でも内科の仕事をそこそこ長いけれど、研修医の頃から今に至るまで、「溺れる人に藁は本当によく売れる」というのは変わらない。インターネットができて、EBMの考えかたが普及して、新しい治療薬もできたし抗生剤の正しい使いかたなんかもほぼ常識になって、でも藁はやっぱりよく売れる。
そのままで使うほうがいいものと換骨奪胎したほうがいいものとがあるが、区別なく挙げておく。
1 武田泰淳「十三妹」あるいはその元ネタの「児女英雄伝」「三侠五義」
2 舞台を明治日本にした黒岩涙香「鉄仮面」
3 舞台を中世英国にした「忠臣蔵」
4 舞台を宇宙の架空の星にした「弓張月」
5 舞台を江戸中期の日本にした「トム・ジョウンズ」
6 舞台を維新期の日本にした「レ・ミゼラブル」
7 舞台を明治期の日本にした「カラマーゾフの兄弟」
8 江戸中期日本を舞台にした「シャーロック・ホームズ」ただし、御家人若殿が主人公。
9 日本書紀のヤマトタケルノミコト関連個所
10 「雨月物語」「春雨物語」「平家物語」「源氏物語」「枕草子」をアニメで。(最後の二つはミックスして、現実の宮廷生活の紫式部清少納言の生活と、「源氏物語」を並行して描くというのもいい。名は「ウィステリアパレス」)
しかし、藤原分家の苗字の由来は面白い。
加賀に住む藤原は加藤、近江の藤原は近藤、伊賀の藤原は伊藤
それなら、遠藤は遠江(とおとおみ)の藤原だろうが、斉藤は何だろう。
姓と苗字の違い
- 概要 -
姓(せい)、苗字(みょうじ)は、現在ではともにその家を表す名前であるが、本来は異なるものであった。- 詳しい解説 -
姓(せい)、苗字(みょうじ)は、現在ではともにその家を表す名前であるが、本来は異なるものであった。もともと姓は「かばね」と呼ばれ、古代日本で天皇から氏族に与えられた称号である。その氏族の出自や職業によって異なり、世襲された。氏(うじ)という同じ祖先を持つ集団をランクづけし、秩序づけるために姓を用いた大和政権の体制を氏姓制度という。
姓には朝臣(あそみ)、宿禰(すくね)などがある。
平安時代以降は「源」「平」「藤原」「菅原」などの特定の姓を持つ氏族のみが朝廷の役職に就くようになり、姓本来の意味が薄れていった。
一方、苗字(みょうじ)は名字とも書き、同じ氏族から出た家々が、その住所や個人の所有地である名田(みょうでん)の名前などによってそれぞれに名乗った。
また藤原姓などは非常に多くなり区別ができなくなったので、加賀に住む藤原は加藤、近江の藤原は近藤、伊賀の藤原は伊藤、という新しい名前も使われるようになった。
確かに、偉大な業績を残した芸術家はたいてい多作家でもあったわけだ。だが、多作家がみな偉大な作品を残したわけではない。膨大なクズを製造した流行作家は枚挙に暇が無い。しかし、それでも流行作家ではあった。つまり、「成功した作家」だ。寡作な天才より、多作な凡才のほうが出版社としても役に立つ。そもそも、天才の作品を理解できるには読者にもそれだけの資質が必要で、そんな読者は少数派に決まっている。
まあ、下の記事は「成功のメソッド」として有益だろう。
(以下引用)
「同率勝算の規則」に学ぶ。多作が才能に勝つ理由
Crew blog:仕事や人生や芸術で確実に成功する方法は存在するのでしょうか。過去から学ぶべきだと言う人もいれば、未来に目を向けていくに尽きると言う人もいます。しかしそのどちらも意味がないという説もあります。
実際には、何をするにしても確実に成功する方法など絶対にありません。遡ること1977年、ハーバード仕込みの心理学者、Keith Simonton氏が新規に発表される科学論文の潜在的影響力に関する一説を展開させました。
どんなに卓抜した科学者も、発表された論文の平均値で比較すると、その影響力がほかの科学者を上回る可能性は統計的にはゼロである。
言い換えれば、どんな新しい作品も、その影響力や成功を予測する方法はないということです。
がっかりですね。
誰でも成功の確率は同じなら、一生懸命頑張る必要などあるのでしょうか。
しかし、Simonton氏の説には興味深い副産物があり、それは私たちの中にあるクリエイティブな潜在力の扉を開く鍵になるかもしれません。
勝算が同じなら、何であれ確実に成功する唯一の方法はとにかくたくさんやることです。芸術に関して言うなら、とにかくたくさん創作することです。それしかありません。
クリエイティブなアイデアを思いつくにはとにかく仕事場に行くこと
