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元手がいらない商売というと、「クズ拾い」というものなどをすぐ想像するのは私が古い人間のせいだろうか。
実際、ゴミ捨て場に行けば、まだ使用可能な品物がごろごろ転がっているのではないか。それを見て、もったいない、と思うような人間は今の消費社会では化石の類いかもしれない。
だが、元手無しで商売をするとすれば、「捨てられているもの」を利用するか、「知恵や知識を売る」くらいだろう。もちろん、「技術を売る」というのもあるが、そこに「苦労や努力なしで」という要素を入れるとなると、「技術を売る」はダメで、「知識を売る」もダメかもしれない。
やはり「クズ拾い」が一番目の候補になる。現代では「いらないものを捨てる」のにも苦労するから、「回収業者」は案外社会に役立ってもいるのである。
だが、回収業者のような「すでにある商売」「競争のある商売」は今は考えない。

「フリーマーケット」というのがあって、「自由(free)市場」ではなく「ノミ(flea)の市」のことだが、要らない品を集めて(持ち寄って)売るという市場だ。
ロンドンでは、これを「店舗」でやっている商売がある。まあ、慈善目的だろうから「商売」ではないかもしれないが、広場や空き地や駐車場ではなく、固定店舗でやる、というところがまだ日本では珍しいのではないか。仕入れ費用はタダだから、店舗家賃と店員の日当が出るだけの売り上げがあればいいわけである。その店員もボランティアという手もあるが、それは売上を慈善に使うという前提の話になるだろう。ここは、そういう「商売」もある、と紹介だけしておく。

さて、「捨てられているもの」から「要らないもの」へと話が変化した。こういうように視点を変えていく(ずらしてみる)のが考察する場合有益だ、というのに今気がついた。。
「捨てられているもの」とだけ考えていては見えないものが、「要らないもの」と言葉を変えることで見えてくるわけだ。
次は、どういうものが「要らない」とされ、「捨てられる」か、あるいはどういう人が捨てるのか、どういう場所で「実際は有益なもの」が「不要」とされて捨てられているか、などと考えを「ずらして」見ていけばいいだろう。
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「刑事コロンボ」の、邦題「偶像のレクイエム」(原題は「スターへのレクイエム」か)には、何とイーディス・ヘッドの本人が出てくる。これはアン・バクスターとかメル・ファーラーが出るよりも珍しい。ハリウッドの伝説的存在と言っていいだろう。
概して「コロンボ」は、古きよきハリウッド映画へのオマージュが随所にあり、昔、名作映画に出た俳優がゲスト出演することが多い。そのほかにも、欧米文化への知識があるほど細部が面白く思えるから、子供が見るよりも、大人が見て面白い。たとえば、「ロンドンの傘」という回には「道」で映画史に名を残した名脇役リチャード・ベイスハートが「脇役から主演役者になりたくてたまらない役者」を演じるという皮肉も面白いが、ロンドン風景や、劇伴に「ルール・ブリタニア」の変奏と思われる曲が出てくるのも面白い。「マクベス」の名せりふが出てきたり、被害者の読みかけの本が「不思議の国のアリス」の初版本だったりするのも、ストーリーには関係なくても面白い。執事役をやっていた俳優は、おそらく、「時計仕掛けのオレンジ」で大臣をやっていた俳優ではないか。そういう脇役で「顔見知り」を見つけるのも楽しい。
ただし、推理劇としてのプロットは、最初の数回以降はあまりたいしたことはないようにも思うが、まあ、これは現段階での感想だ。

