スペイン語でjulioは七月。jはhと同じだろうから、読みは「フリオ」だろう。
つまり、フリオ・イグレシアスの名は「七月」。「トーマの心臓」のユーリ、「アラベスク」のユーリと同じ。
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三元甲子の説によれば、180年ごとに時代は大きく変わり、特にその最初の60年で変わるらしい。
1864年がその変わり目の転関甲子で、続く60年、つまり1924年までに時代は大きな変化があった。その後の120年、つまり2044年までの変化は小さく、2044年から60年でまた大きく変化する。
まあ、中国の術数家の迷信である。
(「老残遊記」の本文と注釈などからのメモ)
久しぶりに、「生きるヒント」カテゴリーの記事を書いてみる。内容は、「これからの商売」である。何回くらい書いたのか、忘れたので、今後は通し番号ではなく、日付でタイトルを書く。
「人材と金融」という記事タイトルは、べつに「金融業における人材」の話の意味ではなく、別個のテーマだ。
まず、今の日本に一番「余っている」のは、「優れた人材」ではないか、というのが、ここでの問題提起の第一点で、これからの日本で成功できる可能性のある仕事として、案外金融業があるのではないか、というのが論点の第二点だ。この二つとも、世間の認識とは反対だろう。
まず、今の日本では、インターネットの発達のために、これまでのような印刷出版業、つまり「紙メディア」の衰退が甚だしい。それに伴う、書店の倒産廃業も著しい。
ということは、それらに勤めていた無数の人材が、職を失っているわけである。また、少子化に伴う学校縮小により、高等教育機関に勤めていた人たちも職を失っている。
つまり、今の日本は「無数の知的人材が、仕事を失っている」状態なのである。
逆に言えば、ここに何かのビジネスチャンスがあるのではないか、というのが私が提起している問題だ。これらの「知的人材」を活用できる(特に中高年だ。)何らかの知的ビジネスを作れたら、成功する可能性が高いように思われる。そして、それは一つの企業としてではなく、日本全体が再生する道の一つではないだろうか。
同様に、今や衰退するしかないと見られている金融業だが、案外、そこに「個人的な」成功の道があるように思う。金融業全体としては衰退するのが当然だが、単独の企業としては、金融業全体が足並み揃えて衰退しているのだから、発想を変えることで、「一人勝ち」できる可能性がある、と私は思う。それは、「預金金利を上げる」ことである。他の金融業より0.1%多いとかいう、ケチな金利ではなく、3%から5%の金利を確約した普通預金にすることだ。
そうすれば、膨大な人間が、他行からこの銀行に預金を移すだろう。
問題は、金利3~5%を生み出せるような融資先を、今の低成長時代に見つけることができるか、ということで、あらゆる金融業者が鵜の目鷹の目でそれを探して探せないのだから、私がここで書いていることは空中楼閣でしかない、と言われるだろう。
はたしてそうか。たとえば、海外の銀行などでは、金利5%を約束しているところもあるはずだ。そこに、金利3%で委託されたカネをすべて預ければ、それだけで2%の利益が確保され、預金者への3%の利子もちゃんと返せるわけである。
こんな楽な商売があるのに、やらないとしたら、そこに何かのボトルネックがあるのだろう。しかし、日本国債をマイナス金利で購入するだけ、というような今の銀行経営の馬鹿馬鹿しさを見るなら、今こそが金融業の「冒険のチャンス」であり、「一人勝ち」のチャンスなのかもしれないのである。
「人材と金融」という記事タイトルは、べつに「金融業における人材」の話の意味ではなく、別個のテーマだ。
まず、今の日本に一番「余っている」のは、「優れた人材」ではないか、というのが、ここでの問題提起の第一点で、これからの日本で成功できる可能性のある仕事として、案外金融業があるのではないか、というのが論点の第二点だ。この二つとも、世間の認識とは反対だろう。
まず、今の日本では、インターネットの発達のために、これまでのような印刷出版業、つまり「紙メディア」の衰退が甚だしい。それに伴う、書店の倒産廃業も著しい。
ということは、それらに勤めていた無数の人材が、職を失っているわけである。また、少子化に伴う学校縮小により、高等教育機関に勤めていた人たちも職を失っている。
つまり、今の日本は「無数の知的人材が、仕事を失っている」状態なのである。
逆に言えば、ここに何かのビジネスチャンスがあるのではないか、というのが私が提起している問題だ。これらの「知的人材」を活用できる(特に中高年だ。)何らかの知的ビジネスを作れたら、成功する可能性が高いように思われる。そして、それは一つの企業としてではなく、日本全体が再生する道の一つではないだろうか。