「同率勝算ルール」を突き付けられて、唯一物を言うのは粘り強さと着実な仕事ぶりです。それがあればクリエイティブな見返りがたくさん得られるということになります。
どんなクリエイティブな分野を探求しても、「とにかく作品を創れ」という言葉を繰り返し耳にするはずです。
自尊心のある芸術家は、その気になれないという口実で創作の手を止めてはいけない。
とにかく仕事場に行きなさい。行きなさい。行きなさい。そうすれば暫くすると芸術の女神も現れます。
── チリの女流作家 イザベル・アジェンデ
私の好きな『バガーバンスの伝説 (The Legend of Bagger Vance)』を書いたスティーブン・プレスフィールド(Steven Pressfield)氏いわく、
毎日座って仕事をすると力がみなぎってきます。芸術の女神は私たちの献身度を帳面に付けてそれに承認の判を押しています。だから彼女の目にとまると贔屓してもらえます。座って仕事をするとき、私たちは鉄屑を引きつける棒磁石みたいになります。アイデアが湧いてきて、いくつもの洞察が融合します。
Pressfield氏は彼の『The war of art,』という本の中で、座ってじっくり仕事をするのに邪魔なことはすべて「抵抗」として分類しています。
仕事をしていて辛くなったときや仕事を放り出してパーティやテレビを優先することにして、物事を先送りしたり諦めたりプロジェクト投げ出してしまうたびに、その「抵抗」が立ちはだかります。
Pressfield氏にとって、「抵抗」とは物事の現状維持だけを目指すほとんど神話的と言えるこの力のことです。
では、「抵抗」に勝つ唯一の方法は何でしょうか? それは粘り強さということになります。
Simonton氏がクリエイティブな才能に恵まれた人たちの人生を調べてみたところ、影響力のある作品を複数生み出した人たち全員に共通する重要な性格的特徴が2つあることがわかりました。
同時にたくさんのプロジェクトを抱えてそれに没頭する。
常に仕事をしている。
現に、イノベーションに関しては、名案を思い付くにはダーウィンレベルの資質を要することにSimonton氏は気付きます。
「クリエイティブなアイデアの質は多作がポジティブに機能した結果である」とSimonton氏は書いています。
作家であり心理学者でもあるScott Barry Kaufman氏は『Scientific American』誌に次のように書いています。
クリエイターが多くのアイデアをたくさん生み出すほど(アイデア1つ1つの質は問わない)、究極の傑作を生みだす可能性が高まる。
このプロセスを実行に移す場合のわかりやすい例として、広告業界ほどぴったりなものはないでしょう。米ソーシャルニュースサイトRedditに投稿された記事によれば、広告業界の巨人Ogilvy氏は「粗製乱造(scamping)」と呼ばれる産業的レベルでアイデアを産出する広告業界のプロセスについて次のように述べています。
要は、なるべく考えないことであり、なるべく速く仕事することです。最初は話にならないアイデアしか浮かばないかもしれませんが、それでいいのです。目標は、使い物にならないアイデアを少しはましなものにし続けていくことです。そのうちに玉石混交の中から玉が見つかるはずです。そうなればこっちのもの。それを土台にして築き上げていくのです。私の場合は、思い浮かぶことすべてに当たってみるまではその作業をやめません。だいたい2時間ぐらいかかります。
その作業を終えてみると、単に消去のプロセスであることがわかります。頭に浮かんだすべてのアイデアを思い起こして、それを「良い」と「悪い」の2つに分類します。それが終わったら、「良い」方を「良い」と「より良い」にさらに分類します。最後の5つになるまでこの作業を続けてください。
名案が浮かぶには、まず質より量が必要なことが多いようです。
粘り強さと根性でとにかく仕事を仕上げてしまうこと
粘り強くヘラクレス並の努力で仕事をすることについて語るのは結構ですが、そんな精神状態に自分をもっていくにはどうしたら良いのでしょうか。成功する保証がないのなら、仕事が辛くなってきたときは(必ず辛くなります)どうやってモチベーションを保てば良いのでしょうか。同率勝算ルールの困ったところは、外的モチベーションがすっかりダメになってしまうことです。今手がけている仕事が上手くいくかまったくわからないのですから。それなら、自分の内面に意識を向けるべきです。