「プロット」で思い出したが、ヒッチコックの「ファミリー・プロット」は、推理劇あるいはサスペンス劇としてのプロットは実に優れている。俳優が三流俳優しか使っていないので高く評価されていないのは気の毒である。「フレンジー」も同様。両作品とも主役が小悪党たちなので、観客が感情移入しにくい、ということも不人気の原因だろう。ただ、もともとヒッチコックは小悪党を描くのが好きなのではないか。ジェームス・スチュアートやケーリー・グラントを使った場合でも必ずしも善人役ばかりでもない。
前回書いたことにつながるが、塾や予備校の「見えない機能」が「男女の出会いの場」である、という視点を広げたら、ほかにもそういうものがたくさんありそうだ。
たとえば、「カルチャースクール」は中高年男女の出会いの場かもしれない。
「海外ツァー」もそうである。
「テニススクール」や「スキースクール」や「ゴルフスクール」は金持ちの奥さんの浮気のための出会いの場。それらのインストラクターは、スポーツのできるホストやジゴロ、というわけだ。
「PTA」すら、ハンサムな教師や美人教師と出会える場であったりする。
「ロックコンサート会場」は同じ嗜好を持つ異性との出会いの場でもある。
場所そのものが出会いの場でもあったりする。夏の浜辺など。

ということは、そういう仕事や職場を少し変えるだけで、「出会いの場」機能を強化し、その企業(は大げさだが)が発展する可能性もあるのではないか。
しかし、そうした「見えない機能」は見えないからこそ有意義だということもある。最初からテニススクールが「浮気便宜所」だと銘打ったなら、旦那が女房を行かせるわけがない。
「養老院」も、それを学校兼寄宿舎だと考えたら、中高生に戻ったような甘酸っぱい気分になるのではないだろうか。実際養老院での色恋沙汰は珍しくないという。アホである。人間は幾つになっても成長などしない。シモの世話の必要な老人の色恋沙汰とは、なかなか不気味だ。だが、それほど性欲は人間を支配する、ということだろう。
で、この発想を養老院経営に生かすなら、老人に「お遊戯」などさせず、「社交ダンス」でもさせるのがいい、という考えになるだろう。性欲の回復は生命の回復につながり、異性にいいところを見せようという意欲が、その生活態度全般を向上させる。
まあ、私自身は養老院経営などする気はないから、これはただのアドバイスだ。
しかし、こういう「出会いの場」機能を考慮すること、「職場にピンク色を増す」ことは大事なポイントだと思う。具体策は、勝手にめいめいが考えればいい。ただし、これは職場の壁にヌードカレンダーを貼る、といったセクハラ親父的行為を推奨しているのではないのはもちろんだ。
いやまあ、のんびりと浮遊思考を書いているだけのシリーズだから、カテゴリーも「生きるヒント」のはずが「雑記」になっていたりする。変えるのも面倒だから、今はそのままで書き進める。

さて、ほかに「これから有望かもしれない商売」は何か無いだろうか。
いわゆる「士業」(国家資格を要する仕事)は考慮のほかである。若者向けの仕事も対象外。無能無芸虚弱な老人でもできるような仕事を探求しているわけだ。
前に書いた「占い師」などというものは、それに当てはまる。「詐欺師」は、頭が良く、度胸が無いと無理である。占い師は詐欺師とは別だ。詐欺師には需要は無いが、占い師にはちゃんと需要もあるのである。
家作のある人なら貸家貸し間業がいいと思うが、それにもさまざまな新しい業態が考えられるだろう。前に書いた、「レンタル勉強室」と名乗りながら、実質的には「中高生向けラブホテル」というのもその一つだ。実際、これは巨大な潜在的需要があるに決まっているのだから、今後は流行るのではないか。予備校や塾の機能の一つも、「異性との出会いの場」である、というような、常識に囚われない視点を持つことが、新商売の発見につながるだろう。
要するに、「欲望はどこの誰にあるのか、その欲望は何か」ということだ。食欲と性欲こそが生きる欲望の大きな柱であることは言うまでもない。虚栄心なども大きな欲望だからこそ服飾業界や化粧品業界の需要もあるのだ。
実際のところ、私は欲望の欠如した人間だから、他人の欲望なども下劣だとついつい思ってしまうのだが、苦手でもここを追及しないと商売の手がかりは得られないだろう。
私は男(それも精神年齢の低い男)だから、はっきり言って、ファッションや化粧など「アホか」と思うわけだ。大の大人がセックスしたさにどたばたするのも「アホか」と思う。しかし、それらが巨大産業の基盤であることは重々承知している。男も女も異性とのセックスよりオナニーがマシと思うようになれば、世間の産業と文化の3分の2は消滅し、ついでに戦争もなくなるだろう。異性獲得という目的が無くなれば、他人を蹴落とす闘争の意味もなくなるのだから。