同様に、今や衰退するしかないと見られている金融業だが、案外、そこに「個人的な」成功の道があるように思う。金融業全体としては衰退するのが当然だが、単独の企業としては、金融業全体が足並み揃えて衰退しているのだから、発想を変えることで、「一人勝ち」できる可能性がある、と私は思う。それは、「預金金利を上げる」ことである。他の金融業より0.1%多いとかいう、ケチな金利ではなく、3%から5%の金利を確約した普通預金にすることだ。
そうすれば、膨大な人間が、他行からこの銀行に預金を移すだろう。
問題は、金利3~5%を生み出せるような融資先を、今の低成長時代に見つけることができるか、ということで、あらゆる金融業者が鵜の目鷹の目でそれを探して探せないのだから、私がここで書いていることは空中楼閣でしかない、と言われるだろう。
はたしてそうか。たとえば、海外の銀行などでは、金利5%を約束しているところもあるはずだ。そこに、金利3%で委託されたカネをすべて預ければ、それだけで2%の利益が確保され、預金者への3%の利子もちゃんと返せるわけである。
こんな楽な商売があるのに、やらないとしたら、そこに何かのボトルネックがあるのだろう。しかし、日本国債をマイナス金利で購入するだけ、というような今の銀行経営の馬鹿馬鹿しさを見るなら、今こそが金融業の「冒険のチャンス」であり、「一人勝ち」のチャンスなのかもしれないのである。
勝海舟の父親、勝小吉に「夢酔独言」というのがあるが、夢酔は小吉の筆名というか号である。今回からブログカテゴリーに新設した「夢中独言」は、まとまりのない思考を書きつづるもので、日記にもならない独り言だ。毎日書くというわけでもない。日々の生活そのものが夢のようなものだ、という意味での「夢中独言」である。
「為すこともなく日は暮れて」というフレーズが、ここ二か月ほど頭の中で繰り返されているのだが、本当に何もできない。これは、年を取ったからかと思う。
無駄に時間が過ぎていく、という焦りはあるが、何か有益なことをしようと思うと「時間が足りない」と思ってしまう。たとえば、今から絵を練習しようとか、書道をやろうとか、写真を趣味にしようかとか、いろいろ考えても、それらは「できたらいいだろうなあ」とは思わせるが、「上達するまで自分が生きていられるか」と思ってしまうのである。かといって、小説を読んだりテレビを見たりゲームをしたりでは、時間がもったいない。この年になると、読む価値の無い本を読むほどの時間の無駄遣いはない。ゲームのほうがまだマシとすら思う。
思えば、本の世界に没頭できた頃が、私の黄金時代だったのかもしれない。現実人生はゼロであっても、頭の中での体験は最高のものだったのだから。まさに至高体験だった。
今、トルストイやドストエフスキーを読んで、あの頃の感動が得られるとは思えない。感受性が鈍磨してしまったのだ。そういう意味では、読書も若いうちにやるべきものだ。恋愛体験などなくても、本の中で、本物よりすばらしい恋愛が体験できる。
「為すこともなく日は暮れて」というフレーズが、ここ二か月ほど頭の中で繰り返されているのだが、本当に何もできない。これは、年を取ったからかと思う。
無駄に時間が過ぎていく、という焦りはあるが、何か有益なことをしようと思うと「時間が足りない」と思ってしまう。たとえば、今から絵を練習しようとか、書道をやろうとか、写真を趣味にしようかとか、いろいろ考えても、それらは「できたらいいだろうなあ」とは思わせるが、「上達するまで自分が生きていられるか」と思ってしまうのである。かといって、小説を読んだりテレビを見たりゲームをしたりでは、時間がもったいない。この年になると、読む価値の無い本を読むほどの時間の無駄遣いはない。ゲームのほうがまだマシとすら思う。
思えば、本の世界に没頭できた頃が、私の黄金時代だったのかもしれない。現実人生はゼロであっても、頭の中での体験は最高のものだったのだから。まさに至高体験だった。
今、トルストイやドストエフスキーを読んで、あの頃の感動が得られるとは思えない。感受性が鈍磨してしまったのだ。そういう意味では、読書も若いうちにやるべきものだ。恋愛体験などなくても、本の中で、本物よりすばらしい恋愛が体験できる。
この発想は無かった。具が上下から抑えられて、切りやすくもなるのではないか。見かけは悪くなるだろうが、いいアイデアかもしれない。
ピザは熱いうちに2つに畳め
サンドイッチみたいにしろ
そうすれば冷めにくくなってチーズが固まらない
ピザは熱いうちに2つに畳め
サンドイッチみたいにしろ
そうすれば冷めにくくなってチーズが固まらない
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冬山想南
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