仕事をし続けるためには、モチベーションは自分の内側になくてはいけません。
コンサルタントから学校の先生に転身したAngela Duckworthさんはこの資質を「根性」と呼び、どんな人の未来の成功の可能性もこれがどの程度あるかどうかで予測できると言います。
27歳でAngelaさんはコンサルタントの仕事を辞めてニューヨークの公立中学校で数学を教えるようになりました。その仕事をしていると、IQが一番高い子供がテストで高得点を取ることは稀であることに気づきました。
それが彼女の心に「素早く楽に学習できる能力とは別のことが学校や人生で成功するかどうかを左右しているのだろうか?」という強い疑問を残しました。
Angelaさんは教職を離れて心理学者になるために大学院に戻り、この疑問の答えを見つけるためにさまざまなことを試みました。陸軍士官学校を訪問してドロップアウトしそうな学生を予測したり、スペリング全国大会で勝者を予測したりしました。民間企業と組んでどの営業担当者がトップセールスを達成して一番お金を稼ぐか予測したこともあります。その結果、どの状況で勝利を収めた人にも、「根性がある」という共通の資質があることがわかりました。
Angelaさんいわく、
根性とは、大変長期的な目標に対する情熱と粘り強さです。スタミナがあり、将来のビジョンをしっかり見据えて、1週間や1ヵ月でなく何年間も毎日、毎日努力することです。
彼女は「根性」のレベルを上げるには、スタンフォード大学心理学者のCarol Dweck氏が「成長のマインドセット」と呼んでいるものが必要であることにも気付きました。「成長のマインドセット」とは、学習を生涯続けるものとしてとらえること、さらに大切なこととしては、失敗は永続する状態ではないという考え方です。
Simonton氏は、アイデアを生むのはダーウィンの進化論的プロセスに似ていると言っていますが、それがイノベーションには必要であり、そうしたアイデアを実現していくためには、期待通りに行かなくても諦めないことが必要です。
作家のElizabeth Gilber氏は近著『Big Magic: Creative living beyond fear』で、彼女の出版社のポジティブでダイナミックな環境と会議の前にCEOの出す声明にすべてが取り込まれていく過程について語っています。
信じられないぐらい面白味のある失敗のし方をしている限りは、失敗してもこの組織では決して困ったことにはなりません。
面白味のある失敗のし方とは、新しい試みに対してオープンであることであり、失敗したときの反動を恐れずにコンフォートゾーンから飛び出してみることです。
The Unmistakable Creative Podcastのホストを務めるSrinivas Rao氏も「駄作になるのを怖がってはいけません。」と説いています。
自由に失敗できるということは、結果的には一夜にして成功した人間であるかのように見えてしまいます。
Twitterの共同設立者であるBiz Stone氏は次のように言っています。
成功するには運も必要です...。しかし、タイミング、粘り強さ、10年にも及ぶハードワークがあってこそ、一夜にして成功したかのように見えるのだと私は言いたいです。
失敗は成功への踏み石に過ぎない
どんなにクリエイティブな人も最高のイノベーターもすぐに成功するわけではありませんし、常に成功しているわけでもありません。
どんな人も少なくとも失敗の予感に毎日直面します。そして、何度も何度も目にすることですが、成功する人たちは進んでコイントスのような成り行きに賭ける人たちです(クリエイティブな世界では、コイントスの勝率はもっと高いかもしれません)。
映画監督兼脚本家兼コメディアンとして高い評価を得ているウディ・アレン氏のことを考えてみましょう。彼は過去数十年にわたり毎年1本映画を製作していますが、公開されているのはその一部でしかありません。しかし、彼の『さよなら、さよならハリウッド』を覚えている人はいるでしょうか? 盲目の映画監督を描いた映画で、2002年にアメリカで公開されたときは大不振でした。
作家のアーネスト・ヘミングウェイのよく引用される言葉で「1ページの傑作が生まれるまでに99ページの駄作がある」は、傑作を作る途中に駄作を乱造してしまう私たちの心に響きます。
