする。
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部活ICT委員会とかは毎年全国大会に行って必ず何か賞を取ってくるし、運動系のテニスとかもそれなりにいい成績だったはず
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進学実績就職率は結構高い。専門知識を持っている上に、高専枠というのが用意されている企業では普通の大卒の新卒採用とかぶらないのでその影響もあるかもしれない
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施設・設備見た目はめっちゃきれい。ただ開校16年ほど経つのでそろそろ経年劣化が気になるな、といった感じ。
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制服沖縄高専に制服はない。他の高専では1~3年は制服で4、5年は自由みたいなことがあるが沖縄高専では全学年自由だ。
ただ、機械(科)には実習用の作業服があるし、生物(科)にも実験用の白衣がある。 -
イベント高専祭はそれなりにおもしろいと思う。土曜と日曜の二日間にかけて結構大がかりに行う。高専祭には県内企業等のスポンサーがついているのでそういうのが出来るのかもしれない
入試に関する情報
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高校への志望動機寮があるから(親元を離れられる)
専門的な知識を学びつつ偏差値が高いから
生物資源工学科(4年生)
文学概論I | 4018 | インターンシップ | 4401 |
科学技術文章 | 4002 | 応用数学 | 4402 |
英語 | 4003 | 遺伝子工学 | 4403 |
実用英語(TOEIC) | 4004 | 遺伝子工学実験 | 4404 |
科学技術英語 | 4005 | 生物工学 | 4405 |
地域文化論 | 4019 | 生物工学実験 | 4406 |
確率・統計 | 4007 | 環境分析学 | 4407 |
地球科学 | 4008 | 生物資源利用学I | 4408 |
英語演習 | 4014 | 生理学 | 4409 |
数学演習 | 4015 | 生理学実験 | 4410 |
生命科学 | 4016 | 環境保全学 | 4411 |
スポーツ実技II | 4017 | 植物生理学 | 4414 |
創造研究 |
筒井康隆の好みの言葉で、韜晦的に用いている感じがある。
要は、既知事項による別事項の推定であるようだ。
内挿は、既知事項を含む集合内での推定、
外挿は既知事項の外の集合での推定、
と言えるのではないか。挿は単に「差し込む」意味だろう。既知事項をどこに差し込むかという話だ。
(以下引用)
要は、既知事項による別事項の推定であるようだ。
内挿は、既知事項を含む集合内での推定、
外挿は既知事項の外の集合での推定、
と言えるのではないか。挿は単に「差し込む」意味だろう。既知事項をどこに差し込むかという話だ。
(以下引用)
内挿(Interpolation)と外挿(Extrapolation)という言葉は、最近ではDeep Learning関連で目にする事が多い気がしますが、内挿・外挿とは、データを近似し、データ以外の場所を推定する際に、データの範囲内を推定することを内挿といい、データの範囲外を推定することを外挿といいます。
しかしながら、一般的に外挿で推定した値は必ずしも正しいとは限らないため、しない方が良いといわれます。以下に推定した値が正しくならない例を示します。
小説、あるいは脚本の本質を「事件」と見做して、事件とはどういうものか、数学的に考察してみたい。
おそらく、事件とは「人物×欲望×行動」という積で表現されるものかと思う。で、その人物や欲望や行動が複数になって、事件が複雑化するわけである。物語とは「a× b× c+ d× e×f+ g× h× i」のような積と和の総合だろう。ただし、その中の欲望因子であるものが「b=e=h」であったりするわけである。つまり、3人が同じ女に恋着したり、同じ宝物を狙ったりすることもある。そして、ひとつの場面での個々の行動と、次の場面での個々の行動は変化するから、この積と和の連続は無限に展開する。変わらぬもの、あるいは基本的に変わらぬ物は、人物の個性(キャラクター)である。長編小説では人物のキャラが変わったりもするだろうが、映画やテレビドラマで人物のキャラが変わるのは反則行為だろう。ただ、善人と思われていたキャラが実は悪人だったというのはキャラの変更ではない。単に「偽善者」というキャラだったのである。