まあ、こんな「子供哲学」はどうでもいい。今は金儲けの考察をしているのだ。それも、「できるだけ苦労や努力は無しで、誰でもできる」商売は無いか、という考察だ。これは難問だが、答えの無い問題だとは思わない。

たとえば、農業は苦労に満ちた仕事だという先入観があるが、はたしてそうか。大地に種をまいて放っておいたら芽が出て葉が出て花が咲き実が生った、というのがもともとの農業の姿だったのではないか。それを除草したり肥料をまいたり農薬を撒いたりして勝手に自分で自分の苦労を増やしているのではないか。そういう視点でいろいろな仕事を再考察してみるのもいいのではないだろうか。



全519P中409P段階での推理

犯人は百瀬夫妻、あるいはその一方。
動機は、かつての経営危機の際に大井(父)を保険金目当てで殺し、
その事実を知っているリー医師を日置が殺したことをワンフーに知られたこと。
過去の事件を問い詰めたワンフーを殺し、それを目撃した津久井を殺し、
事件を調べていたアラン・グラッドストーンを殺した。

動機面のみから推定できる、無理の無い犯罪解明はこれくらいではないか。

トリックは不明。密室事件のみが重要トリックだが、これを密室事件にする明快な理由は分からない。まあ、自殺を偽装させて、事件の全体像をぼやかす意図くらいか。

密室トリックは、この場合、阿呆みたいだが、手持ち掃除機で屋外から内部の片側だけ貼ったテープを吸引して貼り付けるとか。

もっと不自然な筋としては、大井が犯人であるという解答。
大井は、それ(「百瀬夫妻」の過去の犯罪の意。舌足らずな表現をした。)を承知の上で百瀬社長の秘書を務め、次期経営者と目されていたため、かつての殺人事件(自分の父の殺害)を暴こうとするワンフーを迷惑に思い、殺害。他の殺人は以下同様。

事件に関係の無い、ファイロ・ヴァンス的衒学が多く、無駄な描写も多い。文章もときどきおかしい。まあ、暇つぶしの読み物としてはいい。だが、全体の分量を半分くらいにしたらもっといい。








(追記)今、読み終わった。ほぼ推測どおり。ある意味、第二の解答も半分当たり。しかし、こうした「二重のひねり」は不要だったのではないか。教唆犯をテーマとするなら、もっと凄みのある小説を書いてほしい。「カラマーゾフの兄弟」も「Yの悲劇」も教唆犯テーマなのである。このエピローグ(最終結末)は、まったく無駄な付け足しという感じがする。密室トリックそのものは馬鹿げている。可能かもしれないが、意味がほとんどない。真夜中の殺人なら時間的余裕もあるし、死体を山に運んで捨てておけば野獣が死体を食って「処理」してくれただろう。死体が無ければ過去の犯罪への追及も生じない。いや、殺人が表ざたになったとしても、正当防衛とされる可能性が高いだろう。何しろ、社会的地位が違う。過去の犯罪の「証拠」もないし、過去の犯罪を告発した遺書は、全部盗む機会があったのだから、そうしておけば第二第三の殺人も不要になる。まあ、推理小説にありがちの「謎のための謎」である。だから推理小説は幼稚だと言われるのである。もっとも、松本清張などは別。ただ、彼も時代小説のほうがいい。
日本の推理作家は、「刑事コロンボ」や「名探偵モンク」などの緻密なプロットを見習ってほしいものだ。


なお、「作品解説」は最悪。ネタばらしをすると最初に断っているが、ネタばらしの必要性など無いはずである。そのネタばらしがまた露骨すぎて、最初に解説から読む習性のある読者(こういう人はけっこういるらしい)は、これを読むともう買う気も読む気もなくなるだろう。
作者も芸が無いが、解説書きも芸が無い。





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