都築響一さんと対談するため、彼の本「圏外編集者」を読んでいるが、同感できる文章満載で嬉しい。都築さんは80年代「BRUTUS」の編集者だった。「編集長から教わったことはいろいろあるけれど、いちばん身についたのは、『読者層を想定するな、マーケットリサーチは絶対するな」だった。』」
「刑事コロンボ」の「死者のメッセージ」の回を見たばかりだが、三谷幸喜の「古畑任三郎」の、女性漫画家犯人の回が、これとまったく同じだった。しかも、古畑任三郎のほうが面白い。換骨奪胎の模範のようなものだ。まあ、作者自身、コロンボの影響をはっきり言明しているし、あらゆる作品は先行する作品の二次創作だ、というのが私の説だ。うまいパクリと下手なパクリがあるだけである。
なお、「コロンボ」の、この一つ前の回だったと思うが、まったくの端役のウェイトレス役でジェイミー・リー・カーチスが出ていたのが面白かった。あの顔だから、愛想の悪いウェイトレス役がぴったりだった。あちらでは、二世俳優でも最初からは優遇されない、というところがいい。要するに、柄に合った役者を使う、というのが大原則なのだろう。これは日本の映画やテレビドラマにもっとも欠けているところだ。知名度優先だから、役と俳優が合わない。
一理ある。しかしまた、「自分の好きなものを提供すれば売れる」という思い込みが、脱サラ自営業の失敗の一番の原因だ、ということも知っておく必要はあるだろう。
そもそも、脱サラする人間とは、「大多数からはじかれた人間」であり、異端的存在なのだから、そういう人間の趣味嗜好が大多数とマッチするはずがない。しかし、自分の好きなものを追及しないなら、脱サラした意味がない。そういうジレンマを乗り越える必要がある
雑誌などのマーケティングに関しては、下の言葉は正しいかもしれない。だが、さらに踏み込んで考えるなら、女性誌の編集者や編集長は女性にすればいい、というだけの話である。都築氏の言葉は、男性編集者としての自分を正当化するだけのポジショントークにも聞こえる。
竹熊健太郎《一直線》 @kentaro666 10時間前
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「たとえば女性誌を作るとする。『この雑誌の対象は25〜30歳の独身女性で、収入はこれくらいで…』とか、読者層を想定する。その瞬間に、その雑誌って終わるよね。だって自分は25〜30歳の女性じゃないから。」(都築響一『圏外編集者』)私もこの世で一番嫌いなものがマーケティングです。
題名は「青天白日記」とする。
主人公は石光雲という名。32歳。
舞台は清朝末期の中国。
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<参考文献> |
「わかりやすい会津の歴史」会津武家屋敷発行 会津若松市市制百周年記念誌 「会津若松ルネサンス」会津若松市発行 「体験学習の手引き」会津若松市教育委員会発行 |
こうした根本的な思い違いは、漫画家以外の他の分野でもありそうだ。たとえば、「作る才能」はあるのに「売り込む才能」が無いためにプロになれないことに気づいていないとか。自分には本当は何が必要なのかが分かっていない、ということ。
宮崎駿は、作る才能だけに自分を特化させるために、他の仕事(売る仕事)はすべて鈴木プロデューサーに任せているわけだ。
あん@相互フォロー @an_an_an_sougo 2016-06-02 10:29:09