ただし、注意したいのは、寺田寅彦が言っているように、実は映画では「筋」というのはさほど大事ではない。大事なのはシーンであり、シーンとシーンの連続から来る興味である。だから、名作と言われる名画は名シーンが必ずある。キューブリックの映画などは最初から最後までが名シーンである。二流の作品は、シーンとシーンの間に「たるみ」がある。
おそらく、事件とは「人物×欲望×行動」という積で表現されるものかと思う。で、その人物や欲望や行動が複数になって、事件が複雑化するわけである。物語とは「a× b× c+ d× e×f+ g× h× i」のような積と和の総合だろう。ただし、その中の欲望因子であるものが「b=e=h」であったりするわけである。つまり、3人が同じ女に恋着したり、同じ宝物を狙ったりすることもある。そして、ひとつの場面での個々の行動と、次の場面での個々の行動は変化するから、この積と和の連続は無限に展開する。変わらぬもの、あるいは基本的に変わらぬ物は、人物の個性(キャラクター)である。長編小説では人物のキャラが変わったりもするだろうが、映画やテレビドラマで人物のキャラが変わるのは反則行為だろう。ただ、善人と思われていたキャラが実は悪人だったというのはキャラの変更ではない。単に「偽善者」というキャラだったのである。
ただし、注意したいのは、寺田寅彦が言っているように、実は映画では「筋」というのはさほど大事ではない。大事なのはシーンであり、シーンとシーンの連続から来る興味である。だから、名作と言われる名画は名シーンが必ずある。キューブリックの映画などは最初から最後までが名シーンである。二流の作品は、シーンとシーンの間に「たるみ」がある。
ネットテレビで「第三の男」と「かもめ」を見て、どちらも途中までの状態で中断して今この考察をしているのだが、前者は映画的に完璧な名作で、後者はただの「芝居の映画化」であるという違いがあるようだ。で、映画的であるとは何かというと、「無駄なシーンが無い」ということだ。後者も悪い作品ではないが、「名シーン」はひとつも無い。単に19世紀ロシアらしい身なりをした俳優たちが俗物的欲望の結果悲劇に陥る話を演じるだけで、観客は誰に感情移入すればいいのか分からない。これは原作の芝居そのものも同じだっただろうが、まあ、観客ごとに思い入れする役があったのだろう。これは別に「第三の男」に人格高潔な人物が出るという話ではない。描かれるのは、ハリー・ライムという稀有な悪役の存在によって恋愛と友情の崩壊が起こるだけである。まあ、そういうものを描くのが文学なのである。つまり「人生の真実」がそこにあるわけだ。
ただ、そういうのとは切り離して、「第三の男」はすべてのシーンが意味を持っていて、たとえば些細な会話が思わぬ結果を招き、時には無関係な人間の死を招くというサスペンス性がある。つまり、平凡な人間の生活も運命的悲劇が隣り合わせであるわけだ。
まあ、「かもめ」の中で、ニーナが若い作家志望の男に「あなたの作品は、主人公がしゃべりつづけるだけ。事件を描きなさいよ」と忠告する場面があり、これは文学志望者の陥りやすい欠陥の代表的なものかもしれない。私の作品も、そういうものがおおい。論じるのは楽なのである。
「事件」が物語には必要だが、それには複数の人物と事件の焦点(誰かが欲しがる物や物事)が必要で、それを考えるのは、哲学的思考で頭が一杯の若者が苦手とするところだろう。
で、場合によっては、まず死体を出してから話を考えるという忙しい流行推理作家もいそうな気がするwww
ただ、そういうのとは切り離して、「第三の男」はすべてのシーンが意味を持っていて、たとえば些細な会話が思わぬ結果を招き、時には無関係な人間の死を招くというサスペンス性がある。つまり、平凡な人間の生活も運命的悲劇が隣り合わせであるわけだ。
まあ、「かもめ」の中で、ニーナが若い作家志望の男に「あなたの作品は、主人公がしゃべりつづけるだけ。事件を描きなさいよ」と忠告する場面があり、これは文学志望者の陥りやすい欠陥の代表的なものかもしれない。私の作品も、そういうものがおおい。論じるのは楽なのである。
「事件」が物語には必要だが、それには複数の人物と事件の焦点(誰かが欲しがる物や物事)が必要で、それを考えるのは、哲学的思考で頭が一杯の若者が苦手とするところだろう。
で、場合によっては、まず死体を出してから話を考えるという忙しい流行推理作家もいそうな気がするwww
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冬山想南
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