有史以来最も優れたイノベーターの1人であるトーマス・エジソン(Thomas Edison)でさえ、彼が主導した特許の約3分の1は却下されました。さらに1093件の特許取得案件のほとんどが実用としては実を結びませんでした。現に、彼が成し遂げた真に卓抜した発明は片手で数えられるぐらいしかありません。
それから、ミュージシャンのジョナサン・マン(Jonathan Mann)もいます。彼は1日1曲書いて録音することを2500日以上続けました(7年以上1日1曲のペースを保ったことになります)。その多くは駄作ですが、彼の着実な活動がTEDやCNN、Anderson Cooper Liveに出演することにつながりました。
型破りな数学者のポール・エルデシュ(Paul Erdos)氏の名前はもしかしたら聞いたことがないかもしれませんが、彼は1500本以上の論文を発表して500人以上と共同研究をしたことで有名です。
音楽から数学まで、粘り強さと根性があることが、勝率に打ち勝ち影響力のあるものを生み出す唯一本物の方法です。
私たちは意味のあるものを作れる確率は誰でも同じという考えからそろそろ解放されてもいいのではないでしょうか。
誰でも同じ勝率から始めますが、勝率が障害になるわけではありません。誰もが同じ確率で世間に評価される物を作れるのです。
何か言えるとしたら、この考え方はクリエイターに訴えかけるということです。作品の良し悪しにこだわらず、創作活動を続けて、自分の作品を世の中に発表し続けましょう。
Get busy: The equal odds rule and the power of creative persistence | Crew blog
Jory Mackay(訳:春野ユリ)
日本の股旅物がアメリカの西部劇の換骨奪胎であることを知らない脚本家がいるとしたら、不勉強もはなはだしい。股旅物ではないが、黒澤の「用心棒」はダシール・ハメットのハードボイルド小説の換骨奪胎だ。「天国と地獄」はエド・マクベインの「キングの身代金」の日本への置き換えだ。そして、この両者とも、おそらく原作小説を超えている。
ほとんどの傑作は、過去の作品の換骨奪胎だと言ってもいいほどだ。ゲーテの「ファウスト」は、元になったファウスト伝説があるし、シェークスピアの作品の多くは他作品の焼き直しだと言う。そういうものだ。
一番いいのは、「過去の駄作や失敗作を再生する」ことだろう。
すでに、ある程度のキャラクターやプロットはある作品で、手直しすれば数段上の作品になる可能性のある作品を利用するのである。もちろん、名作や傑作を利用してもいい。短編を長編に変えてもいい。「フランケンシュタイン」というホラー作品を悲恋物にしたのが「シザーハンズ」である。人間と通じあえない悲しみ、というテーマは同じだ。極端に言えば、「リバティ・バランスを撃った男」も同じテーマと言ってもいい。「オセロ」も同じと言っていい。優れた存在でありながら、周囲から理解されず破滅するという悲劇だ。
古典的名作を映画化してもいいが、成功した例は少ない。原作が名作なのだし、そのイメージは読者個々の中にあるのだから、それを失望させないことは稀だ。可能なのは、小説をアニメ化することくらいではないか。源氏物語のアニメ化は大失敗したようだが、これは脚本家が無能だったからだろう。高畠勲は「平家物語」をアニメ化したいようだが、ぜひ挑戦してほしいものだ。「竹取物語」はそのための習作になるのではないか。
さて、「換骨奪胎」の話に戻る。
西洋ネタを日本を舞台にするとか、時代を変えるとか、いろいろ手法はあるだろう。「桃太郎」と「スターウォーズ」に本質的な違いはない、とすら言える。いや、「西遊記」と「スターウォーズ」か。あるいは「インディ・ジョーンズ」でも同じようなものだ。
問題は、実は「桃太郎」も「西遊記」も読んだことのない若い脚本家が増えているのではないか、ということだ。さらには「スターウォーズ」も「インディ・ジョーンズ」も見たことがない、とか。
インドでは黒澤の「生きる」が根強い人気があり、それをインドに置き換えた作品が無数にあるという。ここに、芸術創作の秘鑰(ひやく:秘密の鍵)がある、と思う。
先人をまねることはけっして悪いことではない。
だが、昨今のロボットアニメは模倣をそのまま商品化している。それもまた大きな問題である。模倣は「学習」の段階であり、商品とするには「換骨奪胎」まで行かないとならないのだ。